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湯野上温泉とワールドスクウェア(2) [旅日記]

 5月1日(火)の朝に浅草を発った私たちは、約4時間かけて南会津湯野上温泉まで行き、そこからほど近い大内宿を見物してから、予約してあった宿へ到着しました。
 看板には民宿とありましたが、ロビーは妙にオシャレだし、カウンターバーまであるし、私などの持っている民宿のイメージとは少々食い違います。ペンションとでも呼んだほうが良いのかもしれません。
 8つある客室には、いずれも源氏名がついていました。私たちの部屋は「明石の上」です。
 部屋の窓からは、大川の対岸にある山が視界いっぱいに眼に入ります。シンプルで静かな山間(やまあい)の温泉宿なのでした。
 そのお湯は、澄明な弱アルカリ泉なので、白濁した硫黄泉のようなありがたみは感じられませんが、しばらく入っているとほかほかとからだの内側から温まってくるようでした。
 露天風呂がありましたが、思いきり畑に面しているので、面食らいました。もちろん男湯だけの話ではありますが、本当に地続きで畑になっており、あいだには目隠しも何も設置されていません。畑に人が出ていたら丸見えです。たぶんその畑は、宿が自分で持っているものなのだろうと思われましたが、耕作や収穫がはじまってしょっちゅう人が出ている時期にはどうするのでしょうか。まあ、おおらかといえばおおらかな露天風呂なのですが。
 食事はJらんの説明などでも自讃していたとおり、大変グレードの高い料理でした。メインディッシュというか、この宿がいちばん売りにしているのが、イワナの唐揚げで、串に刺して塩焼きにするくらいしかイメージの湧かないイワナという川魚が、これほどゴージャス感のある料理になるものかと驚きました。

 最近旅先で泊まるときにはよく夜中に何度も眼が醒めることが多いのですが、だいぶからだが疲れていたのか、いちども起きることなく、熟睡しました。朝風呂にもしっかりと入り、さらに朝食後にも入浴しました。
 9時半頃にチェックアウトします。宿に来るときにはぶらぶらと歩いてきましたが、朝は駅までクルマで送って貰います。フロントでチェックアウトの精算をしてくれた奥さんがみずから運転してくれました。
 湯野上温泉の駅に着くと、前日に大内宿へ行くときに使ったバス「猿游号」がちょうど到着していました。クルマを下りたら、猿游号の車掌兼ガイドのKさんがちょうどそこに居て、やあこれは、と挨拶します。バスの発着場は駅舎から少し離れているので、Kさんは毎回、駅まで来て利用者が居ないかどうか確認することになっているのでした。
 さて、この日(5月2日)はどう行動するか、やや迷いました。昼ごろから東武ワールドスクウェアへ行くのは確実なのですが、午前中をどう過ごすかは決めずに出てきたのです。ざっくりした予定表としては、11時に湯野上温泉を出る列車に乗ってゆくことにしていました。しかし、それはいわば最終ラインで、もっと前の列車に乗っても構いません。
 前日、駅の発車時刻表を見ると、「お座トロ展望列車・花」というのが走っているようです。要するにお座敷トロッコ客車というヤツですね。これが、平日は10時25分に湯野上温泉を出て会津田島まで行くらしいのでした。乗車整理券310円を払わなければなりませんが、これに乗ることも考えました。
 実はこのトロッコ列車、持参した時刻表には載っていません。土休日に走っている便のみ載っています。しかし駅の発車時刻表では、どうも平日も運行しているように思われたのでした。
 しかし、そのあと宿で、タブレットで(宿は無線LANが入っていたので、私のwi-fiタブレットが使用可能でした)会津鉄道のサイトを確認してみたところ、どうも5月2日には運転していないようでもあります。3日からは間違いなく運転していますが、やはり土休日だけで、平日運転をいつおこなっているのかよくわからないのでした。
 念のため、もし運転していたらラッキー、くらいのつもりで、駅の窓口に訊ねてみました。湯野上温泉駅は委託駅で、3人くらいの女性が駅業務をやっています。土産物屋も兼ねています。
 ともあれ窓口の女性委託員に訊ねてみると、やはりこの日はトロッコ列車の運転は無いということでした。
 それならば、9時59分の列車に乗って、隣の塔のへつりで下り、1時間ほど観光するのが良さそうです。その次の列車が、最終ラインとして想定していた、湯野上温泉11時00分の列車で、塔のへつりは11時05分の発車となります。
 と、その前に、前日に入らなかった、駅に附属している足湯に漬からなければなりません。マダムは足湯が大好きで、見かけると必ず漬かりたがります。しかし前日は、ドイツ製の「締める靴下」とやらを履いていて着脱が面倒だったので、出発する前に漬かろうということで諦めていたのでした。
 それで足湯のところへ行くと、どうも様子が変です。消毒薬の匂いが漂い、作業着姿の3人ばかりの男性が集まっていて、お湯がすっかり抜かれているではありませんか。不思議に思って見回すと、5月2日は清掃のため足湯は使えない旨の貼り紙がありました。マダムのがっかりせんことか。
 使えないのでは仕方がありません。代わりに駅舎で供している冷やし甘酒を飲み、そうするとそろそろ9時59分が近づいてきたので、プラットフォームに出ました。
 大内宿にちなんで茅葺き屋根の駅舎を持つ湯野上温泉に別れを告げ、ひと区間だけ乗って、塔のへつりで下車します。フリーパスなので、どこで何回下りでも構いません。

 塔のへつりの駅前には、前日の猿游号で立ち寄っています。ごく簡便な、細長いプラットフォームと小さな待合室だけがある無人駅です。国鉄会津線時代には、こんな駅はありませんでした。奇勝・塔のへつりを見物するための観光用に設置された駅です。
 「へつり」とは漢字だとという見慣れない文字を使います。急峻な山にはさまれたようなところに敷かれた険路のことを示します。塔のへつりは、山肌から、地層の露出した塔のような突起がいくつもせり出しているところから名付けられました。時刻表でこの駅名をはじめて見たときには、なんのことだろうかと首をひねったものでした。関東から東北にかけてのの方言なのだそうですが、塔のへつり以外で見たことも聞いたこともありません。
 駅からなだらかな坂道を下りてゆくと、遊歩道入り口のある広場に出ます。そこから岸壁に作られた階段を下りてゆきます。少し下りると、展望台を兼ねた土産物屋があり、そこからはひたすら下り階段です。
 下りきったところに吊り橋があります。しっかりとはしているのですが、人が通るとけっこう揺れます。
 対岸に渡り、へつりのひとつに取り付きます。地層に彫りこんだような通路があって、さらに急な階段を上がると、虚空蔵菩薩を祀った洞窟があり、そこが遊歩道のゴールとなっています。
 虚空蔵菩薩にお参りして、ふと気づくと、もう10時半を過ぎています。ここまで来るのに30分近くを要しているとすると、すぐに戻っても次の列車にギリギリでしょう。あわてて踵を返しました。もっとも、さっきの展望台兼土産物屋で、マダムが妙にまったりしてしまって、さらに時間をつぶしてしまったのですが。
 だいぶ急いだせいもあって、列車到着の10分ほど前に駅に戻ることができました。そうしてみると、今度は少し時間をもてあましたりします。

 11時05分の単行ディーゼルカーに乗り、各駅に停まりながら会津田島へ。途中で6つの駅に停車しましたが、そのうち3つは会津鉄道になってからできた駅です。
 会津田島駅は、架線のあるプラットフォームと無いプラットフォームがあり、東武方面へ直通する電車は当然架線のある線にしか入れません。私たちの乗ったディーゼルカーは無いほうに止まります。プラットフォームのあいだには跨線橋が渡されているのですが、誰も利用せず、みんな構内踏切を通ります。電車がやってくるというので勇んで跨線橋を造ったのに、無用の長物になってしまったという趣きです。
 東武の快速電車に使われていた6050系が、会津鉄道・野岩鉄道を走る電車の標準型となっています。確か東武所属車だけでなく、野岩鉄道所属車や会津鉄道所属車もあったはずですが、形はまったく同じで、銘板などを見ないと区別がつきません。
 電車でも、会津鉄道部分はかなり揺れが激しく、スピードも出ません。電車乗り入れを機に、若干の線路強化もおこなわれたはずですが、最近幹線では主流のスーパーロングレールを導入するまでにはゆかず、昔ながらのガタンゴトンという音を立てながら、一生懸命走っています。
 野岩鉄道との切り替え駅である会津高原尾瀬口は、昔は会津滝ノ原という野暮ったい名前でした。いまは東京方面へ直通する途中駅ですが、ここが終点だった国鉄時代は、ずいぶん寂しい駅だったかと思われます。会津線は、起点であった会津若松を出ると、ほどなくローカル線風味が漂ってくる路線でしたが、終点の会津滝ノ原までは60キロ以上もあり、この先に何があるのだろうと不安になるような田舎路線だったのです。かろうじて、尾瀬ヶ原の福島県側出入り口として、バスに乗り継ぐ客が少なからず居たくらいのものでしょうか。
 いまでは大半の列車が野岩鉄道に直通します。野岩鉄道に入ると、急に乗り心地が良くなります。鉄建公団が作った高規格路線なのです。
 国鉄が自力でローカル線を敷設するのは負担が大きいというので、鉄道建設専門の別組織として起ち上げられたのが鉄建公団でした。昭和40年以降に作られた国鉄路線(現第三セクター路線も含む)はほぼ鉄建公団の建設です。鉄建公団が作った路線を、国鉄に貸し付けて使用料を払って貰うというシステムでしたが、路線の運営に責任を持たない鉄建公団は、乗客があんまり見込めないローカル線を作るのでも、トンネルをじゃんじゃんぶち抜き、高架線もじゃんじゃん建てまくり、新技術を惜しみなく投入して高規格路線に仕上げたのでした。そのため使用料が跳ね上がって国鉄の経営を圧迫したという一面もありますが、ちょうど鉄建公団が作られた頃、鉄道建設の基本思想が変わったということもあったと思います。
 ローカル線だからと言って軽便鉄道みたいな低規格の線路を敷いても、スピードが出なくて、並行道路を走るクルマに負けてしまうのです。また路盤が脆弱だとあとの保線に手間がかかります。そこで、最初からメンテナンスコストが低くてすむように高規格な路線とし、できるだけ高速で列車を走らせるというのが、明治以来の建主改従主義から大転換した昭和40年頃の鉄道建設思想となっていたのでした。そして、なるべく先がどん詰まりの盲腸線にはせず、他の路線とつなげてバイパス効果が得られるようにしようとしたのです。
 野岩鉄道(建設当時は「野岩線」)もそのつもりで建設された会津線の延長線です。最初は国鉄日光線につなげるつもりだったのではないかと思います。その後、すでに新藤原までの路線を持つ東武鉄道を有効利用しようという方針に変わったのでしょう。
 そんなわけで野岩鉄道は単線とはいえ高規格な路線であり、その前後の会津鉄道と東武鬼怒川線は戦前思想にもとづく低規格路線となっています。こちらのほうは、とにかく建設費をケチるためにトンネルを極力避け、なるべく地形に逆らわないルートをとり、使うレールも細くしておくという考えかたです。どう考えてもこの部分が高速運転を妨げていると思うので、いっそ東武は並行する高規格路線、いわば東武新幹線を建設して、浅草~会津若松を3時間で結ぶ特急を走らせたらどうか、と私は妄想したことがあります。3時間で走れば、高速バスはもちろん、東北新幹線+磐越西線快速の乗り継ぎルートにも、速度面で充分対抗できると思います。

 新藤原でもういちど乗り換え、3駅目、鬼怒川温泉郷を抜けたあたりに、東武ワールドスクウェア駅が造られました。往路の車窓で見たとおり、いかにも急造という感じの、簡易な無人駅です。実は私はここで、帰りの特急券を買うつもりだったのですが、なんとしたこと、自動券売機もありません。
 切符類は、ワールドスクウェア園内の受付でお買い求めください、という表示がありました。ワールドスクウェア以外の目的でこの駅を乗り下りする人はまず居ないでしょうから、なるほどと思いましたが、ワールドスクウェアで遊んだあと、知らずに園地を出て駅まで行って途方に暮れるという客がけっこう居るのではないかと気になりました。
 ひとまず、駅前にあったラーメン屋に入って昼食を済ませました。あたりには他に飲食店も見あたらないせいか、芸能人などもずいぶん立ち寄っているらしい店で、サイン入り色紙がそこらじゅうに並べられていました。ワールドスクウェアでロケとか取材とかをする場合、この店で食事をすることが多いのではないかと思います。人数の多いテレビクルーを全員収容できるような店は他に無いのでしょう。
 園地に入ったところにコインロッカーがあったので、大きな荷物を預けます。400円入れて預け、出すときに100円戻ってくるという珍しいロッカーでした。100円入れて100円戻ってくるというのはよくありますが、一部だけ返すという方式ははじめてです。
 それからエントランスに入り、入場券を求めます。普通だと2800円ですが、私はネットクーポンの割引券を持ってきていたので、ふたりで5200円で済みました。けっこう高いな、と最初は思いましたが、いざ展示を見ると、そのくらい取らないとやってゆけないだろうと納得せざるを得ないクオリティでした。
 鉄道の切符を売る窓口は別になっていて、私はそちらにも並んで、帰りの「けごん44号」の特急券を購入しました。「きぬ」ではないので下今市で乗り換えになりますが、乗り換え時間は数分しかなく、そのときに買っている暇はありません。また買えるかどうかもわからないのでした。実際、あとで乗り込んでみると、満席というアナウンスがありました。先に買っておいたからかろうじて乗れたくらいなものです。
 私が特急券を購入していると、マダムが、14時から開催されるガイドツアーに参加したいと言いました。すでに14時5分前くらいになっています。「ヨーロッパエリア」を説明しながら案内してくれるガイドツアーだったのですが、出発地点がけっこう遠いので、早足、さらに走るはめになりました。「現代日本エリア」「アメリカエリア」「エジプトエリア」を脇目もふらずに通り抜け、ヨーロッパエリアの入り口に辿り着くと、ガイドツアーはすでにはじまっていて、ローマの円形競技場の説明をしていました。ガイドツアーへの参加は、特に申し込む必要があるわけではなく、その場に一緒に居れば良いだけですので、私も知らんふりをして一行に紛れ込みました。ガイドは若い女の子で、見ると「研修中」のプレートをつけていました。それだけに説明が初々しい感じです。
 東武ワールドスクウェアは、ご存じのとおり、世界各地の有名な建築物をミニチュアにして展示しているアミューズメントパークです。建築物もかなり細部まで再現されていて驚きますが、それよりも見物客の人形が厖大で、しかもいちいちポーズや意匠に個性を持たせているのが、すさまじい職人気質を感じさせます。ガイドさんの説明によると全部で12万体くらいあるらしく、当初はそれらの彩色をたったひとりの女性スタッフが担当していたのだとか。
 「最近は少し増えて、3人になったので、だいぶ楽になったようです」
 と言っていましたが、3人でも楽な数ではないでしょう。
 中には「隠しキャラ」が居て、そのうちのひとつ、ビッグベンの周りで捜査中のシャーロック・ホームズワトスン博士についてはガイドが教えてくれました。隠しキャラについては他のリーフレットなどでも知ることができるのですが、そこでも触れられていない「本当の」隠しキャラも居て、例えばホームズの捜査を眺めている野次馬の中にルパン三世と思われる人物が居り、なんの事件かわからないけれどこいつが犯人ではないかとスタッフ内で言われているとのことでした。12万体の人形の中には、こういう遊びが随所に仕込まれていて、だから人形を見ているだけでも一日つぶせそうです。
 万里の長城には三蔵法師ご一行──三蔵法師と孫悟空・猪八戒・沙悟浄──の人形が置かれていましたし、日本の夏祭りをイメージした展示のところでは寅さんがバナナの叩き売りをしているのが見受けられました。いっそのことウォーリーも入れておいたらどうだろうかと思っていたら、同じことを言い合っている若いカップルが居たので思わず笑ってしまいました。いや、もしかしたら本当にすでに居るのかもしれません。
 もちろん、ミニチュアの建造物と実際の人間の大きさのギャップを味わうという、本来の──と思われる──愉しみかたもしてきました。凱旋門の向こう側に椅子が置いてあるので、凱旋門を通して、そのうしろに坐っている巨大な人間……という風な写真を撮ることもできます。
 サグラダ・ファミリアのミニチュアも当然ありました。工事中のところのクレーン車なんてのまで再現しているので笑えます。
 そして園内でいちばん目立つのは、とうきょうスカイツリーです。同じ東武の持ち物として、これは外せないでしょう。ときどき雲の上に突き出ることがあるからと言うので、上の方にミストの発生装置がついているという芸の細かさです。展示物の通しナンバーは0番。いかにも特別感のある番号です。
 どの建造物も、25分の1のスケールで統一してあるとのことでした。もう少し小さいのではないかと思われるものもあったようですが、100メートルのものを4メートルに縮めてあると考えると、そんなものかなとも思えます。逆に、自分が25倍になったと考えると、私なら身長45メートル、すなわちウルトラマンAくらいのサイズということになります。人間がだいたい怪獣サイズになったと考えると良いでしょう。ゴジラも50メートルなので似たようなものです。そう考えると、怪獣映画では高層ビルが実際より小さく造形されているような気がします。ゴジラが初お目見えした昭和20年代ならいざ知らず、いまでは新宿などを舞台にした場合、怪獣の身長の5倍以上の高さを持つ高層ビルがニョキニョキ生えているわけですが、そんな描写を見た憶えがあんまり無いのでした。

 ヨーロッパエリアのガイドツアーは約1時間ほどかかりました。そのあと「アジアエリア」「伝統日本エリア」を見て、さらにさっき素通りした現代日本、アメリカ、エジプトのエリアを少し丁寧に見ていたら、いつの間にかあたりに人があまり居なくなり、閉園時刻が迫ってきていました。隠しキャラを探したりもしていたので時間がかかったようです。
 ひととおり見終わって、アフリカや南米のエリアも欲しいと思いました。またオーストラリアオペラハウスなんかもピンポイントで展示しておいても良さそうです。しかしまあ、園地の広さ、展示物の分量ともに、ちょうど良い感じではありました。
 駅に戻り、17時11分の電車で下今市まで行って、「けごん44号」に乗り換えました。車輌のいちばん前の座席で、足が伸ばしづらいところです。14時ちょっと前に特急券を手配したわけですが、3時間前でもそんな席しか空いていなかったようです。マダムは元来、最前席が好きだったのですが、ここに乗ったあと、少々足腰に来ていたようでした。
 北千住で下りれば帰りやすかったのですが、とうきょうスカイツリーまで行って夕食をとり、バスで日暮里まで出て帰りました。バス停から、夜になってライトアップされたスカイツリーを見上げて、
 「やっぱりホンモノは違うよねえ」
 とマダムが感慨深そうに言いました。

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phaos

それはもしかしたら, 本当に世界一周旅行に行きたいわねぇ, という謎かけなのでは?
by phaos (2018-05-04 09:59) 

コンビニ作曲家MIC

#phaos先生
また煽るようなことを……(^_^;;
まあ、行けるものなら行きたいですけどね♪
マダムの伯母さんは何度も世界一周クルーズに参加していたそうです。
by コンビニ作曲家MIC (2018-05-06 20:27) 

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