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ちょこちょこと用事 [日録]

 このところなかなか忙しく、毎日のように出かけています。
 先週の木曜(14日)に、マンションの理事長の職をお役御免になった話を書いて以来、日誌の更新をしていませんでしたが、それから今週の水曜まで、何かかにか外出する用事がありました。まあ、普通に勤めでもしていればあたりまえの話ですが、もの書きのはしくれとしては、仕事が立て込んでいるときに短時間とはいえ毎日のように出かけなければならないと、どうも集中力が削がれます。近所に買い物に行くくらいだったら簡便な息抜きになるというものですが、電車に乗って、となると少々億劫です。
 先週の金曜(15日)は通常どおり、クール・アルエットの指導からChorus STの練習へのハシゴです。クール・アルエットは月3回という約束なので、月のうち1~2回は休みになるのですけれども、今月に関しては、1日が合唱祭のホールリハーサルで、40分ほどしかやっていないため、そのほかに3回指導することにしてあります。合唱祭のあとの8日が、練習場所の都合で休みでしたので、そのあとの3週が全部あるというわけです。
 クール・アルエットの指導は2時間で、コーロ・ステラ(2時間半)、小樽商大グリーOB会(2時間半)、川口第九を歌う会(基本は2時間だが、たいてい延長があって3時間)に較べると楽なはずなのですが、ここからChorus STの練習に向かう頃はいつも異様に疲れていて、というより眠くて、しんどさを感じます。コーロ・ステラと小樽商大が連続する日もあって、そちらのほうがしんどそうなものなのに、意外とそうでもないのは、練習開始時刻の問題かもしれません。小樽商大の練習は18時からで、Chorus STの練習は19時半からなのですが、考えてみるといちばん眠気がひどくなるのは19時頃です。小樽商大のほうはすでに指導にかかっているのでそれほどにも感じないけれど、Chorus STは開始時刻前なので眠気をダイレクトに感じてしまうのでしょう。

 先週の土曜(16日)はこれも決まった仕事で、東川口戸塚)の教室までピアノを教えに行きました。このところ、バスで往復することが多くなっています。去年の秋に自転車に乗っていて電柱と激突して怪我をして以来、自転車で教室まで行くことを、マダムが少々いやがるようになりました。まあ心配するのは仕方がないかもしれません。去年事故ったのは家の近くだったからまだ良かったとして、教室までは十数キロ、45~50分くらいかかる距離ですから、変なところでまた事故を起こしたりしたら始末に負えない、と思うのも当然です。
 それでも、気候が好い感じのときはその後も自転車で通っていました。ただ、現在自転車の前輪のタイヤが取り替えどきらしく、空気を入れてもじきに柔らかくなってしまいます。パンクしているわけではなく、タイヤが劣化していてバルブあたりもゆるみ、徐々に抜けてしまうのでしょう。タイヤ交換に出さなければならないのですが、その暇と費用がなかなかままならずにそのままになっています。それで、やむなくバスで往復しているわけです。
 バスの中で、前の晩の寝の足りなさを補ったりもできるので、良いところもあるのですが、便数が少ないのがネックです。1時間に1便の、川口駅~戸塚安行駅の路線に乗らなければなりません。同じ区間で、別のルートを辿る路線が去年からできていますけれども、いまのところお試し運行という感じで、1日5~6便くらいしかありません。復路には何度か使ったことがありますが、往きには使えません。
 レッスンはたいてい14時からなので、自転車で行く場合は12時半かもう少し遅くても大丈夫です。しかし、バスは川口駅12時22分発なので、もっと早く家を出なければなりません。私は川口駅へは行かず、近くの西友で飲み物や軽食などを購入して、駅を出てひとつめの停留所である六間道路へ向かうことが多いのですが、そうすると12時に家を出てぎりぎりです。自転車を使うよりも、合計して往復で1時間くらい余計に時間を食うようです。

 日曜(17日)は、鶴川ポプリホールまで行ってきました。私の遠縁でもあるソプラノ歌手の松岡麻子さんが、仲間とやっているおでん座というグループの公演で、なんと私の旧作である『おばあさんになった王女』を上演してくれたので、それを観に行ったのでした。そういえば、何年か前に父のイトコ会というのがあって、そこに麻子さんと私ら夫婦も招かれて出席したことがあり、その際に何か演奏をとのことで、私ら夫婦は結婚式のときに披露した連弾ピアノ曲『La Valse de Mariage』を弾き、麻子さんはせっかくなら何か私の作ったものを歌ってみたいと申し出があり、『おばあさんになった王女』の中のアリアを一曲提供したのでした。それを憶えていて、おでん座の公演で全曲をやってみたいというオファーがあったのでした。
 私としてはありがたい話ですが、出版譜にはなっていないので、私だけでなく、台本作者の市橋なぎささんの意向も訊ねなければなりません。もともと市橋さんが、ご自分のグループであるLa Canorのために企画し制作したオペレッタなので、La Canor以外では上演したくないと考えているようだったら話はそこまでです。まあ、市橋さんは、ネット出版などをしているご主人と組んで、この作品を出版しようとしているらしいので、他でやるなとは言わないだろうとは思いましたが、本ができるまで待って欲しいと言うかもしれません。
 私から打診したところ、按ずるより産むが易しで、市橋さんはむしろ大喜びの様子でした。その後麻子さんからも正式に上演許可を求めた上で、今回の再演となりました。私は楽譜を送ったあとは放りっぱなしでしたが、市橋さんは今回のために、若干台本を書き直したり、稽古に顔を出したりもしたようです。
 ポプリホールというのははじめて行ってみましたが、駅からも近いし、キャパシティも手頃だし、響きも悪くありません。小田急沿線なので、コーロ・ステラの演奏会などにちょうど良いのではないかと思いました。実際候補にも挙がったようなのですが、松永知子さんに訊いてみると、町田市民が居ないと厳しいとのこと。町田市の施設なのでそれはやむを得ません。それにしても「和光大学ポプリホール」と看板が出ていたので、
 「和光大学なのに……?」
 と首を傾げました。なんのことはない、いわゆる最近はやりのネーミングライツというヤツで、和光大学が命名権を買ってそう表示しているだけの話なのでした。実体は町田市の市民センターなのです。
 おでん座公演の前半はソロや重唱、後半が『おばあさんになった王女』の上演でした。オファーを受けたのは春の頃でずいぶん前でしたので、稽古期間が充分とれたのでしょう。かなり練れた舞台となっていたように思います。木こりの青年の役が、もともとは女声だったのが、テノール歌手がやっていました。男声が加わるとやはりピシッと締まる感じでしたが、本来わりと低い音域で書いたので、ソロのアリアはともかくとして、重唱になった場合にテノールでは低すぎて、少々気の毒でもありました。少しテノール用に手直ししてやれば良かったと反省しました。
 市橋さん夫妻も来聴していました。最初の歌い出しのあたりで涙が出てきたと言っていました。私と違って、彼女にとってはいわば「処女作」なので、余計に感じるものがあったようです。
 なお鶴川には、中学2年から浪人中まで、およそ6年間、作曲のレッスンを受けに通っていました。最初は町田からバスに乗っていたのですが、そのうち鶴川からもバス路線があることがわかり、鶴川で電車を乗り下りするようになりました。急行は停まらない駅なのですが、確か準急に乗るとちょうど良い時間に着けるのではなかったかと記憶しています。もう35年も前の話で、久しぶりに下りた駅前も大きく変貌しており、昔使っていたバスがどこから出ていたのかもわかりませんでした。

 月曜(18日)は本来は曜日で決まった用事は入っていないのですが、この日はヴァイオリンの伴奏をしに出かけました。相手はいちおう本職のヴァイオリン弾きではあるのですが、もうなかば引退した感じで、人前でソロで弾くことは滅多にありません。たまに合奏に加わる程度です。しかし曲に対する勘のようなものを維持しておきたいのか、ときどき伴奏をしてくださいと連絡が来ます。どこかで本番があるというわけでもなく、ただ自分の勉強のために合わせをするという趣きで、それで伴奏料を払ってくれるのですから、奇特と言えば奇特な人ではあります。
 伴奏だけではかえって申し訳ないので、気づいた点や、直したほうが良い点などを、かなり直截に申し述べています。向こうとしてはそういうことも期待している感じなのでした。私にはヴァイオリンの技術的なことはわかりませんが、音楽自体については言えることもありますので、半ばレッスンという雰囲気でもあります。そういえば故神野明先生が、
 「ぼくはヴァイオリンも弾けないし歌も歌えんが、ヴァイオリニストや歌手を教えることはできるぞ。音楽としては同じことだからね」
 と、その当時はずいぶん豪語なさるなあと思えるようなことを言っていましたが、ちょっとそれに近いことをやっているような気がします。なんとなく、不思議な時間なのでした。
 次の合わせを決めるということもしません。またそういうシオになったら連絡する、ということで別れます。

 火曜(19日)は、週によってはコーロ・ステラの指導があったり、小樽商大グリーOB会の指導があったり、その両方が重なったりするのですが、この日はどちらもありませんでした。それなら一日家に居られたかと言えば、夜けっこう遅くなってからイレギュラーの用事が入ってしまいました。
 平塚で毎年やっている七夕の音楽物語『星空のレジェンド』を、なんとミュージカル化しようという企画が動き始めています。いつも『星空のレジェンド』でナレーションをやってくれている高森秀之さんがぶち上げた企画で、今年の公演のリハーサルに顔を出したときにそんな話を受けました。基本的には大川五郎先生の書いたストーリーをなぞりつつ、物語を少しふくらませ、あらたな曲なども入れて、もっと芝居要素の強い舞台作品にしてみたいというのでした。そのとき私が漠然と賛意を示したら、公演当日には早くも、ミュージカル出演者募集のチラシが、リーフレットに挟みこまれていました。
 ずいぶん仕事が速い人だなあと感心していたのですが、その後さっぱり動きが無く、8月中くらいにいちど打ち合わせをしたいと言っていたのも実現しないまま日が経ちました。それが、11月に入った頃になって、ようやく連絡があったのでした。
 台本作者や演出家などを交えての打ち合わせ会をやりたいというので、都合の良い日を伝えておいたのですが、それが19日の夜20時半となったのでした。やたら時間が遅いのは、演出家の都合だったようです。
 年明けくらいからぼちぼち稽古をはじめたいというのですが、間に合うのだろうかと心配になりました。台本作者はえらく熱くコンセプトを語っているのですが、いまのところコンセプトにとどまり、まったく本にはなっていないようです。私の立場としては、コンセプトのことはあとで良いので、とにかくテキストを貰わないと話になりません。
 どうも話の様子では、元ネタである音楽物語からそのまま曲を用いるのは3曲程度になるようで、10曲くらいはあらたに書き下ろさなければならない感じです。稽古はじめまでに全部揃えなくても良いのでしょうが、だいぶ忙しくなるのは確実でしょう。
 稽古や本番で使う音源を私が打ち込まなくとも良いとわかったのだけが、この日の収穫と言えば収穫です。打ち込みは高森さんの知り合いに得意な人が居るようで、その人に頼むとのことでした。私は普通に、いつものように楽譜を書いて渡せば良いと判明し、そこは大いに安堵しました。私はシンセサイザーどころか、パソコン用のシーケンサーソフトも今は持っていません。MIC's ConvenienceのあちこちにあるMIDIファイルを作成した古いシーケンサーソフトは、新しいパソコンに換えたところ使えなくなっていました。仕事関連でもあるのでいずれは新しいシーケンサーソフトを入れなければならないとは思っていますが、入れたところですぐさま使いこなせるとは限りません。来年の7月に予定しているミュージカルに間に合うかどうかは微妙で、だから打ち込みを他の人がやってくれるのであれば大助かりだったわけです。

 水曜(20日)は板橋区演奏家協会の役員会でした。そして、この日までに仕上げたいと思っていたのが、来年のファミリー音楽会のための譜面であり、それを急ぐので毎日外出は少々大変だった……というのが今日の日誌の本意です。
 ファミリー音楽会のための編曲がこの時期に入るのは毎年決まったようなもので、当然私もそのつもりでいたのですが、今年に関しては、停滞してしまった理由がありました。
 まず、例年になく、楽器奏者の出演エントリーが多かったこと。『セーラ』のオケに乗ってくれた、わりと若手の協会員が、かなりこぞってファミリーに出演してくれることになり、なんと木管などは『セーラ』に匹敵する規模となりました。つまり、フルート2、オーボエ2、クラリネット1、サクソフォン2で、準二管編成の趣きです。金管はトランペット1だけでしたが、打楽器もふたりエントリーしているので、近年に無い豪華サウンドとなりそうで、その分編曲にも手間がかかるのでした。
 さらに、その楽器奏者の中で、ひとりは指揮に廻って貰わなければならないのですが、それがなかなか決まりませんでした。ずっと指揮は成田徹くんがやってくれていたのですが、ここ数年、彼は本番当日か、その前日のゲネプロのどちらかが都合が悪いということが続き、オンステしていません。
 指揮に廻った奏者の楽器は、当然編曲からは除かなければなりませんので、指揮者が決まるまで編曲を進めるわけにはゆかなかったのです。
 ようやく決まったのが10月末で、編曲の主な部分はそれからはじめましたので、11月がえらく忙しくなった次第です。
 今年のファミリーでやった「10分間 de『新世界より』」が好評で、この「10分間」シリーズを続けることになりました。で、今回は「10分間 de『惑星』」……約10分で、『惑星』の全7楽章のさわりをちょっとずつ聴かせるというものです。以前から続けているオープニングステージの流れなので、アマチュアを含めた合唱も加わります。これ、企画としては面白いし、編曲もやり甲斐があるとはいえ、10分のオーケストラ曲の譜面というのはけっこうな分量です。金管と弦楽器が少ないと言っても、その代わりにピアノ連弾が入るので、音符の数としては通常編成のオーケストラとさほど変わらないどころか、少し多いかもしれません。とにかくかなり時間はかかりました。
 加えるに、これも好例の「お楽しみステージ」の曲。これはネタバレ禁止のためなんの曲かは書けませんが、いつもと違って外国曲で、しかもいくつかの曲をメドレーさせるという注文で、こちらも頭を使いました。
 あとは、ピアノと弦楽器による「スケーターズ・ワルツ」の編曲も頼まれました。よく知られた曲であり、コピペも活用でき、アレンジも難しくないのですが、ワルツであるがために小節数がやたら多くなるのが問題で、そのためこれも時間がかかりました。
 本当は、私がマンションの総会で議事進行をしていた14日の晩、ファミリー音楽会の顔合わせ会が開かれていて、そのときに楽譜を間に合わせたかったのですけれども、分量の多さプラス指揮者決めのための停滞で、とても間に合いませんでした。次善として、役員会のときまでに間に合わせて担当者に渡そうともくろんでいたわけです。
 もっとも、池袋キンコーズに駆け込んで大急ぎで譜面のコピーをとって役員会に行ったところ、当の担当者は欠席で、翌日レターパックで郵送しなければなりませんでしたが、まあそれにしてもファミリー音楽会の関連の仕事はようやく終わったことになります。

 しかし、書かなければならないのはそれだけではありません。
 上に書いた、ミュージカルのための新曲が待っています。とにかくテキストができ次第すぐさま作曲にかからなければ間に合わなさそうなタイミングです。
 さらに、合唱曲をひとつ書くことになっています。
 これは、来年5月に開催するChorus STの演奏会で初演する予定の曲ですが、少し面白い企画です。私だけでなく、相澤直人くん、山下祐加さんといった若手も交えて、ひとりの詩人が書き下ろした詩に1曲ずつ作曲させて、ひとつのステージとして初演しようというのです。言ってみれば競作とも言えますし、人によってはいやがりそうな話ですが、幸い相澤くんも山下さんも快諾してくれたようです。ちなみに、相澤くんは一時期合唱指揮で、山下さんはいちどピアノ伴奏でChorus STと関わったことがある人ですが、作曲家としての関わりはまだありません。ふたりとも、それらの関わりのあとにめきめき売れてきたのでした。それぞれに方向性が違うだろうし、「合作組曲」のようになるかどうかは疑問ですが、詩人を同じくする曲集として1冊にまとめて出版できたりしたら興味深いものがあります。
 年内をメドに仕上げて貰いたいということでしたが、私はいわばホスト側ですし、またChorus STの練習のときに
 「早く新曲ができてきて欲しい」
 という要望をしょっちゅう聞かされています。それにミュージカルの作曲がはじまると動きがとれなくなりそうなので、来週中くらいのつもりで、とっとと書き上げてしまいたいと思っています。
 去年に引き続き、今年もいままで、作曲の仕事がまるで入らず、少々憮然としていましたが、年末が近づいた今になって、急に作曲仕事が増えました。たぶんミュージカルのほうは年内には片づかず、「今年の業績」としてカウントできるのはこの合唱曲だけでしょうが、それでも2年続けて業績ゼロということにはならなさそうで、ホッとしています。
 とはいえ、上に書いた以後も、ちょこちょこと外出があります。木曜(21日)は休めたものの、今週の金曜(22日)と土曜(23日、つまり今日)はやはりクール・アルエット、Chorus ST、ピアノ教室に行かなければならなかったし、明日日曜(24日)は川口第九を歌う会の練習、月曜(25日)は小樽商大の指導、火曜(26日)は第九を歌う会の指揮者合わせが入っています。ちなみに、小樽商大と第九を歌う会の事務局長が同じ人なので、第九関連のことが火曜に入ってしまった場合は、商大のほうを動かすという勝手が利くのでした。
 水曜(27日)はこんどは演奏家協会のことで、何やら区のほうからヒアリング調査をしたいという話が舞い込み、副会長としてそれに応ずるべく出かけなければならなくなりました。
 いろんな団体と関わっている以上、いろんな用事が舞い込むのも仕方がありませんが、なぜか時期的に集中してしまうものだな……と、ため息をついています。

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