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とんぼ返りコンサートと墓参り [旅日記]

 一昨年、NHK交響楽団「団友オーケストラ」という小編成オケに伴って、愛知県瀬戸市まで演奏に行ってきたことがあります。そのまた2年前には、同じオケと、岐阜まで行きました。いずれも終演後すぐに帰途につくとんぼ返りコンサートで、観光はおろか土産物を買う暇も無いほどのタイトなスケジュールでした。
 本来、私の後輩であるMくんがこのオケでピアノを弾いているのですが、彼の都合が悪いとき、たまに私が頼まれることがあるのでした。
 世にピアノ弾きの数は多いのに、なぜ私が頼まれるかというと、これが実に大変な仕事であるからです。
 曲は毎回、スタジオジブリ作品の挿入音楽を集めたプログラムになっているのですが、ほぼ久石譲氏の作になる原曲は、フル編成のオーケストラを想定して書かれていますし、そうでない原曲もバンド用だったりして、N響団友オーケストラの小編成規模に適した形にはなっていません。従って木村弓さんがひとりでライアを弾きながら口ずさむ「いつも何度でも」などを別にすると、すべての曲がアレンジを必要としています。
 Mくんはそのアレンジを全部やっているわけではありませんが、大半を手がけています。
 ところが、自分で弾くことがわかっているので、アレンジスコアにはピアノパートがほとんど書かれていません。毎回、その場の勢いでアドリブで弾いているようです。
 また、ピアノのパート譜なるものも作られていません。彼はフルスコアを見ながら弾いているのです。
 こんな弾きかたのできるピアノ弾きは、そう滅多には居ないのでした。
 それで、ときどき私にお鉢が回ってくることになります。
 最初に頼まれたときは、楽譜を貰って愕然としました。ピアノを弾くための情報がほとんど書かれていないのです。「ここは弦の低音部を重ねて」とか、「ここはコードに従って伴奏」とか、注意書きは一緒に送られてきましたが、それを見てもどう弾けば良いのやら、ほとほと見当がつかないありさまでした。しかもそのときは、事前のリハーサルも無く、当日会場へ行って一回合わせをするだけだったので、薄氷を踏むような想いでした。
 まあ、私はそういう本番になると逆にクソ度胸がついてしまうタイプらしく、なんとかお役を務めました。
 それで2年後にまた頼まれ、今年また頼まれたわけです。

 今年は11月30日に新潟で、やはりジブリ音楽の演奏会ということでしたが、団友オーケストラにはいろんな仕事の依頼が来るようで、同じ日に別の場所で、別の趣旨の演奏会を開くことになっていたようです。この団友オーケストラというのはメンバーが固定して居らず、メンバー要件は「かつてN響の団員であった人たち」ということらしいので、そういう場合は新メンバーを募って別働隊を構成することになります。今回、古参のメンバーは大半がもうひとつの演奏会のほうに駆り出されたようで、コンサートマスターも別の人だったし、お初のメンバーもかなりたくさん含まれていました。そのため、11月のはじめごろに、新人コンマス(女性なのでコンサートミストレス、コンミスというのが良いのでしょう)に呼び出されて、はじめて「事前の打ち合わせ」ということをしました。
 それで気が楽になったところもあり、30日の朝、そんなに重圧感無しに、指定された上越新幹線に乗りました。

 上越新幹線に乗るのは久しぶりです。以前はChorus STの仲間などとよくスキーなどに行くことがあったし、新潟の合唱団ユートライとのつながりもあって、上越新幹線に乗る機会はけっこうありましたが、最近はとんとご無沙汰しています。
 この日乗った「とき311号」は、東京を出ると上野を通過し、大宮にだけ停まって、あとは新潟までノンストップという豪快な列車です。昔も、高崎も越後湯沢も通過するのがありましたが、確か長岡だけは停まっていたような記憶があります。「とき311号」は長岡も通過してしまう最速列車で、上りの「とき312号」と共に、一日一往復だけのノンストップ特急なのでした。
 そのせいか、ほぼ満席になっています。まあ私の周囲はほとんどオーケストラの面々になっていますので埋まっているのも当然なのですが、そのほかのところも空席はほとんど見当たりませんでした。
 久しぶりに上越新幹線に乗って車窓を見ていると、大宮を出た頃はずいぶん遠くに見えている山々が、見る見る間と言って良い勢いで、ぐんぐんと近づいてくる迫力に気圧されるほどでした。そして両側の山なみがついに前方に立ち塞がったところで、長大なトンネルに突入します。もちろんいちばん長いのは大清水トンネルですが、その前後の、高崎上毛高原のあいだのトンネル、越後湯沢と浦佐のあいだのトンネルもなかなかの規模で、駅を出るとトンネル、トンネルを出ると駅、という観があります。
 大清水トンネルを抜けて越後湯沢にさしかかると、もう雪が積もっています。冬の上越新幹線ほど、天候の変化とか、太平洋側と日本海側の格差とかをあざやかに見せつける路線は無いでしょう。
 浦佐でも雪が見えましたが、そこからもうひとつトンネルを抜けて長岡近辺に出ると、雪は消えていました。終点の新潟は昨日雪が降ったと聞きましたが、積もってはおらず、この日は暖かいほどでした。
 タクシーに分乗して会場に出かけます。新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」という会場で、このりゅーとぴあという名前は、新潟の別名である「柳都」にちなんでいるそうです。信濃川沿いに柳の木が多く植えられていたから柳都と言われていたんだそうですが、あんまり他では「『柳都』の異名を持つ新潟……」などといった言い回しを聞いたことがありません。新潟市の人たちの自己満足のような気もします。
 いつものように、ごくごくひととおりのリハーサルをやったのちに本番という、忙しいスケジュールです。今回、なぜか私のピアノは重いとか遅いとかいろいろ言われました。いつもと別に違う弾きかたをしていたわけではないのに、今回に限ってそんなことを言われたのが不思議でしたが、もしかしたら、新メンバーが多かったために、コンミスがヴァイオリンを弾くときにピアノをあてにする比率がいつもよりも高かったのかもしれない、とあとになって思いました。それと、ちょくちょく一緒に活動している仲間というわけでもないので、どうしても様子見というか、やや遠慮してしまい、その結果わずかにタッチが遅れるということもあったのかもしれません。今後の検討課題ではあります。
 ピアノがソロで弾く部分は大変良かったと言われました。しかしオケの中で弾くということがあまり馴れていないのは事実で、しょっちゅう経験を積めるというものでもありませんから、イメージトレーニングなどをしてゆく必要がありそうです。
 演奏会の性格上、幼児などもたくさん入場しているのはわかっていますが、岐阜や瀬戸の子供たちと較べて、元気なのが多かった印象がありました。司会者がしゃべっていても音楽が鳴っていても、けっこうお構いなしに声を張り上げている子が少なからず居たように思います。やむを得ないとは思いますが、そういう子を音楽に惹きつけられないというのはちょっと残念でもありました。

 これもいつもどおり、終演後はすぐに撤退です。いつもオーケストラの皆さんの撤収の速さには驚かされるのですが、今日は私は終演後に着替えをする必要がなかったので、すぐにロビーに出ました。しばらくそこに居ると、もうタクシーが来ているので順次乗ってくださいと言われました。それで乗りましたが、たぶん私の乗ったのが第1号だったようです。途中の道が混んでいて、なかなか進みません。
 「帰りの列車、17時44分なんだけど間に合いますかね」
 「さあて……ちょっと厳しいかもしれませんねえ」
 と運ちゃんが心許ないことを言います。
 最終的には近道を通ってくれて、そこから乗り場までは少々距離があったものの、第1号に乗った私を含む3人は、なんとか5分前くらいに改札を通ることができました。この分だと乗り損ねる人も多いのではないかと思われます。
 実際、タクシー第3号くらいまではかろうじて発車ぎりぎりに乗ってきましたが、そのあとは間に合わなかったようです。帰りの「とき340号」の座席はガラガラで、本来オケのメンバーが坐っているべきところも空席が目立っていました。間に合った連中は、大半が2座席を独占してのびのびと帰途についたわけです。
 往きの311号と違って、340号はほとんど各駅停車でした。通過するのは浦佐と本庄早稲田だけです。この1本前の338号などは本当に各駅停車です。上越新幹線はもともと、「こだま」タイプの各駅停車である「とき」と、「ひかり」タイプの速達列車「あさひ」の2本立てではじまったのですが、「あさひ」が長野行きの「あさま」とまぎらわしく、誤乗が多かったので廃止されると同時に、各駅停車タイプと速達タイプに分けるのをやめて、越後湯沢発着の「たにがわ」と新潟発着の「とき」と、走行区間によって分けることにしたのでした。「あさひ」の時代も、ほとんど各駅停車というのがあって、上越新幹線の場合、停車駅によって列車名を分ける必然性があまり無かったようです。
 私は途中の高崎で、他のメンバーに挨拶して下車しました。
 実は、この新潟行きにひっかけて、夏に行けなかった前橋のお墓へのお参りをしてくることにしていたのです。マダムの父方の祖父母、それに去年の末に亡くなった伯父が入っているお墓です。マダムは昼間に別の用事があり、前橋の宿で落ち合うことにしていました。1泊して、次の日の午前中に墓参りをするわけです。
 ところが、マダムが所用のあとに乗るべき電車を確認していると、驚くべきことに、高崎から乗る両毛線電車が、マダムも私も同じ便であることがわかりました。それならということで、高崎駅の新幹線乗り換え口のところで待ち合わせることにしました。
 だから新潟で渋滞に巻き込まれたとき、私は少々焦っていたのでした。同乗した他のふたりは、次の列車だと自由席になってしまうから混むかもなあ、などとのんびり言い合っていましたが、私は予定した列車に乗れないと困ります。しかも次の「とき342号」は、越後湯沢まで各駅停車のくせにそれから大宮までノンストップで、高崎に停まらないという変な停車パターンの列車で、越後湯沢で後続の「たにがわ」に乗り換えて高崎着1時間遅れとなるところだったのです。
 しかしまあ、無事に高崎で落ち合えました。
 なお切符は回数券の1枚だったので、高崎から先の行程の払い戻しということができなかったのが残念です。

 マダムとふたりで前橋へ向かい、ほぼ墓参りのときの定宿となっているビジネスホテルに荷をほどきます。
 最初の頃は、前橋の駅前に新しく建った駅ビルの中で夕食を摂ったりしていたのですが、そのビルは、年々訪れるたびにテナントが減り、廃墟のようになってしまいました。確か地上4階地下1階の堂々たるビルであるのに、いまやテナントは1階のローソンと、あとカラオケ屋か何かと、もうひとつくらいになってしまい、夜など本当に不気味なほどです。仮にも県庁所在地の駅前という一等地なのにこの寂れっぷりは、テナントの家賃が非常識なほど強気な設定であったのか、それとも夜な夜な幽霊でも出没するのか、わけがわかりません。
 ともあれ、そこで食事はできなくなりましたので、駅を抜けて南口側に出て、1キロほど歩いたところにあるショッピングモール「けやきウォーク前橋」に行きました。マダムは、このモールができたから駅ビルが寂れたに違いないと言うのですが、その関連性を疑うには、両者の距離が遠すぎる気がします。それともみんなクルマで移動するので1キロばかりの距離は問題にならないのでしょうか。
 モールに出店している、去年も立ち寄った「登利平」で上州赤鶏のカツを堪能しました。この店、高崎の駅ビルにも入っていますが、そちらはいつも混んでいて、なかなか入店できません。
 その近くに花屋があったので、料理を待っているあいだにマダムがひとっ走りして、お墓に供える花を買ってきました。以前、街中の花屋で供花を買ったら、えらく高くついたことがあって警戒していましたが、リーズナブルでけっこう見栄えもする花束を買ってきてくれました。
 食事のあと、ホテルの近くにある天然温泉ゆ~ゆで入浴し、部屋に戻るともう23時過ぎです。ゆ~ゆの営業時間が23時で終わりなので、なかば追い出されるように出てきた感じです。
 気の張るコンサートで疲れていたのか、わりにすぐに寝てしまいました。

 明けて12月1日、ホテルの朝食をたらふく食べて、9時くらいに活動開始しました。
 まず前橋駅へ行き、大きな荷物をコインロッカーに入れてしまいます。私の荷物には何しろ箱いっぱいのスコア譜が入っていて、持ち回るのは考えただけでもうんざりします。持参した小さな手提げに必要なものだけ移します。マダムも荷物を整理し、中型のバッグだけ持ちました。
 それから、シャトルバスで上毛電鉄中央前橋駅へ。この乗車1回100円のシャトルバスは毎回利用していますが、今回乗ってみると、料金表がでていて、整理番号0のところに150円と出ていたので不思議に思いました。まさか10月の増税で値上げしたのか、だとしても110円になるならともかく150円では甚だしい便乗値上げのぼったくりではないか、などと思いながら、下りるときに運転手に
 「100円でいいんだよねぇ?」
 と訊いてみました。すると、
 「ああ、100円ですよ。最近、けやきウォークのほうから来るようになって、そっちからだと150円。前橋駅から乗るときは整理券をとって貰うようになったんで、次からはお願いします」
 との答えでした。実は前橋駅からけやきウォークへのシャトルバスも出ているらしいことは前の晩に確認していたのですが、同じ路線なのだとは知りませんでした。
 中央前橋駅の窓口で、「赤城山麓1日フリー切符」を購入します。上毛電鉄の1日乗車券です。

 マダムが母親から、お墓参りに行くのなら「忠治漬け」を買ってきてくれるよう頼まれたらしいのでした。忠治漬けは言わずと知れた国定忠治にちなんだ漬け物なのですが、前橋では見当たらず、桐生に行かないと買えません。高崎駅の駅ビルの物産コーナーあたりなら置いているかもしれませんが、今回は高崎駅で下車はしません。お墓は上毛電鉄の途中駅である心臓血管センターが最寄り駅で、そこからそのまま先へ行けば桐生(上毛電鉄の駅名は西桐生)に着きます。桐生の街中でも、どこで売っているのかよくわからないのですが、桐生駅の観光売店に置いてあるのはわかっています。それで、今回は墓参りのあと桐生に足を伸ばすことにしたのでした。
 そのあとの帰宅に際しては、珍しく高速バスを使ってみようと思い立ちました。いつもは青春18きっぷを使っているのでJRにこだわりますが、今回はそういう縛りはありません。高速バスは前橋から出ていますので、桐生に行ったのち前橋に戻ってくる必要があります。そちらはJRを使うという方法もありますが、調べてみたら上毛電鉄の1日乗車券があることがわかったので、戻りも上毛に乗ることにしました。この1日乗車券、単純に中央前橋から西桐生まで往復しただけでも元が取れます。しかも途中下車するのですから充分おトクです。
 いつも暑い中を歩いて墓地に行きますが、今日は身が引き締まるような冷たい空気を吸いながら歩きます。日差しは暖かいので、寒いと言うほどではありません。しかし東京近辺に較べると、やはり空気の張りつめかたが違うようです。
 お墓ではたいてい草むしりをしていますが、今回はほとんど必要が無いくらいでした。夏と冬の差もあるでしょうが、それよりも、去年にマダムの伯父が亡くなってこのお墓に入ったので、それまでさほど墓参りをしていなかったその伯父の子供たち、すなわちマダムのイトコたちが何度もやってきて、その都度手入れもしていたのだろうと思われます。墓石と墓碑をざっと拭き、前の晩にけやきウォークで買った花を供え、ローソンで買ったロールケーキも供え、線香に火を点けて置き、手を合わせてお参りを済ませました。
 心臓血管センターの駅からお墓まで、歩いて12分ほどかかります。上毛電鉄は日中は30分ごとに運転しており、たいてい着いた2本あと、1時間後の電車に乗るタイミングとなります。つまりお参りの実質時間は30分ちょっとということですね。なお、心臓血管センター駅は交換駅で、日中の運転では必ずこの駅で上下線がすれ違いますので、どちら向きの電車でも同じ時刻に発車します。
 今回も、9時57分に着いて墓参りを済ませ、10時57分の電車に乗れましたが、やや余裕が無かったのは、マダムが「証拠写真」を撮るのに少し手間取っていたからかもしれません。ちゃんとお参りしたよ、ということを、両親やイトコたちに報告するために写真を撮っていたのですが、スマホのカメラの調子が悪くて時間がかかっていたのでした。

 普通なら中央前橋に戻るのですが、今日は西桐生へ向かいます。もっともはじめてというわけではなく、何度か墓参りのあとに西桐生方面に向かったこともありました。最初にマダムとふたりで墓参りをしたあとは、足尾の温泉で泊まることにしていたので、赤城で下りてわたらせ渓谷鉄道大間々までタクシーを走らせました。歩いても充分なほどの距離だったので拍子抜けしました。
 高尾にある私の祖父母の墓へのお参りと連動させることにした最初の年も西桐生に出て、それこそ忠治漬けを探して商店街をうろつきました。結局らちがあかずにJRの桐生駅に戻り、そこの観光売店で売っているのを見つけたときの徒労感と言ったらありませんでした。
 何度目かの墓参行では、前橋の定宿ではなくて桐生のホテルに泊まったこともあります。だから馴染みのある行程ではあります。
 40分で西桐生に着き、今回は迷わずJR駅に行って、すぐに忠治漬けを入手しました。
 昼食は桐生で済ませようと思い、名物のソースカツ丼でも食べたかったのですが、どういうわけだか駅前の商店街には、ろくに食事のできる店が見当たりません。まあ、桐生のいちばんの市街地と言える地域は、駅から少々離れているため、やむを得ないところもありますが、それにしてもなんにもない商店街です。シャッターを下ろしている店も少なからずあるのは、日曜日の昼間という理由なのか、それとも慢性的にシャッター街化しているのかわかりません。どうにも景気の悪そうな街だと思わざるを得ないのでした。
 たらふく食べた朝食のおかげで、マダムもまだそれほどおなかが空いていないというので、ひとわたりぐるりと歩いてから、帰りの電車に乗りました。前橋駅にちょっとオシャレそうなイタリアンレストランがあって、マダムが去年から気にしていたのです。昼食はそこでとることにしました。

 えっちらおっちらと中央前橋まで戻り、またシャトルバスに乗って前橋駅へ。レストランではピッツァと、豚肉のコンフィを食べました。前の晩は鶏をがっつり食べましたが、今度は豚です。上州麦豚なるブランド豚があり、特に前橋市は養豚に力を入れていて、ご当地ゆるキャラも「コロトン」という豚のキャラクターです。マダムは
 「こんなおいしいもの、10年ぶりくらいに食べた」
 と感激していましたが、前の晩の鶏肉にも大いに感激しており、10年ぶりというのは大げさなようです。まあ、「こんなおいしい豚肉」ということであれば成立するかもしれません。
 まだ少しバスの時刻までは間がありましたが、外へ出ました。駅の南口側には暗くなってからしか来たことが無かったのですが、明るいうちに出てみると、何やら不思議な「コンビニエンスストア」がぽつんと建っています。コンビニエンスストアと謳っているのですが、チェーン店とは思えません。「チャンドラ」という店名も何か曰くがありそうです。
 興味を惹かれて入ってみると、いきなりエスニックな香りが鼻を衝きました。並んでいる商品を見ても、エスニック食品のたぐいが多いようです。豚肉を売っていたので、イスラム向けのハラール商店ではないようですが、インドかネパールあたりを発祥とするお店だったのでしょう。
 せっかくなので少し買い物をして、それから持ち帰りでチャイを1杯ずつ貰いましたが、小さからぬ駅の前でこんな店が成り立つとは驚きです。前に常総線水海道駅の前にブラジルショップがあったので驚いたことがありますが、地方都市に暮らす外国人は年々増えているようです。

 バスは15時20分の発車でした。関越道に乗るまで、前橋のあとも新前橋や高崎、またほうぼうの営業所などでこまめに客を拾ってゆくバスでしたが、最終的にもさほどの乗車率にはならず、高崎駅を出た時点で私は座席を移動し、2席並びの座席をひとりでゆったりと使用しました。
 だから楽ではあったのですが、関越道ではえらい渋滞に巻き込まれて、1時間半ほど遅延して池袋に到着しました。バスはこれがあるからなあ、と思いました。

 【お知らせ】このたび、so-netのCGI埋め込みサービスの終了により、トップページにあったメッセージフォームを削除いたしました。ここからメッセージをいただいたかたも大勢居られましたので残念ですが、今後はメールフォームが起ち上がるリンクを張っておきますので、そちらからお便りをいただければと思います。

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