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「練習曲」を考える [いろいろ]

 前のエントリーに引き続き、1月21日(木)にプレイした山手線の謎解きイベント「6枚の写真に隠された秘密」のリプレイを書こうと思ったのですが、いまイベント特設ページを確認したところ、2月末までとなっていたイベント開催期間が、3月14日まで延長されたとのアナウンスがなされていました。そのため、今日はまだ開催期間の途中ということになってしまい、ネタバレの多くなるリプレイを書くわけにはゆかなくなりました。14日以降にまた書くことにいたします。
 それで今日は何を書こうかと考えたのですが、自分の身の上には特に記すべきことも起こっていませんし、ニュースのまとめサイトなどを見てもあまり興味を惹かれる話題は見当たりません。いや、興味を惹かれないわけではないのですが、自分の中でそれについての意見がまとまっていないと言うべきでしょうか。
 そんなわけで、また「考える」シリーズにしてみましょう。今回は「練習曲」について……。

 「練習曲」というのは、基本的には声楽や器楽の奏法を訓練するために書かれた楽曲ということになります。
 広く考えれば、ピアノでは「バイエル」「メトードローズ」「いろおんぷ」、ヴァイオリンでは「カイザー」などの「入門書」「ピアノのテクニック」「ハノン」などの「運指訓練書」なども含まれます。
 入門書は文字どおりはじめてその楽器に触れる人のために手ほどきをする本で、作曲家よりも演奏家、さらに音楽教育家などによって著されることが多くなっています。運指訓練書も同様で、これは「楽曲」というよりも、同じ形をひたすら繰り返すことで運指を強化するための、いわば準備体操です。
 いずれにしろ、初学段階でシステマティックに奏法を身につけさせようというのがこの種の入門書や運指訓練書の目的で、だいたい19世紀に入ってから盛んに作られはじめました。
 それまでは、音楽の指導というのはもっと属人的というか、入門にしても運指訓練にしても、そのために用意された既成の本を用いるということはあまり無かったと思われます。先生が、自分が初学時代に用いた曲をそのまま生徒に与えるということはあったのでしょうが、そういうものが市販されていたわけではないでしょう。
 先生によっては、自分で入門用の曲や運指訓練用の曲を作成して、生徒に示す、ということもありました。J.S.バッハ『インヴェンション』が好例です。あれは息子たちや弟子たちが、バッハのもっと難しい曲を弾くための訓練用に書かれた曲集でした。
 また、D.スカルラッティの500曲にものぼるクラヴィーア用ソナタは、彼が家庭教師をしていた王女さまに、練習曲として書き与えていた、いや著し奉ったものと言われています。さすがに王女さまだけあって豪儀なものです。モーツァルトのピアノソナタもほとんど弟子に弾かせるために書いたという話もあります。
 特定の相手を想定した練習曲というのはその後も書かれています。林光の『ピアノの本』は、武満徹から娘さんの指導を頼まれて書いたものがベースとなっています。武満氏は独学の人だったので、ピアノを娘に系統的に教えることができなかったのでしょう。
 自分の子供とか自分の弟子という対象でなく、不特定多数の学習者のために「教則本」を「出版」という形で弘めた最初は、たぶんラモーあたりではないかと思います。前にラモーについて書いたときに少し触れましたが、彼の本では装飾音の弾きかたなどについて非常に細かく説明してあります。また「指番号」を明記したのもラモーからでしょう。
 しかし、練習曲(エチュード)というジャンルを確立させたのは、やはりクレメンティツェルニーの両人ではないかと思います。
 ピアノという楽器の最初のヴィルトゥオーゾ(名手)とされるクレメンティは、多くの弟子を育ててもいますが、その経験を活かして、晩年になってから「グラドゥス・アド・パルナッスム」という浩瀚な練習曲集を発表しました。音楽の神アポロンが住まいするパルナス山への階段、という意味です。実に100曲に及ぶ大部の本で、いまなお練習曲集としては最高難度に近いものとされています。ただし、各曲の出来の善し悪しにけっこう差があったようで、カール・タウジヒというピアニストがばっさばっさと斬りまくり、現在では29曲になったものが流布しています。
 これに対し、ツェルニーは初学者向きからプロ級相手まで、各段階の練習曲を書きまくりました。そもそも大変に速筆な人で、しかも同時進行で十何曲もの楽譜を書くことができたという伝説も残っています。作品番号だけで850くらいまであり(有名な「ツェルニー30番」は作品849)、しかも「30番」「40番」「50番」「100番」「110番」など、すべてひとつの作品番号に含まれています。作曲した曲数を細かく数えたら、1200曲をはるかに超えるでしょう。
 ツェルニーがこれほどに練習曲を書きまくったのは、もちろん彼が多くの弟子を抱える優秀なピアノ教師だったこともあるのですが、それと同時に自分の師匠であったベートーヴェンの曲をより多くの人に演奏して貰いたいという気持ちがあったのだと私は考えています。何しろベートーヴェンの作品というのは演奏が難しいものが多く、ヘタをすると敬遠される可能性もありました。ベートーヴェンにかわいがられたツェルニーとしては、そんなことは許されないと思ったでしょう。彼の多くの練習曲は、ベートーヴェンの曲を弾くための訓練という面があったに違いありません。
 ツェルニーの練習曲は、配列などもよく考えられており、いまでも充分に有用ですが、無味乾燥で音楽性に乏しい、右手偏重で左手の訓練が少ない、などの批判も古くからありました。それで、次の世代になると、奏法の訓練という部分は踏まえつつも、より高度な音楽性を持たせた練習曲を作ろうという機運が高まったのでした。

 ショパンシューマンリストのロマン派3巨人が、それぞれにツェルニーとは違った方針の練習曲を書いています。
 ショパンの練習曲は作品10と作品25が12曲ずつ、それに遺作の3曲が遺されています。奏法上のテーマを決めて、それを追求する形で曲をまとめるという路線はツェルニーと同様なのですが、難易度順に並べるというような配慮はまったくしていません。というかいずれも非常に高難度の曲ばかりです。弟子の教育のために書いたと言うより、卓越したピアニストである自分自身の演奏水準を保つために書いたように思われます。
 それゆえか、各曲の音楽的クオリティも大変高くなっています。「別れの曲」「黒鍵」「革命」「木枯らし」「大洋」などあだ名のつけられた曲が多いのも、練習曲という枠を超えて愛奏される機会が多いからでしょう。
 シューマンは「パガニーニの奇想曲による練習曲」(作品3,作品10)というのも書いていますが、これはあんまり知られていません。有名なのは作品13「交響練習曲」でしょう。「交響」とついていますがピアノ独奏曲です。当時付き合っていた恋人エルネスティーネクララではない!)の父、フォン・フリッケン男爵の作曲したテーマに基づいた変奏曲という体裁になっています。男爵はアマチュアのフルート奏者でもあり、音楽に造詣の深い人物でした。
 主題と12の変奏、それから遺稿から発見されたあと5つの変奏から成っています。変奏曲としては非常に自由に書かれています。ベートーヴェンからはじまった性格変奏は、冒頭に印象的な音型にもとづく変奏を施し、あとは主題のメロディーなどにはあまり頓着せず、主題の和声に従ってその音型を展開してゆくという考えかたでしたから、同一音型の反復であることの多い練習曲との親和性が、実はけっこう高いのでした。
 リストも多くの練習曲を書きました。有名どころでは『超絶技巧練習曲』『パガニーニによる大練習曲』それに有名な「ため息のエチュード」を含む『3つの演奏会用練習曲』などがありますが、そのほかにもいろいろ書いています。ショパン同様、いずれも高難度の作品ばかりで、いみじくも「演奏会用」と自分で名付けているように、もはや教育的意図などはほとんど捨てられています。エチュードとは、ヴィルトゥオーゾが自分の腕をひけらかすための曲、みたいなことになっています。
 この流儀の練習曲は、さらにラフマニノフスクリャビンにも引き継がれ、演奏難度はどんどん上がるばかりでした。ドビュッシー『12の練習曲』が到達点みたいなものでしょうか。ドビュッシーはショパンの練習曲の校訂をしていて、自分も書いてみたくなったそうです。
 その後も書かれていないわけでもないのですが、あまり知名度の高いものは生まれていないようです。いちおう現代とされる作曲家の作品としては、フィンランドラウタヴァーラがまとまった練習曲を書いています。それなりのテクニックは要しますが、中級から上級といった程度で弾きこなせますので、われこそはと思わんかたは弾いてみてはいかがでしょうか。
 この種の高難度練習曲、実はバッハにもあります。「クラヴィーアのための練習曲集」と本人が名付けた4巻本があるのですが、第1巻は6つのパルティータ、第2巻は「フランス序曲とイタリア協奏曲」、第3巻は「聖アンネのプレリュードとフーガ」「21のコラールプレリュード」「4つのデュエット」、そして第4巻は「ゴールトベルク変奏曲」で、バッハの作品の中でも上級に位置するような曲ばかりです。バッハがどうしてこれらを「練習曲」と名付けたのか不思議なほどです。「練習『すべき』曲」という意味だったりして。

 一方、初学者から中級者くらいまでを対象とした練習曲でも、少しでも音楽性を高めようという試みは続けられました。ブルクミュラーヘラーモシェレスモシュコフスキなどは成功しているほうではないかと思います。
 ただこの手の作曲家は、あくまで「エチュードの作曲家」としてしか知られていない感じでもあります。彼らにも当然、エチュード以外の作品があるのですが、大きなコンサートホールで披露するというよりも、サロン風な小品が多く、やはり少々小粒な印象があります。私はモシュコフスキの作品はけっこう好きで、「愛のワルツ」などレパートリーにしていたりもするのですが、確かにこじんまりとした曲であることは否めません。
 それではこのランクの練習曲を書いた「大作曲家」は居ないのかというと、そんなことはありません。近代に入ってからになりますが、バルトーク『ミクロコスモス』というかなり大きな曲集を作っています。
 これは入門篇と言うべき易しい曲から、コンサートエチュードとしても使えるハイレベルなものまで含まれる全6巻の大作です。もともとは子供向きの入門書を書くつもりだったようですが、ある程度まとまったあたりで自分の次男がピアノの学習をはじめたので、実際に弾かせてみて調整したとのことです。それだけに、配列も充分に考慮されていますし、何より民謡音階や複調・無調のものまで採り入れて、近代音楽全体の入門書みたいな位置づけにもなっているのでした。

 バルトーク以降、「入門書」はたくさん作られています。子供の音楽教育については百花斉放、いろんな学者がいろんなことを言い、それを立証したり試したりするために、いろんな流儀のものが出ています。私の子供の頃などバイエルとメトードローズくらいしかありませんでしたが、いまや選ぶのに迷うほどです。私は初学の子供を教えるときにはよくトンプソンの教本を用いました。最初からヘ音記号が出てくるのが良いと思ったし、名曲のアレンジなどもちょくちょく挿入されています。しかしマダムに言わせるとトンプソンは退屈なんだそうで、その気配も確かにあります。
 入門段階はそれで良いとして、その次くらいの段階のための練習曲となると、あまり見当たらなかったりします。古典的なものとしてブルクミュラーかツェルニー、近代的なものとして「ミクロコスモス」があれば充分なのかもしれませんが、ちょっと寂しい気もします。そのうち何か書いてみようかな。
 最初のほうで「カイザー」の名前を挙げたわりに、ピアノ以外の練習曲の話は出ませんでしたが、何しろこのジャンルにおいてはピアノのためのものが質量ともに他の楽器を圧しているので、やむを得ませんでした。声楽ではコンコーネなどが有名ですが、コールユーブンゲンみたいなソルフェージュの教本といまひとつ境目がはっきりしません。
 エチュードというのは、学習途上の生徒からすると、面倒くさくてうんざりするものですが、一旦弾きこなせるようになると、それなりに愉しめるものでもあります。さすがに『ツェルニー40番』を「愛奏」する人はそうそう居ないとは思いますが、ツェルニー以後のエチュード作曲家は、音楽的な面でもよく考えて作っている人が多いわけで、ショパンやリストなどの作品に限らず、エチュードという語感で毛嫌いせずにレパートリーにしてゆけば良いと思います。

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コメント 4

モモーラ

記事の話題とは違いますが、時のまにまにの「ラストエンペラー」の作者さんですか?
私、4,5年前によく見ていました!
by モモーラ (2021-03-08 13:23) 

コンビニ作曲家MIC

#モモーラ様
コメントありがとうございます。
確かに「LAST EMPERORS」という文章を書きました。
ご愛読感謝いたします。
このブログからは行きづらいのですが、トップページからだといろいろなページに行けますので、よろしければどうぞ!
www.micin.natsu.gs./conv/
by コンビニ作曲家MIC (2021-03-11 21:41) 

モモーラ

返信ありがとうございます。そうですか、やはり作者さんでしたか。昔、清朝最後の皇帝溥儀をネットで調べていたら偶然このサイトを見つけまして、その小気味良くて面白い文章もあり、夢中で読んでいました。
まあでも、基本「ラストエンペラー」というのは悲惨な境遇の人が多いですが(晋の懐帝など)、個人的に溥儀は時代もあって特に印象深い人ですね。個々の行動は 如何なものか? というようなのが多いのですけどね…。
by モモーラ (2021-03-12 00:30) 

モモーラ

ありがとうございます、他のサイトも見させていただきます。
by モモーラ (2021-03-12 22:05) 

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