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震災十年 [世の中]

 東日本大震災の日から、今日でちょうど10年が過ぎました。なんだかついこのあいだのような気がしますが、あの頃生まれた赤ん坊がもう小学4年生か5年生になっていると思うと、歳月の過ぎ行く早さに慨嘆を覚えざるを得ません。
 あの日は金曜日で、マダムと私はちょうど家に居り、買い物にでも行くかと考えていたところでした。急に大きな揺れを感じ、その場にうずくまりました。
 揺れの大きさより、その長さが不気味でした。揺れはなかなかおさまらず、ほっと息をつくまでに何分経っていたのかよくわからないほどでした。
 うちは家具が倒れたりはしませんでしたが、棚の上に積んであった雑誌がバサバサと落ちてきました。それまで震度4という地震は何度も体験していて、いちども雑誌が落ちたりすることは無かったので、これはずいぶん大きな地震だと思いました。
 実際のところ、うちは奇跡的に被害が軽微であったようで、すぐ近くの知人の家では本棚が倒れかけてきたそうです。うちは1階で、その知人は高層階だったせいもありますが、それよりも揺れの向きの問題だったのでしょう。このときの地震は、東側が震源でしたので、揺れの大きなS波(横波)は南北方向に働いたはずです。従って、南向きとか北向きとかに置いてあった家具は倒れやすかったと思われます。うちの家具はほとんどが東西向きであったために、横方向には力がかかったものの、前後の向きに揺れることが無かったのでした。
 少し離れたところの他の知人の家では、家具につける耐震のためのつっかえ棒が天井を突き破ってしまったというので、やはり容易ならぬ揺れであったのは確かです。
 私の住んでいるあたりの震度については、少し混乱があったようで、最寄りの観測所では震度6弱と判定したようでしたが、周辺は全部5強でしたので、たぶん5強というのが最終的な結論であったのでしょうか。まあともかく、5強~6弱ということで、私がこれまでの生涯で経験したもっとも強い地震となりました。それどころか、私より四半世紀ばかり長く生きているはずの私の両親も、これまで震度4より大きな自信を経験したことは無かったようです。もちろん大きな地震はあちこちで起こっていますが、それを経験した人というのはそう多くないということです。
 地震そのもののエネルギー、すなわちマグニチュードは、地震の翌日の報道では8.8とされていましたが、その後上方修正され、9.0ということになったようです。マグニチュードは1000の2乗根を底とする対数ですので、0.2違うと約2倍の差がつくことになります。当初の測定はそのくらい見誤っていたことになります。
 当日の状況としては、倒壊した家屋などもほとんど無いという話だったし、火災もほぼ起こっていなかったらしいということで、死傷者もさほど出ていない感じでした。日本が営々と築き上げてきた耐震技術が見事に功を奏したように見え、私はむしろ誇らしいような気持ちになっていました。
 千年に一度と言われるような大津波が東北地方の沿岸を壊滅させたことを知ったのは、翌日のことです。

 初日にはかなり軽微で済んでいたように見えた死傷者数・行方不明者数が、突然すごい勢いで増えはじめました。その数はたちまち5000を超え、1万を超え、2万近くなってようやく落ち着きました。結果的に阪神淡路大震災の4倍くらいの被害が出てしまったのです。
 日本の誇る耐震建築は、揺れには見事な効果を発揮しましたが、津波には無力でした。
 6階建てくらいの建物が、一気に倒れ込んでくるような衝撃ですから、これに耐えろというのはさすがに無理でしょう。陸前高田などはほぼ町ごと飲み込まれてしまったような惨状でしたし、仙石線などの海に面した駅のいくつかは駅そのものが持って行かれました。
 私は、この災害は「震災」ではなく「津災(しんさい)と呼ぶべきではないか、と考えたほどです。
 そして、その津波のために、福島第一原発がダメージを受け、またそれについての対応が、主に当時の首相であった菅直人、その率いる民主党政権のせいでグダグダになり、被害が拡がりました。
 福島第一原発は炉心融解を起こし、放射線を撒き散らしましたが、その放射線自体よりも、菅首相以下の不用意な発言や行動によって弘まった風評被害のほうが大きかったように思えます。当時はチェルノブイリと肩を並べるほどの重篤な放射能災害みたいな言われかたさえしていました。そのうち、それほどのことはないとわかってきましたが、それにしても福島産の肉や野菜を避けるなんて風潮はずいぶん長いこと続きました。いくつかの街は避難のため空っぽになりました。
 そしていつしか、地震や津波での被害の話が、原発事故の話に塗り替えられていました。
 そのせいで、瓦礫の撤去などもなかなか進みませんでした。福島県ではなく宮城県や岩手県の瓦礫でさえ、処理をいやがる自治体が多かったのです。放射能があるかもしれないということで、住民が反対するからと言うのでした。いくら科学的データを出しても、人々は「安心」しなかったのでした。
 復興は遅れました。東日本大震災の5倍、10万人の死者を出した関東大震災のときよりも、復興の流れははるかにはかどりませんでした。被害を受けた範囲がずっと広かったことを考慮に入れたとしても、平成の復興が大正時代よりもずっと手間取るというのが信じがたい話です。原発事故との複合災害であったせいも大きいでしょうが、大正時代にはあった人々のバイタリティが低下しているのではないかと私は危惧しました。

 福島原発の事故は、あくまで津波によって原子炉が大量の海水をかぶったことが原因です。揺れに関してはほとんどダメージを受けていません。それなのに、日本中の原発を停めて、その地下の活断層の有無を調べるなどと無用な「対策」をはじめたのにはあきれ果てました。福島よりもっと揺れが大きかったであろう女川原発がほぼ無事であったことなど、一顧だにされませんでした。
 なんだかんだと「脱原発」派が勢いを得てしまい、これからは再生可能エネルギーの時代だと言うので、あちこちに太陽光パネルを設置しまくったあげくに、川の土手が崩され、シャレにならない水害が発生したりもしました。太陽光発電などというのはまだまだエネルギー源として主力とはなりえないことがはっきりしましたし、太陽光パネルそのものが相当な環境負荷になっていることも明らかになりました。それでも、いまだに電気料金には再生可能エネルギー発電賦課金なるものが加算されています。いい加減にして貰いたいものです。

 寸断された鉄道は、徐々に回復しました。高架線やトンネルが多く、海岸への露出が少なかった三陸鉄道がいちはやく復活し、希望の灯がともった気持ちになりました。JR山田線だった釜石宮古間は、復旧と同時に三陸鉄道に移管され、三陸鉄道はから久慈を直通する、延長163キロの大規模な路線となりました。移管された山田線部分がこののちお荷物となってしまうか、それとも直通路線を活かしたうまい使いかたができるか、それはまだなんとも言えません。
 福島原発の関係で運転をやめていた常磐線も全通しましたし、仙石線も復活を遂げました。
 しかし、気仙沼線柳津気仙沼大船渡線気仙沼については、バス高速輸送システムBRT)に振り替えられたままです。気仙沼線は石巻線と大船渡線という、いずれも東北本線の支線である路線同士をつなぐいわゆる二次支線であり、大船渡線の当該区間は路線末端ということもあって、どちらも輸送需要はそれほど高くなかったのかもしれません。BRTの運行で充分対応できていると言うわけでしょうが、かつて気仙沼線を走っていた仙台直通快速「南三陸」がかなり上々の乗車率をマークしていたのでわかるとおり、これらの路線の本当の価値は、沿線の便宜もさることながら、バイパス路線としての役割にあります。BRTでは残念ながらバイパスとしての役割は果たせません。三陸鉄道との連携も図って、なんとか鉄道としての復活を望みたいところです。

 関東大震災のあとでは、後藤新平という人が復興プランを矢継ぎ早にぶち上げました。その多くは大変にお金のかかることで、実現性はあまり期待できなかったようですが、それにしても銀座通りなどは後藤の構想の一部として後世に残されました。
 未曽有の災害が起きたあと、実際にできるできないにかかわらず、リーダーたる人には陽気に大きな夢を語って貰いたいものです。後藤も大風呂敷などと悪口を言われましたが、彼の語る夢のような大構想は、多くの人々に元気を与えました。
 東日本大震災では、残念ながらそういう人が出なかったようです。私は石原慎太郎元都知事あたりに、最後の仕事としてやって貰えまいかと期待したのですが、そういうことにはなりませんでした。
 また大災害のあとというのは、いろんなことが「この機に」ということで加速され、それまでできなかったプランが実現したりするのが常だったはずですが、残念ながら東日本大震災のあとには、眼の醒めるような変化は訪れませんでした。これも、原発事故とその後の対応がグダグダであったために、復興にひと区切りをつけるという機会が訪れなかったということなのでしょう。約10年後に武漢コロナのパンデミックがあって、ようやく世の中が少し変わり始めたか、というところです。
 関東大震災の10年後は昭和8年です。また第二次大戦終結の10年後は昭和30年です。いずれも、惨劇の爪痕はもうかなり薄れて、日本は惨劇以前の活気を取り戻していた頃です。しかし、東日本大震災の爪痕は、10年経ったいまでも、それほど薄れているようには感じられません。日本社会が、復元力や強靭さを失ってきているのではないかと、私は心配でならないのです。

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