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「五十音」の作曲 [お仕事]

 昨年(2020年)は、残念なことに1曲も作曲の仕事が無く、実績を残せない年となってしまいました。コロナ禍で、演奏会そのものが自粛されることの多い年でしたので、自然と作曲を頼む人も少なくなり、それもやむを得ないことだったと言えましょうが、私としては2018年に続く不作で、いささか凹んでおります。実のところ2019年「紫」という単発の合唱曲を書いただけなので、私はここ3年ほど、ろくろく作曲をしていないことになります。
 2017年以前は、どれほど少なくとも、まったく成果がゼロという年はいちども無かったので、このところの怠けぶりには忸怩たるものがあります。
 正確に言うと、いくつか動画用のBGMを頼まれて作成したことはあるのですが、これは作品と言うほどのものではありません。ほんの短いフレーズをループするだけみたいなシロモノです。
 今年に入って、まずファミリー音楽会のリハーサルのときに即席で「出囃子」を作りました。歌舞伎になぞらえたオペラガラステージがあり、その冒頭にフルート2本と打楽器で出囃子をやりたいというので、急遽頼まれたのでしたが、参考にと見せられた動画はまったく参考にならず、結局いちから作るはめになりました。ホールの中はいろいろ楽音が聞こえて集中できないので、全然暖房もしていないロビーで、1時間ばかりかけて書きました。まったく音を使えない状態での作曲というのは久しぶりです。大学の入試を思い出しました。

 楽譜には「Prelude DE-BAYASHI」と記しておきましたが、果たしてこれが「作品」と呼べるものであるかどうか微妙です。ファミリー音楽会では、9年前、これまた急遽依頼されてサクソフォンとピアノのために「Prelude Arabian」というのも作ったことがあり、こちらもいまのところ作品番号には数えていません。もう何曲か似たような趣向のものがたまったら「さまざまな編成による前奏曲集」とでもしてまとめてみても良いかもしれませんが。
 とりあえずこれは番外として、「紫」の次になる「作品」をようやく書くことができました。昨年末、「川口第九を歌う会」の仕事に行ったとき、同席した新田恵さんに依頼されたのです。
 川口第九を歌う会は、去年9月から練習をほそぼそと再開していましたが、今年に入ってからの緊急事態宣言で再び活動休止となり、一昨日の日曜からかろうじて再々開ということになりました。全員集まるのは無理で、ソプラノと男声、アルトと男声というような組み合わせで部分練習ということにしています。いま練習しているのは「第九」ではなく、ハイドン『四季』ですが、こんな大部のオラトリオを、この調子ではたして本番まで持って行けるかどうか、いささか心許ない次第です。
 ともあれその再休止前の昨年末、新田さんからふたつの作曲を頼まれたのでした。
 ひとつは「五十音」です。
 北原白秋大正11年に発表した、いわば「教育用」の詩で、「あめんぼあかいなアイウエオ……」という出だしはたいていの人が聞いたことがあるでしょう。演劇をやる人などの滑舌トレーニングとしても使われています。
 新田さんは、ミュージカル歌手や声優などのヴォイストレーニングもしているので、これをメロディーに乗せて歌わせようと考えたようです。同時にご自身の持ち歌にする気もあったようです。
 有名な詩だけあって、もちろん既成の曲も存在します。早いものとしては下総皖一が作曲しており、他にも何人か曲にしているのではないかと思います。
 「アイウエオの歌」とか「あめんぼの歌」とか間違って呼ばれることの多い詩で、「五十音の歌」とも呼ばれますが、詩のタイトルとしては「歌」のつかない「五十音」が正しいのでした。
 四、四、五で行を統一しており、2行ごとに聯を成しています。それぞれの1行目の末句の「五」が、アイウエオ、カキクケコ、サシスセソ……となっています。ある意味ではとても曲にしやすい構造と言えるかもしれません。


 さて私は、ミュージカルや声優の学生に歌わせるという点を第一に考え、まず音域をできるだけ制限すること、そして音がとりやすいことを意識して作曲することにしました。そのため、まずはピアノ伴奏が歌のメロディーをカバーする形で書きはじめました。童謡とか、あるいはポピュラー音楽のヴォーカルスコアなどでよく見るやりかたです。この形でひとまず書いてみて、そのあとでピアノが文字どおりの伴奏となるヴァージョンも作ろうと考えました。
 手を抜こうと思えば、ずっと同じ繰り返しで10番まである歌にしても良いわけですが、さすがにそれは作曲家としての良心がとがめます。2聯をひとまとまりのメロディーとして、「ア行」「カ行」と「サ行」「タ行」は繰り返しとし、「ナ行」からちょっと趣きを変えることにしました。全体としてビートの利いたハイテンポの曲にしたのですが、「ナ行」は「蛞蝓(なめくじ)のろのろ、ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ」で、ハイテンポでは適わなかったのでした。
 それから、2聯ごとで作られる各フレーズに、オリジナルのリフレインをつけてみました。滑舌のトレーニングという点を重んじて、


 ──アイウエオ、オエウイア、アイウエオエウイア/カキクケコ、コケクキカ、カキクケコケクキカ/……


 というのを、エチュードパートとして付け加えたのです。意外と言いづらい行もありそうです。逆に、普通には言いにくくても、歌にすればすぐできる、というのもあるかもしれません。
 1月中に、ナ行に入るところまでは書けたのですが、そこからしばらく放置となりました。そのあとの展開とか、終わらせかたとか、自転車で外を走っているときなどによく頭の中で考えていたのですが、なぜか五線紙に向かう機会が得られなかったのです。暇が無かったわけでもないのに、どうしてこうなってしまうのだろうかと自問しました。
 2月中には全然らちがあかず、3月も上旬が終わりそうになって、ようやく先を進めることができました。
 「ナ行」「ハ行」はテンポを落とし、拍子も変えたフレーズとしました。ただし「ハ行」の「鳩ぽつぽ、ほろほろ。ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ……」は、ナ行の倍速で歌われるみたいになっています。
 「マ行」「ヤ行」は最初のメロディーが戻ってきます。ヤ行はいまでは「ヤ、ユ、ヨ」と認識されていますが、白秋の詩では「ヤ、イ、ユ、エ、ヨ」となっています。なおヤ行のエは、上代ではye(イェ)という発音だったようで、ア行のエと区別されていました。ときどき、漢字が伝わる以前にわが国で使われていた古代文字、いわゆる神代文字が発見されたという話題が出たりするのですが、たいていこのア行のエとヤ行のエを区別していないところで化けの皮がはがれるのでした。ふたつのエは万葉仮名でさえ区別されているのに、それより以前にあったという文字で区別されていないはずがないわけです。ひらがなが発明されたころにはすでに区別は無くなっていたようです。
 「ラ行」「ワ行」は、それまでのテンポ感のまま、少し盛り上がる感じとなります。ラ行は「雷鳥は、寒かろ。ラ、リ、ル、レ、ロ」となっていますが、白秋のイメージとしてはこれは「らいちょは、さむかろ」という読みかただったかもしれません。「らいちょうは」と読むと、ここだけ四四五のリズムが崩れるのです。しかし、いまの語感からして「らいちょは」とすると妙なので、それまでとメロディーが変わることを利用して、私の作曲では「らいちょうは」と読むことにしました。
 「ワ行」は、白秋の書いたのはもちろん「ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ」です。そのあとにくる「植木屋、井戸換へ」も、「うゑきや、ゐどがへ」で、ワ行のオンパレードなのですが、現代かなづかいでは全部ア行になってしまい、あんまり面白くありません。「植木屋、井戸換へ」を「うえきや、いどがえ」と読んでしまうのはやむを得ないとして
「ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ」は「ワ、ウィ、ウ、ウェ、ウォ」の発音で歌って貰いたいなあと考えています。ちなみにこれで歌うと、リフレインの「ワヰウヱヲヱウヰワ」はものすごく滑舌が大変になります。舌よりも唇の筋肉が攣(つ)りそうになりそうです。
 最後だけリフレインが繰り返される形となり、繰り返すときには「アイウエオカキクケコサシスセソ……」と五十音を全部言って、最後に「アカサタナハマヤラワ」で終わります。


 以上、けっこう長い歌になりました。しかし音域としては「中央のド」から9度、つまり上のオクターブのレまでしか使っていません。ほとんど唱歌並みです。われながらよくこの狭い音域でおさまったものだと思います。メロディーそのものも、決してややこしくはないはずです。
 ソプラノ歌手である新田さんがこのまま歌うと低すぎるので、高声用として4度上げてヘ長調にした楽譜も用意しました。これだとファから上のソという音域になります。
 久しぶりの「作品」とあって、自分としてもいわばリハビリのようなつもりで書いてみたところがあります。音域を限定したり、専門の歌い手でない素人さんが歌うことを想定したりと、言ってみれば枠をはめてみたのも、しばらく脚の怪我で歩けなかった患者が、添え木に手を当てながら歩いてみるみたいな気持ちがありました。幸いリハビリとしては大体その役割を果たせたのではないかと思います。
 さて、新田さんに頼まれたもうひとつの仕事は、これまた役者や声優のトレーニング用テキストとして有名な「外郎(ういろう)売り」の作曲です。歌舞伎十八番のひとつとして長く親しまれてきた演目ですが、こちらは「五十音」とは長さ──というか言語量が全然違い、すべてを音にしたのではえらく冗長なことになりそうです。どうしたものかと頭を抱えていますが、こういう悩みかたは嫌いではありません。作曲家としての再起動を果たすためにふさわしい課題であるとワクワクしています。


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