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地下謎2018解決篇 [趣味]

 今日で1月も終わりです。平成の御代もあと3ヶ月ですね。
 さて、1月が終わると共に、東京メトロの謎解きイベント「地下謎への招待状2018」のキャンペーン期間も終了します。それで例によって、解決篇を書いておこうと思います。
 毎回説明していますが、謎解き自体ができなかったという人は少ないだろうと思います。だからこの解決篇を読んで、ああそういうことだったのかと腑に落ちる人はあんまり居ないでしょう。期間中はネタバレ厳禁であるため、当日に書いた日誌はいろいろ書けないことがあり、全体的に奥歯に物のはさまったような書きかたとなっているので、それで私の感じているモヤモヤ感をすっきりさせるために、解決篇と称してその日のことを書き直すというのが要諦です。
 とは言っても、今回はプレイ日がずいぶん前のことです。はじめて地下謎シリーズをプレイした「2016」では、年が明けてからの決行だったので、まだ記憶が新しかったのでした。次の「2017」では確か11月23日勤労感謝の日にプレイしました。それに対して、今回の「2018」は、イベントが開始された10月はじめから間もない10月8日に、早々とやってしまったのでした。「2017」と較べても1ヶ月半くらい早い時期であり、いまから考えるともう4ヶ月近く前になります。はたして当日の行動をそんなに克明に憶えているかどうか。
 ともあれ、当日使用した「謎解きキット」を眺めながら、思い出してみることにいたします。
 

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レーダー照射事件 [世の中]

 はた迷惑な隣国との関係が、このところ急速に悪くなっているようです。
 慰安婦癒やし財団の解散を一方的に宣言して、2015年合意の事実上の破棄をやらかし、国際観艦式での海上自衛隊旭日旗掲揚にイチャモンをつけて、事実上の出席拒否を通告し、いわゆる「徴用工」、戦時労働者問題で大法院(最高裁判所)が日本企業に補償命令を出すことで、1965年日韓基本条約の事実上のブチコワシをおこない、そして昨年暮れのレーダー照射事件に端を発するグダグダな対応により、日本人の韓国に対する評価は日一日と低下の一途を辿り続けています。
 上に挙げた4件が、すべてここ半年ばかりのあいだに起こっているのは、もはや偶然とは考えられません。文在寅大統領による秘密指令として、

 ──あらゆる手段を用いて日本を挑発せよ。

 とでも伝えられているのではないかと疑いたくなるような様相をおびています。
 大統領が本当にそんな指令を発したとまでは思えないにせよ、少なくとも

 ──日本に対しては何をやらかしても、(韓国内では)罰せられることがない。

 という確信を要路の者たちが抱いたと考えるのは当を得ているのではないでしょうか。そうであってみれば、もともと度を超した反日教育を受けている連中ではありますし、たがが外れたような挑発的行為を繰り返すことになるのも無理はないことです。

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『続・TOKYO物語』の制作 [お仕事]

 しばらく間があいてしまいました。ある程度忙しかったのは事実ですが、日誌も書けないほど立て込んでいたわけでもなく、ついずるずると日が経ってしまったというほうが真相に近いかもしれません。良くない傾向です。
 サボり癖は反省するとして、今月やっていた仕事について書いておこうと思います。
 『TOKYO物語』という本を出したのはもう20年以上前のことになります。本になる前、共立女子大の合唱団から依頼されて構成・編曲をおこなったのはそのさらに数年前で、数えてみるとちょうど四半世紀前ということになります。
 昭和20年代のナツメロのメドレーで、しかも女声二部合唱という編成であったのがお手頃だったのか、この本はやたらと売れました。すでに45刷以上を重ねています。最近は1回に刷るロットが少なくなってきましたが、それでも全部合わせれば2万冊くらいは出ているのではないかと思います。
 昭和39年生まれであった私でも知っているような歌を選んだので、リアルタイムで聴いた世代以外にも受けているとは思いますが、さすがに四半世紀も経つと、歌う側よりも、聴く側にとっての「懐かしさ」が若干低下してきているかもしれません。
 早い話が、当初は『TOKYO物語』をたとえば老人ホームなどで歌うと涙涙で大受けしていたわけなのですが、いまの老人ホームの入居者の年代を考えると、このメドレーに含まれている歌をリアルタイムで聴いた世代よりも、すでに少し下になってきているように思われます。
 昭和20年代の歌謡曲をリアルタイムで聴き、そこに懐かしさを感じる世代といえば、昭和10年代生まれ、あるいは昭和ヒトケタというところでしょう。昭和12年生まれの私の父が今年82歳になりますので、そろそろギリギリというあたりになりそうです。もう10年もすれば、『TOKYO物語』に収録された歌は、もともとナツメロとして知っているという世代が大部分になるでしょう。

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平成最後のファミリー音楽会 [日録]

 今日は恒例の、板橋ファミリー音楽会でした。1月13日開催というのはけっこう早く、2回あるホール練習のうち第1回は去年のうちにやっていたほどです。第2回をこの前の水曜日(9日)におこない、昨日ゲネプロを済ませて今日を迎えたという日程でした。
 もっとも、昔はもっと早い時期にやったこともあります。私が板橋区演奏家協会に入会した次の年のファミリー音楽会は、確か7日とかそのあたりで開催したのではなかったかしら。その頃は「お正月ファミリー音楽会」とか「新春ファミリー音楽会」とか冠していました。ホールの事情で1月中に開催できなかったことがあり、そのときから「新春」などの冠がはずれたのだったと思います。
 また、最初のころは入場無料でした。当時は区役所の文化振興課というところが演奏家協会を管轄しており、そこの主催色がけっこう強かったと記憶しています。つまり文化振興課の主催するファミリー音楽会に、演奏家協会が出演協力するという形でした。入場無料ということは事業収入が無いわけで、出演者のギャラがどうなっていたかはよく憶えていません。出演者もノーギャラであったか、それともいくらか役所の予算から出ていたか。
 そのうち、有料(前売り1000円)となり、演奏家協会独自の運営色が強くなり、出演ギャラが出るようになり、管轄は区役所から財団に移ったわけですが、それらの出来事の順序なども憶えていません。ある程度因果関係を持ちつつそのように変化したはずですけれども、有料になったからギャラを出すことにしたのか、管轄が替わったから協会の運営色が強まったのか、はっきり記憶していないのでした。まあともかく、いろいろな変遷を経ていまのようになってきたということです。 

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お正月日記 [日録]

 お正月休みも終わりですね。今年は仕事始めの4日が金曜日だったので、有休をとった人も多いことでしょう。私の妹もそうしていました。明日から復帰という人が多いのではないでしょうか。
 この正月休み、私はけっこう忙しく過ごしていました。むしろふだんよりも出歩いていたりするみたいなもので、骨休めができた気分ではありません。
 1日(火)は、例年のとおり6時半ころに起きて初日の出を拝みに行きました。毎年のように書いていますが、うちの近くの新荒川大橋のあたりで、荒川がほぼ東西方向に流れていますので、川下側に日の出を拝むことができます。結婚してから、数回を除いてほぼ毎年拝みに行っていますが、だんだん絶景ポイントが知れ渡ってきたようで、年々人が多くなってきました。今年など、10分前くらいではもはや割り込む隙もほとんど無いほどの混雑ぶりです。こんなに混雑するのでは、来年はもうやめようかと思うほどでした。他に同じくらいに見えるポイントがあれば良いのですが。
 初日の出を拝むと、すぐに川口神社に向かいます。私たちは自転車に乗っているので、きわめてスピーディに移動していますが、実は新荒川大橋で初日の出を拝んでから川口神社に初詣でという人は相当に多く、私たちが参拝してからうしろを向くと、驚くほど参拝者の列が長くなっているのでした。普通に歩くと10分ほどかかる距離なので、ある程度ばらけながら続々と到着するわけです。
 神社から戻ってから朝食です。まだ7時台なので、ふだんより早い朝食になります。あんまり休みらしくありません。

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平成最後の新年のご挨拶 [お知らせ]

 皆様、1日遅れましたが、あけましておめでとうございます。
 去年(2018年)は、年明け早々の1月2日、家の鍵を紛失して、ドアの錠前を付け替えなければならないという、幸先の良くないはじまりかたでした。元旦に実家を訪ねて帰宅して、そのとき普通に錠を開けて家に入ったのに、翌日買い物に出ようとしたらその鍵が見当たらなかったのです。部屋じゅうひっくり返して、年末にあんまりしっかり掃除していなかった自分の部屋を、期せずして大掃除するような騒ぎになりましたが、鍵は出てきません。結局1年経ったいまも、そのときの鍵は発見できていません。
 単独の鍵ではなく、ピアノ教室の鍵なども一緒になった鍵束で、大きさも重さもそれなりにあり、どこかにまぎれてしまうなどということは考えにくいのですが、ともかく杳として見当たらないので、仕方なく錠前を付け替えたのでした。住んでいるマンションの保険により、職人の出張費はタダで済んだのですけれども、錠前そのものの代金はとられました。イスラエル製の、鍵の偽造ができない錠前だそうで、だいぶ高くつきました。
 年はじめからそんなケチがついてしまい、どうもよろしくない年になるのではないかと不安を覚えたものです。
 そして実際、間もなくインフルエンザにかかってしまいました。それまでもう20年以上、インフルエンザになどかかったことが無かったのに、どこで貰ってきたのか39度の高熱が出て、久々に七転八倒の想いを味わいました。病気のおかげで、いくつか仕事をキャンセルせざるを得ず、その分の収入も取り損ねました。日銭稼ぎの生活ですので、病気はそのまま減収につながってしまいます。

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