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名前と愛称 [いろいろ]

 日本や中国では、人の名前というのはなかなか軽々しく扱えるものではなく、特に面と向かって本名を呼んだりするのは非常に失礼なことという意識を長く持ってきました。(いみな)と言いますが、文字どおり「忌み名」、呼んではいけない名前というわけです。
 しかし、名前を呼んではいけないのでは、いろいろ不便なことが起こります。それで通称が使われました。秀吉に対して藤吉郎とか、隆盛に対して吉之助とか、そんな呼びかたです。中国でも(あざな)というのが使われました。成人するときに自分もしくは父母などにつけてもらったようですが、本名といくぶんか関連性のある名前にするのが習慣だったようで、たとえば諸葛亮孔明だと、「亮」と「明」がともに「あかるい」という意味で共通しています。
 また、その人が官職を持っているようであれば、その官職名で呼ぶこともありました。織田上総介信長)とか、徳川三河守家康)とかいった呼びかたです。また諸葛孔明の主君であった劉備は、豫州という地域の知事みたいなことをしていたので「劉豫州」とも呼ばれました。
 成人前は幼名で呼ばれます。信長の場合は吉法師であったようです。秀吉の日吉丸というのはあんまりあてになりませんが、いちおう講談本などではそういうことになっています。幼名は、どうせ成人すれば使わなくなるからといい加減につけられることもありますが、大名家などでは代々の嫡男に受け継がれる大事な名前であることもあります。その幼名をつけることで、跡継ぎであることを内外に知らしめすという場合もありました。徳川家の「竹千代」などがそれでしょう。劉備の敵役である曹操の幼名は「阿瞞」と伝えられます。瞞は「だます」という意味なのでいくらなんでもウソだろうとも言われますが、字など関係なくただ「アーマン」と呼ばれていたのに後世の人がひどい文字を宛てたのだ、と主張する人も居ます。が、「吉利」という幼名も伝わっていますのでたぶんそちらが本当なのでしょう。

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USAと人種差別 [世の中]

 ミネアポリスで、白人の警官が黒人男性に暴行を振るい死なせたということで、USAでは暴動に近いデモが頻発しています。USAだけではなく他の国でもデモが起きていて、なぜかまったく無関係なはずの大阪あたりでも起きたようです。デモとなれば「三密」のうち、「密閉」を除く二密が否応なく成立してしまうわけで、この時期に大丈夫なのだろうかと思いますが、USAでは医療を受けるのに目玉が飛び出るほどの費用がかかり、低所得者はまず医者にかかるのが難しいし、中流層すら「医療破産」が問題になっているほどです。なんだかんだ言って低所得層には黒人やヒスパニックなどが多く、コロナ禍で死亡しているのもその層が大半を占めていると思われます。USAの感染者や死者が飛び抜けて多いのはそのせいであるとも言われ、そんなことへの不満もまた、デモや暴動の要因となっているに違いありません。
 シアトルなどでは、暴徒が調子に乗って町の一区画を占領し、その中には警察も立ち入れなくなってしまったとか。そう広い区画ではないようですが、独立国みたいな状態となり、とあるラッパーが「将軍」と呼ばれて押し立てられているそうです。トランプ大統領は州兵を繰り出して鎮圧すべきだと主張していますが、州知事や市長は反発しています。ただ反発はしても、事態を収拾する智慧はいまのところ浮かんでこない模様です。
 小区画ではあっても、国法の通用しない領域を国内に作ってしまったとなると、内乱罪ということになりそうで、内乱罪ならばたいていどこの国でも極刑をもって対処することになっています。日本でも確か死刑か無期懲役の二択しかなかったと思います。知事や市長が州兵出動に消極的なのは、いずれも民主党の首長でトランプ大統領に反対しているからと見られますが、だからと言って放置しておいたら、取り返しのつかないことになりそうです。

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幻の「帝都電鉄」 [いろいろ]

 ずいぶん前になりますが、帝都電鉄という幻の電鉄会社について触れたことがあります。
 実際には、これも前に採り上げた「関東電気鉄道」などとは違ってちゃんと設立登記されましたし、一部の路線は開通して現在も健在ですから、「幻の」と冠するのは失礼かもしれませんが、けっこう壮大な建設計画を持っていたのにごくわずかな部分しか実現することができず、設立されたとはいえその名前で営業できたのはごくわずかな期間、名前も最近まではなごりが残っていたのにそれもいまでは消えてしまった、という事情を考えると、どうしても「幻の電鉄会社」という形容をしたくなってしまいます。
 帝都電鉄は、東京山手急行電鉄渋谷急行電鉄という、ふたつの会社が合併したものです。と言っても、どちらも線路は敷いていません。これから敷く予定という段階で合併しました。最初は東京郊外鉄道と称したようです。その路線の主要部分が、当時はまだ東京市内に含まれていなかったのです。
 昭和7年に、東京市は周辺の町村を思いきった規模で合併し、それまでの15区体制が、一挙に35区となりました。これは現在の23区とほぼ同じ領域です。4年後に千歳村と砧村が世田谷区に編入されてのちの23区の領域が完成しました。この拡大された東京市のことを、当時は「大東京市」などと呼んだようです。また帝都という呼びかたがはやったのもこの頃からではないかと思います。フィクションの世界で、よく大正時代あたりを舞台としているのにやたらと東京のことを「帝都」と呼んでいるのがありますが、たぶん大正時代にはそんな言いかたはしなかったのではないでしょうか。
 東京郊外鉄道の計画路線も、この市域拡大により、ほぼ全線が市内に含まれることになり、それなら「郊外」でもあるまいということになったのか、流行の「帝都」を採り入れて「帝都電鉄」と名乗ることになったのでした。

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編曲の3ヶ月――『田園』その他 [お仕事]

 武漢ウイルス騒ぎでの外出自粛期間中、勤め人は在宅勤務(テレワーク)になったりして、家にいても仕事を続けていたと思うのですが、音楽家仲間などになると暇をもてあましていた連中が多いようです。演奏会はことごとく中止や延期となり、生徒や合唱団などを指導したりする仕事も当分キャンセルとなり、まったくやることが無くなってしまいました。ネットのテレビ電話機能を使ってオンラインレッスンなどをしている人も居ましたが、その教授内容はどう考えても質量共に不充分でしょう。仕方なく楽譜の整理などをはじめた人も少なくなかった模様です。
 それに較べると、私はけっこう忙しく過ごしていたと言えるでしょう。
 4月中は大半、『ラ・ボエーム』のオーケストレーションに費やしました。今年の板橋オペラに予定されていた演目です。オペラ公演そのものは今年は中止となりましたが、来年同じ内容で上演するということになっています。オーケストラが今年とまったく同じ編成にできるかどうかは確言できませんが、いちおう形にしておけば、多少の変動があっても最小限の手間で再利用できるはずです。
 公演の中止は、1、3、4幕の編曲を終え、最後に残った第2幕の作業をしているときに伝えられました。それまでも、たぶんそんなことになるのではないかと思いつつ、まだ最終決定は下されていなかったのでした。ほとんど済んでいたから、とりあえず仕上げておこうと考えたわけです。これが半分以下くらいの時点であれば、打ち切っていたかもしれません。

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