楽器制作の「匠」 [日録]
ショッピングモールの前面はかなり広大な庭になっていて、よく子供たちが遊んでいますが、その片隅にアトリアと称するギャラリーが建っています。収蔵品は無く、展示スペースを貸し出すだけの施設に小さな喫茶室と売店がついているくらいの建物ですが、時々面白い企画をやっています。前はクローデル姉弟(カミーユ&ポール)の作品展などを開催していて見に行ったことがあります。
ここしばらくは、「川口の匠Vol.3 音をつくる」という企画で、川口市内に工房を構える楽器制作者についての展示をおこなっています。少し時間があったので、見に行ってみました。
川口市内に楽器制作工房がそんなにあったとは知りませんでしたが、採り上げられているのは、木管古楽器制作の中川隆氏、打楽器(主にスティックやマレット)制作の千葉努氏、ヴァイオリン制作の頼徳昌氏、尺八制作の菅井幸夫氏の4人でした。調べてみると確かに、中川氏は中青木に、千葉氏は朝日に、頼氏は幸町に、菅井氏は鳩ヶ谷本町と桜町にそれぞれ工房を構えているのでした。ちなみに菅井氏の桜町の工房(竹治尺八工房桜町店)というのは、尺八屋さんとしては日本最大(つまりは世界最大)のショップだそうです。
展示では、それぞれの制作工程にかかわる、原材料とか工具とかを並べ、完成品もいくつか置いてありました。ただ「展示品には手を触れないでください」の注意書きがあってがっかりです。
木管古楽器に使われるさまざまな木材が並べられているのは良いのですが、そういうものは実際に手に持ってみて、重さとか質感などを確かめてみたいと思います。また、さまざまなタイプのスティックやマレットが何十本も展示されていて、棒を持ってみたり頭の触感の差を味わってみたりしたいものです。それなのに、まったく手を触れられないのでは、いったいなんのための展示だという気がします。
別室に、千葉氏の作成したマラカスやカスタネットなどがいくつか置いてあって、こちらは実際に手にとって音を出しても良いようになっていましたが、子供向け科学館などにあるオモチャみたいなもので、それほど知的興味を満たせるようなシロモノではありませんでした。あんまり他で見たことがないような打楽器でも置いてあれば良かったのですが。
まあ、入館無料のギャラリーで、そういった工夫を要求しても、無い物ねだりに近いのかもしれません。これだけの展示物の出品を各工房に承知させたというだけでも、よくやったと言うべきでしょうか。
いろんなものが工業化・機械化された現代ですが、楽器制作だけは、いまだに工匠の手作業頼りというところが大きいようです。金管楽器などは鋳型にはめて作るので比較的楽かもしれませんが、木管・弦・打楽器に関しては、千差万別の木材の、それぞれの性質や特徴を考慮しつつ微妙な調整をおこなってゆかなければならず、まだまだとても機械任せにはできないようです。
ヤマハのピアノは大半がロボットによる製造になっています。しかし、最後の調律だけはいまでも必ず熟練した調律師がおこないます。200本以上もある弦1本1本の特性を感知しながら最適な音を出すように調整するということは、まだロボットにやらせることはできません。なお、コンサートグランドと呼ばれるCFシリーズ、それから私の持っているS-400型などは、現在でも最初からハンドメイドです。その分当然ながら一般形のCシリーズやGシリーズなどよりも高額になりますが、弾き心地は段違いです。ロボットの技術は、まだ匠には遠く及ばないようです。そしてそのCFシリーズやS-400といえども、これまたスタインウェイ製にははるかに及ばないと言われているのですから、奥の深さは底知れません。
上記の菅井幸夫氏が経営している竹治尺八工房では、「竹治式調律マシン」という機械を開発し、尺八の値段を大幅に下げたらしいのですが、これもヤマハピアノの機械調律程度のものではないかと思います。最終的な調整はやはり職人がおこなっているはずです。
高い弦楽器になると、家一軒分の値段を上回るほどで、こんな小さなものがなんでそれほど高価なのかと驚いてしまいますが、やはりその、板の厚さとか、乾燥のさせかたとか、曲げ具合とか、ニスの塗りかたとか、そういう極度に微妙なバランスを知れば納得せざるを得ません。製品productではなく作品workと呼ぶべきものでしょう。
シャーロック・ホームズがよく弾いているヴァイオリンは、どこぞの質屋で5ポンド(現在なら10万円くらい?)で手に入れたストラディバリということになっていますが、いくらなんでもこれはあり得ないと多方面からツッコミが入れられています。いくら19世紀末という時代とはいえ、ストラディバリを5ポンドで流すような無能な質屋ではそもそも商売にならなかったはずです。実は何か外聞をはばかるような事件がらみで、依頼者から贈られたものではないか、というのがシャーロッキアン内での定説となっており、その「語られざる事件」を扱ったパロディのたぐいもいくつか書かれています。
管楽器は弦楽器ほど高額なものは無いようですが、それでも何百万円クラスの楽器はいくらでも世に出ています。フルートなどは純銀製、さらに純金製のものもあり、当然ながら高価です。吹いたことのある人によると、純金のフルートは非常に温かみのある音が出るとか。金という材質の柔らかさが、音色の温かさに影響しているのかもしれません。
ところで「フルートは金属製なのに、金管楽器とは呼ばないのはなぜだ?」という人が少なくありません。さらに、サクソフォンが木管楽器だというとたいていの人が驚きます。
サクソフォンに関しては、色がどう見てもホルン、トランペット、トロンボーンなどと同じなので、間違う人が多いようです。一般の聴客が間違えているだけならまだ良いのですが、ホール関係者で間違えている人が居ると困ったことになります。ある多目的ホールで、多少の音漏れがあるようで音の大きい楽器の使用を禁止しているところがあるのですが、和太鼓やドラムセットなどの打楽器はともかくとして、金管楽器もダメとなっています。木管は良いはずなのですが、なぜかサクソフォンはNGなのです。その規定を作った人が、サクソフォンが金管楽器だと思い込んでいたとしか思えません。
それにしてもサクソフォンは実際その大部分が真鍮で作られており、木管楽器であることが納得できないという人は居ることでしょう。
これは実は、Brassを金管楽器、Windを木管楽器と訳したのが悪いとしか言いようがありません。金管、木管と言われると、材質のことだと思ってしまうのは無理もないのです。
実際にはBrassは「管の途中に孔が無く、吹き口に当たる唇の形や緊張度などで音を変化させる管楽器」、Windは「管の途中に穿たれた孔の開閉によって音を変化させる管楽器」と定義されます。だから、金属製のフルートやサクソフォン、あるいは陶器製のオカリナなども全部木管楽器に含まれます。一方、角笛(アルプホルン)など金属でない材質の金管楽器も存在します。マーチングバンドに使われるスーザフォンなども、金属で作るとものすごく重くなって行進に差し支えるため、現在では強化プラスティックで作られることが多くなっています。
とはいえ、ものごとには必ず例外というのがあって、オフィクレイドという楽器は金管楽器に分類されているのに孔の開閉で音を変化させます。オフィクレイドは木管楽器であるファゴットを金属製にしたようなものですから、クラリネットを金属製にしたようなサクソフォン同様、木管楽器に分類されても良さそうなのですが、楽器がほとんど使われなくなってから、そのパートを引き継いだ──つまりオーケストラの中のオフィクレイドのパートを代役で吹くようになったのが金管楽器のトロンボーンやテューバだったので、その関係で金管ということになってしまったようです。楽器自体の特徴というよりも、その役割によって分類されたようなものでしょう。
分類というのはこういう疑問点がついてまわります。ピアノを弦楽器だというと奇異に感じるかもしれませんが、弦をハンマーで打つという発音機構で考えてみれば打弦楽器の一種と見なせます。演奏形態からすると鍵盤楽器となりますが、鍵盤楽器というのはいろんな発音機構に鍵盤をつけて演奏しやすくした楽器の総称に過ぎないため、発音機構による分類ということになると、いろんなカテゴリーに散ってしまいます。ハープシコードは撥弦楽器、オルガンは管楽器、チェレスタは体鳴打楽器となります。
オルガンは主に金属の管に空気を吹き込むことで音を出しますので金管楽器と言いたいところですが、実はそうではありません。1本の管でさまざまな音程を出せるわけではないからです。たくさんの管を並べて、その長さ・厚さ・材質などの差によって音程を作るという仕組みの、木管でも金管でもない管楽器です。このタイプの管楽器には、パンフルート、ハーモニカ、バグパイプ、笙などが相当します。
現代の金管楽器にはたいていピストンがついていますが、これは木管楽器の孔を押さえるキーなどとはまったく違う機能の装置です。
金管楽器はその性質上、限られた音しか出すことができません。木管楽器は孔の開けかたさえ正しければその楽器の音域のすべての半音を出すことが可能ですが、金管楽器は基音(ペダル)と呼ばれるその長さ特有の最低音と、その倍音しか出せません。基音がファなら、その1オクターブ上のファ、その5度上のド、基音の2オクターブ上のファ、その3度上のラ、そのまた3度上のド……等々です。ソとかシとかは相当に上のオクターブにならないと出せず、しかも音程はあまり良くありません。そういう音が欲しい時はどうするかというと、例えば基音がソになっている楽器を用います。
そのため初期の金管楽器奏者は、いくつもの楽器を抱えて演奏に臨まなければなりませんでした。モーツァルトやベートーヴェンの曲のスコアを見ると、ホルンにしろトランペットにしろ、使っている音はごく少なく、しかもちょくちょく「in F」とか「in Es」とかの書き込みがあります。これは、そこで楽器を持ち替えるようにという指示です。
時代が下るに従って、金管楽器に求められる音がどんどん多くなり、極端な場合には6、7本の楽器を次々に持ち替えなければならなくなったため、もう少し手軽に扱うための工夫がなされました。楽器全部を持ち替えるのではなく、管の一部を着脱できるようにしておき、その部分だけ差し替えればファの楽器になったりソの楽器になったりするという仕掛けになったのです。ヴァーグナーあたりの譜面を見ると、やはり「in F」みたいな書き込みがありますが、その頻度はベートーヴェンなどよりはるかに密になっています。管がアタッチメント式になったので、簡単に差し替えられるようになったためです。
しかし、それでもなお、管を差し替えるためには時間が必要で、短時間に半音階を吹いたりすることはできなかったりしたので、いっそのこと必要なすべての管を最初から装着して、ピストン操作によってどの管に息を流すかを瞬時に決めるという仕組みが発明されました。これが現代の金管楽器です。たいてい3つのピストンがついており、その組み合わせによって理論上は8本(2の3乗。実際に使われるのは7本)の管を吹き分けることが可能になり、ほぼ完全な半音階を演奏できるようになりました。
この金管楽器の改良などは、長い時間をかけて多くの楽器制作者が試行錯誤した成果と言えるでしょう。鋳造の可能な金管楽器は、木管楽器や弦楽器などよりも製造が容易であろうと上に書きましたが、それでも匠たちの遠大な努力がいまにつながっていることに違いはありません。
作られはしたものの廃れてしまった楽器もたくさんあります。サクソフォンなどは幸いなことに隆盛を誇っていますが、それでもオーケストラの常任メンバーになるには至っていません。まあサックスの場合は、オーケストラで使われるよりも先に、ジャズ系の音楽で使われすぎて、そちらのイメージがつきすぎたというのが主な理由かもしれませんが。
上に書いたオフィクレイドも、19世紀前半にはずいぶん使われたのに、すっかり忘れられてしまいました。たぶん、上記のピストン機構の開発で、金管楽器が半音階を吹けるようになった時点で、役割を終えたというところでしょう。
アルペジョーネという楽器もあります。これはフレットのついたチェロというか、弓で弾くギターといったような感じの弦楽器で、バロック時代に最盛期を持ったヴィオラ・ダ・ガンバを近代化したものと言えるでしょう。フレットがあるためにヴィブラートなどがかけづらく、チェロに較べて表現力の幅が小さかったのが、その後伝わらなかった主因と思われます。シューベルトのアルペジョーネ・ソナタという名作ただ1曲によって名前が残ったみたいなもので、現在ではせっかくのアルペジョーネ・ソナタもチェロで演奏されることが多くなっています。
ヴァーグナー・テューバというのも廃れた楽器のひとつでしょう。ヴァーグナーが自分のオペラを演奏するためにわざわざ作らせた金管楽器です。マーラーも使ったりしましたが、音域も音色もホルンと近かった(テューバよりも!)ため、だんだんホルンが代役を務めるようになり、わざわざヴァーグナー・テューバを用意することもなくなってしまいました。ヴァーグナーとしては、金管楽器の4つのカテゴリー(ホルン・トランペット・トロンボーン・テューバ)それぞれの中である種の「ファミリー」を作りたいという意図があったのだと言われていますが、実際のオーケストラの中ではそんな必要もなかったというのが本当のところでしょう。
一方で、廃れるかと思われてなかなか廃れないというのもあります。ごく初期の電子楽器であるテルミンやオンド・マルトノなど、電子楽器がこう発達してシンセサイザーでたいていの音色は合成できるようになった現在でも、案外と愛好者が尽きません。テルミンは両手の微妙な動きで音を調整し、オンド・マルトノはリボンをひっぱるという操作で音を出しますから、いずれも電子楽器とはいえかなりアナログで、その辺に「演奏」の手応えを感じるのかもしれません。
リコーダーなんかも、学校教育で使われることで命脈を保った楽器と言えそうです。機構がシンプルすぎて、古典派以降の音楽を演奏するには力不足でしたが、特別な訓練無しでも誰でも音が出せるということと、シンプルなだけに廉価に数を作ることができたということで、特に大量教育の現場では重宝されました。20世紀になってからは純粋に楽器としても見直され、新曲も作られるようになりました。私もリコーダー8本のための『進化の構図』という曲を書いたことがあります。
その他、10年周期くらいで古楽器ブームが訪れたりして、いまはあまり見ないような古い楽器が復元されたりもしています。復元された楽器のために新曲を書き下ろす作曲家も居たりして、いろいろ面白いことになっているように思います。
前にも書いたことがありますが、18世紀末から19世紀にかけてのピアノという楽器の急激な発達には、ベートーヴェンという作曲家の存在が非常に大きく関わっています。ピアノ製造者が何か新しい工夫をピアノという新顔の楽器に加えると、ベートーヴェンはすぐさまその工夫を最大限に活かすような曲を書きました。製造者のほうも張り合いがあったに違いなく、ますますピアノの改良に没頭しました。この時代、楽器制作者と作曲家が二人三脚で、ピアノを楽器としての完成へと導いていたと言えるでしょう。
ベートーヴェンの、特に第21番以後のピアノソナタには、その頃のピアノの進化のあとが明確に刻印されています。新しい音域が付け加えられればその音域をすぐに活用し、新しいペダルが導入されればそのペダルの効果をたちまち使いこなし、ピアノの表現力がどんどん拡張されてゆくのが眼に見えるほどです。
またクラリネットは、一般的に使われているB管の他に、半音だけ低い調律になっているA管がかなり使われています。実は現代の演奏技術をもってすれば、A管でできることはB管でもだいたいできる(最低音であるド#を出すことだけはできませんが)ので、2種類を併用する必要も無いようなものなのですが、モーツァルトがA管のための名曲中の名曲をふたつ(クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲)も書いたためにA管が使われ続けたと解しても良いと思われます。
クラリネットは比較的新しい楽器で、初期の頃(18世紀中頃~19世紀初頭)には他にもいろんな調律の管が作られましたが、現在実用的なものとして使われているのはB管とA管、それにピッコロ・クラリネットと呼ばれる高音域対応用のEs管くらいなものです。実はC管などもずいぶん使われたのですけれども、モーツァルトの2曲のような超弩級の名曲が無かったために残らなかったのではないかと言われています。もちろん絶滅したわけではなく、ほそぼそと作られ続けてはいて、
「けっこうカワイイ音がしますよ」
と教えてくれたクラリネット奏者が居ました。しかし一般の独奏やアンサンブルやオーケストラで、わざわざC管クラリネットを使うという人はほとんど存在しません。
このように、楽器の運命というものは、楽器制作者と作曲家と、そして演奏家との共同責任において決まってゆくものだという気がします。それぞれに最善を尽くすべきところでしょう。
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