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ムーミン谷の休日 [日録]

 ゴールデンウィーク最終日にあたる今日(5月6日)、少しだけ遠出をして骨休めをしてきました。
 実は一昨日の晩ころから、マダムが発熱してしまって、今日は出かけられないのではないかと心配していました。施設の前売り入場券をwebですでに入手してしまっており、キャンセルしてもお金は戻らないのですが、それはまあ仕方がないとしても、楽しみにしていたようなので、病気で取りやめとなればがっかりすることでしょう。がっかりするのは気の毒ですし、がっかりしたあまりに私に八つ当たりなどされては迷惑でもあります。昨日の夕方くらいまで、まあ微熱の範疇とはいえ無視できない発熱が続いていたので、私もやきもきしました。
 幸い、今朝起きてみると熱は下がっていたようなので、予定どおり出かけることにしました。この前の5月1日東京駅周辺などとは違い、そんなに人混みの中に行くというわけでもありません。いや、人混みの中に行くというわけではないでしょう、と書いたほうが良さそうです。何しろ私もいちども行ったことの無い場所でしたので。
 どこへ行ったのかと言えば、ムーミンバレーパークです。
 飯能市宮沢湖の湖畔に建設されたテーマパークで、名前のとおりムーミンの世界をイメージして造られています。ムーミンのテーマパークといえば、生まれ故郷であるフィンランドの、ナーンタリというところに「ムーミンワールド」というのがあるそうですが、日本のこれが世界で2番めかもしれません。
 飯能にムーミンバレーパークというテーマパークがあることは、ずいぶん以前から知っていたような気がするのですが、今日行ってみると、今年で開園5周年ということでした。ということは2019年にできたわけで、ずいぶんと新しかったのでした。開園のその年の暮れくらいからコロナ禍がはじまったので、間の悪いことです。いままでずっと、予想を下回るお客しか来ていなかったのではないでしょうか。本格稼働は去年くらいからだったかもしれません。
 そうすると、なぜこのテーマパークの存在を私が知っていたかが謎なのですが、時刻表で見たのだったかしら。現在は無いようですが、かつて都心からムーミンバレーパークへ直行するバスが運行されていたような気がします。それを見たのかもしれないし、私の記憶違いかもしれませんが、ともあれ飯能のあたりにこの施設があるということは知っていたのでした。マダムも知っていて、6日に行ってみようかと打診すると、一も二も無く賛成しました。

 8時半ごろの電車で川口を発ちます。同じ埼玉県内ですが、飯能はなかなか遠いのでした。南北に較べて東西に長く、その東西の行き来があまり便利でないのが埼玉県の特徴です。JR川越線にせよ秩父鉄道にせよ、鈍足の単線鉄道であって、便利とは言えません。一旦都内の池袋を経由して西武線を使うのが現実的な移動方法です。
 帰りには特急を使っても良いと思っていましたが、往路は急行電車に乗ります。以前は、休日の朝下りには、秩父線で使われているセミクロスシートの4000系電車が、快速急行として池袋に来ていたのですが、残念ながら無くなりました。快速急行は地下鉄乗り入ればかりになり、池袋からはほとんど発着しなくなったのです。
 しかし、私たちの乗った急行電車は、S-TRAINに使われている40000系のロングシートモードでした。これはクロスシートモードになったときのために、座席が2つずつに区切られており、それぞれにひじ掛けもついていますので、西武のロングシート車輛としては最上級と呼んで良いでしょう。ゆったりと坐って、所沢以遠の各駅停車部分もそんなに苛立たずに済みました。
 飯能駅からは直行バスが出ています。途中の停留所には一切停まりません。
 行先は「ムーミンバレーパーク」ではなく、「メッツァ」となっています。メッツァというと私ら音楽家としては、すぐにイタリア語のmezzaを連想してしまいます。「半分の」という意味で、声をひかえめにして歌う「mezza voce」などという術語に使われますし、男性形のメッツォmezzoはメッツォ・フォルテ、メッツォ・ソプラノなど、もっと頻繁に使われます。
 しかし、この場合のメッツァは、綴りはmetsäです。フィンランド語で「森」を意味します。宮沢湖畔は、かつてはゴルフコースや小さな動物園、フィールドアスレチックなどが点在する地域でしたが、ムーミンバレーパークの建設と併せて、北欧をテーマにした店舗や食堂などをいろいろ建てて、メッツァヴィレッジと名付けました。ムーミンバレーパークとこのメッツァヴィレッジ、そしてすぐ近くの日帰り温泉「吉楽里(きらり)温泉」まで含め、総合レジャー施設として全体を「メッツァ」と呼ぶことになったようです。
 飯能駅からノンストップで13分ほどでメッツァに到着します。広い駐車場がありますが、今日はさほどクルマが停まっていません。さすがに連休も最終日とあって、混んではいないようです。
 最初に入るのはメッツァヴィレッジの、しかもけっこう端のほうで、ムーミンバレーパークまではかなり歩きます。
 しかし湖の様子を見て、ここがムーミンのテーマパークの建設場所に選ばれた理由がなんとなくわかるような気がしました。
 宮沢湖はダム湖ですので、かなり長細い形をしています。しかも切れ込んだ入江がいくつもあります。周囲の山の高さや傾斜は足りないようですが、北欧を特徴づける地形「フィヨルド」に似ていると言えないこともないのでした。このたたずまいが、ムーミンの世界にふさわしく考えられたのでしょう。

 ムーミンの物語は、フィンランドの女流作家トーヴェ・ヤンソンによって書かれました。この人は本来は画家・イラストレーターであったようですが、第二次大戦のころに絵を描くモティベーションを失い、手すさびにファンタジー物語を書いてみたのがムーミンの誕生でした。当然ながら、挿絵はすべて作者自身によって描かれています。
 たぶん、人間の世の中がいろんな意味でイヤになったのでしょう。ヤンソンは、人間とはまったく関係の無い、フィンランドに古くから伝わるオバケのようなものを題材にして物語を書いたのです。この「オバケ」に相当するのが「トロル」です。
 トロルというと、最近のゲームやファンタジー小説では、棍棒を携えた危ない巨人のような容貌に描かれることが多くなっています。なぜか再生能力が非常に高く、同じ巨人系のオーガなどより強い設定であることが普通であるようです。
 最近のファンタジーだけでなく、トロルと棍棒というのは英米圏などでもセットに考えられているのではないかと私は推測しています。正式には無軌条電車と呼ばれる、いわゆるトロリーバス(電車と同じく架線から貰った電気を動力として走るバス)の名称が、綴りなどからしてもどうもトロルと関係がありそうな気がするのですが、その謂われは、トロリーバスが集電のために立てているポールを、トロルの携える棍棒に見立てているのではないかと思うのでした。
 しかし、本来のトロルは、まさに日本語の「オバケ」同様、実に種々雑多な種族が存在するものであるようです。この場合オバケのQ太郎などではなく、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるさまざまなオバケを考えてください。ぬりかべぬらりひょん一反木綿子泣き爺ほか、とてもオバケというひとつのカテゴリーにおさまるとは思えないような多種多様な連中が出てきます。トロルというのも、フィンランドにおけるそういった妖怪変化の総称であって、棍棒を持った鬼みたいなヤツに限った話ではなさそうです。
 ムーミン一家はもちろん、カンガルーみたいに見えるスニフ、人間の姉妹にしか見えないミムラ姉さんちびのミイなどもみんなトロルであって、人間はスナフキンただひとりなのでした。あとトゥーティッキはどちらなのか微妙です。末期のムーミン物語に登場するこの女性は、ヤンソンの「パートナー」であった女性の愛称(おしゃまさん、という意味らしい)をそのままつけられたキャラクターで、容姿などもその人をモデルにしているとおぼしいのですが、人間なのかトロルなのかはよくわかりません。
 実は私は原作本は1冊しか読んでいないので、さまざまな原作設定についてはあまりよく知らないのでした。昔見た「カルピスまんが劇場」のアニメ版で得た知識がほとんどです。
 このアニメ版、原作者からお叱りを受けたというシロモノでした。キャラクターデザインや世界観が、原作とだいぶ違っていたようです。確かにキャラクターデザインについては、はじめて原作本を読んだとき、アニメ版との落差に愕然とした憶えがあります。世界観のどこが悪かったのかはよく知りませんが、たぶん人間との関わりなどがありすぎたのではないでしょうか。人間世界と関わりの無い物語を書いたつもりの作者としては、自動車やら通貨やらが出てくるアニメ版は許せなかったのでしょう。
 アニメ制作者は恐縮し、一旦原作のキャラクターデザインや世界観に寄せた作りかたをしてみたものの、今度は視聴者から「絵が怖い」「話がつまらない」と酷評を受け、結局「日本国内だけで放送し、海外には持ち出さない」ことを条件にヤンソンからようやく許可を貰って元の方針に戻したのでした。原作のムーミンは著しく無表情で、日本のアニメに馴れた子供たちに「怖い」と感じられたのも無理はありません。
 マダムに至っては90年代に再度アニメ化された「楽しいムーミン一家」しか見たことが無く、原作本は全然読んでいないそうです。このリメイク版は、かなり原作の雰囲気に近づけていて──原作絵に近くともけっこう表情をつけられるほどに日本のアニメ技術が進歩したということでもありましょう──、原作者も納得の出来だったかもしれません。
 それどころか多くの人は、カルピスまんが劇場の岸田今日子版ムーミンも、「楽しいムーミン一家」の高山みなみ版ムーミンも見ていないのではないかと思います。といって原作を読んだわけでもなく、キャラクターグッズとしてのムーミンを知っているばかりかもしれません。スヌーピーファンが必ずしも「ピーナッツ」を読んでいないのと同様です。
 ところがムーミンバレーパークは、あくまで原作本準拠で作られていました。原作本を読んでいないとちょっと理解できないような設定やネタがちりばめられています。ある程度予習してくるべきであったかと、少し反省しました。
 一例を挙げれば、ムーミンのガールフレンドの名前です。これは岸田今日子版ではノンノンと名付けられていました。高山みなみ版ではフローレンとなっていました。なぜ名前が違っているかというと、原作ではそもそも名前がついていないのです。訳本では「スノークのおじょうさん」と書かれています。スノークというのは彼女の兄の名前、それも個人名というよりは家名のようなものであるらしいのでした。ムーミンの両親がムーミンパパムーミンママと呼ばれているのと同様、彼女も固有名を与えられていないのでした。
 アニメではそれだと不便なので名前をつけたのでしょうが、ノンノンというのはいかにもアホっぽい命名です。フローレンのほうが北欧チックではありますが、ノンノンに馴れていた私にはやや違和感を覚えました。
 今日はじめて、彼女の原語での呼ばれかたを知ったのですが、「スノークフローレン」というのが「スノークのおじょうさん」の元の言葉で、なるほどフローレンとはここからとったのかと納得した次第。考えてみればドイツ語のフロイライン(お嬢さん、少女)に相当する言葉だと思われます。英語ではスノークメイデンとなっていました。
 そして、このテーマパークでは、彼女はあくまで「スノークのおじょうさん」と呼ばれる存在で、ノンノンでもフローレンでもないのでした。アトラクションのお芝居でも、ムーミンは彼女のことをあくまで「スノークのおじょうさん」と呼んでいたのです。
 なおこのお芝居、あらかじめ声優が吹き込んだ声に合わせて役者が演技をするという形をとっていました。最近の着ぐるみショーなどはたいていそうなっているのかもしれません。最初に出てきたスナフキンの声が櫻井孝宏さんだとすぐにわかったので、ほかの声優も聞き分けようと思いましたが、その場ではわかりませんでした。あとでムーミンの声が戸松遥さん、ミイの声が豊崎愛生さんなどと判明しました。なかなかの豪華声優陣です。
 観客の中に、ミイのぬいぐるみを2体も乳母車に乗せてきていた老夫婦がおり、マダムによると、爺さまのほうは最後の歌に合わせて完璧に振りをつけて踊っていたそうです。最初、振付師が見に来ていたのかと思ったらしいのですが、どうもそうでもなさそうです。あとでミイのぬいぐるみを並べて何枚も写真を撮ったりもしており、どれだけミイ好きなのかとマダムは苦笑していました。婆さまのほうは髪型までミイそっくりにしていました。
 そうかと思うと、スナフキンそのもののコスプレをして来園していた女性客も居ました。おなじみ緑の帽子、緑の服で、うっかりすると芝居でのスナフキン役(スナフキンとミイの役は着ぐるみではなく普通に人間が演じていた)と見間違いそうになるほどでした。いやはや、どこにでもマニアというものは居るものです。

 時間の限られたアトラクションは、お芝居のほか、短篇映画がひとつと、映像アトラクション「海のオーケストラ号」がありました。幸い、どれもさほど待たずに見ることができました。ネズミの国などに較べると、待ち時間はずっと短くて済みます。
 「海のオーケストラ号」というのはムーミンパパがかつて乗り組んだ船の名前で、空を飛んだり海に潜ったりと、いろいろ忙しい冒険でした。壁の一面と、かなり広大な床がスクリーンとなり、そこになかなか壮大な映像が映されます。
 映画のほうは、「さびしがりやのクニット」という、ムーミン物語のスピンオフのような絵本を原作にしたものでした。トーヴェ・ヤンソンの描いた絵そのものをアニメーションさせている感じで、これは最近にならないと作れなかっただろうと思われました。

 ムーミンの原作本というのは、実は9冊しかありません。戦後すぐから、四半世紀くらいにわたって書かれました。そのほか、あとになって制作された絵本が数冊。クニットの物語はそのひとつです。クニットもやはりトロルなのですが、ムーミンとはまた違い、「ハイムシ」という種族らしい。非常に小柄で内気ではずかしがり屋のトロルなのだそうです。クニットが最後に立ち向かう「モラン」という巨大な化け物が、強いて言えば近年のトロルのイメージにいちばん近いかもしれません。
 それから、英国の新聞社から依頼されて、十数年にわたって執筆したコミック・ストリップがあり、実はムーミンを世界的に有名にしたのはそのマンガ版だったかもしれません。何せ英国だけでなく英連邦全体で読まれたので、読者は一挙に数百万にふくれ上がりました。スティンキーなどはマンガ版オリジナルのキャラです。
 トーヴェ・ヤンソンは最初のうちは喜んでマンガ版を描いていたようですが、次第に負担が大きくなってきたらしく、12歳下の弟が作画やネタ作りを手伝うようになり、やがてはマンガ制作をすべてその弟が引き継ぐようになったそうです。姉のトーヴェはもうムーミンの顔を見るのもイヤになり、しばらくはまったくタッチしなかったとか。
 フィンランドなどという、それまであまり馴染みの無かった国のキャラクターをアニメ化するなど、昭和40年代前半という時期を考えると日本のアニメ制作者のチョイスはすごいな、と思ったことがありますが、どちらかというと彼らも、英字新聞のコミック・ストリップを見て着目したのかもしれないと思い直しました。
 もっとも、そのころ一種の「北欧ブーム」みたいなものは確かにあったようです。スモアガスボードを導入して「ヴァイキング料理」として食べ放題のスタイルを確立したのもその時期でしたし、ムーミンのほか「小さなバイキング」ビッケ長くつしたのピッピニルスの不思議な旅などが紹介されたのも同時期でした。ピッピの生みの親であるスウェーデンの児童文学者アストリッド・リンドグレーンの本など、私は図書館で次々と借りて、ほとんどすべて読んだと思います。「名探偵カッレくん」シリーズや「いたずらっ子エミール」シリーズなどが好きだったな。

 アトラクションとしていちばん時間がかかったのは、パーク全体の要というべきか、原作設定どおりに建てられた「ムーミン屋敷」でした。ムーミンパパが建てた円柱状の青い家です。いささか狭いので、フロアごとに定員が決まっており、順番が来るまでだいぶ待たされたのでした。
 なぜ円柱状かというと、ムーミン族のトロルはもともと、円柱状をしたタイルストーブという暖房設備の裏だか奥だかに住んでいたので、ムーミンパパはそのタイルストーブを模して家を建てたのだろうとのこと。どうもムーミン族のトロルというのは、日本で言うところの座敷わらしみたいなオバケであったようです。中に「ご先祖様」の絵がかかっていましたが、これはもじゃもじゃの毛を生やした、よりオバケらしい容貌をしていました。ご先祖様と言ってもまだ生きているらしく、ときどき絵の中の眼が動きます。
 マダムはムーミン屋敷の間取り図の描かれたハンカチを持っており、家に帰ってからそれと見較べると、ややパークに建てられたものとは異なっているようでした。ハンカチの間取り図は、もっと部屋数が多く、ムーミン谷の住民の大半を収容できる規模になっていたそうです。
 「え、そいつもムーミンの家に住んでるの?」
 と訊き返したくなるほどの多人数ぶりでした。
 ちびのミイはミムラ姉さんとではなくムーミンと一緒に住んでいるようで、ミイの部屋というのも設置されていました。どうもミイは、想像以上に小さかったようで、ベッドなど赤ん坊用というか、ほとんどおもちゃのようなサイズでした。なお近年日本で呼ばれているリトルミイというのは上記の新聞マンガに登場したときの英語名で、原語は「リッラミイ」だそうです。意味はまさに「ちびっ子ミイ」なのですが、ただしこのlillaという言葉はフィンランド語でなくスウェーデン語です。トーヴェ・ヤンソンはフィンランド人ではありましたが、スウェーデン系で、使う言葉もスウェーデン語であったとのこと。ムーミンの原作本もスウェーデン語で書かれていたのでした。

 ここまでいろいろ書いて来たウンチクの多くは、受付で貰った小冊子と、「コケムス」という施設で学びました。Kokemusはフィンランド語で「経験」のことで、いわばムーミン資料館とでも言うべき展示館です。食堂や土産物売り場も併設されていて、私たちはここで昼食をとりました。かなりの観光地価格で、一旦ムーミンバレーパークから出てメッツァヴィレッジのほうで食べれば半額くらいで済んだようですが、しかし往復すると30分くらいかかりそうです。たまには観光地価格もやむを得ません。
 映像資料などもあり、その気になれば2時間くらい簡単に潰せそうな展示で、私もつい時間を忘れました。コケムスから出てくると、もう16時を過ぎています。
 ムーミンバレーパークは、「ムーミン谷エリア」「おさびし山エリア」に分かれているのですが、おさびし山のほうは児童遊園があるくらいで、まだ展示物はあまり充実していません。「スナフキンのテント」という展示がありましたが、さほど面白くはありませんでした。
 湖を一周する道路はできておらず、スナフキンのテントまで行くと行き止まりになっており、そのまま入口まで戻るしかありません。道路を一周させると、こちら側にもチケットコントロールを設置しなければならないので、まだ手が回らないのだと思われますが、いずれはおさびし山エリアをもっと充実させて、こちらからの入退場もできるようにして貰いたいものだと思いました。

 そろそろ夕方で、見るべきものは大体見ましたので、帰途に就いても良いのですが、19時から「小さな花火大会」というのがあるらしく、マダムがそれを見たがりました。たぶん湖上で花火を打ち上げるのだと思われます。まだ2時間近くあるのですが、マダムは湖畔にたたずんでいる人々が、すべて花火見物の場所取りをしているように見えたようで、早く場所を押さえないと、と急かしました。
 メッツァ・ヴィレッジの「レストラン棟」にあるカフェで、マダムが北欧式コーヒーとシナモンロールを喫したがっていたので、とりあえずそこまでゆくと、レストラン棟の利用者がみんな使えるテラス席があり、そこから湖上もよく見えるようだったので、その一角に陣取りました。マダムはテラス席が好きで、よく使いたがるのですが、気候的に問題の無いときがなかなか無く、あまり使う機会がありません。暑いときはどう考えても屋内で冷房を浴びたいし、寒いときはさらにハードです。今日は一日中曇りであまり気温が上がらなかったので、ちょうど良かったのでした。もっとも夕方に少し雨がぱらつきましたし、陽が暮れるといささか冷え込んできました。マダムは昨日まで熱があったのに半袖で来ていたのでとても寒そうで、隣のマーケット棟でストールでも買ってくると言って席を外しました。
 戻ってきて言うには、どうということのないストールでも1万円くらいするし、コートともなれば5万円レベルでとても手が出ないとのこと。ただバスタオルならわりと安いのでそれを買いたいというのでした。安いと言っても近くのショッピングモールなどで買うのに較べればだいぶ高かったのですが、やむを得ずそれを買うことにしました。のちには私も寒くなってきたので、その前に買っていたフェイスタオルを肩にかけました。
 そんな想いをして2時間近く待っていた花火大会でしたが、本当に「小さな」花火大会で、なおかつ「小さな花火」大会でもありました。さほど迫力の無い花火がしょぼしょぼと上がるのが見えました。メッツァの上は、ちょくちょく飛行機が低空で飛んでおり、おそらく入間基地に発着しているのでしょうが、その関係であまり大きな花火は打ち上げられないのかもしれません。
 10分ほど地味な花火が上がったのち、急に派手なのが打ち上がったと思ったら、それで終わりでした。夕食を注文して腰を据えて見物しようとしていたらしき人たちのほうから、落胆の声が聞こえました。
 私らはコーヒーとシナモンロールその他を食べたあと、マーケット棟のほうにあったサイボクという豚肉専門店のソーセージを買ってきてつまんでいた程度でしたから、拍子抜けではありましたが別に落胆することはなく、バスのりばに向かいました。私らは比較的早く並んだので坐れましたが、発車までには人がどんどん乗ってきて、ほとんどラッシュ状態となってしまいました。
 飯能駅のPePeで弁当を買って、帰りはやはり特急(ラビュー)に乗って帰りました。
 思いのほかの出費がけっこうあったものの、のんびりできました。あんまり盛りだくさんなテーマパークではなく、このくらいがちょうど良いようでもあります。ムーミン物語を、この際最初から読んでみようかとも思いました。1回行けば充分でもあるようですが、予備知識を仕入れた上で再訪すれば、またあらたな気づきもあるかもしれません。

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