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「悪の組織」を考える [いろいろ]

 TOKYO MXテレビで放映している、「仮面ライダー」第一期のデジタルリマスター版は、「V3」「X」「アマゾン」と来て現在「ストロンガー」まで順調に回数を重ねています。実のところ「X」以降は私はほとんど見ていないので、新鮮な気分で視聴しています。「アマゾン」に出てくる獣人たちが、かなりリアルな動物や昆虫のフォルムを持っていることに、あらためて驚いたりしています。
 番組は見ていないのに、なぜか知識だけはあって、「X」の敵組織がG.O.D.機関であるとか、「アマゾン」の敵は前半が十面鬼率いるゲドン、後半がゼロ大帝率いるガランダー帝国、などというのは昔から知っています。子供雑誌によく載っていたのでした。その子供雑誌もあまり読まなくなった「ストロンガー」の頃からはやや曖昧になりますが、それでもあちこちから情報を補充して、ひととおりのことはわかっている気がしています。
 デジタルリマスター版のシリーズが「ストロンガー」で終わるのか、スカイライダースーパー1などまでやってくれるのか、どちらにしても愉しませて貰っています。
 さて、ライダーについて語っているとまたきりがなくなるのですが、それよりも敵となる「悪の組織」というものについて、私はいつのころからか違和感を覚えるようになっていました。
 ヒーローものには悪の組織が付き物です。それはもう黄金バットの昔からロンブローゾという敵が居ましたし、赤胴鈴之助には鬼面党という敵組織がありました。ウルトラマンシリーズは単発の怪獣が多かったにせよ、ウルトラセブンはたいてい宇宙人が怪獣を引き連れて侵略してきましたし、ウルトラマンAでは異次元人ヤプールが超獣軍団を率いていました。
 もちろん仮面ライダーたちの敵、ショッカーゲルショッカーデストロン、上に書いたG.O.D.やゲドンやガランダー、ブラックサタンその他は組織としてもしっかりしていて、首領>大幹部>怪人>戦闘員といったヒエラルキーが確立していました。
 マンガやアニメの世界でも同様で、とにかく世の中にはずいぶんとたくさんの「悪の組織」があったようです。

 彼らは当然のように世界征服を企んでいます。世界とまではゆかず日本のみをターゲットにしたものもあったし、人類を絶滅させようとしたり支配下に置こうとしたり、いろんな理由で悪いことをするのでした。
 そして、彼ら自身もおのれが「悪」であるという自覚があったように思われます。強盗殺人犯の極悪人を、極悪人であるという理由で怪人に改造して組織に加えたりしていますから、自分たちが悪い集団だということは充分に承知していたはずです。G.O.D.のキングダーク配下の怪人たちなど、みずから「悪人軍団」を名乗っていたほどです。
 世の中には偽悪者というのも居て、10代の青少年などいわゆる「悪(わる)ぶりたい」お年頃というのも普通にあります。しかしそういうことでなく、本当に自分を「悪」であると規定するには、実は相当な自己客観力と冷静さが必要なはずで、構成員の端々にまでその意識をしみこませている「悪の組織」は、なかなかどうして大したものだと思います。
 現実の歴史に、「悪の組織」「悪の帝国」などを標榜するものが存在したでしょうか。私は寡聞にして知りません。史上の大悪人とされているヒットラーだってスターリンだって、「悪の帝国」は称しませんでした。もちろん自分が悪だなどとも思っていなかったでしょう。
 彼らが叫んだのは、彼らなりの「正義」であったのです。
 おそらく、「正義」を標榜しなければ、ついてくる人は皆無だったでしょう。人は、「正義」のためになら戦えますが、「悪」のために戦うということは、とてつもなく難しいと言わなければなりません。だから、人々を戦いに駆り出すためには、どういうこじつけを用いたとしても、なんらかの「正義」を唱えなければならなかったのです。
 そして歴史上すべての戦争もまた、お互いに異なる「正義」のための戦いだったのであって、「正義と悪」の戦いなどというものは、ひとつもありませんでした。
 ウクライナを侵略しているロシアのことは、日本人のほとんどが「悪」であると考えています。いかなる理由があろうと、話し合うことも無しにいきなり武力で他国を侵すのは、少なくとも現代においてはどう言い繕いようもなく「悪」だ、と判断せざるを得ません。また日本人は長いことそう教え込まれてもきました。
 私も、ロシアは悪であると申すほかないのですが、しかしプーチンはプーチンで、やっぱり「正義の戦い」を標榜しています。ロシアを消滅させようとする陰謀を企む西側に対する自衛のための「正義の戦い」であるというのです。牽強付会であることは言うまでもないし、いい気なものだと嘲笑うのも簡単です。それでも、プーチンもまた自己の「正義」を信じていることは事実なのです。

 私が「善悪」あるいは「正義と悪」について考えはじめたのは、中学生くらいのころであったと思います。そのころマンガをよく描いていたという話は何度か書きました。マンガというか、実際には「ネーム」に類する鉛筆描きのお粗末なものではありましたが、けっこう壮大な物語を構想したりしていたものです。
 当初は、ヒーローもののお約束として「悪の組織」が登場していましたが、友達と合作で超巨編を描いているうちに、「悪の根源」とかそういうものがなんとなくウソっぽく思えてきたのではなかったかと思います。彼らには彼らの立場があって、それに基づく行動が、われわれ人類にとっては脅威に感じられるだけなのではないか、などということを考えはじめました。
 登場人物のひとりに、
 「ものの善悪なんて相対的なものさ」
 と、そのものズバリのセリフを言わせたことを記憶しています。
 中学生という年頃のうちに、善悪の相対性などということに、独力で気づいてしまったのは、私自身にとってはあまり幸せではなかったような気もします。

 アニメなどでこういう考えかたが現れたのはいつだったのでしょうか。やはり「機動戦士ガンダム」ジオン公国あたりからかもしれません。ジオンは、確かに「悪の組織」ではなく、独自の正義を追究している「普通の国家」でした。また、主人公サイドである連邦軍のほうにも、腐敗や悪意がけっこう蔓延している描写が少なくありませんでした。
 スタッフのほうはまだ、そういう趣向であることを理解しきっていなかったようでもあり、「ガンダム」の主題歌は

 ──巨大な敵を討てよ 討てよ 討てよ 正義の怒りをぶつけろ ガンダム♪

 となっています。作詞者はまだ単純に「正義と悪の戦い」をイメージしていたと思われます。
 「ガンダム」は第2作「Zガンダム」で、「三つ巴の争い」という構造を持ち出して、さらに善悪の区別を曖昧にしました。その後のシリーズではむしろ敵味方がわかりやすくなりましたが、富野由悠季監督は少なくともシリーズ初期においては、正義と悪の相対化ということに強いこだわりを持っていたのではないでしょうか。
 イスラエルにも正義があるし、ハマスにもまた別種の正義がありました。世の不幸は、悪によって惹き起こされるよりも、違った正義のぶつかり合いによってもたらされることのほうが多いのではないでしょうか。いや、人は自分自身と並び立たない「正義」のことを「悪と呼ぶ」だけなのかもしれません。ロシアが悪であるというのは、ロシアの侵略行動が「われわれの思う正義」に真っ向から反しているからです。連邦軍にとって「赤い彗星のシャア」は悪魔の化身のように思われていたでしょうが、ジオン軍にとって「連邦の白いモビルスーツ」こそ悪魔そのものであったでしょう。立場を入れ替えてみれば、正義とか悪とかいう概念は、実に簡単にひっくり返るものです。
 やはり、「正義に反するもの」が悪なのではなく、「われらの立場や価値観に反する者にとっての正義」が悪と呼ばれるのだと定義したほうが、実情に近い気がします。

 それだから、みずからを悪の組織と規定し、ためらいなく悪事をおこなえるショッカーやその後継組織は、ある意味ではアッパレと思えます。大幹部や怪人はもとより、いつもわらわらと湧き出してくる下っ端戦闘員の端々まで、みずからが悪のために邁進していることを少しも疑っていないのは、いっそ見事と言えるのではないでしょうか。
 現実にこんな組織があったとして、下っ端まで統御してその気にさせるには、なんらかの「ショッカーとしての正義」を示さなければまず無理だと思うのです。まして「悪人軍団」などという名称をみずから名乗るのは、よほど露悪的な、いわば斜に構えた中二病的態度でないと、とても耐えられないでしょう。
 「世界征服」はたいていの「悪の組織」がもくろんでいることなので、悪事であると私たちは思っていますが、歴史上の「征服者」がいちがいに悪人であるとも言えません。アレクサンドロス大王始皇帝チンギス汗ナポレオン……と並べてきても、さすがに「善良」とまでは言えないにしても、悪人と呼んでしまって良いかとなるとやや躊躇します。ちなみにG.O.D.悪人軍団には、チンギス汗(ジンギスカンコンドル)とナポレオン(クモナポレオン)は出ましたが、アレクサンドロスや始皇帝をモティーフにした怪人は出てきませんでした。
 彼らはずいぶんと人を殺してもいます。しかしチャップリンの名言どおり、「ひとりを殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄になる」のです。
 私たちは殺人も悪であると考えていますが、これまたさほど自明のことではないようです。敵や仇を殺すのは、あるいは異教徒を殺すのは、正義である……と考える人たちはいまだに少なくないし、そのように考えていた時代も長いものでした。こう考えてくると、現在の私たちの道徳観が、案外と薄っぺらいものにも思えてきたりします。

 ガンダム以降、アニメや特撮などでも「悪の組織」「悪の帝国」なるものはだんだんとはやらなくなり、「異なる正義のぶつかり合い」という構造を持つ作品が増えてきました。確かにそのほうがストーリーに深みが出るようでもありますし、敵方にも一種の哲学のようなものが感じられて、悪くはありません。
 いまや絶対的に悪と言えるのは「ばいきんまん」くらいかもしれません。小さい子供には、やはり正義を愛し悪を憎む心をはぐくんで欲しいとは思いますので、アンパンマンに毎回ぶっ飛ばされるばいきんまんくらいの悪が手頃なのかもしれません。あまり憎めない「悪役」ではありますが。
 あまり善悪の相対化を進めてしまうと、「正義」を胡散臭く思ったり、変に「悪人」に同情的になったりして、いささか困った性癖になりかねませんが、そこはうまくバランスをとるしかありません。
 悲惨な大量殺人などが起こったときに、犯人における正義や大義とはなんだったのだろうか、と考える癖が私にはあります。理解してみたい、とは思うのです。もちろん、それだから刑を軽くせよとか無罪にせよとかはまったく考えないのですが、犯行に至る道筋を見つけてみたいと思ってしまいます。「盗人の三分の理」なるものを知りたいわけです。これなども、早い時期に善悪の相対化に気づいてしまった私の特有の性癖なのかもしれません。
 昔ほどではないにせよ、ヒーローものの「悪の組織」はまだ産み出され続けるでしょう。いまの子供たちは、そこにどの程度のリアリティを感じているのか、知りたいような気がしています。

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