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下谷七福神めぐりと日暮里謎解きイベント [日録]

 皆様、あけましておめでとうございます。
 コロナ禍がおさまらないままでの正月も2年目を迎えました。一時期、日本ではほぼ終熄したのではないかと思われるほどに、新規感染者も重症患者も減っていましたが、最近はオミクロン株とかでまた少しずつ増えてきている様子です。オミクロン株は重症化する危険性はわりと低いらしく、重症者はさほど増えてはいないようですが、それも確率の問題である以上、感染者が今後予想以上に多くなってくればどうなるかわかったものではありません。
 ワクチンだけでなく、ようやく治療薬のメドが立ってきたようなので、ぜひ製品化を急いで貰いたいと思います。人的・予算的なリソースを最大限そちらに傾けるべきでしょう。
 数年前に久しぶりにインフルエンザにかかって、そのとき処方された治療薬の効きかたに驚いたことがあります。39度くらいの熱が出ていたのに、医院で薬を投与されると、翌朝にはほとんどケロリと症状がおさまっていたのでした。もちろんあと数日はウイルスが排出される危険があるので、出歩いたりはしないようにと注意されましたが、最近はこんなに簡単に治るのかとびっくりしました。子供の頃の常識としては、インフルエンザにかかったら約一週間は寝ていなければならないとされていたのですが。
 武漢コロナも、その程度のものになってくれることを切に願います。

 さて、わが家の正月の過ごしかたは例年さほど変わりません。元日には世田谷の私の実家へ行き、その日のうちに帰ってきます。2日にはのマダムの実家を訪ね、泊まることも泊まらないこともありますが、今年は日帰りしました。
 3日、つまり今日は少しばかり毛色の違った過ごしかたをしたので、それについて書くことにいたします。
 毎年、正月に七福神めぐりをしていることはその都度書いています。最初、わが住まいする川口市内で七福神があることを知って、まわりはじめました。
 ただ、川口七福神は、市内全域に散らばっていて、全部まわるのにはけっこう時間がかかります。主に自転車でまわっていますが、昼から出たのでは明るいうちにまわりきれないほどです。一度だけ、義父の運転するクルマでまわったことがありますが、それでもほぼ半日かかりました。
 今後も、やめるつもりはないのですが、他の地域の七福神もいろいろとまわっています。
 松戸市の七福神というのもまわったことがあります。ここも川口と同じで、かなり広域に拡がっており、そのときも義父のクルマに乗せて貰いました。
 港区の七福神(実は宝船を加えた八福神)、柴又の七福神、隅田川の七福神などもまわりました。これらは徒歩でも充分めぐることができます。
 下谷の七福神というのもあります。これは1時間半程度で全部めぐることができ、たいへんコンパクトな七福神として知られています。実は川口七福神に先んじて、私らはこの下谷七福神をめぐったことがあり、それがはじめての七福神めぐりであったと記憶しています。もうずいぶん前のことだと思います。途中で樋口一葉記念館に立ち寄った憶えがあります。
 この下谷七福神を再訪してみようと思いました。これと隣接するようなエリアで、谷中の七福神というのもあって、そちらはまだめぐったことが無く、面白そうだとも思ったのですけれども、鶯谷から田端あたりまで拡がっているので、数時間は要しそうです。今回の七福神めぐりはわりと短時間で済ませたいと思いました。
 その理由は、もうひとつイベントを連結させたいと考えたからです。下谷の七福神は、大体鶯谷駅近辺で完結します(一部、三ノ輪駅あたりまで達しますが)けれども、隣の日暮里駅近辺で、ちょっとした謎解きイベントを発見したのでした。
 鉄道謎解きではありません。街歩き謎解きと言うべきか、この前やった、日野市を歩いて土方歳三の「秘密の宝」を探すというのと似た趣きです。日暮里駅周辺を歩いていろいろ手がかりを発見してゆき、ラストキーワードを求めるというイベントです。
 山手線謎解きや東上線謎解きを制作したナゾ×ナゾ劇団サイトに行って、最近は何か面白いイベントがないものかと眺めていたところ、この「猫と不思議なたからもの」と称する謎解きイベントを見つけたのでした。イベント期間はこの1月10日で終了だそうで、この機会を逃すとたぶんできなくなります。鶯谷での七福神めぐりと、日暮里での謎解きイベントを併せて一日でやってしまおうともくろんだわけでした。もちろん同行のマダムにも否やはありません。

 10時半ごろに家を出ました。下谷七福神めぐりは1時間かそこらでできるとどこかに書いてあり、それなら10時半に出れば11時過ぎには歩き出せて、正午過ぎには終えられるだろうから、どこかで昼食をとり、午後をまるまる謎解きに宛てられるだろうと皮算用したのです。
 確かに11時過ぎに歩き出せましたが、1時間というのはちょっと無理だったようです。いちばん鶯谷駅から遠い寿永寺布袋尊)は、実は三ノ輪駅にきわめて近いので、三ノ輪を終点にしようとすれば1時間くらいでもたぶん全部まわれると思われます。三ノ輪はメトロ日比谷線の駅ですが、隣接して都電荒川線三ノ輪橋終点があり、そこから都電に乗れば帰途に就けますので、下谷七福神めぐりだけを目的として出てきたのならそれでよかったのですけれども、今回は日暮里に移動しますので、一旦鶯谷に戻らなければなりません。それで鶯谷駅の南口側にある入谷鬼子母神福禄寿)、英信寺三面大黒天)、法昌寺毘沙門天)の3つを先に訪れ、寿永寺まで足を延ばしてから、北口側にある元三島神社寿老人)で締めようと計画を立てました。あとから考えれば、元三島神社にも先に寄ってしまい、寿永寺から直接日暮里を目指したほうが、直角三角形の斜辺をゆくようなもので近道だったかもしれないと気がつきましたが、それは文字どおりの後の祭りというものです。
 ともあれ、鶯谷駅で下谷七福神めぐりの案内チラシを貰って、長い陸橋を渡って言問通りに下りました。
 案内チラシには赤塚不二夫先生の七福神イラストが描かれていて、ビジュアル的にも楽しめました。バカボンが布袋さま、バカボンパパが恵比寿さま、デカパン先生が大黒さま、イヤミが毘沙門さま、ダヨーン氏が寿老人、レレレのおじさんが福禄寿、そしてアッコちゃんが弁天さまという配役です。これ、いろんなマンガ家で配役を考えてみても面白いかもしれません。例えば藤子・F・不二雄先生なら、ドラえもん(布袋)・小池さん(恵比寿)・ウメ星デンカ(大黒)・ゴンスケ(毘沙門)・オバQ(寿老人)・パーマン(福禄寿)・魔美(弁天)なんてところでどうでしょうか。手塚先生や石ノ森先生、藤子A先生だったらどうなるでしょう。もっと最近のマンガ家だと、キャラクターのスターシステムをとっていないので難しいかもしれませんが。
 上に書いたとおり、まずは入谷鬼子母神、三面大黒天、そして毘沙門天に詣でました。入谷鬼子母神というのは古くから伝わる地口の「恐れ入谷の鬼子母神」で有名ですね。これに対して「そうで有馬の水天宮」というのもありますが、これは下谷ではありません。私は「鬼子母の苑」という作品を書いたとき、雑司ヶ谷のほうの鬼子母神に挨拶に行きました。台本の中に「恐れ入谷の鬼子母神」を入れておいたというのに、その頃は鬼子母神といえば雑司ヶ谷のほうしか思い浮かばなかったのです。
 英信寺の三面大黒天は、ガラス越しに見ると本当に顔が3つある大黒さまになっていました。三方にひとつずつというのではなく、ケルベロス方式で、前を向いた顔が3つ並んでいるという趣きです。
 法昌寺は、毘沙門天よりも、たこ地蔵に眼を惹かれました。故たこ八郎氏を偲んで設置された地蔵だそうです。このあたりの出身だったようです。その隣には、「虚無への供物」と彫られた石碑が据えられていました。中井英夫氏の、「ペダントリーの極致」とも言われる大長篇推理小説ですね。中井先生もこのあたりにお住まいだったようです。
 昭和通りを少し歩き、途中から脇道に入って、弁天院朝日弁財天に詣でます。その前に、賽銭用のコインが足りなくなりそうだったので、近くのコンビニエンスストアで少額の買い物をしました。コンビニというのは、必要ないときにはイヤになるほど見かけるのに、いざ必要になって探してみると案外見当たらないものです。このときも、通りを少し入ったあたりにあって、スマホで検索しないと気がつかないところでした。
 竹田恒泰氏が以前、
 「神社に詣でるときは、『高貴なかたを訪ねる』ときのつもりになるもんです。高貴なかたを訪ねるときに、千円とか二千円の手土産なんか持って行かないでしょ? お賽銭は、せめて5千円か1万円くらいは包むべきですよ。それを、いい大人が『ご縁』とか言って5円玉一枚とか、あり得ないですよね」
 と仰せになっているのを聞いたことがありますが、大きなお世話というもので、七福神めぐりのときは私は堂々と5円や10円を献じています。ただ、弁天さまだけは自分の守護神のつもりで居りますので、少し大きめの額にしていますが、それでもコインです。
 弁天院はこれまでの3神とは違い、弁天さまを本尊としています。だから私らも本殿に詣でました。拝殿の隣に、紙箱が置いてあって、さまざまな箴言を記したしおりのようなものがたくさん入っています。ご自由にお持ちくださいとのことでしたので、マダムも私もありがたくいただいてきました。私の貰ったのには
 「進んで負えば重荷も軽し」
 と書いてあります。肝に銘じねばと思います。
 それにしても、下谷七福神はかつてめぐったはずなのに、どの寺社へ行ってもほとんど記憶がよみがえりません。道順も憶えていないし、境内の様子などもはじめて見たかのようです。当時はあんまり興味を惹かれなかったのかもしれません。

 次に、飛不動尊恵比寿さまに詣でます。ここは、奉納されている絵馬を見ると、パイロットの試験を受ける人たちの合格祈願が目立ちました。なるほど、「飛」不動尊ということで、飛行機関係の信心を集めているようです。こんな不動尊があったのかと驚きました。
 そして寿永寺の布袋尊です。布袋さまというのは笑顔であることが普通ですが、寿永寺の布袋さまの笑いかたは度外れている感じで、いまにも笑い声が響き渡りそうな像になっていました。
 ここからわずかに歩くと三ノ輪駅です。昭和通りをメトロのコンコースで横切ろうとしたら、比較的古い駅であるため、階段を下りるとすぐに改札口になっており、通りを横切ることはできませんでした。仕方なく歩道橋で渡ります。
 三ノ輪駅から、金杉通りを歩いて元三島神社をめざしました。あちこち立ち寄りながら歩いていると、そう遠くも感じなかったのですが、それを一挙に戻ろうとするとかなり遠い道に感じました。
 寿老人(寿老神)のある元三島神社は、鶯谷駅北口側、すなわちラブホテル街のまっただ中にあり、子供を連れてきたりするのは少々はばかられるような立地でした。これについては、前にまわったときの記憶がわずかに残っていたような気もします。何しろ山門とラブホの看板が同じくらいの迫力を持って並んでいるのです。何もこんなところに寿老人を置かなくとも、と思ってしまいますが、ラブホのほうがあとからできたのでしょうから仕方がありません。
 かくして下谷七福神めぐりを終えましたが、すでに13時半くらいになっています。つまり2時間半近くかかったことになります。ほとんど三ノ輪までの往復というルートになっていたので、普通のまわりかたよりもだいぶ長くなってしまったようです。
 日暮里までひと駅電車に乗っても良かったのですが、さほどの距離でもないので、歩いてしまいました。日暮里駅前で昼食をとろうと思っていましたけれども、もう14時近くなっています。しかし、マダムが狙っていたラーメン屋は、そんな時刻でも長蛇の列になっていました。もうひとつ狙っていた中華料理屋は休業です。結局、ガーデンタワーの中のカレー屋に行きました。

 昼食後、謎解きイベントのキット(小冊子)を入手します。これは「日暮里観光案内所」というところで配布しています。日暮里駅の構内にあるようなのですが、日暮里駅の構造を思い起こしてみても、そんな観光案内所があったという記憶がありません。探してみると、京成の改札の外に、このイベントの冊子だけ挿してあるラックみたいなものがありました。このラックが「観光案内所」なのだそうです。もちろん無人です。
 冊子に記されたマップに、日暮里周辺のいくつかのスポットが描かれ、それらを訪ね歩いて手がかりを集めるという趣向でした。例によって詳しい場所とか訪れた順番とかは書けませんが、東口側の繊維街のほうから、西口側の谷中銀座のあたりまで、かなり歩きまわることになったとだけ記しておきます。謎解きとしては、それなりに頭をひねらなければならない箇所もいくつかあり、先日の土方歳三の秘宝よりはパズル性が高かったと思います。
 谷中銀座というのは、名前だけは前から知っていましたが、実際に訪れたのは数年前のことです。やはり謎解きがらみでした。
 「地下謎への招待状」で、第一章で導かれるいくつかの駅の中で、実際には訪れなくて良い駅があります。つまり例えば、パズルを解くと6つの駅名が出てくるのに、そのうちふたつだけ訪れれば先へ進められるという仕掛けで、これはプレイヤーが密集してしまうことを避けるためだと思われます。
 マダムと一緒にプレイするときは、ふたつの駅を選んで解き進めるわけですが、後日、私だけで他の駅を訪れ、そこの駅に用意された謎を解いてみたりするのでした。答えは当日に選んだ駅の謎と同じとわかっているのですが、場所によってはなぜその答えになるのかよくわからなかったりすることもあり、けっこう頭を使います。
 谷中銀座を訪れたのは、そういう駅のひとつとして千駄木駅があり、千駄木駅周辺を歩いて謎を解くという機会があったからです。
 その日最後に訪れたのが千駄木であり、あとは帰るだけでした。それで、谷中銀座のパブリックアートを利用した問題を解いたあと、そのまま通りを歩いて日暮里へ行き、そこから帰ったのでした。
 そのとき、この商店街にマダムを連れてきたら、きっとあちこちでひっかかって容易に先へ進めないだろうな、と思ったものでした。彼女の琴線に触れそうな店が実にたくさん並んでいるのです。
 今日は、その谷中銀座の日暮里側入口のあたりに行っただけでしたが、それでもマダムは、そこにあったイスラム系の食堂と雑貨屋を兼ねたような店にひっかかり、すばらしく時間をかけて小物をいくつか買っていたのでした。早く切り上げないと暗くなってしまうぞ、と急かさなければならなかったほどでした。
 入口だけでそんな感じなら、谷中銀座をフルに歩いたらどうなることやら、と怖気をふるいました。
 最終的には西日暮里駅まで歩いてそこから電車に乗って帰りましたが、電車に乗るころには陽もだいぶ傾いてきていました。「猫と不思議なたからもの」の所要時間は2~3時間とされていましたが、私らの場合はまあ2時間ちょっとであったようです。
 七福神めぐりで予想外に歩いたのと、鶯谷から日暮里までも歩いたのと、謎解きイベントで歩いたので、歩数計のカウントも大いに進み、今日は2万歩を超えたようでした。かなりくたびれて、脚も痛くなりました。しかし、今年はなるべく歩く機会を作るようにしようと思います。
 ともあれ、今年もよろしくお願い申し上げます。

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phaos

あけましておめでとうございます。
つまらない事ですが
「もちろん同行のマダムにも否やはありません」
はどういう打ち間違いなのでしょうか。
一寸気になったもので。
by phaos (2022-01-04 17:44) 

コンビニ作曲家MIC

#phaos先生
あけましておめでとうございます。
「否やは無い」というのは「異議が無い」「異存が無い」というのと同じような意味ですね。
そして「無い」を「ありません」の形にしても文法上の問題は無いはずです。
なので、打ち間違いではないと思いますが……
よろしければ、お調べくださいませ。
by コンビニ作曲家MIC (2022-01-06 00:22) 

phaos

そういう言葉があったのですね。
浅学にして存じませんでした。
今後も宜しくご教示いただきたい。
by phaos (2022-01-08 12:44) 

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