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戒名あれこれ [いろいろ]

 うちのマダムは、家族や親戚の古い話を実によく知っていて、親戚が集まった席などで驚かれたりしています。当人も忘れていたような話を、まるでその場で見ていたかのように語るのでした。生き字引などと言われることもあるようです。
 中には、明らかにマダムの生まれる前の話もあるので、自分の経験として知っているのではないでしょう。何かの折りに人が話していたのを、そっくりそのまま記憶しているのです。私もしばしば
 「なんで君がそんなことを知っている」
 とツッコんでいます。
 その驚異的な記憶力を、もっとほかのことに割り振れば、ずいぶんと優秀な人間になっていたようでもありますが、たぶん頭の中に、彼女なりの整理ボックスみたいなものがあって、噂話などを好い具合に格納することになっているのではないかと思います。数学の公式とか外国語の文法、歴史の年号などは、そのボックスに入れる余地が無いのでしょう。
 両親の新婚旅行のときのエピソードを、見ていたかのように話すマダムの能力にはつねづね感心しているのですが、それと関係があるのかないのか、彼女にはほかの特技もあります。
 それは、人の誕生日や命日、それに戒名などまで寸分たがわず記憶していることで、これも私はあんまり憶えないほうなので驚きます。
 私が憶えているのは、自分の家族の誕生日くらいで、祖父母となるともうわかりません。命日もぱっとは出てきません。しかしマダムは、祖父母はもちろん、おじおばの誕生日まですべて憶えており、亡くなった人については命日もたちどころに言うことができます。そして戒名まで憶えているのだから、とても真似はできないなと思います。
 なお、自分の親族だけでなく、作曲家や演奏家の誕生日などまで記憶しています。ベートーヴェン12月16日生まれなのは、「ピーナッツ」の中でシュローダーが毎年のように騒いでいたので私も記憶していますが、そのほかはさっぱりです。
 マダムと知り合ってはじめてデートしたのが、ちょうど彼女の誕生日だったのですけれども、そのとき
 「ボザの誕生日と一緒なんです」
 と言っていたのであっけにとられたものでした。ユージェーヌ・ボザはフランス近代の作曲家ですが、日本では管楽器奏者を除いてはあまり知られていません。私も昔たまたまクラリネットの伴奏をしていたから知っていたに過ぎません。そういうマイナーな作曲家の誕生日まで記憶しているのは、それが自分と同じ日であったからにしても、マニアックに過ぎるようです。

 さて、戒名の話です。
 マダムの母方は浄土真宗で、戒名(真宗では「法名」というのが正しいらしい)にはもれなく「釈」の一文字が添えられます。母方の祖父母のお墓が彼女の実家からわりに近いので、お墓参りをする機会も多く、墓碑に刻まれた戒名もよく眼にしていたでしょう。
 日蓮宗だと「日」の一文字がつけられる、というくらいの知識は私にもあります。これは「法号」というのが正しいようです。
 私の家は臨済宗らしいので、そういう特徴は無さそうです。臨済というのは中世の武士などに好まれた宗派で、とりわけ難解なイメージがあります。難解なやりとりのことを「禅問答みたいだ」と形容することがありますが、その「禅問答」は臨済の特色と言って良いでしょう。アニメ「一休さん」でお馴染みになった
 「作麼生(そもさん)?」
 「説破(せっぱ)!」
 のやりとりです。実在の一休さんも臨済の坊さんでした。一休さんのとんち話は後世の創作ではありますが、禅問答というのは見ようによってはとんちと大差ないようなやりとりなので、そういう話も作られたのだと考えられます。
 ともあれ、臨済宗ではそのまま「戒名」であり、本来はもちろん、得度するときに与えられる僧としての名前を意味します。一休さんの例を続けると、彼の戒名(僧名)は宗純です。一休というのは僧名ではなく道号というものらしく、これは一種のハンドルネームと言いましょうか。宗純という名は師匠から与えられたのですが、一休のほうは自分でつけたと思われます。アニメで描かれたような小坊主のときは周建と呼ばれていたようです。私が幼少の頃に読んだ一休さんの伝記では、ちゃんと「しゅうけん」「そうじゅん」とその時々の名で記されていたので、アニメがはじまって小坊主が「一休」と呼ばれているのを聞き、違和感を覚えたものでした。
 僧になるときに師匠から貰う名前が戒名であったわけですが、そのうち、死んだらみんな出家したのと同じ、と見なされるようになって、誰も彼もが戒名を貰うようになりました。

 武田信玄の本名は晴信と言いますが、あるとき思い立って得度し、法性院信玄という戒名を授けられました。上杉謙信も同様で、本名は輝虎、得度して不識院(不識院殿真光)謙信となっています。このころの院号は、お寺に建物を寄進したりするとつけられたようです。信玄の弟の武田信廉逍遥軒と呼ばれますが、この「軒」号も同様です。
 織田信長は、生前に得度したことが無く、お寺に対しても大した貢献をしたようではありませんが、総見院という院号はわりとよく知られています。これは、羽柴秀吉が信長の葬儀を開催したときに、大徳寺にこの名前の建物を寄進したからでした。小説などでも、信長の死後に信長のことを語る際のセリフでは
 「総見院さま」
 と呼ばれることが最近多くなっています。
 あたかも戒名の格を上げるものとして認識されている「院号」は、このように、「○○院」という建物を建ててお寺に寄進した人物に対して送られるものだったわけです。
 そう考えてみれば、院号を貰うのに何十万円だかのお布施を包まなければならない、というのも、むしろ安いくらいなものでしょう。建物一軒分ですから、本当は千万円のオーダーのお布施をしてようやく貰えるのが院号というものです。
 信士号居士号などもお布施の額を左右するところであるようです。居士というのは本来は在家の信徒で、特に信心厚くお寺に貢献した人に対して与えられる号ですが、現在では信士ならいくら、居士ならいくらと相場が決まっているようです。お寺への貢献は、もっぱらお金によって量られるようになりました。
 昔なら、檀家の集まりなどがあって、そういう場合のお布施の大体の相場なども知ることができたのでしょうが、いまはそうもゆきません。神社で厄払いをして貰ったとき、
 「お志で良いですよ」
 という神主さんに強いて訊ねて、いくらくらい納めれば良いのか聞いたことがありますが、そういうことの「相場感」というのは、現代ではほとんどの人が見当もつかない状況になっているでしょう。
 それで15年ほど前だったか、イオングループがグループ内葬儀社の利用者向けに、戒名と相場のお布施の額を、料金表のようにして示したのでしたが、多くのお寺からは反撥の声が上がりました。お布施に「定価」などは無く、大企業による宗教への干渉だというのでしたが、しかし利用者からしてみれば、そういう相場感がつかめるだけでも安心感が違うでしょう。本当に「お志」で、世間一般の相場感とかけ離れたお布施を包んだのでは、非常識な人だという噂が広まりかねません。お坊さんも、まさかその場でイヤな顔はしないでしょうが、その後の法事などで軽く扱われることになるのではないかと思ってしまうのもやむを得ないことです。
 とはいえ、文字数が増えるごとに、まるで「一文字いくら」とでも言わんばかりに「相場」のお布施が高くなってゆくのも、宗教としてそんなことで良いのかと、釈然としない気分ではあります。

 最近は「戒名メーカー」なんてコンピュータソフトもできています。死後の形式的な名前のために法外な金額を払うのがばかばかしい、と思う人が増えているのでしょう。名前の一文字を含める、趣味や業績から文字を選ぶ、などいくつかのフォーマットがあるので、むしろコンピュータ向けと言えるかもしれません。
 確かに、戒名をどうしてもお坊さんにつけて貰わなければならないという決まりがあるわけではありません。確か「吾輩は猫である」の中で、苦沙弥先生が亡くなった友人の戒名を考えるというくだりがありました。居士号くらいだったら、僧でない一般人が考えても、少なくとも明治の当時は特に問題は無かったのでしょう。
 生前に自分で考えておく人も居るようですし、今後「戒名メーカー」利用者は増えるかもしれません。
 もちろん、お寺の側では猛反対しています。戒名を自分でつける人も居るようですが、いろいろな決まり事もあるので、ぜひお寺に任せてください、とアピールしているところもあります。むしろ決まり事があるからこそ、コンピュータに向いているとも言えるのですが。ともかく戒名をつけることに対するお布施は、お寺にとって重要な収入源なので、抵抗するのは当然でしょう。葬儀に呼ばれて行ったら、もう戒名は故人が自分でつけていた、なんてことになったら、あて外れも良いところです。
 とはいえ、戒名をつけるのを「収入源」と考えてしまっている坊さん自身も、少し考える必要はあるでしょう。「戒名メーカー」みたいなソフトが普及した時代を想像すべきで、なんらかの対応をとらなければならないと思います。

 陳舜臣氏のエッセイで読んだのですが、当時現役の僧侶でもあった今東光氏が、何かの会合のときに、その場のノリで全員に戒名を授けてやった、という話がありました。ノリとはいえ、いちおう得意なことなどの話を聞いた上でのことで、決してお座なりな戒名ではなかったと言います。
 とある歌舞伎役者が亡くなったときに、いつも頼んでいるお寺に読経を依頼したら、えらく高いことを言われて遺族がびっくりし、面識のあった今東光氏に相談したというのでした。豪放な性格で知られた今氏は、

 ──わしの枕経のほうがずっとありがたいぞ。しかもわしのはタダだ。

 と言ってすぐに読経に駆けつけたというのでした。もちろん戒名も授け、さすがにタダということはなかったにせよ世間一般からすればよほど安く上がったようです。戒名の大盤振る舞いは、そのあとのお通夜か何かの席だったのかもしれません。

 ──われわれも今先生に戒名をつけて貰おう。

 というノリになったのでしょう。
 「おまえの宗旨はなんだ」
 「はあ……確か神道でして」
 「バカかおまえは。神道なら名前の後に、ノミコト、とつければそれで良いんじゃ」
 というようなやりとりもあったそうです。
 それを読んでから、お墓参りのときに注意していたら、なるほどところどころに、名前に「命(みこと)」をつけただけの墓碑があるのを発見しました。神道式は簡便で良いですね。私も、特に累代のお寺があるわけでもないので、神道に宗旨替えしようかな、などとも考えたりしました。
 一方、ちゃんと本式につけられたとすればどんな戒名になるだろうか、とワクワクしたりもするのですが、どんな戒名をつけられようとも、自分はもう死んだあとのことで、知るすべはないのだと冷静に思い返してみれば、やっぱりそんなことにお金を使うのはあくまで残された人々の心の平安のためだけなのだろうと、醒めた気分にならざるを得ないのでした。

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