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字幕のお仕事『四季』その後 [お仕事]

 この前の川口第九を歌う会自主公演、ハイドン『四季』公演についての文集がまとまって、先日手渡されました。この団体では「フロイデ・ニュース」という月報を出していますが、本番後には「響」という冊子を出します。その本番についての感想文を、指導者・独唱者・合唱団員などなどから寄稿して貰って1冊にまとめたものです。今回私も寄稿しましたが、私は今回は字幕担当でしたので、そのことについて書きました。
 字幕というのは舞台に乗っている人は見ないわけなので、当然ながら字幕について触れている人はほとんど居ません。それでせめて私が話題にしようと思ったわけですが、その字幕について、思いがけないところで大量に触れられていたのです。それはこの冊子の中の、お客のアンケートをまとめたページです。
 すべてのアンケートを網羅したわけではないとは思いますが、65人からの反応が転記されていました。その中で字幕について触れていたのが、実に17名、4分の1以上にあたっています。若い人からの1通だけは、字幕とプログラムの登場人物名の表記を揃えて欲しいという要望でしたが、あとは「字幕があって良かった」「字幕が的確でわかりやすかった」という称賛の言葉ばかりで、当の担当者である私のほうが、いささか面映ゆくなるような有様だったのでした。こんなに好評とは、まったく思いもよらぬことでした。

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「山手線謎めぐり2023」挑戦記 [日録]

 鉄道謎解きイベント「FUN! TOKYO! 山手線謎めぐり2023・都市伝説を追いかけて。」をプレイしてきました。
 去年の「7つの奇妙な足跡」と同じく、よだかのレコード社の制作です。去年のイベントは、正式には「FUN! TOKYO! 山手線謎めぐり2022・7つの奇妙な足跡」となっていました。「FUN! TOKYO! 山手線謎めぐり」までは、一昨年までおこなわれていたNAZO×NAZO劇団制作のシリーズから共通していますので、去年のイベントの簡易名称としては「7つの奇妙な足跡」を採用したのですが、今年のものは、サブタイトルと言うべき「都市伝説を追いかけて。」の部分がきわめて主張が弱い感じで、あまり印象に残りませんでした。ポスターやチラシに大書されていたのは「山手線謎めぐり」の部分で、実のところ「2023」も控えめに添えられていただけだったのですが、年号をつけないとシリーズのほかの回と区別できないというわけで、「山手線謎めぐり2023」というのを簡易名称とすることにいたします。
 いままで3回のシリーズは、マダムを伴わず私ひとりでプレイしてきたのでしたが、今年はマダムもやりたいと言い出したので一緒に行くことにしました。もっとも、マダムはなかなか忙しく、丸一日をこの手の遊びに費やせることが滅多に無いのでした。

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「翔んで埼玉」あれこれ [いろいろ]

 映画「翔んで埼玉」の第二作が明後日(11月23日)に公開ということで、わが埼玉県のあちこちにポスターが貼られるようになりました。ふだんは映画のポスターなど貼っていない店先などにも盛んに眼につきます。各自治体の商工会議所などが推しているのかもしれませんが、埼玉県民がいかにこの作品を愛しているかが窺われます。
 実は私は、雑誌連載の第1回を読んだことがあります。いま調べたら1982年「花とゆめ」冬の別冊に収録されていたようです。もう40年以上前のマンガだったのですね。
 私はそのころ高校生でしたが、「花とゆめ」はときどき読んでいました。私だけでなく、学校でも愛読者がけっこう多かったと思います。ちなみに男子校です。
 この雑誌、それまでの少女マンガ誌とはひとあじ違っていて、「スケバン刑事」「紅い牙」などのアクションもの、「ガラスの仮面」など一種スポ根の変形とも言うべきもの、「小さなお茶会」など独特の味のあるショートショート、あるいはかなりソフィスティケイトされた通好みの作品などなどが多く連載され、男の子からの支持も高かったのでした。私の学校でも、ジャンプマガジンといった少年誌と同じくらい読まれていたと思います。
 さてそれらの中でも一番人気と言って良かったのが、魔夜峰央「パタリロ!」でした。

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日暮里・舎人ライナーの現況 [世の中]

 日本で混雑する電車というと、かつては国鉄赤羽線が知られていました。池袋赤羽を結ぶ短距離路線でしたが、ラッシュ時にはものすごい混雑になっていました。それというのも、両端の池袋と赤羽で、それぞれ使える線路が1本ずつしか無く、従って便数を増やすにも限りがあったためです。前に入っている電車が発車してこないと、次の電車が入線するわけにゆかなかったのでした。それで電車は混むし、両端の駅での乗り換え客で駅も混むし、散々な状態だったのです。
 この路線の超過密状態は、赤羽線が埼京線の一部となり、前後に運転区間が伸びたことで解消されました。折り返さなくて良いのなら、列車密度を上げることができます。いまでも埼京線ラッシュ時の旧赤羽線区間は非常に混んでいますが、昔と較べれば知れています。なお、旧赤羽線と書きましたが、正式な路線名としてはまだ赤羽線のままで(正式には池袋以南は山手線、赤羽以北は東北本線の別線となっています)、埼京線のラインコードがJAなのはそのためです。赤羽線のAですね。
 次には山手線の上野御徒町間が混雑区間として有名になりました。東北線・高崎線の中距離電車と常磐線の電車が次々と到着し、そのほぼ全員が山手線か京浜東北線に乗り換えるのです。上野駅で下車してしまう人、地下鉄に乗り換える人、そして山手線であっても鶯谷方面に乗る人なども居ないことはありませんでしたが、それらは少数であり、ほとんどは御徒町方面に乗り換えたわけです。

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合唱祭講評のお仕事 [お仕事]

 コロナ禍がおさまって──本当はあんまりおさまっていないようでもありますが、とりあえず人々がさほど騒がなくなって──いろいろな物事が旧に復しつつあります。私なども、久しぶりの仕事というようなものがちょくちょく入るようになっています。今日は、合唱祭の講評を頼まれていたので、朝から出かけました。
 合唱指揮者協会のようなところに属していると、こういう仕事はよく来るのかもしれませんが、私はそういう団体に入っていないため、毎年欠かさず頼まれるということはありません。しかし、長年合唱に関わっていると、講評をお願いしますと言われることも徐々に増えてきます。
 世田谷区の合唱祭の講評をしたことはわりに何度もあります。前会長である故・外山浩爾先生、現会長である遠藤正之先生ともに親しくしていただいていますし、運営委員にコーロ・ステラのメンバーが加わっていたりもする関係で、お声がかかるのでしょう。毎年というわけではありませんが、数年に一度はやっている気がします。
 2020年も頼まれていたのですが、コロナ禍の最初の年であり、さまざまな催し物がことごとく中止になった恨むべき年です。世田谷の合唱祭もご多分に洩れず中止となり、当然ながら講評の仕事も無くなりました。それから3年、合唱祭自体は去年から再開していたようですが、私に話がまわってきたのは今年からでした。

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GDP雑感 [世の中]

 日本のGDP(国内総生産)が、ドイツに抜かれて世界第4位になるのではないかと言われています。
 20世紀の最後の20年間くらいは、日本のGDPはずっとUSAに次いで2位をキープしていたのですが、しばらく前に中国に抜かれ、そしてこんどドイツに抜かれるとなると、日本の強みであった経済力がどんどん落ちてきているように見え、力を落とす人も少なくないようです。また、一部には大喜びな人も居るようですが。
 ただ、現時点でドイツの経済力がそんなに強いようにも見えないのが不思議なところです。ウクライナ戦争にも関連して、電力が際限なく高騰し、それにつれてインフレが加速して、そのわりに国民の所得は追いつかず、むしろ青息吐息といった印象を受けます。自動車産業のEVシフトを高らかに謳い上げたわりには、その後うまくゆかずに四苦八苦しています。いまドイツと立場を代わってくれと言われても、あまり喜びたくはない気がします。
 なんのことはないので、ドルベースでGDPを算出した場合に、現在は円安であるために日本の額が小さく見え、それに対してユーロは高めであるためにドイツが大きく見えると、どうやらそれだけのことであるようです。たとえば円がいま急に1ドル100円になったとしたら、日本のGDPはたちまち1.5倍くらいになり、ドイツなど寄せつけないくらいの水準になることでしょう。

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自転車の故障 [日録]

 指やら両腕やら肩やら脇やらが、広域的に筋肉痛になっており、一挙手一投足に難儀しています。
 原因はわかっていて、昨日いささか無理をしたからでした。
 昨日は土曜日なので、恒例の仕事であるピアノ教室に出かけていました。ほかの用事につながっていたり、天気が悪かったりということが無い限りは、自転車で往復しています。脇目も振らずに最短距離を突っ走れば45分くらいで走れるのですが、たいてい途中で昼食を買ったり、帰りにはほかの買い物なども済ませてくるので、まあ片道1時間あまりというところです。帰りはなるべくアップダウンの少ないルートを通るためにやや遠回りもしており、そのせいもあって1時間半くらいになることもよくあります。
 この仕事をはじめたころは、JRの東川口駅まで行って、そこから歩いたりバスに乗ったりすることが普通でした。その後、2年ばかりクルマを使っていた時期は、往復にもクルマを利用していました。その後クルマを使わなくなってから、いろいろな交通機関を試しました。おりから埼玉高速鉄道が開通し、戸塚安行駅が最寄り駅となったのでしたが、この路線の自宅最寄り駅である川口元郷も、そして戸塚安行も、けっこう歩かされます。
 それにも増して、埼玉高速は運賃が高く、あまり使う気になれませんでした。

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