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字幕のお仕事『四季』その後 [お仕事]

 この前の川口第九を歌う会自主公演、ハイドン『四季』公演についての文集がまとまって、先日手渡されました。この団体では「フロイデ・ニュース」という月報を出していますが、本番後には「響」という冊子を出します。その本番についての感想文を、指導者・独唱者・合唱団員などなどから寄稿して貰って1冊にまとめたものです。今回私も寄稿しましたが、私は今回は字幕担当でしたので、そのことについて書きました。
 字幕というのは舞台に乗っている人は見ないわけなので、当然ながら字幕について触れている人はほとんど居ません。それでせめて私が話題にしようと思ったわけですが、その字幕について、思いがけないところで大量に触れられていたのです。それはこの冊子の中の、お客のアンケートをまとめたページです。
 すべてのアンケートを網羅したわけではないとは思いますが、65人からの反応が転記されていました。その中で字幕について触れていたのが、実に17名、4分の1以上にあたっています。若い人からの1通だけは、字幕とプログラムの登場人物名の表記を揃えて欲しいという要望でしたが、あとは「字幕があって良かった」「字幕が的確でわかりやすかった」という称賛の言葉ばかりで、当の担当者である私のほうが、いささか面映ゆくなるような有様だったのでした。こんなに好評とは、まったく思いもよらぬことでした。

 確かに、2時間半以上にわたるドイツ語の歌を、ただ聴いているだけではよくわからないだろうと思います。対訳をプログラムに載せておいても、ずっとそれを読み続けるのは苦痛であり、少し眼を離しただけでどこを歌っているのか不分明になりがちです。
 曲と一緒に進行する字幕があれば、わかりやすいことは言うまでもありません。歌詞の内容と音楽の作りかたを同時に見較べることも容易になります。長い曲の場合、飽きずに聴いていられるというだけでも、字幕の力はかなりの援けになることでしょう。
 そんなわけで、メンデルスゾーンのオラトリオ『エリアス』を演奏した2009年の公演から、詞の内容を理解したほうが良い曲には、字幕をつけることにしています。最初は私が提案したのだったと思います。
 前にも書きましたが、私は板橋オペラで使っている程度の字幕を想定して提案したのでした。パワーポイントで作成したものを、会館の持っているプロジェクターで舞台の上方の白いパネルに映写するという方式です。これだと経費がほとんどかかりません。プロジェクターの借り賃くらいで、あとは個人のノートパソコンで事足ります。作成の手間賃と、当日の操作の手間賃くらいで済みます。
 川口第九を歌う会も、あんまり予算が無いだろうと決め込んで、その想定で提案したのでしたが、いざそれが受理されてみると、ちゃんとした業者に依頼したこと、舞台上方ではなく舞台の左右にタテ起きの電光掲示板を置くこと、そして費用もウン十万のオーダーでかかることを知り、提案者の私のほうが仰天してしまったほどでした。
 その業者に渡すため、字幕の原稿を作成します。こちらでパワーポイントなどに作り込む必要は無く、番号をつけたドキュメントファイルかテキストファイルで良かったのですが、いちどに表示できるのは16文字2行だけというので悩ましいところでした。しかも、2行めは慣習的に1文字下げて表示することになっているので、実際には16+15、31文字しか表示できないというのでした。
 板橋オペラのパワポ字幕では、ヨコ書き3行で、1行に20文字近く入れられます。しかしいちどに31文字では、内容をかなり絞らなければなりません。
 普通の人間が眼で追える文字数は、1秒間に8文字とされています。従って、31文字の表示された字幕は、少なくとも4秒間は表示し続ける必要があります。ところが、オペラやオラトリオなどのレチタティーヴォ(叙唱)、つまりセリフ同様のスピード感で流れるところになると、まともに訳すとそんなペースでは間に合わないところがどんどん出てきます。4秒も経てば原詞で2行も3行も流れて、それをまじめに訳そうとすると日本文で50字60字と費やしてしまう、なんてことがしょっちゅうあります。
 当然、意訳または抄訳とせざるを得ません。
 そのあたりが、字幕制作者の腕の見せ所と言えるのかもしれません。映画の字幕などはもっと少なくて、1行14文字だそうですから、さらにセンスが要り用です。
 戸田奈津子さんが、オペラの字幕のことをケチョンケチョンにけなしていたという話を聞いたことがあります。たぶん、数々の映画の字幕を手がけてきた戸田さんとしては、そのあたりの「抄訳センス」がひどいものだと思ったのでしょう。場合によっては「ひと眼4秒」の原則をすっ飛ばして、次から次へと表示を変えてしまい、お客に無理を強いていることもあったかもしれません。
 それもまあ無理はないのであって、オペラの字幕というのは普通、専門の制作者が居るわけではなくて、演出家とか音楽監督とかが片手間に作る程度のものです。字幕にプライドを賭けているわけでもなんでもないのでした。当然、見やすさとかわかりやすさなどに、そんなに注意を傾けることもありません。なんとなく内容がわかれば良いのだろう、というくらいの意識だと思います。「字幕制作家」である戸田さんのお眼鏡にかなうわけもないのです。
 しかし私は、いちおう字幕制作者としての矜持を持って作業しようと考えました。

 作業の流れとしては、既存の対訳を貰って、それを31文字以内で区切れるように、場合によっては言葉を入れ替えたり省略したりして原稿を作ってゆく、というものでした。上記のレチタティーヴォのようなところで、言葉が急速に流れるようなところでは、原詞の2、3行の内容を簡略化して31文字に収めるということもしなければなりません。
 また31文字と言っても、字数が合っていれば良いというものでもなく、2行に分けたときにわかりやすくする必要があります。

  2行に分けたときにわかりやすくす
   る必要があります

 では不可で、

  2行に分けたときに
   わかりやすくする必要があります

 としなければなりません。文によってはこんなにうまく分けられない場合もあり、そういうときには頭を使います。
 底本となる対訳が必ずしも全面的に信用できないということもあります。語学には弱い私ですが、それでも

 ──どう考えても、これは違うだろ。

 と思われる箇所がひとつやふたつは出てくるのでした。宗教音楽の場合、対訳は牧師さんや神父さんなどがやっていることもあるのですが、彼らは意外と、定型的な訳に縛られてしまうことが多いようだと、だんだん理解してきました。
 字幕に必要なのは、正確な訳ではなく、ストーリーの流れがわかりやすい訳です。ときには正確さを犠牲にして、思いきった意訳をしなければならないこともあるのでした。

 そんな風にいろいろ発見しつつ、『エリアス』の字幕を制作しました。手持ちの楽譜には、字幕のキューを出す箇所の番号を書き込んでゆきます。本番当日の字幕操作は業者がおこないますが、彼らは音楽の専門家ではないので、楽譜がわかっている人間がキューを出さなければなりません。これは照明なども同様です。キュー出し担当者は、楽譜に書きこまれた番号が近くなると「スタンバイ」と伝え、字幕を変えるその箇所に来たら「ゴー」と言って操作担当に伝えます。実はこのときも、コンマ何秒というタイムラグが生じるので、わずかに早めに「ゴー」というのがコツです。速い曲なら半小節くらい、遅い曲なら1拍くらい、ものすごく遅い曲なら半拍くらいという感じで、これも曲がわかっている人間でないと判断できません。

 『エリアス』の字幕の評判はあまり耳にしなかったのですが、次の自主公演であるブラームス『ドイツ・レクイエム』のとき(2011年)にも、字幕をつけましょうと運営から言われたので、まあ好評だったのだろうと思いました。
 『ドイツ・レクイエム』はそれまでも演奏したことがあり、とりたてて字幕をつけなくとも良いような曲に思えましたが、

 ──前回字幕が好評だったので。

 と言われました。やはりそうであったかと、ちょっと良い気分になりました。確かに『ドイツ・レクイエム』もドイツ語ですし、意味がわかったほうが聴いていて楽しいでしょう。
 またそのときは、東日本大震災の直後でもあり、黙祷があったり、市長の挨拶があったり、ラストには客席も一緒に「故郷」を歌ったりと盛り沢山でした。式次第を字幕として出しておけばわかりやすいし、「故郷」の歌詞を表示するのもお客は喜んだと思います。
 さらにその2年後(2013年)、ヴェルディ『レクイエム』をやることになり、そこでも字幕をつけることになりました。これはラテン語の正統的なレクイエムテキストであり、今度こそ字幕なんか要らないんじゃないかと思ったのですが、まあ一般の聴客にとって、ドイツ語だろうとラテン語だろうと、そんなに馴染みは無いわけで、字幕があったほうが理解しやすいということはあるでしょう。

 さらにこのときには正指導者の高橋誠也先生からも注文があり、「主よ憐れみたまえ」とか「いと高きところに」とか、ほぼ定型となった訳詞を、もう少し柔らかく、口語風に直して貰えないかと言われたのでした。

 それはそれで面白そうだと思い、「私家版レクイエム対訳」を作ってやるつもりで字幕化してみました。「主よ、憐れんでください」という感じです。「いと高きところに」は「この上ない高みに」としました。
 このときは、確か私は合唱の一員として出演していて、当日のキュー出しはほかの人に頼んだのだったと思います。
 その次(2015年)はモーツァルト『レクイエム』で、ヴェルディのときの訳をそのまま使えそうなものですが、このときは字幕を使わなかったようです。
 さらに2017年には、メンデルスゾーンのもうひとつのオラトリオ『パウロ』をやりました。このときはまた字幕を制作しました。2019年公演はシューベルトミサ曲第6番でしたが、こちらは字幕を使っていません。
 そして2021年公演はコロナ禍のため流れ、今年の『四季』となったわけです。
 考えてみると、世俗オラトリオははじめてのことです。いままではずっと宗教音楽でした。
 それで、日本語の字幕がついても、わかりやすいとはいえ、内容そのものが堅苦しいということはあったかもしれません。
 『四季』は世俗オラトリオですから、独唱者には役柄がはっきりついています。農夫のジモン、その娘のハンネ、ハンネの恋人のルカスという登場人物です。また、合唱も村の衆であったり、おかみさんたちであったりします。
 そうすると、役柄に合わせた口調というようなことも意識しなければなりません。たとえばジモンは一人称を「わし」とし、いかにも年寄りっぽいしゃべりかたに訳します。ハンネは天真爛漫な村娘の雰囲気を出してみました。ルカスのキャラはいまひとつ明確でなかったのですが、「ちょっとした村のインテリ」というイメージでしゃべらせることにしました。
 こういうはっきりとしたキャラ分けをしておいたのが、今回えらく評判が良かった理由ではないかと思います。誰のセリフであるかが、字幕を読んだだけですぐにわかるわけです。
 もとのテキストには、非常にわかりにくく、晦渋と言っても良いような言葉遣いが現れます。英語の詩をドイツ語の台本として翻案したズヴィーデン男爵の、外国人としての(男爵自身はオランダ生まれ)限界だったのかもしれませんが、とにかく「どこのお百姓がこんな言葉を使うんだ?」とツッコミたくなるセリフまわしが次々と現れます。まあ、ドイツの農民は使うのかもしれず、そうでないとは言い切れません。ただ、『四季』の初演の際、けっこう歌詞を批判する人が多かったという話で、それはやはり

 ──百姓はこんなこと言わんだろう。

 というツッコミではなかったかと想像されるのです。いくら日本語が流暢な外国人でも、仙台弁や長崎弁で台本を書くのは至難の業でしょう。ズヴィーデン男爵の台本には、そういう意味での違和感があったのではないでしょうか。
 私はそれらを、極力「普通の言葉」に直しました。それほど学の無い僻村の農夫でも、まあまあこの程度のことなら言うのではないか、というレベルまで引き下げたわけです。おかげで訳の正確性はほとんど損なわれてしまいましたが、それでもいちおう意味は通じるようにしたつもりです。
 やっていて、意外とこれが愉しかったのでした。
 私は翻訳という仕事にはわりに憧れを持っていますが、語学力が低いので、「翻訳家」になることは難しいでしょう。しかし、「字幕制作者」ならけっこうなれそうな気がします。誰かに逐語訳をして貰って、それを日本語のセリフあるいは歌詞として書き換えるという形であれば、こういう「キャラ立て」の工夫も含めて、得意ジャンルと呼んでも良いのではないかと自負しています。
 まあ、悪ノリし過ぎて怒られたことがあるということも、前に書きましたが。
 川口第九を歌う会だけでなく、ほかでも依頼されないものかと思っています。ただ、上にも書いたとおり、普通のオペラなどの字幕は、演出家や音楽監督などが片手間に制作するのが当然のようになっていて、わざわざ手間賃を払って外注するという発想にはならないのかもしれません。戸田奈津子さんのような人に、もっともっとけなしまくられれば、少しは考えるようになる可能性もありますが。

 字幕の内容も褒められましたが、それと同じくらい、切り替えのタイミングが見事だったという褒詞をいただいています。板橋オペラで照明キューの仕事を何度もしている経験が活きたとも言えそうです。私の感触では、その字幕が指し示す歌詞を歌い出す、ごくわずか「前に」切り替えるというのが良さそうな気がしました。たぶん、見ているほうにはそれでドンピシャのように感じられるはずです。
 来年と再来年は、川口リリアホールが改装工事中であるため、次の自主公演は2026年となります。今度はヘンデル『メサイア』をやることに決まっています。これも過去いちど演奏しているのですが、そのときはもちろん字幕はありませんでした。こんどはつけることになるのではないかと思います。
 『メサイア』のテキストは、聖書や外典のあちらこちらから断片的に句を拾い集めたもので、世俗オラトリオのような役柄はありません。だから『四季』ほど面白い字幕にはならないと思いますが、また挑戦してみたいものだと考えています。

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