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川勝知事の辞意 [世の中]

 静岡県川勝平太知事が辞意を表明したそうです。わりに考え無しに発言する人だったようで、問題にされた発言も少なくありませんでした。今回も、県庁の新人向けの訓示で、
 「毎日毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかとは違い、基本的に皆さんは頭脳・知性の高いかた。それを磨く必要があります」
 とやらかした舌禍事件が直接の原因でした。
 職業差別ではないかと騒ぎになったわけですが、思想的な差別というよりも単純に、お百姓さんや工場労働者などが眼中に無かったのでしょう。まあ一個人として見れば、そういう視野の狭い人などいくらでも居そうではあります。しかし静岡県にはお百姓さんも工場労働者もたくさん居るわけで、それらの人々も県民として考えるべき知事がそんな認識では、やはり困るわけです。
 川勝知事は前にも、
 「御殿場の特産などコシヒカリくらいしか無い」
 と発言して物議をかもしたことがあります。
 これは選挙の応援演説のときの言葉らしい。参議院の補欠選挙で、浜松市から出馬していた山﨑真之輔候補の応援にかけつけた際、対立候補であった前御殿場市長若林良平氏をディスろうとして、浜松は静岡県産の食材のうち3分の2以上を産出しているが、御殿場にはコシヒカリしか無い、と言ったわけです。実はそれだけでなく、

 ──だから飯だけ食って、それで農業だと思っている。

 と続けています。また、

 ──浜松は遠州の中心で、経済はここが引っ張ってきた。あちら(御殿場)は観光しかない。それしか知らない人間が静岡県全体の参議院議員になってどうするのか、ダメです。

 と言ってのけたのでした。対立候補を悪く言うのはまあ仕方が無いとしても、そのために相手の地盤とはいえ、現に自分自身の治める地に含まれている土地についてそこまでひどいことを言えるというのは、基本的に静岡県という土地や、そこの住民に対する愛情が欠けているとしか思えません。
 政治家にどんな資質が必要なのかということについては各種の議論があることでしょうが、自分の統治している土地や人についての愛情だけは忘れて欲しくないところです。地元への愛情が強すぎると、田中角栄氏のようなことになってそれはそれで問題が起こりますが、無さすぎる人に市長とか知事をやって貰うのはご免こうむりたいと、一生活者としては思わざるを得ないのです。
 この発言が問題になったとき、川勝氏は反省の意を表し、知事報酬を辞退するようなことを言いました。また、今後このような不適切な発言があれば、そのときは辞任する、とも言いました。
 しかし、どうも報酬を返納した形跡が無く、あちこちからツッコまれていました。
 そうである限り、再び舌禍を起こした今回、辞任のほうの宣言から逃げるわけにもゆかなかったのではないでしょうか。

 山﨑候補の応援のときに持ち上げた浜松ですが、その後磐田での演説で、磐田と比較して浜松をディスるということもやっていたようです。比較対象を設定しないと褒めることもできないのかと呆れます。
 このときもツッコミが入りましたが、その際は、一般的・歴史的に磐田のほうが重要であった事実を述べたまでだと言い張り、謝りもしませんでした。
 今回の発言についても、
 「いろいろな職種があるということであり、差別的な意図や意識は無い」
 と弁解していましたが、どう読んでも「野菜を売る人々」「牛の世話をしている人々」「モノを作る人々」を下に見ているのは間違いありません。「言葉が不充分で誤解を与えた」などということではなく、これこそ川勝氏の真意であろうとしか思えないのでした。
 それにしても、御殿場や磐田のときと同様、この人は、ある相手を褒めたり励ましたりしようとする際に、比較対象を設定し、それを貶めることで効果を上げようとする癖があるようです。そういうことをしなければ人を褒めたり励ましたりできないというのは、イメージ力の貧困としか言いようがありません。比較対象として貶められた側も、自分の統治する県の大事な県民だという感覚がまったく無いのです。
 Wikipediaで彼の項目を見てみると、経済学者とか歴史学者とか、ご大層な肩書がいくつも冠せられています。早稲田の大学院やオックスフォード大学で学び、なるほど学歴は大したもので、かつて菅義偉前首相の学歴の無さをあげつらったのも、ゆえなきことではなさそうですが、土地や人間に対する愛情がまるで感じられないという点、川勝氏はやはり偏屈な学者という立場で居たほうが良かった人ではないかと思います。政治家になるべき人ではなかったように感じられます。

 さて、川勝知事について語ることになれば、リニア新幹線との関わりに触れなければなりません。というか、ある県の知事が舌禍事件で辞任、というだけのことであれば、私自身は「ふ~ん、そうなんだ」と流していたでしょう。わざわざ日誌のネタに採り上げたのは、リニアとの関わりがあったからです。
 言うまでもなく、リニアのためのトンネルを掘ることで、大井川天竜川の水量が減るかもしれないと言い張り、リニアの建設をかたくなに認めなかったのが川勝知事です。
 リニア新幹線は、東京大阪をできる限り直線に近いルートで結ぶ方針で建設されています。第一期工事である品川名古屋間を見ても、途中駅でのほかの路線との接続などほとんど眼中に無く、とにかく直線状に敷くことを旨としているのがわかります。
 神奈川県橋本だけは既設駅のかなり近くに駅ができるようですが、山梨県甲府からBRT(バス高速輸送システム)を新設して対応する予定というほどに遠くなっています。長野県飯田市に駅ができるものの、在来線のJR飯田線とは接続を図るかどうかもわかりません。岐阜県は中津川市に駅ができますが、JR中央線ともし接続するなら、中央線のほうに新駅を作らなければならないほど既設駅からは距離があります。
 そして静岡県には、駅は作られない予定でした。そもそも建設予定地は南アルプスの山の中であって、駅など作っても利用者は誰も居ないだろうと思われます。前知事も、県議会も、リニアの駅は不要ということで納得していました。通過はするものの、県の北側のとんがったあたりをかすめる程度の通りかたなのです。
 その、わずかにかすめる程度の静岡県のイチャモンで、完成予定を大幅に繰り下げなければならなくなったのですから、JR東海としてもはらわたの煮えくり返る気分ではなかったかと思います。
 水量が減る(かもしれない)という指摘に対して、JR東海はトンネル内の湧出水を静岡県側に流すとか、調整池を作るとか、いろいろ提案をしました。はたで見ていると、川勝氏の懸念にきちんと応えようとしているらしいのが見て取れました。決して、モンスタークレイマーのイチャモンを聞き流すような態度ではなかったと思います。
 しかし川勝氏は、JR東海が解決策を示すたび、また別の問題点を持ち出していました。「あと出し」としか思えない屁理屈がほとんどで、彼の無理筋な言い分が報じられるたびに、「いい加減にしろ」というようなツッコミが山のように寄せられていました。
 それでいて、川勝氏自身は、自分がリニア賛成派、推進派であると言い張っていたのでした。賛成しているからこその苦言だ、とでも言いたかったのでしょう。
 先月、JR東海はついに、リニアの開業時期を延期すると発表しました。この報を受けた川勝氏は、
 「これで自分の責任は果たした」
 と言って、すんなり辞意を表明したのだそうです。説明を受けた県議会議長は、

 「イヤガラセが成就したので私の役目は終わった、という感じだった」
 と述懐しています。県政のパートナーというべき議長から見ても、川勝氏は妨害のための妨害をしていたとしか思えなかったようです。

 川勝氏は、静岡空港を拡充し、近くに東海道新幹線の駅を新設するという構想を持っていたらしいのですが、新幹線駅としては静岡と掛川のあいだということになり、やや中途半端な位置になります。それでたぶん、JR東海は良い顔をしなかったのでしょう。リニアを妨害したのはその意趣返しというところだったのかもしれません。だとすればなんとも度量の狭い政治家であったとしか言いようがありません。
 リニアの工事は認可するので、その代わりに静岡空港駅の設置を進めてくれ、というような駆け引きも可能だったと思うのですが、川勝氏としてはもはやあとに引けない想いであったのでしょうか。
 リニアを楽しみにしている人たちからは、苛立ちのあまり、

 ──この際、静岡県内は「ひかり」「こだま」も全駅通過にしてしまえ。

 と極論が飛び出るようなことにすらなっていたのでした。
 リニアが国の事業であれば、強制執行もできたかもしれませんが、あいにくといまのJR東海は一個の私企業に過ぎませんので、県の認可が下りなければ工事を進めることもできなかったのです。

 それにしても、自分の在任中には何がなんでもリニアの工事を止めるという、この川勝氏の情熱はどこから来ていたのでしょうか。リニアが通る県の知事の集まりでも、川勝氏は頑として自説を曲げず、山梨県知事などとも不和になったようです。なんだか、山梨県が静岡の水を横取りしているみたいなことさえ言ったようです。
 結果、リニアの工事を中止させるところまでは叶わず、何年か開業を遅らせたということで「わが事成れり」とばかりに辞意表明をするとは、何が目的だったのかもよくわかりません。彼は知事として、JR東海の事業を何年か遅らせた「功績」のみを誇りに、このあと生きてゆくとでも言うのでしょうか。
 なお、度重なる失言については、あくまで自分が悪いとは思っていなかった模様です。メディアが自分の発言を切り取って報道したために誤解を招き、その誤解によって不愉快になった人が居たのなら申し訳ない、と言うだけで、御殿場のときも今回のことも同じような弁明でした。悪いのはメディアで自分は悪くないけれど、立場上謝っておく、といった風です。
 繰り返しますがいずれの失言も、誤解でも曲解でもなく彼の「真意」そのものであることは間違いありません。誤解というのは、表現が不適切で真意が伝わらないという場合に使う言葉です。「発言に差別的な意図は無かった」というのですが、それはつまり、この程度のことは差別でもなんでもないという意図でしょう。私も、すぐに差別差別と言い立てる手合いのことは好みませんが、政治家がそんな認識では困ったものだとは思います。
 たぶん、褒めたり励ましたりするときに、「比較対象を作ってそれを貶める」という常套手段を、特に悪いこととは思っていないのではないでしょうか。「褒める、励ます」という行為のほうに重点を感じているため、貶められるほうの立場のことは念頭から抜けてしまうのです。あるいは、自分にそういう癖があることに、まるきり気づいていないのかもしれません。だとすると、政治家としてはもちろん、学者としても少々問題があることになりそうです。

 なお、辞職は6月だと言っているとか。
 「ボーナスを貰ってから辞めるつもりか」
 という勘繰りが早くもささやかれています。また、報酬返上を反故にした前科があるので、
 「そのときになったらあっさり(辞任を)無かったことにするんじゃないのか。何しろ前言撤回のエキスパートだ」
 とも言われています。さて、どうなることやら。
 ネットでは、なんでこんなのを知事に選んだんだ、と静岡県民を責める声もかまびすしいようです。それに対して当の静岡県民は、「対立候補があまりにもひどすぎて、川勝に投票するしかなかった」と答えるのが常です。後任は誰になるのかわかりませんが、願わくば県の風土や県民に対して真摯な愛情を持てる人物であることを。

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