SSブログ

両親の墓参り [日録]

 実家の両親が、祖父母の墓に参りたいというので、今日行ってきました。
 私の父方の祖父母の墓は、高尾の都立霊園にあります。38年前に祖母が亡くなった後、ちょうど墓地の分譲がはじまって、伯父と父がふたりで抽籤に応募したところ、一発で当たったのだそうです。10倍くらいの倍率であったそうで、くじ運の悪いわが家系にしては驚くべき快挙でした。
 翌年祖父も亡くなり、その後伯父夫婦も墓に入りました。現在は4人の遺骨が眠っています。
 最初のころはちょくちょく墓参りをしていたのですが、だんだん間遠になり、両親などはもうかなりのあいだ行っていなかったと思います。実はいちばん行っているのが私ら夫婦で、高尾の墓に参ってから、引き続き前橋にあるマダムの父方の祖父母の墓参りに足を延ばすということを、毎年のようにおこなっていたのでした。
 マダムの母方の祖父母のお墓は、彼女の実家のわりと近くにあり、そのためもあってマダムは両親ともども、年に5、6回くらいは墓参りをしているのでした。私もたいてい正月と盆には同行するので、実は親戚・縁戚の墓のうち私がいちばん参っているのがマダムの母方の祖父母のものなのです。
 そのせいか、マダムは私の祖父母の墓にも参りたがったのでした。ただ、私の母方の祖父母の墓は北海道石狩市にあり、おいそれとは行くことができません。勢い、父方のほうに通うことになってしまいます。
 ほぼ毎年、高尾と前橋を続けて訪れていたのですが、ここ2年ばかりは高尾のほうはご無沙汰していました。前橋の墓参りをするのに、マダムの両親と同行したので、高尾は割愛したのです。マダムの両親はずっとクルマで行っていたのですが、長いドライブをする元気が無くなったようで、しばらくご無沙汰していました。私たちが毎年のように電車で行っているので、クルマを使わない行きかたをしてみたいということで、一昨年・去年と続けてご一緒したのでした。
 高尾のほうは日を改めて行こうと思っていたものの、結局行かずじまいになってしまいました。従って、私たちも3年ぶりということになります。

 母はちょうど2年前くらいに大腿骨折の重傷を負って要介護2となり、杖をついて歩くことはできますがそんなに長距離は歩けなくなりました。父も去年の夏あたりに調子を崩し、やはり要介護2となり、体調は戻ったもののいろいろ心許ない状態です。最近は毎日のようにふたりで散歩に出かけているようですが、せいぜい30~40分、2000~3000歩も歩けば良いくらいであるようです。距離で言えば1キロ半に満たないくらいでしょうか。
 高尾のお墓へは、まず電車で高尾まで行き、バスに7~8分乗り、そこから歩くというのが普通の行きかたです。この歩きが意外と長く、両親は大丈夫だろうかと少し心配でした。
 「なあに、バス停からはすぐさ」
 と父は多寡をくくっていましたが、都合の良いように記憶を書き換えているようで、実際に毎年のように墓参りに通った私たちの感覚では決して「すぐ」ではありません。霊園の入口までは確かにそう遠くありませんが、そこからうちのお墓までがかなり遠いのです。
 ともかく、「これが最後になるだろうから」というようなことを言われては放ってもおけず、同行することにしたのでした。最初は私だけついてゆくつもりだったのですが、妹とマダムも一緒にゆくことになりました。妹は前の晩に実家に泊まるそうだったので、高尾駅まで両親を連れてきてもらうことにし、私たち夫婦は川口から直行しました。

 線香や供花などの墓参グッズは私が持ってゆくことにして、何かお供え物でもあるようだったら持ってくるよう母には伝えていましたが、結局なんにも持ってこなかったようです。念のためにうちからも持って行っておいて正解でした。
 毎回、缶コーヒーと、東ハトオールレーズンを持って行っています。祖父は暇さえあればコーヒーを飲んでいる人で、そのせいで食事のたびに、
 「齢のせいか、ちーとも腹が減らねえや」
 と愚痴っていたほどでした。いや、コーヒーの飲みすぎでしょう、と私は何度もツッコみましたが、祖父は齢のせいだという持論を決して手放しませんでした。また、いつ見てもオールレーズンを食べているようでもありました。好きだったのかどうかはわかりませんが、出かけるたびに買い込んできていたようです。そんなわけで、コーヒーとオールレーズンというのが、祖父母へのお供えの定番となっていました。
 ちなみに前橋のマダムの祖父母へのお供えは、かりんとうと桃缶です。かりんとうは祖父の好物だったようです。まあこれも、うちの祖父と同様、好きだったのかどうかはわかりませんが、とにかくマダムの記憶としてはしょっちゅうかりんとうを食べていた印象だったとのことです。桃のほうは祖母の好物で、桃をおかずにご飯を食べられるほどの人だったとか。
 うちの祖母の好物については、私に記憶がありませんので、申し訳ないながら割愛させて貰っています。

 正午過ぎに、高尾駅で落ち合いました。バス停から歩くことになるので、いっそタクシーを使おうかとも思ったのですが、一行5人なので普通のタクシーでは乗り切れません。2台使うのは無駄なようでもあります。いちばん歩行が覚束ない母が
 「バスでいいよ」
 と言ったので、結局バスで向かいましたが、待っているうちに大型のタクシーがプールに入ってゆくのが見えました。あとから思えばそれを拾ったほうが良かったような気もします。5人分のバス代を合計すれば、タクシー代との差もそんなに無かったようでもあります。
 今日は気温が高く、おそらくこの連休中でいちばん暑いだろうと言われる日でした。母などには少々厳しかったかもしれません。
 霊園の入口からは、やはりそれなりの距離がありました。私は途中で桶や柄杓を借りて、水を汲んでゆくために、一行から少し外れましたが、両親も妹も場所を憶えていなかったようで、だいぶ先まで行っていました。余計くたびれたのではないかと思います。それにしても、やはり同行して良かったようです。
 もともとこの霊園は、すべての墓石が同じ規格となっており、同型の墓が広大な芝生の上に何百基何千基とひたすら並んでいるというところです。それぞれの墓の位置は番地とか番号で示されており、それがわかっていないと到底たどり着けないような仕様でした。しばらく墓参りに来ていなかった両親や妹が迷ってしまったのも無理はありません。マダムに先導するように頼んでおいたつもりだったのですが、なぜか彼女は水を汲んでいる私のほうについてきていました。
 私が祖父母の墓のところで呼びかけて、ようやくみんなが集まりました。
 父も母もだいぶくたびれたようで、坐りたがっていましたが、あいにくと手近にベンチのたぐいはありません。私はレジャーシートを持ってきていましたけれども、荷物置き用であって、そもそも脚の悪い母は地べたに腰を下ろすということはできないのでした。折り畳みの椅子を持ってこようかと思ったものの、たぶんそれに坐ることもできなかったでしょう。
 レジャーシートに腰を下ろせるのであれば、弁当を持参してピクニック気分でここで昼食をとるということも考えたのでしたが、現状ではいささか無理です。
 マダムと私で手早く墓石の掃除をし、持ってきた供花を妹が差し、これまた持ってきた線香に火をつけて、手早くお参りを済ませました。それからお供えにした缶コーヒーを各自に配布してその場で飲み、早々に引き上げることにしました。

 うちの墓があるのは入口からだいぶ下がってきたところなので、帰りは登り道となります。これは前にマダムも弱音を吐いたくらいの道で、母は大丈夫かと心配しましたが、なんとかゆっくりゆっくり歩いてもとの道路に戻りました。マダムが弱音を吐いたというのは、その翌日に各地で観測史上最高気温をマークしたという猛暑日のことで、まあ無理はなかったのです。翌年はそんなに暑くなかったので平気そうでした。

 帰りは、妹がタクシーアプリでタクシーを呼んだのですが、父がひとりでひょこひょこ先へ歩いて行ってしまったので、それを追っていて危うくタクシーとはぐれるところでした。私が霊園に戻って待っていたタクシーを見つけ、追いかけてきたマダムと妹を次々に拾い、ようやく気づいた父と母が一緒に待っていたところまで乗ってゆき、そこでマダムと私が下りて代わりに両親を乗せ、私らはバスで駅へ向かう、というややこしい手順を踏んで、やっとらちがあきました。タクシーの運ちゃんも苦笑していたようです。

 高尾駅に戻ってから、少し遅い昼食をとりました。
 以前、よく墓参りのあと「うかい鳥山」で昼食にしていたことがあり、今回も最初はそのつもりで予約しようとしたら、半月前くらいの時点ですでに満席になっていました。それで駅附近で食べようと思ったのですが、高尾駅前というのは大した店がありません。南口の京王側のほうにならいくつかめぼしい店がありそうだったのですが、北口のJR側は、本当にそば屋くらいしか無いのです。あとは駅の構内カフェと言うべき「一言堂」でしょうか。ここはガイドブックなどにもよく載っている店なのですが、席数が少ないので、5人も一緒に入るのは難しいかもしれません。実際、先に駅に着いた妹が確かめてみると、満席であったようです。
 結局、駅の向かいのそば屋でとろろそばを食べました。まあ高尾の名物と言えば名物ではあるのですが、軽食という感覚であることは争えず、やや物足りなさを感じました。

 墓参りは簡単に切り上げたつもりだったものの、移動その他にけっこう時間がかかったようで、そばを食べ終わるともう14時をだいぶまわっていました。
 実は、「Mt.TAKAO号」に乗るつもりでした。京王電鉄が史上初めて投入した有料列車「京王ライナー」の好評に気を良くして、平日の通勤用だけでなく、休日の観光用にも使いはじめたのが「Mt.TAKAO」です。指定席制ですし、クロスシートでもあるので、両親が遠出をするには良いのではないかと思ったのでした。それで最初は往路に使おうとしたのですが、午前中に運転している下り便は、なんと新宿から高尾山口までノンストップでした。実家は新代田ですから、明大前から乗れないと困りますし、そもそも高尾に停車しないのでは話になりません。それで帰りに使うことにしました。
 とはいえ墓参りおよび昼食にどのくらい時間がかかるか読めなかったので、事前購入はやめて、当日の様子により「乗れれば乗る」という程度の心づもりにしておくことにしました。
 さて、とりあえずチャレンジだけしてみることにして、私が先行して京王のりばに走りました。JRのプラットフォームのエスカレーターを登り、長い跨線橋を渡って南口側に出ます。そちらに京王への乗り換え口があります。
 ところが、乗り換え口まで行ってみると、どうも様子がおかしいのでした。
 なんと、千歳烏山あたりで人身事故があり、桜上水からつつじヶ丘までのあいだの運転を見合わせているとのことでした。すぐに出るらしい急行電車は高幡不動止まりになっています。客が20人くらい改札口に群がって、そこにいる駅員に様子を訊いています。
 私も、
 「Mt.TAKAOはどうなってますか」
 と訊ねてみました。
 「15時15分の4号は運転見合わせです。その次の6号からは再開すると思いますが……」
 というわけで、初の京王有料列車試乗プランはあっさりと没になりました。6号の発車まで待つわけにもゆきません。
 「Mt.TAKAO」は諦めるにしても、それ以外の京王線もつつじヶ丘までしか行かないわけなので、仕方なくJRで帰ることにしました。吉祥寺まで中央線で行き、井の頭線に乗り換えます。まあ妥当なルートではあるのですが、両親はだいぶ疲れるのではないかと思いました。
 しかも、高尾で乗ったのは特別快速で、三鷹で乗り換えなければならず、井の頭線も急行に乗ってしまって、永福町で乗り換えなければなりませんでした。快速や各停を待つべきであったか、判断に迷うところではあります。京王線が杜絶している影響で、振替乗車した人が多かったらしく、中央線も井の頭線も非常に混んでいました。
 実家に戻ってから母の歩数計を確かめると、5000歩を超えていたそうです。いつも2000歩や3000歩くらいしか歩いておらず、たまに3500歩くらい歩くとえらく疲れたようなことをこぼしている人にしては、相当にハードだったのではないでしょうか。明日あたり寝込んでしまったりしなければ良いのですが。
 それにしても、行く前は「これが最後」などと言っていましたが、「秋になったらまた行く気になるかも」と言い出しています。まあ元気なのは何よりです。秋にも行けると良いと思います。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。