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刑事と警部と探偵と [いろいろ]

 子供の頃から翻訳推理小説を読んできていて、当然ながらそこには警察官がたくさん登場します。シャーロック・ホームズ物に登場した警察官をまとめた文章を書いたことがありますが、下っ端の巡査などを除いても、20人近くになりました。
 彼らは、ほとんどが「警部」ということになっています。いくつもの長短篇に登場するレストレイド警部グレッグスン警部、ある時期に繰り返し出てくるブラッドストリート警部ホプキンス警部などは比較的よく知られていますが、いちどしか出てこない警部もずいぶん居ます。警部でないのは、「海軍条約文書」に出てくるフォーブズ刑事「ソア橋事件」に出てくるコヴェントリー巡査部長くらいでしょうか。
 ホームズ物の初の完訳を成し遂げた延原謙氏が指摘していたことなのですが、実は原作者コナン・ドイルは、最初のころ警察の階級についてよく知らなかったのではないか、とのことでした。というのは、初期の長篇である「緋色の研究」「サインは"4"(四つの署名)」では、レストレイドやグレッグスン、あるいはアセルニー・ジョーンズのことを、Detectiveと書いてあるのだそうです。それで、どうも下っ端らしい無名の警察官がふたりで話しているのを、Inspectorsと記してあるらしい。
 インスペクターというのが普通は警部と訳される階級であることは、現在ではたいていの人が知っています。そして警部といえばかなり階級が高い警察官です。延原氏は、ここに出てくるインスペクターは、ご自身の判断で「巡査」と訳したのでした。一部から誤訳とのクレームもあったようですが、これは翻訳家の判断として納得できます。
 これに対し、ディテクティヴというのが「探偵」と訳されることも知られています。そもそも「探偵小説」がDetective storyです。レストレイドやグレッグスンは当初、「警察の探偵」と位置づけられていたのでした。「緋色の研究」の中には、ホームズの言葉として、
 「いまこのロンドンには、警察の探偵や私立探偵がたくさん居る」
 とも出てきます。自分はそれらの探偵から相談を受けて助言を授けることを業務とする「諮問探偵 Consultant Detective」なのだとワトスン博士に説明しているのでした。ドイルは、最初のころは、ディテクティヴを警察官の階級だと思っていたのでしょう。
 確かに私立探偵(Private Detective)に対して、公務員としてのディテクティヴというのは存在しますが、これは階級というわけではありません。日本語に訳せば単に「刑事」となります。刑事というのは階級ではなく、刑事事件の捜査にあたる私服警察官の総称です。交通課とか警邏課とかの警察官は、私服であっても刑事ではありません。
 ヒラの刑事と言えば階級は巡査で、ただし「刑事巡査」と特定して呼ばれることもあります。それが巡査部長に出世すると刑事ドラマで「チョウさん」などと呼ばれるような、何人かの部下を従える立場になります。英米では部長刑事(Chief Detective)とも呼ばれます。
 「刑事コロンボ」の階級はさらに上で、Lieutenantです。これは日本の警察官だと警部補にあたる階級です。日本語版では「コロンボ警部」と呼ばれていますが、実は正しくは「コロンボ警部補」だったのでした。このドラマが紹介されたころ、まだ「警部補」という階級が日本ではよく知られていなかったので、わかりやすく「警部」と訳したのだそうです。そういえば、いくつかのエピソードで、どう見てもコロンボの上役と思われる「警部」が登場したことがあって、同じ警部なのに上下があるのか、と不思議に思ったものでした。そちらの警部は「補」のつかないInspectorだったのでしょう。
 「刑事さん」などと呼ばれるのは警部補くらいまでで、警部になるとあまりそうは呼ばれないようです。つまり、ディテクティヴよりはインスペクターのほうが明らかに上位なのでした。初期のドイルはそのあたりをよくわかっていなかったというわけです。

 さすがにドイルも後年は、レストレイドらを含めてインスペクターの語を使うようになったようです。続く作家たちも、レストレイドクラスの警察官をたいていはインスペクターと呼んでいるようです。
 ただ、しばらくはまだ混乱があったようです。チェスタトンクリスティも、初期にはディテクティヴという名で階級不明の警察官を出していました。ただし多くは外国の警察官であったかもしれません。
 ブラウン神父ものの第一作「青い十字架」には、ヴァランタンというパリ警視庁のディテクティヴが登場します。神出鬼没の怪盗フランボウを追ってロンドンにやってきたのでした。ディテクティヴでもまあ良いのですが、スコットランド・ヤードに掛け合って数人の刑事を指揮下に置くことになっていますし、彼らへの態度もなんともえらそうです。そのせいか訳者もヴァランタンを「刑事」ではなく「探偵」と書いています。
 この人もヒラ刑事ではなく、警部か警視かそのくらいだろうかと思えるのですが、第二作「秘密の庭」を読むと、それどころではないらしい雰囲気です。ここでもヴァランタン「探偵」が登場するのですが、パリ社交界においてどうもかなりの「名士」として知られているようで、だとすれば「刑事」どころか、警視総監かそれに近い高位の警察官であったとしか思えません。警部程度の警察官が、社交界の名士として遇せられるとは考えられないのです。
 ミス・マープルの友人であったヘンリー・クリザリング卿は、元ロンドン警視庁の警視総監でした。それだけの地位であって、ようやく田舎(セント・メアリ・ミード村)の社交界に出入りするくらいなものなのです。
 エルキュール・ポワロものの第二長篇「ゴルフリンクの殺人」には、これもパリ警視庁のジローというディテクティヴが出てきます。ポワロに対抗意識を燃やし、いちいちつっかかってくるような若い警察官で、彼もヒラの刑事ではなく警部補か警部クラスであろうと考えられます。
 そういえばディクスン・カーの処女作「夜歩く」の主人公も、パリ警視庁のアンリ・バンコラン「探偵」でした。メイスンアノー「探偵」もパリ警視庁ですね。英国の作家は、パリ警視庁といえば「探偵」ということにする暗黙の諒解でもあったのでしょうか。フランスの警察官の階級がよくわかっていなかったのかもしれませんが、そんなことはちょっと調べればわかりそうなものですけれども……

 さて、ともあれ多くの推理小説でお馴染みの「警部」なのですが、私が中学生くらいの頃、家に届いた何かの刷り物で、当時住んでいた武蔵野市の警察署の署長の署名のあるものがありました。その署長さんがまさに「警部」だったのです。警部というのは、署長を務めるくらいえらい身分なのだと知って、なぜか衝撃を受けたものでした。そのころはまだコロンボが「警部」だと思っていましたので、警部というのはみずから現場に出て行って調査したり聞き込みをしたりするくらいの身分と理解していたのです。しかし署長クラスともなれば、そんなに軽々しく動きはしないのではないでしょうか。捜査本部が置かれたときに本部長になることくらいはありそうですが。
 その後いろいろ世の中のことがわかってきてから考えるに、やはり現場の捜査に携わるのは警部補あたりが最高位であるような気がします。つまり翻訳推理小説に出てきたインスペクターたちは、警部と訳すにはいささか軽い立場なのではないかと思えるようになりました。警部補をインスペクターに対応させることも無いではないらしいので、今後、主役探偵のライバルのような感じで登場する警察官はみんな「警部補」と訳しても良いのかもしれません。
 たぶん、叩き上げの警察官、つまり「ノンキャリア」が精一杯がんばって到達できる階級が警部補くらいなのではないかと想像しています。もちろん私は警察内部の事情などまったく知らないので、本当に想像しているだけです。軍隊で言えば曹長か准尉くらいの、下士官の最高位に相当するのが警部補で、それ以上の階級は「キャリア」が就くものなのではないでしょうか。警部には、特に手柄を立てたりすればノンキャリアでも昇進可能なのかもしれませんが、それ以上の、警視クラスとなると、いままでどの創作物を見ても、わりに若い、いかにもなエリートタイプが多かった気がします。やはりキャリア組という印象です。
 伊東四朗羽田美智子が親子で警察官をやっている「おかしな刑事」というドラマシリーズが最近最終回を迎えましたが、親父は叩き上げの刑事(ヒラみたいに見えるが、実際には警部補か何からしい)で、娘はキャリア組の警視という設定でした。同じ組織で娘のほうが上位であるわけですね。

 ピンクレディーのデビュー曲「ペッパー警部」では、夜の街をうろついているカップルに向かって、もしもしきみたち帰りなさいと、ペッパー警部が言うことになっていますが、警部ともあろう地位の人が、そんなパトロール中の下っ端のお巡りさんが言うような注意をするとも思えないのでした。これについては当時からかなりツッコミがあったようですが、阿久悠氏は単に語呂だけ考えて「ペッパー警部」を作詞したのであって、リアルのことはまるで考えていなかったそうです。まあ流行歌の歌詞などそんなものでしょう。

 あらためて、警察官の階級を列記しておきます。

  ・巡査
  ・巡査部長
  ・警部補
  ・警部
  ・警視
  ・警視正
  ・警視長
  ・警視監
  ・警視総監

 警視から上にもけっこうありますが、上に書いたとおり、これらはキャリア向けの身分であって、数も少ないし、そこらの警察署ではお目にかかれません。警視総監というのは東京都警察、つまり警視庁のトップであってこの地位は不可分とされます。私が言うまでもないかもしれませんが、警察庁というのは国の役所であり、そちらのトップは警察長官です。警察長官はいわば政治家であって、警察官のランクには入っていません。警視庁はあくまで首都警察のことで、ほかの道府県の警察に対して命令を下したりすることはできないわけです。もちろん広域犯罪などについて合同捜査本部が組まれた場合は、その中では命令系統が生じることもありますが。
 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」両津勘吉は、巡査長という設定になっています。これは正式の階級ではありません。巡査の中で、ほかの巡査に対しある程度の指揮権を与えられた者が巡査長で、学校のクラスの班長くらいのイメージです。同じ職場の、中川秋本寺田といった同僚たちを、現場では両さんが指揮することが認められているわけです。作中で「部長」と呼ばれている大原のみ巡査部長で、実際に階級が上になります。が、大原部長はもう定年間近の年配の警察官という感じで、やはりノンキャリアのクラスアップというのはなかなか大変なのだろうなと思います。
 よくドラマで、制服警官が私服刑事の命令に従っているかのように見える演出がありますが、あれも実際にはいろいろややこしそうです。刑事のほうが巡査部長クラス以上であるか、あるいはせめて巡査長として認められていないと、本当は制服警官に対する指揮権などは無いのではないでしょうか。
 北海道警のような大きな管轄を持つところでは、警部補の中にも、ほかの警部補に対する指揮権を持つ人(統括警部補)が居る場合があるそうです。決められた階級は階級として、現場ではいろいろと融通を利かせて運用しているようです。
 そういえば英国の推理小説では「主任警部」という、日本の警察には無い階級が出てきます。ポワロに協力したり競い合ったりするジャップが確か主任警部でした。これが正式な階級なのか、統括警部補のような階級外の便宜的な身分なのかは知りません。ただ、ジャップのやっている犯罪捜査が、上に書いたようにどちらかというと警部補クラスの仕事であるのを考えると、まさに統括警部補に相当する役職なのかもしれない、という気もするのでした。
 警察のお世話になるのはご免ですが、推理小説ファンとしては警察官の階級なども少々気になるところなので、考えてみました。

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