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紫式部とその時代 [ひとびと]

 今年のNHK大河ドラマは、紫式部が主人公ということで、いつもと毛色が変わっているように思えたので、とりあえず視聴をはじめています。
 大河ドラマが扱う年代としては、平将門を主人公とした「風と雲と虹と」に次いで古い時代ということになります。前九年の役を描いた「炎立つ」よりも前になります。
 どうもこれまでの実績を見る限り、大河は戦国時代を扱わない限り視聴率が伸び悩むという傾向が見て取れます。しかも戦国時代の中でも、信長・秀吉・家康の三英傑にからまないと難しいようで、この三人が出てこなかった「毛利元就」などはあまり伸びなかったようです。
 よく知らなかった時代や事件を、巧みなドラマ作りで見せてくれるのが大河ドラマの醍醐味であるように、私などは思えるのですが、どうも世間の人々は、「自分が知っている話」を見るほうを好むようです。
 「知らない人ばかり出てきて面白くない」
 という評が堂々と語られていたりするので、一般の歴史についての関心というのはその程度のものなのだなあと慨嘆したくなります。さて、そうしてみると、平安中期という時代はいかがなものでしょうか。

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松本零士氏の訃報 [ひとびと]

 松本零士氏の訃報が伝えられました。
 85歳だったそうで、まあ大往生かな、と思えそうなところです。
 私の世代の中学生~高校生の頃は、まさに松本零士の黄金時代という感じでした。「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」「Queenエメラルダス」等々、次から次へとスペース・オペラもののヒット作を飛ばし、亜流やパロディがそこかしこに乱立しました。細面で切れ長の眼に長い睫毛、長身スレンダーの「松本零士型美女」も大いにもてはやされました。私は高校くらいまで、友達とマンガ(というか鉛筆描きのネームに類するもの)を描いたりしていましたが、私も友達も、かなりの程度松本零士の影響を受けた自覚があります。
 その後はそんなに名前を聞くことも無くなりました。アニメに関して言えば、その地位をジブリ系に取って代わられたような印象もあります。マンガのほうも、長々と続いた「999」完結後はそれほどのヒットも無かったようです。しかし、マンガ界の大御所というかご意見番としての存在感は、その後も充分に屹立していたように思えます。晩年の著作権などについての発言は、ちょっと首肯できないものもありましたが、ともかく一時代を築いた表現者であったことは間違いありません。まずはご冥福をお祈りいたします。

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「日々是修行」作曲家ハイドン [ひとびと]

 ハイドンのピアノソナタをひとわたり弾くということは、これまで何度かやっているのですが、それなりに毎回違った発見があって、なかなか面白かったりします。もちろん、人前で弾くわけではなく、自分個人の娯しみですが。
 使っている楽譜は音楽之友社から出ているウイーン原典版という本で、なるべく自筆譜や初版本に基づいて編集されています。校訂者の意見はページ下の註釈で示され、それで足りない部分は附録として巻末に記載されています。ハイドンの若い頃、1750年代くらいだと、まだ統一された記譜法が確立されておらず、装飾音の表記とか、ダイナミクス、アーティキュレーションなども、現在に較べてきわめて不充分な記載でしかありませんでした。さすがに1790年代くらいまで下ると、記載もかなり詳細になってきますが、そういう移り変わりが見て取れる点、やはり原典版は便利なのでした。
 当然ながら、初期作品はフォルテとかピアノなどの記号、あるいはスラーなどが欠けたものが多いわけで、それをどう補って弾くかは演奏者に委ねられることになります。当時の演奏スタイルをどのように解釈するか、あるいは自分自身の感覚の赴くままにフレージングなどをつけてゆくか、そんな自由もあって、作曲者の事細かな書き込みを読み解かなければならない近現代の作品を弾くのとは違った愉しみかたができるのでした。

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追悼・外山浩爾先生 [ひとびと]

 外山浩爾先生の葬儀に参列してきました。
 会場は代々幡斎場ということで、義理の叔父(叔母の連れ合い)の葬儀で行ったことがあります。だから迷うことも無かろうと思ったのですが、幡ヶ谷駅に少し早く着いたので地下街のマクドナルド朝マックをして、階段を上がった場所がよろしくなく、間違った方角に歩き出しそうになってしまいました。
 というか、その方角からでも行けると思ったのですが、ダメだったのでした。代々幡斎場は幡ヶ谷駅から見ると、少し西に行って南側に曲がりあとはまっすぐ、という位置になります。実は西改札を出て商店街をちょっと歩くと、斎場への矢印が記された看板が出ています。私が地上に出たところは駅の西口よりもう少し西側の甲州街道に面するあたりでした。そのままさらに西に行けば、南側に曲がる道があると思ったのですが、それがなかなか無かったのです。スマホの地図を見ると、斎場の北側をとっくに通り過ぎてしまっていたので、明らかに道を間違えていると判明したのでした。あとで確認したら、このあたり、地下にもぐっていた京王新線が地上に出てくるあたりで、その線路と交差する道は当分無いという位置だったのでした。
 あわてて戻る途中、片野秀俊先生と出くわしました。片野先生も外山先生の葬儀に出るところだったのですが、どうやら先生も間違ったほうに歩き出していたようです。私が駅の出口のほうへ戻ろうとすると、
 「あれ、こっちじゃないの?」
 と私が行きかけたほうを指しました。

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ヘンデルとラモー [ひとびと]

 このところヘンデルラモーのクラヴィーア曲(鍵盤作品)を少し集中的に弾いていました。別にどこかで披露するわけではなく、自分の愉しみのためだけです。いずれもベーレンライター原典版という版を使ってみました。
 ピアノ学習の上で、バッハはまあ必須と言って良いでしょう。インヴェンションからはじまって、平均律曲集イタリア協奏曲フランス組曲イギリス組曲パルティータと、どの段階であってもたいてい教本として使われます。バロック音楽の代表として、古典派・ロマン派の楽曲と併用して練習を課されるのが普通です。頂上と言うべきゴールトベルク変奏曲まで辿り着くのは少数でしょうが。
 次にドメニコ・スカルラッティでしょうか。バロック枠として、バッハの合間のように用いられることが多いようです。もちろんそこからのめり込んでしまって、やたらスカルラッティばかり手掛けはじめる学習者も居ます。スカルラッティの何百曲もあるソナタは、基本的には彼が家庭教師をしていた王女さまの練習曲として書かれたものだけに、易しいものからかなり難しいものまで取り揃えられており、さらに長さにさほどの差が無くいずれもコンパクトにまとまっています。そういうところから、好む人も多いのだと思われます。
 が、バロック枠の必須教材というのはだいたいそのあたりまででしょう。バッハやスカルラッティと同年(1685年)に生まれ、学校の授業で「音楽の母」などとも習った(そのせいで、最初女性だと思った人も少なくないかも)ヘンデルのクラヴィーア曲にまで手を伸ばす学習者はわりと少ないのではないでしょうか。

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モンキー・パンチ氏の訃報 [ひとびと]

 マンガ家のモンキー・パンチ氏の訃報が伝えられました。81歳だったということですから、まあまあの齢であったかと思いますが、一世を風靡した人物の訃報を聞くと、やはり一時代が過ぎたという感慨を覚えます。
 「ルパン三世」の作者として知らぬ者とてないパンチ氏ですが、アニメが人口に膾炙しすぎて、かえって原作マンガを読んだ人はどのくらい居るのだろうかと疑問を感じてしまうところもあります。週刊漫画アクションという、購読者数がそれほど抜群に多いわけでない掲載誌にずっと連載しつづけ、単行本も青年誌仕様でしたから、少年誌ほどに広範な読者を持っていたということもなかったのではないでしょうか。
 青年誌連載だけに、原作にはシモネタもふんだんにちりばめられていましたし、何よりもルパン三世が平気で人を殺します。相棒の次元大介ほどではないにせよ、やたらめったら拳銃をぶっ放しており、あんまり子供に見せられる内容ではなかった気がします。
 シモネタ方面では、男女の性器がそれぞれ「♂」と「♀」の形に模式化されているのが笑えました。ルパンは何しろしょっちゅうパンツを脱ぎ捨てるのですが、彼の股間には「♂」の形のものが生えているのです。「♂」の矢印を「♀」の輪っかの中につっこんだ絵でセックスを表現したりもして、なかなか便利な記号化であったと思います。高校時代、その記号を真似して描いてみたりしました。
 確か私が小学6年生のとき、クラスメイトが「ルパン三世」の第1巻を学校に持ってきて、大いに盛り上がった記憶があります。このくらいの年齢だと、どこに盛り上がるかと言えばやはりちょっとエッチなところだったりします。初期の画風はいわゆる劇画調で、子供には少々読みづらい雰囲気でした。
 のちには、かなり連続した話も多くなりますが、はじめの頃は一話完結で、現れる敵を躊躇無く撃ち殺してゆきます。原作ファンには最大の好敵手として評価されるに至る白乾児(パイカル)も、一話だけで殺されてしまいました。

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ドナルド・キーン博士の訃報 [ひとびと]

 ドナルド・キーン博士の訃報に接し、大変残念に思いました。まあ享年96歳だったとのことですので、大往生と言ってしかるべきでしょう。
 博士の多大な業績に関しては、そのほんの一端を知るばかりですが、誰よりも「日本文学者」であったひとだと思います。
 この場合の「日本文学者」とは、「英文学者」「仏文学者」などという言いかたと並べたつもりです。普通「日本文学者」と言うと、「日本の文学者」と考えてしまい、数多く居る作家や劇作家や評論家などを思い浮かべますが、そうではなく、「日本文学を研究する学者」としてこの名称を使いました。
 この名に価する学者が、日本人の中には案外見受けられない気がします。それは当然かもしれず、「英文学者」「仏文学者」と言ってイメージするのは、英国人やフランス人の「自国の文学を研究している人」ではないでしょう。大学の英文学科や仏文学科で教えている先生、という印象が強いと思います。ある国の文学を総合的に取り扱う学問というのは、むしろ他国の学者によっておこなわれることのほうが多いのではないでしょうか。
 その意味ではキーン博士は間違いなく「日本文学者」であり、日本人の中に博士に比肩するほどの学問的業績を上げた者がそれほど見られないことを、われわれが恥じる必要はありません。日本文学というものを総体的に俯瞰するためには、「外からの眼」というものが必要不可欠なのかもしれないのです。

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ホーキング博士の訃報 [ひとびと]

 題材としては何日か遅れてしまいましたが、3月14日スティーヴン・ホーキング博士の訃報を残念な想いで受け取りました。「車椅子の天才」という冠を別にしても、何かと話題の多い科学者でした。宇宙論とか素粒子論とかの本を読んでいると、たいていどこかに名前が出てきました。
 享年76歳ということですので、筋萎縮性側索硬化症という容易ならぬ難病をかかえていたにしては、ずいぶん頑張ったものだと思います。いま調べてみたら、この病気と診断されたのはケンブリッジの大学院在籍中の1963年だそうです。つまり私の生まれる1年前に診断され(発病はもっと前だったかもしれません)、それから55年の長きにわたって、徐々にからだが動かなくなるという恐怖と闘いながら、次々と余人の思いも及ばないような理論を発表し続けた精神力の強さには感服するほかありません。
 あるいは、からだが動かなかったからこそ、宇宙のはじまりとか宇宙の涯とかの、いささか浮世離れした世界をありありと思い描くことができたのかもしれません。それにしてもそういう世界をファンタジーとしてではなく、科学という言葉で、言い換えれば数式としてイメージできたというのが、いったい頭の中がどうなっていたのだろうかと不思議に思えてなりません。彼は自分自身で数式を書くことすらできなかったのです。

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山口博史先生とドビュッシー [ひとびと]

 先週と今週、マダムが彼女の母校でおこなわれている夏期講習を受けに行っていたのですが、6月頃に受講を申し込んですぐ、受ける予定だった講座の先生から連絡が来ました。
 そんなに驚くほどのことではなくて、その先生というのは彼女が在学中所属していたサークル「フランス音楽研究会」(略称「フランケン」)の顧問というか指導をしていた山口博史先生で、卒業後もちょくちょく先生宅で集まったりしていたようです。そういう関係で、なんと講座のときに模範演奏をして貰いたいと頼まれたということでした。
 受講を申し込んだから頼まれたというのではなくて、そこはどうやら偶然だったようです。講座はドビュッシー『前奏曲第二集』を扱う予定で、山口先生がよく知っていて、フランスに留学経験があって、なおかつ安いギャラでも弾いてくれそうな(笑)ピアノ弾きを4人(全12曲を、3曲ずつ弾かせるつもりだったらしい)集めたら、その中にマダムが勘定されていたということでしょう。マダムは
 「もっと上手な先輩とか、いくらでも居るのに~~」
 と少々びびっていましたが、たぶんそういう先輩がたに頼むには申し訳ないようなギャラだったに違いありません。
 マダムに割り当てられたのは最後の3曲「カノープ」「交代する三度」「花火」で、このうち「花火」は彼女の十八番のひとつでもあって自分の結婚式のときにも弾いたくらいですからさほどの問題は無し、「カノープ」はゆったりとしたテンポで重厚な和音が連なるといった曲なのでこれも譜面を見ながらなら特に問題は無し、ただ「交代する三度」だけはこれまでほとんど弾いたことが無く、テクニック的にもけっこう上級クラスであり、そう簡単に人に聴かせられる演奏が仕上がる曲ではありません。
 「……えらいことになった……」
 とマダムは蒼くなっていたのでした。

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"転向"作曲家メンデルスゾーン [ひとびと]

 作曲家という仕事は、ときに大当たりする場合があるとはいえ、総じてそんなに儲かる職業というわけではありません。
 そもそも儲けるために作曲をしているなんて人は滅多に居ないのであって、たいていの人は「書きたいから書いている」のです。もちろん書いたものが売れれば嬉しいし、ちっとも評価されなければ残念に思いますけれども、それじゃあ売れなければ書くのをやめるのかと問われれば、それでも書くだろうと答える人が多数なのではないでしょうか。
 言うまでもなく、様々な理由で筆を折る人は居ます。作曲ではちっとも食えないので、仕方なく別の仕事に就いてみたら、それがあまりに忙しくて、書いている時間なんぞまったく無くなったという場合もあるでしょう。ただしそういう理由で筆を折る人というのは、やはりもともと書くことにあんまり執着が無かったとも言えます。表現欲求というものは、どれほど忙しくとも、いやむしろ他のことで忙しければ忙しいほどふくれ上がってくるのが自然だからです。
 自己表現ということを突き詰めて考え抜いた揚げ句に、やはり自分には「書きたいことが無い」のだ、という結論に突き当たってやめてしまう人も居ます。音大の作曲科などを卒業してしまってから気づくこともあり、筆を折るまでに長い葛藤があるに違いないだけに、悲劇的と言えそうです。

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