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松本零士氏の訃報 [ひとびと]

 松本零士氏の訃報が伝えられました。
 85歳だったそうで、まあ大往生かな、と思えそうなところです。
 私の世代の中学生~高校生の頃は、まさに松本零士の黄金時代という感じでした。「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」「Queenエメラルダス」等々、次から次へとスペース・オペラもののヒット作を飛ばし、亜流やパロディがそこかしこに乱立しました。細面で切れ長の眼に長い睫毛、長身スレンダーの「松本零士型美女」も大いにもてはやされました。私は高校くらいまで、友達とマンガ(というか鉛筆描きのネームに類するもの)を描いたりしていましたが、私も友達も、かなりの程度松本零士の影響を受けた自覚があります。
 その後はそんなに名前を聞くことも無くなりました。アニメに関して言えば、その地位をジブリ系に取って代わられたような印象もあります。マンガのほうも、長々と続いた「999」完結後はそれほどのヒットも無かったようです。しかし、マンガ界の大御所というかご意見番としての存在感は、その後も充分に屹立していたように思えます。晩年の著作権などについての発言は、ちょっと首肯できないものもありましたが、ともかく一時代を築いた表現者であったことは間違いありません。まずはご冥福をお祈りいたします。

 もっとも、私が松本零士に接したのは、上記のスペース・オペラがもてはやされるよりもずっと前のことでした。1970年代前半の「少年マガジン」に、「男おいどん」というマンガが連載されており、私は当時毎号購読していたというわけではないにせよ、床屋や医者などでちょくちょく読んでいました。
 「男おいどん」はSFではなく、いわば日常系ギャグマンガに分類される作品でした。朽ちかけたような下宿屋の四畳半一間に暮らす貧相な男・大山昇太(おおやまのぼった)が主人公です。学生だったようですが学校に通う場面は滅多にありませんでした。いつもランニングシャツにサルマタというだらしない恰好で、洗濯もせずに押し入れにつっこんであったサルマタからはそのうちキノコが生えてきたりしていました。
 なぜかこんな昇太が好きな美女がふたりほど居たのですが、彼女らの好意にもまったく気づかない鈍感系主人公で、つねに鬱屈したような毎日を送っているのでした。各話の最後には、そんな鬱屈した昇太の心のうちを披瀝するようなナレーションがつくことが多く、そのあたりの形式はのちに「999」にも受け継がれたと言えるでしょう。
 ヒョロガリで短足で風采の上がらないチビで、言ってみれば1970年代における日本人の黄色人種コンプレックス丸出しな主人公は、その後も松本作品に継承されました。「ヤマト」の主人公たちにはさすがに居ませんでしたが、「999」の鉄郎は明らかに大山昇太の系譜を継いでいます。
 なお、その頃のマンガ家にはありがちでしたが、松本零士もキャラクターのスターシステムをとっていて、下宿のバーサンとかラーメン屋の親父などは、その後の作品でもちょくちょく登場しています。いや、スターシステムというよりももっと緊密であったかもしれません。ヤマトと999とハーロックとエメラルダスはすべて同じ世界観の中の物語であったようで、主人公たちが相互に登場したりしています。
 さらに、私の記憶が確かなら、ハーロックと大山昇太はかつて盟友であったような記述があった気がします。その人物が「男おいどん」の大山昇太当人であるかどうかは不明ですが、ハーロックはしばしばその男のことを回想していたのではなかったかしら。1970年代のボロい下宿屋に逼塞していた貧相な男と、未来世紀において宇宙を股にかけて活躍する海賊に、どのような接点があったのだろうかと不思議に思ったものでした。

 ともあれ、画面から貧乏くささが匂い立ってきそうな「男おいどん」の作者が、いつの間にか「宇宙戦艦ヤマト」の原作者としてスターダムにのし上がってきていたのですから、小学生時代の私は眩惑されるような気分でした。
 まあ、「ヤマト」以前にも、松本零士のSFマンガはそれなりに見かけてはいました。「ミライザーバン」なんかが記憶に残っています。これも黄色人種コンプレックス丸出しの主人公だったっけ。だから、「ヤマト」の主人公たちがえらくイケメンな連中なのが意外だったほどでした。この作品はおそらくアニメ同時進行で企画されたため、松本流の貧相な主人公は却下されたのだと思われます。そうそう、アニメといえば、「ヤマト」に先行して「ダンガードA」というのもありましたね。敵役のドップラー博士のほうが妙に印象に残っていて、主人公側を全然憶えていないのは、やっぱり松本作品らしからぬイケメンたちであったからかもしれません。
 そして「ヤマト」がはじまるわけですが、これもテレビシリーズではそんなに話題にならなかった気がします。メガヒットとなったのは、映画化されてからでしょう。
 アニメの主題歌やBGMが独立したコンテンツとして扱われるようになったのも「ヤマト」からではないかと思います。楽譜屋だったかレコード屋だったかで、「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」というタイトルを見たときは仰天しました。宮川泰という、ポップス界のビッグネームを起用した成果でしょう。「ヤマト」の主題歌はいまだにカラオケ屋で、あるいは合唱などで愛唱されています。私も合唱編曲を出版しており、つい最近も、女声用のアレンジを乞われて混声用に手を加えたところです。ちなみに、「ヤマト」のメロディーで「瀬戸の花嫁」の歌詞を歌うと爆笑ものですので、お試しください。
 とにかく「ヤマト」は、それまでの「まんが映画」という先入観を覆す超大作だったのでした。長篇アニメ映画といえばディズニーの独擅場だったところに、本格的なSF大作を提示し、その後の日本アニメの方向性を示したのが映画版「ヤマト」であり、これが無ければガンダムエヴァンゲリオンも生まれなかったでしょう。それは西崎義展監督をはじめとした多くのスタッフの夢と尽力のたまものではありましたが、原作者の松本零士氏の力ももちろん無視できるものではありません。貧相な、コンプレックス丸出しの主人公がうじうじと鬱屈する話ばかり描いていたマンガ家は、一躍超売れっ子になったのでした。

 「銀河鉄道999」にしても、「少年キング」といういささかマイナーな雑誌に連載されていたものが、やはりテレビアニメ化され、さらに映画化されて一世を風靡した作品です。私の子供の頃は「マガジン」「ジャンプ」「サンデー」「チャンピオン」「キング」が少年5大誌などと呼ばれていましたが、「キング」はほかの4誌に較べるといかんせん地味でした。確か「キング」だけ週刊誌ではなく隔週刊であったような記憶があります。「ワイルド7」「超人ロック」といった通好みの作品が連載されていたものの、広範な人気という点ではほかの4誌に一歩を譲る感じではありました。
 「ヤマト」は宇宙空間に戦艦大和という、海を走る艦をまったくそのままの形で飛ばすというアイディアで注目されたわけですが、「999」はさらに、宇宙空間に蒸気機関車を走らせるという、かなり無理のあるアイディアを打ち出したのでした。機関車はまあ、形がSLなだけで実際にはハイテクなのだろうということで納得出来ましたが、線路はどうなっているのか、自転・公転している惑星にどうやって設置しているのか、厳密なSFとしてはだいぶツッコミどころがありました。
 鉄郎とメーテルが下車する星々が、往々にして彼らの滞在中に滅亡してしまったりして、以後の保線とかダイヤ作成とかはどうするんだろう、と不思議に思った記憶もあります。また、彼らはいつも昔の三等車のようなボックスシートに坐り続けていて、疲れないのだろうかとも思いました。寝るときは寝台車にでも移っていたのか、しかし鉄郎が座席に横になっているシーンもあったし……などと、そんなことを気にするのは私くらいだったかもしれませんが。
 アニメ化されても、「こまけぇこたぁいいんだよ!」とばかりに、そのあたりのツッコミどころはスルーされました。まあ、SFの皮をかぶったファンタジーみたいな作品でしたから、あんまりツッコむのも野暮というものでしょう。
 テレビシリーズでは鉄郎のキャラクターデザインは原作どおりでしたが、最初の映画化では、ヒョロガリのチビではありますが顔は妙にイケメンになっていました。この時期では、まだ映画の主人公はイケメンでなければいけない、という観念が残っていたのでしょう。しかしこのイケメン鉄郎はあまり評判が良くなかったのか、のちの映画版では元に戻っていたように記憶しています。
 とはいえ、当時をときめくゴダイゴによる主題歌もあいまって、映画版「999」もメガヒットとなりました。私はこれも合唱編曲して出版したことがあります。ゴダイゴの歌の歌詞にはたいてい英語パートがありましたが、ごく日本人っぽい発音で、聴き取りやすいし歌いやすいという特徴がありました。「999」の主題歌をはじめとするゴダイゴの歌で英語を憶えたという人も、私の同世代にはけっこう居ました。
 「999」は「銀河鉄道」つながりで宮澤賢治の影響を受けた作品という見かたが一般的でしたが、今朝の新聞のコラムで、福岡から上京するときに見た夜汽車の車窓が原型になっているらしいという話を読みました。確かに夜汽車から見える街の夜景というのは、あたかも星の世界をへめぐっているような錯覚を覚えることがあります。私が読んだ限りでは、「999」に「銀河鉄道の夜」の影響というほどのものはあまり感じられませんでした。ただ、夢のような旅の果てにめぐり合う悲痛な現実、というラストには似たものがあると思います。
 「999」にもいろいろパロディのたぐいが作られましたが、私も高校時代、「銀河鈍行347M」というパロディを描こうと考えたことがありました(実現しませんでしたが)。「Galaxy Express」ならぬ「Galaxy Local Train」ですね。347Mというのは、当時の貧乏旅行者に絶大な人気を誇っていた「大垣夜行」の列車番号です。私も数えきれないほどお世話になりました。この列車はその後、快速「ムーンライトながら」となり、やがて廃止されてしまいました。これに限らず、夜汽車というほどの列車が現在のJRからは無くなってしまったのはまことに残念で、「999」の持ち味もだんだんわからない人が増えてくるのではないでしょうか。

 「ヤマト」は2作目からは原作者の手を離れたようですが、どんどん続篇が作られて、その都度大ヒットしました。「999」も何本も映画が作られ、「ヤマト」ほどではないにしても話題になりました。銀河鉄道の保線員を主人公にしたスピンオフみたいなアニメも見た憶えがあります。その後の松本零士氏は、ほとんどこの2作からのアガリで食べてゆけたのではありますまいか。
 21世紀に入ると、すでにヒョロガリの短足チビという、松本氏の好んだコンプレックス丸出し日本男児というのも、あまり共感を得られなくなっていましたし、細面切れ長眼の長身スレンダー美女もあまり流行りではなくなりました。残念ながら、キャラクター像の時代に合わせたアップデートということは、松本氏にはできなかったようでもあります。松本氏のヒロインは、あくまで大人の「美女」であり、「カワイイ」系の「美少女」は生み出せませんでした。リメイクされた「ヤマト」で、森ユキが若干「美少女」系になっていたようでもありますが、それはアニメ制作者のほうの創意でしょう。
 しかし、松本作品が一時代を画したというのは厳然たる事実です。そして、劇場用アニメというものに劃期をもたらした存在であるのも疑いを得ないところです。そして日本型スペース・オペラの原型を作ったのも松本作品なのであって、その後の宇宙ものは多かれ少なかれ松本作品の影響を受けています。手塚治虫や藤子不二雄などとは違った意味での「巨星」であったことは間違いありません。
 火星にも行きたがっていたとか。残念ながらその夢はかないませんでしたが、魂だけになって、三等車のボックスシートにおさまって宇宙をどこまでも旅してゆけばよろしいでしょう。特に未完成の作品を抱えていたわけでもなさそうなので(そういえば「マシン童子」はどうなったんだろう?)、思い残すことも無かったのではないしょうか。

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