SSブログ

代田という土地 [世の中]

 世田谷区代田にある私の実家は、交通の便は良いのですが、近くにスーパーマーケットというものが1軒もありません。
 老齢の上、両親ともに要介護2という状態なので、最近はだいたい週に一回訪ねています。それと別に妹も週に一回行っているようです。あとは訪問リハビリの人が週1、2回来てくれるそうなので、まあ人目はわりと頻繁にあるわけで、いまのところ不安というほどのことはありません。
 で、訪ねるときにはたいてい、自分の家の近くで買い物をして行きます。母からいろいろ頼まれることもありますが、特にリクエストが無くとも、その日の昼食(これは私も一緒に食べる)と夕食、果物や食パンなどは買ってから実家へ向かいます。
 去年の夏くらいからそういう生活が続いているので、暑いうちは刺身など持ち歩くと傷みそうでしたから、どこかで貰った保冷バッグに保冷剤を入れ、そこに食材を詰め込んで行くというのがいつものことになりました。寒くなってからも同じようにしています。保冷剤は夏のうちは大きいのを2個入れても、代田に着くとだいぶ柔らかくなっていましたが、最近はさすがに1個で充分、帰宅してもまだ固いままです。
 川口だけで用が足りない場合は、赤羽で乗り換えるときにエキュートの中の店に寄ったり、新宿で乗り換えるときに構内にある紀ノ国屋成城石井で買い物をすることもあります。川口の家から代田の実家まで、距離的には大したことは無いのですが、3度も乗り換えがあるので煩瑣であることは争えません。
 実家の近くにスーパーがあれば、一旦実家に着いてから出直して買い物に行くということができるのですが、どういうわけだか無いのでした。環七通りに面して、小田急世田谷代田井の頭線新代田京王線代田橋と、代田を冠する駅が3つもありますが、3駅とも駅前商業施設があまり発達しておらず、スーパーがありません。どういう事情なのかと思います。
 近くにあれば、両親でもウォーキング代わりに出かけて買い物をしてくるということもできるわけなのですけれども、最寄りのスーパーマーケットは、隣の下北沢駅前のオオゼキピーコックです。下北沢へは、距離は無いのですが、途中にかなり急なアップダウンがあり、よほど調子の良いときでもないと行けないようです。そのあたりまでウォーキングすることはあるようですが、買い物をする元気までは無いのかもしれません。また重い荷物を持ってしまうと心配でもあります。
 また下北沢とは反対側の隣駅東松原の近くにも、パルケというスーパーがあり、私も何度かそこに買い物に行きました。これも距離はそうそう無いのですが坂道があります。
 そんなこんなで、母はこのところは、コンビニか、せいぜいまいばすけっと程度の店で少量の買い物をするだけになり、日用の賄いはもっぱら生協の配達に頼むようになっています。生鮮品はもちろんのこと、冷凍食品や半既製品なども充実していて、カタログを見ていると、なるほどこれなら買い物に行く必要もないな、と思えます。

 米や飲み物や嗜好品から、ちょっとした日用雑貨のたぐいまで全部配達してくれるらしく、便利なものです。
 両親も「便利な世の中になった」などと感心しているのですが、よく考えてみると、ここ何十年か廃れていただけで、こういう形態の買い物は昔もあったような気がしてきました。
 つまり、「御用聞き」なのです。
 いまでは「サザエさん」に出てくるサブちゃんくらいしかイメージが湧かないと思います。彼も最近はあんまり出番が無いようで、知らない人も居るかもしれません。
 サブちゃんは、三河屋さんという酒屋の店員で、もちろんお酒の注文を受けて配達したりしているわけですが、昔の御用聞きというのは、自分の店の商品だけではなく、ちょっとした買い物も頼まれて、一緒に届けてくれたりしました。それこそ週一くらいのペースで訪ねてきて御用を承るので、スーパーマーケットとかコンビニとかがまだ無く、クルマを持っている家庭も少ない時代には重宝したのです。
 昔の家には、玄関のほかに、たいてい勝手口というものがついていました。普通、台所に面していたりします。私の実家も、半世紀ほど前に祖父が自分で設計して建てた家なものですから、当時すでに時代遅れとなりつつあった勝手口が、ささやかながらついています。御用聞きは、玄関から訪れることは無く、勝手口から出入りするのが常でした。まあ実家の勝手口は御用聞きが出入りするようなものではなく、物置に行くときに通るくらいのものですけれども。
 サザエさんの家の台所にも、確か勝手口がついていたはずです。シンクの左側だったと思うのですが、最近はほとんど描写されないので、定かではありません。
 生協の配達は、まさにこの御用聞きを現代化したものであるように感じます。
 御用聞きは、巷にスーパーマーケットやコンビニが増え、奥さんがたも普通にクルマを運転するようになって、急速に姿を消しました。自分で商品を見て買い物をしたほうが簡単だし、手間がかかりません。だからここ何十年か忘れられていたのですけれども、老齢や病気などで出歩けない人たち、それも世話する家族などが常に同居しているとは限らない家庭が増えて、息を吹き返したのだと思われます。
 いまの配達は、もちろん玄関からやってきます。昔の御用聞きには、ときどきチップというかお小遣いを渡したりしていたのでしょうが、現在はもちろん、その分も価格に入っていますので、渡す必要はありません。便利になったというよりは、ビジネスライクになったと言うべきかもしれません。
 昔ながらの「出前」も、コロナ禍以来、ウーバーイーツなどの形で復活していますし、古人の智慧というものは、いろいろにアレンジすることで、現代にも充分通用するように思えるのです。

 実家近辺にスーパーマーケットのたぐいが無いのは、ひとつには本来このあたりが「お屋敷町」であったせいでもあるかもしれません。
 私が子供の頃は、まだ新代田から下北沢にかけての一帯には、豪壮なお屋敷がたくさん建ち並んでいました。見ているだけで威圧感を覚えるくらいでした。
 それがだんだんと変容しはじめたのは、やはりバブル期のころだってでしょうか。
 広大なお屋敷の敷地が小間切れになって、アパートなどが建ちはじめたのです。
 おそらく、お屋敷の当主が亡くなって、後継者は折りからの地価の高騰のため、相続税を払うことができなかったのだと思います。それで売りに出すのですが、不動産屋のほうでもそれだけの土地を一挙に売ることができず、いくつかに区分して、しかも集合住宅を建てることで売りやすくしたのでしょう。
 そういう「お屋敷跡」がほうぼうにできましたが、かろうじて相続ができたであろうところも少しは残っています。
 なお、私の実家などはむろんそういう「お屋敷」ではなく、もともと借地でした。地主が地所を4つくらいに分けて貸していたのを借り受けていたのです。当時としては剰った土地の有効活用というところだったのでしょう。その地主が亡くなって、やっぱり後継者がそのままの形で相続することができなかったようで、あるとき土地を買い取って貰えまいかと打診があったそうです。事情が事情だけに、相場より安かったのかもしれません。4家はいずれも土地を買い取り、現在では借地ではなくなっています。ただし私の実家は不動産業で謂うところの「旗竿地」、つまり細い私道の奥の土地となってしまい、将来売ろうとしてもあまり良い値はつかないかもしれません。
 さて、そういう「お屋敷町」であったがゆえに、当主や当主夫人がおんみずから買い物に出かけるなんてことは、滅多に無かったものと推察されます。そういうことは、下男とか女中とか、使用人のするべきことだったでしょう。そしてその使用人も、自分で出かけてゆくよりも御用聞きに頼むことが多かったかもしれません。
 そのような状態であれば、何も家の近くに店が無くとも差し支えは無いわけです。むしろ、商店ごときと軒を並べることを潔しとしない、気位の高い住人も少なくなかったのではないでしょうか。スーパーマーケットに限らず、界隈には商店そのものが非常に少ないのは、そのためではないかと私は思っています。

 それにしても環七という主要道路に近い駅前で、これほどなんにも無いところは珍しいように思います。以前は西友があったような記憶があるのですが、早々に撤退してしまいました。大規模商店もさることながら、飲食店などもきわめて貧弱です。ラーメン屋くらいしか行くところがありません。
 店ができないということは、商売にならないということを意味します。このあたりの住民構成が、あんまりスーパーやファミレスなどの採算がとれるような形になっていないということなのでしょう。老齢で出歩かない人も多そうですし、若い人が居たとしても下北沢に行ってしまうのかもしれません。
 なぜか新代田の駅前に、コンビニだけはセブンイレブンファミリーマート100円ローソンが揃っています。これも長らくファミマだけだったのですが、しばらく前にローソンができ、近年になってセブンが出店しました。セブンはうちの両親が利用していたきらぼし銀行(旧・都民銀行)の支店が移転したあとにできたのであって、支店が遠くなってしまったので、両親はぶつくさ文句を言っています。
 少し離れてまいばすけっとも1、2軒あるようですし、そういう小規模な店舗ならいちおう成立する需要があるものと見えます。大規模店舗が成立しないのです。
 両隣の下北沢にも東松原にも、それなりの商店街やスーパーマーケットが存立しているのに、なぜ新代田だけは……と思いますし、世田谷代田や代田橋すら同じような状況というのが不思議です。世田谷代田のほうは、小田急が地下線になって地上が空いたあとに、いくぶんオシャレなカフェなんかができているようですが、スーパーができる気配はありません。小田急だって、隣の梅ヶ丘にはそこそこの店が存在しているのに、世田谷代田はどうにもぱっとしません。代田橋も、駅から甲州街道へのごく短い通路に、若干の飲み屋は軒を連ねていますが、普段の買い物をするような店はほとんど無いのでした。
 代田という町が、そもそも大規模商店などというものを拒絶しているのだろうか、などと考えてしまいます。
 なお代田という町名は、創世の巨人ダイダラボッチの足跡があったとかなんとか、そんな伝承が由来であったと記憶しています。近くの代沢も同様のようです。由緒ある地名ではあるのですが、なぜスーパーマーケットが存立しないような土地になってしまったのか、ちょっと気になっているのでした。

nice!(0)  コメント(2) 

nice! 0

コメント 2

phaos

サザエさん家の間取り図はたとえばこんなところとか
https://searshome.co.jp/weblog/2016/03/14/httpsearshome-co-jpweblogp412/
で勝手口の位置は大体あっているようです。

スーパーもどんどん撤退している模様。
宅配もいつまで続けられるか分からないと来ていてどんどん住みにくい世の中になってきているようです。
by phaos (2024-03-16 11:45) 

コンビニ作曲家MIC

#phaos先生
アニメ版のほうは、いちおう間取りも設定してあるらしいですね。
原作マンガで間取りを推測しようとすると、とんでもないことになるらしい(^_^;;

何度か書きましたが、私の家の近辺はスーパーマーケット激戦区で、1店撤退すると1店新設されたりしています。
三井のリハウスか何かの調査で、川口は「本当に住みたい街」の常に上位らしいのですが、そういうところかもしれませんね。
by コンビニ作曲家MIC (2024-03-17 19:48) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。