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長い夏の終わり [いろいろ]

 8月が終わりを告げようとしています。
 今月は日誌の更新が滞りがちで失礼いたしました。実家のほうでちょっとしたトラブルがあり、いま数えてみたら31日のうち11日実家に通うことになって、何しろプライベートで忙しかったためでした。
 何度か書いていますが私の実家は世田谷区で、うちから電車で行くと1時間ちょっとかかります。これが微妙な距離と言うべきで、2時間以上もかかるのであれば泊まり込みに行くでしょうし、30分以下であればもっと気軽に立ち寄れます。1時間ちょっとというのは、泊まり込むにはいささか躊躇し、気軽に行くにはやや遠く感じるのでした。実家なのだから泊まれば良いじゃないかと言われそうですが、実家を出てすでに40年近く、私のものはほとんど何ひとつ残っておらず、時間を持て余してしまうのでした。かと言って仕事の道具を持ってゆくのも大変です。私の仕事はパソコンと各種資料類(楽譜など)が必須で、持ち運び用にたとえ軽量のパソコンを入手したとしても、全体としてはあまり軽量化になりません。
 まあそうしたわけで、詳述は遠慮しますが、実家にやたら通った一ヶ月だったのでした。これまでは月1回くらい顔を出す程度でしたから、かなりの頻度になります。
 とりあえず、実家のほうも落ち着いた感じなので、9月からはそれほど通わなくとも良さそうです。8月の終わりと共に、いくぶんホッとしている私でした。

 私のプライベートはともかくとしても、この8月は実に暑い夏でした。
 東京では、観測史上初の、全日30度以上、つまり31日すべてが真夏日以上という、まったく嬉しくもない記録がマークされました。しかも、そのうち22日が猛暑日──最高気温35度以上で、これももちろん観測史上初です。私の住んでいる埼玉県は、さらに猛暑日が多かったようです。今日なども、東京は真夏日でしたが、埼玉の大部分は猛暑日でした。屋外で活動するのは危険とされる気温です。
 なるべく屋内で過ごし、惜しむことなく冷房を使い、水分補給を怠らずに……という注意事項は、すでに多くの人が認識していると思います。だから、甲子園の野球大会などは、若人の活躍に眼を瞠るという以上に、むしろ球児たちが気の毒だという印象が強まってきているように思われました。少し時期をずらすわけにはゆかないのでしょうか。真夏の太陽の下、若者たちが汗を散らしてスポーツに邁進する……などというステレオタイプな美意識は、もはや老人たちの有害なこだわりと言えるでしょう。事故があってからでは遅いのです。
 そのお年寄りたちですが、一体に上記の注意事項をおそろかにしがちなようです。屋内で過ごすのは良いとしても、冷房をあんまり使わず、水分補給も少ないことが多くなります。
 冷房については、高齢男性つまり爺さまは意地で、高齢女性つまり婆さまは経済的な理由で節約する傾向があるように思えます。つまり、爺さまとしては、冷房なんかに頼るのがなんだか「負けた気がしてしまう」ようで、
 「ワシの若い頃は、冷房なんて軟弱なものは滅多に無かった」
 と意地を張ってしまうのです。爺さまが若かった半世紀前とは、夏の暑さの質が違っているのだからと子供などが説得すると、かえって怒り出したりします。
 また婆さまは、冷房を使って電気代が上がることを異様に怖れます。婆さまの若かったころに較べれば、エアコンははるかに効率が良くなり、少ない電気代で効果が上がるようになっているのですけれども、一旦しみついた感覚というのは容易にくつがえせません。冷房をつけると「もったいない」と思ってしまうのでした。
 そして実際のところ、齢をとると気温ほどには暑さを感じなくなるようです。それで知らないうちに熱中症になっているというケースが少なくないようです。
 水分補給のほうも、齢をとるとどうにも面倒くさくなるのだと思われます。あんまり飲み物を飲むと、トイレが近くなって億劫だ、と明言する人も居ます。また、昔の運動部などでは、
 「水を飲むとバテるぞ」
 と脅かされ、なるべく水分補給しないことを善しとする指導がおこなわれていました。いまから考えるととんでもない話ですが、こういう指導がしみついてしまっている年代の人は、しょっちゅう何か飲むということ自体に、どこかうしろめたさを感じてしまうようです。
 高齢化により、自分がのどがかわいていることそのものに気づかなくなるということもありそうです。これまた、知らないうちに熱中症への道を辿っているようなものです。意識的に、例えば2時間おきくらいに給水時刻を決めて何か飲むようにするべきでしょう。
 実家に来ている訪問看護師は、一日に少なくとも1000cc、できれば1500ccの水分をとるようにと言っていました。普通の成人で、一日2リットルくらいの水分をとるのが良いとされていますが、家に居るばかりの高齢者が1500cc飲むというのはけっこうな分量で、たいていは
 「おなかがガボガボになっちゃうよ」
 などと文句を言うことになりそうです。
 ともあれお年寄り各位には、意地を張ったり電気代におののいたりせずに、冷房はしっかりと使っていただきたいものですし、少しばかりおなかに負担だったりトイレが近くなったとしても、水分補給は決して怠らないでいただければと存じます。

 夏がやたらと暑くなっているのは、冷房の室外機が盛んに熱を出しているのも大きな原因ではないか、と言う人も居ます。だからなるべく冷房は使わない方が良いのではないかというわけです。
 確かに、ヒートアイランド現象のひとつの原因として、熱を発生するさまざまな機械の存在が挙げられるのは事実です。ただ、都会特有のヒートアイランド現象と、気候のトレンドとしての温暖化とは、さほど関係がないような気がします。日本だけ考えても、暑いのは都会だけでなく、郊外や田舎も一緒に暑くなっているのですから、室外機の影響などはきわめて限定的と言わざるを得ません。
 ヒートアイランド現象の対策は、エアコンの熱交換効率を高めるか、道路の舗装や建材などになるべく吸熱材を用いるか、そういう研究を進めるべきでしょう。
 細かい孔がたくさん開いていて、水をかけると気化熱を奪ってくれるような吸熱材は、いまでもありますけれども、もっと多用すべきと思います。ずっと昔、地面に土が露出しているところが多かった時分には、露地に水を打つというのが効果的な納涼法でした。打たれた水はすぐに蒸発して気化熱を奪い、あたりの暑さを和らげてくれたのでした。
 いまや、アスファルトの地面に水など打とうものなら、もうもうと湯気が上がって、余計に蒸し暑くなることでしょう。だから、かつての夏の夕方のありふれた光景だった水打ちが、現在ではほとんど見られなくなりました。
 舗装を吸熱材にすれば、アスファルトよりもずいぶんしのぎやすくなるはずですし、水打ちの効果も充分に得られることでしょう。
 私は今月、実家に行き来するためにずいぶんと外を歩きましたが、猛暑日といえども、日陰で風が吹いたりしていれば少しはしのぎやすかったものです。まあ、気温が体温以上になると、風も熱風に感じられるようになってちっとも涼しくはないのですが、とにかくしんどいと言えば日なたの直射日光とアスファルトの照り返しでした。直射日光はさしあたってどうしようもないとしても、地面や建物からの照り返しさえ無ければと思わずには居られませんでした。これがあるために、体感温度は実際の気温よりも10度以上高くなるのです。
 USAアラバマ州だかで、デスバレーの記録を上回る60度近くの気温となったそうですが、そのときは「火傷」で病院に担ぎ込まれる人が相次いだと言います。暑さでふらついて転倒し、地面の舗装が熱すぎて手や脚を火傷したとのことでした。80度近くなっていたそうです。夏の日なたで地面が空気よりはるかに熱くなるのは、海水浴に行ったときの砂の熱さなどでもわかるでしょう。
 地面に近いあたりは、気温のほかに、地面からの輻射熱が加わるので、測定される気温よりはずっと高温になるわけです。
 前にも何度か書いたことがありますが、気温の測定というのは、いまでも百葉箱を使っておこなわれています。つまり、芝生などの上の、風通しの良い1メートル半ほどの高さの日陰で測った温度です。真夏の日中、そんな条件の場所に居られる人はむしろ少ないでしょう。アスファルト上の日なたでは、気温が35度であってもたぶん40度以上になるでしょうし、地面に近い下半身などはもっと高温にさらされているはずです。
 日本の夏は、さらに多湿になるので、耐えがたい蒸し暑さとなります。アフリカの砂漠地帯からやってきた人が熱中症で倒れたなんて話もあります。砂漠の乾燥した暑さには馴れていても、高温多湿な日本の夏には耐えられなかったのです。
 せめて湿度さえ低ければ、と思いたくなる人は多いでしょう。ただし、湿度が低ければ、今年の欧米と同じように、山火事なども起こりやすくなります。日本の山は樹が密集していて、それこそ日なたが少ないので山火事は少ないほうなのですが、欧米の山火事が、葉っぱ同士がこすれ合ってその摩擦で発火するなどという話を聞くと、日本が低湿であればさらに大火となるのではないかと考えたりもします。
 ひとたび山火事が起これば、人間どもがちまちまと排出を削減したりしているのが、たちまちご破算になるくらいのCO2がばらまかれます。人間の営為のせいで温暖化が起こっているという説には、私はいまのところ懐疑的で、起こっているとすれば地球や太陽がそういう時期にさしかかっているからだと思います。今年の全世界的な猛暑が人間の活動のせいだと考えるのはいささか傲慢過ぎはしないでしょうか。人間の営為など、山火事ひとつ、火山の噴火ひとつであっさりと覆されるものでしかない……と、謙虚に思っておくほうが良いような気がしています。

 8月は終わりますが、暑さはまだ当分続くでしょう。最近は10月はじめくらいまで暑い日がしょっちゅうあり、11月後半くらいにはもう冬の気配という年が多くなりました。「秋」という季節の存在感がきわめて薄くなっています。
 「村祭」「ちいさい秋みつけた」「虫のこゑ」「赤とんぼ」「雁」「証城寺の狸囃子」「紅葉」「まっかな秋」「里の秋」……私が『秋の祭典』というメドレーに採り上げた唱歌や童謡です。日本の詩人も作曲家も、秋という季節が好きだったようで、秋にまつわる曲はたくさんあります。しかし近年の秋の存在の薄さは、どうも心許ないようで不安になります。日本の文芸も音楽も、ひどく痩せたものになりはしないかと思えてなりません。
 「秋物衣料」なんかも最近はあんまり売れないのではないでしょうか。
 長くめちゃくちゃ暑い夏と、長い冬、そして申し訳ばかりの過渡期としての春と秋。日本の気候がそんな状態になるのを見るはめになるとは思いませんでした。今後もこの傾向は続くと思われます。なんとかならんものかと思います。

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みゆたんと

根性論というか、激辛カレーやラーメンを食べる時、途中で水は飲まない様にしています。
1日1,5〜2L飲む様に言われていますね。
今日、会社に持って行った コーヒー、スポーツドリンク、烏龍茶(各500ml)全て飲み干したので、その数字は理に適っていると思います。
by みゆたんと (2023-09-01 18:39) 

コンビニ作曲家MIC

激辛カレーなどを食べるときは、水を飲んでしまうと舌の感覚がリセットされて、辛さがまた新しく感じられてしまうので、途中で飲まないほうが良いとされていますね。
つまり舌を麻痺させた状態で食べ続けるべきだというわけで、それも味わう上でどうなんだろうと思いますが(^_^;;
あまり辛いものは、胃壁などにも良くないので、食後にしっかり水をお飲みください。
by コンビニ作曲家MIC (2023-09-02 09:35) 

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