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続・トリチウム放出 [世の中]

 東日本大震災のときの福島原発事故によって出た放射能汚染水を処理したものを、いよいよ明後日くらいから海洋放出しはじめるそうです。12年半近く、なすすべもなく貯め込んでいたわけですが、ようやくかたづけられるというわけです。
 もちろん、有害な放射性物質はほとんど取り除かれており、海に毒を撒くなんて話ではありません。日本国民とて大半は理解しているはずなのですが、なおも漁業などに対する風評被害をおもんぱかって、政府は慎重を期していました。
 2年ほど前に、翌々年に放出をはじめるということが決定しました。そのときもこの話については書きました。その2年の猶予で、風評被害を防ぐためのさまざまな措置がおこなわれるものとばかり思っていましたが、とりたててキャンペーンがおこなわれた気配もありません。安全ではあっても安心ができない、などと当時よく言われていたものですが、不安を取り除くためにどんな対策が講じられたのかというと、どうも心許ない気がします。現地の漁業従事者たちは、2年前と同じように不安を口にしているように思えます。もう少しなんとかならなかったものかと感じざるを得ません。

 むろん、安全性については、疑ってはいません。除去装置ALPSを何回も稼働させて、放射性物質がもうほとんど残っていないのは確かでしょう。IAEA(国際原子力機関)は早くも2013年頃から、とっとと海洋放出するように勧告していました。その時点で、ほぼ害になるような放射性物質は除去されていたはずです。
 しかし、ひとつだけ除去できない物質がありました。トリチウム、すなわち三重水素です。
 普通の水素原子は、単一の陽子のまわりを単一の電子が周回するというシンプルな形を持っています。しかし、陽子に中性子がくっついていることがあり、その場合でも化学的・電気的には普通の水素と同じようにふるまいます。中性子が1個くっついているのを重水素デューテリウム)、2個くっついているのを三重水素と言うわけです。水素に限らず、余分な中性子がくっついていたり、本来の形より中性子が少なくなっていたりする元素というのはたくさんあり、同位体アイソトープ)と呼ばれます。少なくなるほうでは、ウラン235などがあります。普通のウラン(ウラン238)に較べ、中性子が3個少なく、崩壊しやすくなっています。
 同位体には、放射性同位体ラジオアイソトープ)と安定同位体ステイブルアイソトープ)があります。放射性同位体は上に書いたウラン235などのように崩壊しやすく、崩壊するときに放射能を佩びた中性子を排出します。重水素は安定同位体であり、三重水素は放射性同位体であるわけです。余分なお荷物である2個目の中性子を、さっさと振り落としてしまいたがっている、という風に考えれば良いでしょう。
 そういうわけで三重水素は放射性物質なのですが、あいにくと化学的・電気的な性質は普通の水素とまったく変わりません。そのために、ALPSでは除去できないのでした。
 ほかの方法で除去することは可能ですが、そのためにはALPSとはまったく違ったプラントを用意しなければならず、手間もお金もものすごくかかることになります。それだけの手間とお金に価するほどに、三重水素を除去するという工程が必要なのかというと、そうでもないというのが実際のところで、だから原子力発電所を抱えているどの国でも、三重水素はそのまま海に流しています。もちろん、その「濃度」についてはIAEAにより厳しく定められており、充分に薄めた上での話ですが。
 もともと三重水素は、ある濃度で天然の水にも含まれているものです。海水にも淡水にも含まれ、水道水にも微量ながら含まれています。当然ながら人間の体内にもあります。人間は体内の三重水素により、ひとりにつき常時50ベクレル程度の放射線を発生しています。
 原発から排出される三重水素は、たいていの国で年間数百兆ベクレルといったところで、原発大国であるフランスなどは京(けい)単位の排出をおこなっています。
 そういうことを理解していれば、IAEAにより定められた濃度を下回る福島の処理水が海洋放出されても、なんら不安がることは無いこともわかるわけですが、政府がそのことを国内外にしっかりアピールしたかどうかといえば、いささか頼りないようです。

 2年前に放出が決定されたとき、野党の議員が、
 「たとえ500倍に薄めたとしても、500倍の分量を流すなら同じことではないのか」
 とSNSで発言したことがあります。議員たるものがこれほど科学的思考ができないのは仕方がないなあ、と思いました。この場合重要なのはあくまで濃度であって、量ではありません。
 たとえて言えば、アルコール60度のウォツカ50ccと、6度のビール500ccとで同じ酔いかたをするかという話です。含まれるアルコールの分量は同じかもしれませんが、ウォツカ50ccのほうが明らかに「強い」でしょう。
 先日のIEAEの会議で、日本はきちんと基準を満たした処理水をいよいよ放出することを報告し、ほとんどの国の諒承を得ました。どの国にしろ、もし否定的なことを言って
 「それならおたくのも調べてみましょうか」
 ということになっては藪蛇もいいところなのです。
 しかし、中国だけは頑強に反対しました。
 もちろん中国も原発を持っており、三重水素をたっぷり含んだ排水を海に流しています。だから日本の海洋放出にいちゃもんをつけられるような立場ではないわけなのですが、中国代表は、それはそれこれはこれ、とばかりに日本を批難しました。日本側が説明してもまったく聞く耳を持たなかったようです。あげくに、IAEAの幹部が日本から袖の下を受け取っているのではないかといったような根も葉もない中傷まではじめました。
 そして、日本からの水産物の輸入の全品検査をおこなうと言うのでした。干物などならともかく、鮮魚の場合は全品検査などしていてはすぐに傷んでしまいます。これは事実上の輸入制限と言って良いでしょう。
 実は2年前は、むしろ韓国のほうがいちゃもんが激烈でした。そのまた数年前にみずから調査団を派遣して、処理水放出には問題が無いという結論を出していたにもかかわらず、「寝耳に水の暴挙」「日本は気でも狂ったのか」などと大騒ぎでした。これは当時の文在寅大統領がすこぶるつきの反日家であった影響でもありましょう。現大統領の尹錫悦氏は日本と無用の摩擦を起こさないことを旨としているようで、任期終了が迫ってからのいわゆる「反日ターボ」を発動させる可能性はまだ残っているものの、処理水放出については特に批判もしていません。それに倣ってのことか、韓国のマスコミもわりとおとなしいようです。
 一方中国との関係は2年前より明らかに悪くなっています。台湾に侵攻したときに日本が敵対的になる可能性がはっきりと高くなってきたからかもしれません。あるいは評判の悪い習近平主席が、外敵を作って国内の批判を逸らそうとしているだけかもしれません。ともかく日中関係はかなり冷え込んでいます。しばらく前の、中国に進出しない企業に未来は無い、みたいな趨勢とはまったく逆になっているのでした。
 だとすれば今回の海洋放出反対も、科学的にどうだこうだという話はまったく関係なく、純粋に政治的なアクションであると思われます。従って、ことをわけて説明すれば理解してもらえるだろう、などという希望はまったく考えられません。
 「おたくの国の排水の濃度のほうがよっぽど高いはずだ。調べてみればわかる」
 などと言っても、
 「調べる必要など無い」
 と一周されるのが関の山でしょう。
 いまのところ中国は言っていませんが、2年前の韓国マスコミの珍妙な言い分をなぞることになるかもしれません。その言い分とは、
 「わが国の排出している三重水素は天然由来の『きれいな』ものである。福島事故で発生した汚染水なんぞとは違う」
 というものでした。牽強付会もここまで来ればむしろ讃嘆したくなるほどです。放射線にきれいも汚いもないのですが、そういえば昔「きれいな水爆」なんて言葉が横行したりしていましたね。
 ともあれ、中国がどんな難癖をつけてこようが、当方に恥じるところが無いのであれば粛々と流せば良いのであろうと思います。そんな言いがかりをつけてくる相手と仲良くすることもないでしょう。輸入制限されるならむしろ好い機会で、無理に買って貰わなくても結構、と啖呵のひとつも切って貰いたいものです。

 三重水素はなんの役にも立たない厄介物かというと、そんなことはありません。核融合の燃料のひとつとして無くてはならないものです。核融合の反応パターンはいくつかありますが、もっともコストが低いとされているのが、重水素と三重水素を燃料とするものです。このふたつを反応させると、ヘリウム(陽子2個・中性子2個・電子2個)と中性子1個が作られます。重水素と三重水素を合計した質量よりも、ヘリウムと中性子1個を合計した質量のほうがわずかに軽く、その質量差の分がエネルギーとして取り出せます。E=mc2というヤツですね。
 これが核融合反応の原理ですが、燃料のうち重水素は海水中からほぼ無尽蔵に取り出せます。普通の水素との重量比は0.01%ほど、つまり1万分の1くらいですが、海水の量を考えれば重水素もものすごい分量になります。
 これに対し、三重水素は海水中にもごくわずかしか含まれていません。放っておくと崩壊するものなので、確保が難しいのです。現在のプランとしては、これまた海水中に豊富に含まれるリチウムから精製することになっています。
 この供給源として、核分裂炉から排出される三重水素を使うわけにはゆかないのだろうか、と思ってしまいます。どの国も始末に困って海に垂れ流している三重水素を核融合に活かすことができれば、これは素晴らしいリサイクルになるのではないでしょうか。現時点では技術的に難しいのかもしれませんが。
 核融合反応で作られる中性子は放射能を持っています。現在のプランとしては、この中性子はブランケットという機構に吸収させることになっており、当然ながらブランケットそのものが放射性物質となります。ここだけが核融合炉の危険性とも言えるのですが、ウランやプルトニウムなど核分裂反応に由来する高レベル放射線に較べればごく低レベルとも言えます。それこそ、今回の処理水くらいのレベルでしょう。

 安全性をアピールするための手段として、誰か政治家(特に岸田首相)が処理水を飲んでみたらどうだ、などとよく提言されています。
 実は2011年の10月に、当時の内閣府政務官園田康博氏が、コップ半分ほどの処理水を記者の前で飲んでいます。震災から約半年、まだIAEAのお墨付きが出るずっと前ですから、ご本人も怖かったことと思いますが、別に健康被害は出ませんでした。園田氏の行為は当時まったく称賛されることなく、「政府の愚かさを代弁した」といったような批判を浴びて終わっています。なお当時の政府は民主党政権です。
 園田氏の英雄的行為がまったく評価されなかったところを見ると、たとえ首相が処理水を飲んでみせたとしても、それで態度を改める輩が居るとも思えません。処理水を飲めなどというのは、ただ煽っているだけでしょう。
 そんな煽りに乗る必要もありませんが、三重水素が天然水の中にも含まれているごく普通の物質であること、いちゃもんをつけている中国が排出している三重水素のほうがよほど高濃度であること、などの事実を、この2年間、政府が充分に国民に周知してきたか、と言えば、繰り返しますがどうも心許ないようです。処理水放出そのものについては異議は無いのですが、政府のアピール不足については大いに問題だと思っています。

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