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「私立探偵」を考える [いろいろ]

 前回は、警察官の階級などについて考えてみましたが、古典的な推理小説で活躍するのはなんと言っても「私立探偵」です。
 推理小説界では、長いこと「私立探偵」が主役で、うろうろするばかりの警察を尻目に事件の捜査を進め、真相に辿り着くというパターンが王道みたいなものでした。現在では「私立探偵」を主な探索役とする推理小説はあまりはやらないようですが、ドラマなどで警察の「嘱託」といった、ある程度自由な立場で捜査に参加する立場のキャラクターがけっこう出てきているのは、やはり在りし日の「私立探偵」を偲ぶ気持ちが人々の中にあるからなのではないかと思います。
 現実世界の私立探偵というのが、いつごろ誕生したのかはよくわかりません。シャーロック・ホームズのデビュー作「緋色の研究」の中で、
 「いまこのロンドンには、警察の探偵や私立探偵がたくさん居る」
 とホームズが言っているところを見ると、私立探偵はそれ以前から相当数存在したものと思われます。退職した刑事などが開業することもあったのではないでしょうか。またUSAでは有名なピンカートン探偵社というのが、かなり古くから営業しています。
 推理小説の鼻祖と言われるエドガー・アラン・ポーオーギュスト・デュパン物を見ると、この人は士爵(シュヴァリエ)位を持つ准貴族で、特に私立探偵を開業していたわけではなさそうです。いわゆるディレッタントで、趣味として謎解きをしているのでした。「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェ」では、主に新聞記事を読みながら推理をおこないます。そして真相に到達したあとも、とりたてて話題の人になったわけでもありません。「盗まれた手紙」はパリ警視庁の警視総監G──氏の依頼によって乗り出したことになっていますが、G──氏はもとからのデュパンの友人であって、探偵としてのデュパンに相談しにきたということでもないようです。
 それに続く推理小説というと、エミール・ガボリヨルコック物とか、ウィルキー・コリンズ「月長石」なんかが数えられますが、ルコックも、「月長石」で活躍するカッフも、いずれも警察官です。
 職業としての「私立探偵」が主人公になったのは、やはりホームズからではないかという気がします。まあ、コナン・ドイル以前の推理小説史に関しては、私もあまり詳しくないので、「私立探偵」が謎を解く話が無かったとは断言できませんが、とにかく「私立探偵」を一躍人気者にしたのはホームズでしょう。
 もっとも、何度も書いていますが、ホームズは自分を、普通の私立探偵とは違う存在として規定していました。彼は「Consultant Ditective」を自任していたのです。諮問探偵、嘱託探偵などと訳されますが、現在ではコンサルタントという原語のほうがイメージしやすいかもしれません。警察官やほかの私立探偵から相談を受けて、その豊富な知識と推理力により探索の方向性を助言するというのが、ホームズの自己規定した「コンサルタント探偵」の職掌でした。
 ホームズ物語の中にも、警察官からの依頼で事件に乗り出したというものがいくつも含まれています。最初の「緋色の研究」もグレッグスン警部からの相談でしたし、「ライゲートの大地主」フォレスター警部「恐怖の谷」マクドナルド警部「金縁の鼻眼鏡」ホプキンス警部「ライオンのたてがみ」バードル警部からの要請で出馬しています。競い合っていたレストレイド警部すら、「六つのナポレオン」ではホームズに相談を持ち掛けています。
 ほかの私立探偵から相談された話は見当たらないようですが、私立探偵が登場する話はいくつかあります。また、USAのピンカートン探偵社がからむ物語も、「恐怖の谷」や「赤輪団」などがあるのでした。ピンカートン探偵社はわれわれの考える「私立探偵事務所」とはまるで違う大規模な会社であったようで、連邦捜査機関としてのFBIが確立するまでは、州をまたいだ犯罪の捜査なども手がけ、警察を補完する役割を果たしていたのでしょう。ハードボイルド小説の元祖ダシール・ハメットが一時期ピンカートン探偵社に所属していたのは有名です。彼はその経験から、私立探偵なるものが推理小説に描かれているような存在ではないことを痛感し、リアルな「探偵物語」を世に問うてやろうと考えたのかもしれません。
 ともあれピンカートン探偵社は、英国の推理作家もよく利用するほどに国際的な知名度を持つ「私立探偵」だったようです。
 ホームズに話を戻すと、そんなわけで彼の「通常業務」とはあくまでも警察官やほかの私立探偵からの相談を受けて助言をするということであって、一般の依頼人からの相談に応える仕事はどちらかというと例外的だったのではないか、と私は考察したことがあります。ワトスン博士はその種の事件ばかり筆にしているようですが、「通常業務」の場合はワトスンが関与する余地もあんまり無かったのではないかと思われます。

 さて、コナン・ドイルは、民間人であるホームズを「犯罪捜査」に関わらせるために、ホームズの職業を、警察官からも相談を受ける「コンサルタント探偵」と設定したと思われるのですが、彼に続く作家たちはわりとあっさりと、「私立探偵」を犯罪捜査に当たらせるようになりました。確かにピンカートン探偵社は実際に犯罪捜査をおこなっていたのですから、どうしても無理のある設定というわけでもなさそうです。ただ、ドイルの設定の細心さが失われてしまったのは残念なところでした。
 もっとも、「私立探偵」の仕事の多くが、たとえば浮気調査だの求職者の身辺調査だのといったことであるという「事実」は、必ずしも無視されていたわけではないようです。
 アガサ・クリスティ描くところの極楽夫婦トミー&タッペンスは、第2作「二人で探偵を」で、私立探偵業を営むことになります。実際にはトミーの勤めている諜報機関の仕事であって、売国行為の拠点となっていた探偵事務所を機関が接収し、そこに接触してくる外国のスパイを摘発するために夫妻をおとりにするといった設定だったのですが、経営方針は自由に決めて良いと言われています。そこでふたりは、いままで読んだ推理小説に出てくる名探偵の流儀を真似ることにします。
 ふたりはホームズごっこ、ソーンダイク博士ごっこ、ブラウン神父ごっこ、フレンチ警部ごっこ、アノー探偵ごっこ、ロジャー・シェリンガムごっこなどを存分に愉しみ、最後はポワロごっこまではじめるのですが、夫妻のごっこ遊びが、期せずしてクリスティには珍しいパロディ集といった趣きをおびるのが見どころでもあります。
 それはともかく、探偵業をはじめる当初、トミーは「どうせ依頼に来るのは浮気調査とか、そんなところだよ」と悲観的な予測を述べます。タッペンスは、自分たちの探偵社がそんな「くだらない仕事」で汚されてなるものかとばかり、

 ──離婚関係の調査はお受けしません。

 と広告に書き加えるのでした。つまり、現実の私立探偵の仕事はそんなものだという認識が、作者にもちゃんとあったということでしょう。
 ちなみにクリスティの創造したさまざまな名探偵のうち、明確に「私立探偵」を職業としているのはエルキュール・ポワロだけです。彼は確かに「私立探偵」なのですが、

 ──上流の社交界で起きるトラブルを、あとくされ無いようにスマートに解決する

 ことを専門としているという設定です。20世紀はじめの頃は、まだそういう上流社交界に、警察官がずかずかと踏み入ることには遠慮があったのかもしれません。
 「わたしの探偵料がお高いのはご存じですな?」
 などと依頼人に念を押す場面もありました。

 英国の推理小説で「私立探偵」が活躍したのは1920年代ころまでで、やがてデュパンの系譜を継ぐようなディレッタント探偵が目立つようになり、1940年代からはほとんど警察官が主人公となりました。その後名高い私立探偵といえばコーデリア・グレイくらいかもしれませんが、実は彼女も、ダルグリッシュ警部という警察官の名探偵が活躍するシリーズのスピンオフのような形で登場するに過ぎません。
 一方、USAではハメットのサム・スペイドコンティネンタル・オプに続き、ハードボイルド系を中心に、私立探偵ものも好まれ続けました。古典というべきフィリップ・マーロウリュー・アーチャーマイク・ハマーから、V.I.ウォーショースキーマット・スカダースタンリー・ヘイスティングズ等々、USAの大都市を舞台に活躍する多士済々な私立探偵たちが、おそらくほとんど途切れることなく、現代に至るまで産み出され続けています。
 USAでの、この私立探偵びいきは、どういうことなのでしょうか。やはりかつてのピンカートン探偵社の影響が大きいのでしょうか。その後FBIに立場を譲ったとはいえ、私立探偵が堂々と広域犯罪捜査をおこなっていた時代が現実にあったというのは、英国にも日本にも見られないことであり、アメリカ人の私立探偵好きに一役買っているような気がします。
 「私立探偵を雇って調査させる」ということの心理的ハードルも、アメリカ人はわりと低いように思え、日本人などよりも気軽に探偵事務所を訪れるような印象です。まあ、あくまで印象であって、実際にそういう統計を見たことは無いのですが。

 ひるがえって日本の推理小説を見ると、明智小五郎金田一耕助も「私立探偵」であったわけですが、そのあとが案外続いていません。少なくとも印象に残るようなキャラクターは生まれていないようです。こと犯罪捜査に関しては、日本の警察が優秀過ぎて、私立探偵のような民間人が口をはさむような余地は無い……ということが、推理小説の読者になるような一般人にとっても当然の通念となっているのかもしれません。いまの世に明智や金田一みたいなのを出してきても、どうにもウソくさいのでした。
 小説やドラマで、私立探偵を扱ったものも無いではありませんが、どちらかというとパロディ的な扱いであったり、人情噺みたいなものであったり、あまり「犯罪捜査」などはやっていないようです。
 もちろん、民間人が主人公という作品も、決して少なくはありません。ただそれが、私立探偵という職業ではないことが多いという話です。少なくともUSAのようには、日本では私立探偵ものははやらないようです。
 聞いた話ですが、USAの警察が逮捕した容疑者のうち、起訴に持ち込めるのは50%ほどだということです。つまり残りの50%は不起訴になってしまうというわけです。不起訴になったからすなわち無実であるとは言い切れませんが、無実の場合も多いでしょう。言い換えれば誤認逮捕が驚くほど多いということになります。
 これに対して日本の警察では、90%以上が起訴に持ち込まれ、その有罪率も非常に高いそうです。日本の警察は優秀と言うよりも慎重なのでしょう。USAであれば確実に起訴・有罪にできるという段階まで詰めに詰めて、ようやく逮捕するという感じです。
 その代わり、誤認逮捕に対する警察への風当たりも、格段に強いのでした。
 USAの警察は、いとも簡単に人を逮捕しますが、釈放もまた簡単におこなうようです。釈放するときには、この誤認逮捕について訴訟を起こしたりしないという念書を取るのだとか。
 いわばUSAでの誤認逮捕のイメージが、
 「いや~ゴメンゴメン、勘違いだったわ」
 程度で済むことであるのに対し、日本では
 「このたびはまことに申し訳なく……起こってはならないことが……以後このようなことが無いように……」
 と、下を向いて蜿蜒と詫び続けなければならない由々しさをまとっていると言えるでしょう。
 裏を返せば、USAで私立探偵ものがもてはやされるのは、警察がこの程度にあてにならない存在であるからなのかもしれません。日本では警察への信頼度が高いがゆえに、私立探偵への期待感も低いのだという考えかたはどうでしょうか。
 いずれにしろ、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロのような「私立探偵」は、もう時代的・文学的役割を終えたと言うべきでしょう。古典的推理小説ファンとしては、いささか寂しい話ではありますが。

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