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「山手線謎めぐり2023」挑戦記その2 [日録]

 11月23日「山手線謎めぐり2023・都市伝説を追いかけて。」という鉄道謎解きイベントをプレイしてきました。JR東日本でもずいぶんと力を入れて宣伝していて、電車の中でも駅でも、ポスターなどをやたらと見かけたものです。
 9月からはじまって、来年1月21日まで開催されているこのイベントの、ちょうど会期なかばころにプレイしてきたわけですが、基本的に一本道な謎解きであるせいもあり、途中でほかのプレイヤーに山のように遭遇しました。いくつかの場所で街頭観光案内のボランティアをたまにやっているマダムは、謎解きのために行かなければならない場所について、何度か訊ねられたそうです。
 5箇所の駅を訪ね、その周辺で謎を解いてゆくという形で、11月23日は、途中でマダムの都合により1時間半ほどの配信動画を見なければならないというハンディを背負いつつ、無事にクリアすることができました。
 ところがその後、マダムはその5箇所ではないところの駅近くでも、同じような謎解きプレイヤーらしき人から質問を受けたのだそうです。
 その人が間違った駅を訪れたわけではありません。実はこのイベント、「本編」だけでは終わっていないのでした。

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『TOKYO物語』の展開計画 [お仕事]

 「ブギの女王」笠置シズ子をヒロインのモデルにしたNHKの朝ドラ「ブギウギ」のおかげで、『TOKYO物語』がまた売れているようで、ありがたい話です。
 昭和20年代の歌謡曲をメドレーにしたものですが、笠置シズ子が歌った「東京ブギ」はほぼ真ん中あたりに入っています。初演時の都合があって、かなり長い間奏がついているため、ステージではそこでちょっとしたダンスを入れたりする趣向がよくおこなわれるようです。
 笠置さんは「東京ブギ」のほか、「ジャングルブギ」「買い物ブギ」など、次々とブギウギのヒット曲を飛ばしました。それだから「ブギの女王」と呼ばれたわけですが、『TOKYO物語』に入っているほかの曲で、高峰秀子が歌った「銀座カンカン娘」もブギです。当時、ブギウギというのはずいぶん流行していたものと思われます。これが30年代に入ると、ゴーゴーなどが流行することになるのでしょう。
 30年代のメドレーである『続・TOKYO物語』のほうは、まだ売れ行きがいまひとつという感じです。女声版発売後にコロナ禍が起こったせいでもあるでしょう。こんど「正篇」のほうが増刷になるときには、前書きを更新して「続篇」の宣伝でも書いてやろうかと思っています。だいたい10刷ごとに前書きを書き直しているのですが、しばらく前の50刷めのときに更新を忘れてしまっていたのでした。

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漢字パズルの話 [趣味]

 最近、漢字パズルをよくやっています。
 実家の両親がだいぶ齢をとって、いろいろと補助が必要であるため、このところ週に1~2度は実家に帰っているのですが、実家には私の持ち物がひとつも残っていません。
 学生時代にひとり暮らしをはじめて、かれこれ40年近く経っており、そもそも私が暮らしていた痕跡さえほとんど無いのでした。妹ももう独立して30年近くなるのですが、妹のものはいくぶんか残されています。彼女が子供の頃に買ったマンガ本などもそのままになっています。しかし、私のものは本当にきれいさっぱり無くなっています。
 そんなわけで、私は実家へ行っても、ほぼやることが無いのでした。
 両親が貰った処方箋を持って薬局へ走ったり、買い物をしてきたりといった用事を言いつかれば、それをこなすわけですが、いつでもそんな用事があるとも限りません。また親がどこかへ出かけるときに付き添うこともありますが、それはもっと稀なことです。
 要するに、大半の時間、暇をもてあますことになります。

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メモリー・オブ・メモリージャーニー [いろいろ]

 昨日(12月10日)からマダムが旅行に出かけています。実家の家族との旅で、過去に住んでいたあたりを再訪してみるというのが眼目だそうです。マダムのお兄さんが、来年から関西のほうに引っ越してしまうとのことで、その前に家族水入らずで旧跡を偲びたかったのかもしれません。お兄さんも妻子を連れずの旅行ということでした。
 マダムは千葉県の生まれですが、小さい頃に青森県むつ市に越しており、その後宮城県矢本町(現・東松島市)に移り、そのあとでまた千葉に戻ってきています。学齢で言えば、むつ市で幼稚園に入って、石巻の幼稚園に転園し、矢本で小学校に入り、途中で千葉に転校したというタイミングです。義兄は彼女の6つ上なので、ちょうどマダムの幼稚園を小学校に、小学校を中学校に代えたようなタイミングとなります。
 今回の旅も、むつと矢本への再訪を主軸としていたようです。
 この2箇所、実はマダムはすでに訪ねたことがあります。そのときは私が同行しました。ふたりで、マダムが昔住んでいたあたりをうろついたのでしたが、実家の家族とも来たいと思ったようでした。
 マダムは記憶が少々混ざってしまっていて、むつを訪ねたのと矢本を訪ねたのが同じときだったように思っていましたが、2箇所を訪れたのは全然別の機会でした。
 矢本への再訪は「マダムのメモリージャーニー」という稿に、むつへの再訪は「道南と青森の旅」という稿の「マダムのメモリージャーニーふたたび」という章に記してあります。前者は東日本大震災直前の2010年12月、後者は2015年7月の旅日記です。詳細はそちらを読んで貰えれば良いとは思いますが、この機にちょっと思い返してみたいという気になりました。

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クマの話 [いろいろ]

 今年はクマによる被害が多いようです。襲われて死傷した人も少なくなく、すでに6人の死者が出ています。
 夏ごろまでは、OSO18が猛威をふるっていました。これは神出鬼没のヒグマで、人間こそ殺していませんが、実に60頭以上の牛を襲って肉や内臓を食い散らかしました。牧場主にとっては不倶戴天というべき強敵で、いろいろ策を講じ、罠なども張ってみたものの、OSO18はそれらを華麗にスルーして、足取りを人間につかませないまま各地の牧場を襲撃し続けたのでした。
 まるで忍者のような出没ぶりにはハンターも手を焼いていたようですが、最期は意外とあっけなく射殺され、おいしくいただかれたと聞きます。
 しかし、OSO18を仕留めたハンターのところには、ずいぶんと抗議が行ったようです。
 秋以降に人間を襲ったりしているのは、北海道のヒグマではなく秋田あたりのツキノワグマですが、これらを駆除すると、やっぱり自治体などに猛抗議が来るのだそうです。
 クマがかわいそう、というのでした。
 もちろんそんなことを抗議してくるのは、クマ被害があるような地域の人間ではありません。野生のクマなど見たことも無いであろう都会の住民たちです。

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ゆいレール20年 [いろいろ]

 沖縄ゆいレールの利用者が3億人を超えたとのことで、何よりと思います。3億人めは8歳の女の子だったそうで、ゆいレールが好きらしく、楽しい、と言っていました。ちょうどこの8月には開業20周年を迎えたところで、その意味でも大変おめでたい区切りであったと言えます。
 ゆいレールは最初は那覇空港から首里まで、のちに延伸されててだこ浦西まで17キロの距離を走るモノレールです。沖縄が本土に復帰した1972年から早々と計画が起ち上がっていたそうですが、実現までには約30年を要しました。復帰前後、すでに那覇市内の交通渋滞は深刻なものになっていたようです。

 戦前、沖縄には国鉄こそ走っていませんでしたが、沖縄県営鉄道という鉄道がありました。軌間762ミリのナローゲージ、いわゆる軽便鉄道規格であったことから、地元では「ケービン」と呼ばれて親しまれていたそうです。
 路線は4つありました。与那原(よなばる)海陸連絡線嘉手納(かでな)糸満(いとまん)です。
 ターミナルは那覇駅で、けっこう立派な駅であったようです。現在の那覇バスターミナルが、駅の跡地に建てられており、その規模からしても、単なるローカル線の始発駅というイメージではなかったことが想像されます。
 海陸連絡線は、那覇港の桟橋とこの那覇駅を結ぶ1キロほどの支線で、旅客扱いはしない貨物線でした。

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