ゆいレール20年 [いろいろ]
沖縄のゆいレールの利用者が3億人を超えたとのことで、何よりと思います。3億人めは8歳の女の子だったそうで、ゆいレールが好きらしく、楽しい、と言っていました。ちょうどこの8月には開業20周年を迎えたところで、その意味でも大変おめでたい区切りであったと言えます。
ゆいレールは最初は那覇空港から首里まで、のちに延伸されててだこ浦西まで17キロの距離を走るモノレールです。沖縄が本土に復帰した1972年から早々と計画が起ち上がっていたそうですが、実現までには約30年を要しました。復帰前後、すでに那覇市内の交通渋滞は深刻なものになっていたようです。
ゆいレールは最初は那覇空港から首里まで、のちに延伸されててだこ浦西まで17キロの距離を走るモノレールです。沖縄が本土に復帰した1972年から早々と計画が起ち上がっていたそうですが、実現までには約30年を要しました。復帰前後、すでに那覇市内の交通渋滞は深刻なものになっていたようです。
戦前、沖縄には国鉄こそ走っていませんでしたが、沖縄県営鉄道という鉄道がありました。軌間762ミリのナローゲージ、いわゆる軽便鉄道規格であったことから、地元では「ケービン」と呼ばれて親しまれていたそうです。
路線は4つありました。与那原(よなばる)線、海陸連絡線、嘉手納(かでな)線、糸満(いとまん)線です。
ターミナルは那覇駅で、けっこう立派な駅であったようです。現在の那覇バスターミナルが、駅の跡地に建てられており、その規模からしても、単なるローカル線の始発駅というイメージではなかったことが想像されます。
海陸連絡線は、那覇港の桟橋とこの那覇駅を結ぶ1キロほどの支線で、旅客扱いはしない貨物線でした。
路線は4つありました。与那原(よなばる)線、海陸連絡線、嘉手納(かでな)線、糸満(いとまん)線です。
ターミナルは那覇駅で、けっこう立派な駅であったようです。現在の那覇バスターミナルが、駅の跡地に建てられており、その規模からしても、単なるローカル線の始発駅というイメージではなかったことが想像されます。
海陸連絡線は、那覇港の桟橋とこの那覇駅を結ぶ1キロほどの支線で、旅客扱いはしない貨物線でした。