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バッハの学習 [いろいろ]

 ピアノを学習する上で、J.S.バッハの作品を避けて通ることはできません。ポリフォニー音楽の最高峰であり、難易度が様々な曲集も揃っています。たいてい学習をはじめて数年後くらいに先生に与えられ、その後長く付き合うことになります。たぶん付き合いを卒業することは無いのではないかとさえ思われます。古典派音楽、ロマン派音楽、あるいはもっと最近の音楽を勉強したとしても、結局バッハが基本になっているのだと、勉強を進めれば進めるほど身にしみてきます。
 『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』あたりから入る人が多いでしょうが、これは全面的にバッハの作品集ではないので、注意が必要です。曲集中でたぶんいちばん有名なト長調のメヌエットは、実はバッハの作品ではなく、ペツォルトというマイナーな作曲家が作ったものだとわかっています。バッハの息子たちの作品もいくつかずつ入っていますし、クープランなどの作品も含まれています。またバッハの作品でも『フランス組曲』の一部が入ったり、『ゴールトベルク変奏曲』の主題が入ったりしています。かなり雑然としています。
 バッハは、後妻アンナ・マグダレーナの日々の練習用に音楽帳を「編纂」したのであって、別に自分の作品集としてこれをまとめたわけではなかったようです。

 次に『インヴェンション』に進ませる先生も居ますが、私は『小さなプレリュードと小さなフーガ』という本を先にやっておいてはいかがかと思っています。この本は、「初心者のための12のプレリュード」「初心者のための6つのプレリュード」と、いくつかの「プレリュードとフーガ」という形のものから構成されています。
 後半はだいぶ難しくなるので、まず最初に置かれた「12のプレリュード」を学び、それから2声のインヴェンションを練習して、そのあとで3声に進む前に「6つのプレリュード」以降を手がけるのが良いと思います。というのは、2声と3声のインヴェンションの難易度には非常に差があり、2声を仕上げたあとすぐに3声に進むのはかなり無理があると思われるからです。後半のフーガは2声、3声、そして最後は4声までありますので、これに馴れてから3声インヴェンションに進めば、わりと馴染みやすいのではないでしょうか。
 なお、プレリュードというのは通常「前奏曲」と訳され、組曲の冒頭とか、音楽劇の冒頭とかに置かれる曲だと理解されています。バッハも「プレリュードとフーガ」という形のものをずいぶんたくさん書いており、この場合はフーガに対して「その前に置かれる曲」という意味合いを持つわけです。しかし、あとに続く曲を持たない単独のプレリュードというのもあるのであって、特にショパン以降、『24のプレリュード』のような作品もよく書かれました。なんの「前奏」にもなっていない「前奏曲」とはこれいかに、と私はずっと不思議に思っていました。
 この「12のプレリュード」などは、ほかならぬバッハが、単独のプレリュードというものを書いているわけで、ショパンが語義を無視したわけではないことがわかります。
 実はプレリュードというのは、「幕前の音楽」ということで、演奏会や芝居がはじまる前、まだ幕が閉まっている状態のときに、客入れのために流す曲というのが本来のありかたであったようです。だから、必ずしもあとに続く曲が無くても良いのでした。同じように「幕間の音楽」をインターリュードと言います。「間奏曲」と訳されるインテルメッツォとほぼ同じ意味合いです。前奏曲とか間奏曲とかいうタイトルの曲はずいぶん書かれ、その曲想や性格もさまざまですが、「幕前や幕間に流れる肩の凝らない曲なので、あまり格式張らずに気楽に聴いてくださいよ」と作曲者が考えている点は共通していると考えるべきでしょう。

 さて、そのあとがいよいよインヴェンションです。これについては以前まとめたことがあります。たいていの版で、すべての曲が2ページにおさまっているくらいの短さですし、バッハが学習中の生徒のために平易に書いているのがよくわかりますけれども、音楽的価値から言えばまさに珠玉の小品集と呼ぶべき曲集です。特に2声のほうは、ポリフォニーというもののさまざまな可能性を、考えうる限りの方法で呈示しているように思われます。3声のほうはややフーガ風な作りかたに偏しているようではありますが、それでもバラエティに富んでいます。
 この曲集を、1曲何週間かずつレッスンして貰って終わらせてしまうのは、まったくもったいない話です。私は小学生の中学年くらいまでに終わらせていましたが、大学入試のときの副科ピアノ試験に3声インヴェンションが出たので、10年ぶりくらいにあらためて弾き直し、その感動にはじめて気づいたということがありました。本当に子供にはもったいないくらいなのです。
 上に書いたように、2声と3声では難易度がだいぶ異なるので、『小さなプレリュードと小さなフーガ』の後半をはさむとか、あるいは『フランス組曲』の比較的とっつきやすいあたりをいくつかやってから3声に入るのが良いと思います。

 『インヴェンション』を卒業すると『平均律曲集』に入るのが普通です。もともと『インヴェンション』が『平均律』の導入として書かれているので、それが妥当ですが、これは2集48曲もある厖大な曲集であり、難易度も非常に幅が広いので、このあたりから適宜、組曲類を並行して扱ってゆくのが良いでしょう。私も『平均律』と組曲系を行ったり来たりしながら学習しました。
 『平均律』は、すべてプレリュードとフーガという形をとり、24の調性すべてが揃ったものが2セットあります。ショパン以降の「24のプレリュード」のたぐいのような、並行調に移りつつ五度圏を辿る配列(ハ長調→イ短調→ト長調→ホ短調→……)ではなく、同主調を並べつつ半音ずつ上がってゆく配列(ハ長調→ハ短調→嬰ハ長調→嬰ハ短調→……)をとっています。通奏するのであればショパン方式のほうが曲間がスムーズでしょうが、バッハは特に1番から順に演奏するということは考えていなかったようです。
 第1集と第2集の作曲にはかなり間があいており、そのため第2集のほうがだいぶ自由、もしくは近代的な感じがします。とはいえ逆に、あえて古風な作りかたをした曲も含まれています。
 第1集は2声から5声のフーガがありますが、第2集は3声と4声だけになっています。声部が多いほうが難しいとは必ずしも言えないのがミソですが、5つのパートをしっかり意識しながら弾いてゆくのは確かになかなか困難です。
 どういう順番で学習したらよいのかは、先生の方針や生徒の適性、あるいは曲の解釈の仕かたなどによりさまざまで、これなら絶対、というプランはありません。バルトークが校訂して、彼の考える難易度順に並べ替えたという版がありますが、私の思う難易度順とはまるっきり違っていて、笑えてくるほどでした。一般通念からもだいぶずれていると思います。もちろん、バルトークも『ミクロコスモス』という有名な難易度順配列の練習曲集を作っているくらいですから、自分なりの基準や信念があったはずですが、それにしても人によってこんなに違うことになるのかと感心しました。
 また、どうしてもフーガのほうにばかり注力してしまいがちですが、プレリュードにも素敵な曲がたくさんあります。第1集のプレリュードはどちらかというと本来の「幕前の音楽」というか、指慣らしのための練習曲風なものが多いようですが、そんな中にもかつてFM放送のクラシック番組の主題曲となっていたロ短調プレリュードみたいなものも含まれているので端倪すべからざるものがあります。この曲はよく指摘されているように、トリオ・ソナタのスタイルを持っています。
 とはいうものの、全体的に見ればやはり第2集のプレリュードのほうが、曲としての完成度は高いように感じられます。ポリフォニーの時代からホモフォニーの時代への過渡的な作品と言えそうなものがいくつも含まれています。
 「ピアノの旧約聖書」と言われるくらいで、ピアニストを名乗るほどの人であれば全曲を繰り返し弾いてみるくらいの意識が必要でしょう。「新約聖書」のベートーヴェンのソナタと共に、「卒業」ということの決してあり得ない曲集であろうと思われます。

 『平均律』と並行して用いるのが良さそうな組曲系ですが、これは『フランス組曲』『イギリス組曲』『パルティータ』と順を追って学習するのが良さそうです。これらの組曲は、アルマンド・クーラント・サラバンド・ジーグの基本4舞曲に、さまざまな曲種を取り混ぜるという形で、いずれも6曲ずつ書かれています。『フランス』『イギリス』『パルティータ』の順序は、いちおうの難易度順になっていると同時に、比較的正統派な舞曲スタイルからだんだんと自由な変形がなされてゆく順番にもなっています。
 これらの組曲についても、前にまとめたことがありますが、もういちど簡単にまとめてみると、『フランス組曲』は基本4舞曲のサラバンドとジーグのあいだにいろんな曲がはさまってゆく形を持っています。それらはメヌエットガヴォットブーレといった舞曲であることもあれば、エア(アリア)などの舞曲でないものであることもありますが、いずれにしろ正統的なステップに比較的忠実に書かれており、それぞれのスタイルを身につけるのに適しています。第1番から第6番まで、だんだんと曲数が増えてゆくのが特徴です。
 『イギリス組曲』は少し趣向を変え、6曲すべてにかなり長大なプレリュードがつけられています。比較的短いのは第1番だけで、第2番から第6番までのプレリュードは、6ページから12ページに及ぶ長いものです。「幕前の音楽」というよりも、協奏曲のようなスタイルを持っているように思えます。
 プレリュードのあとにくる舞曲のほうは、『フランス』よりも控えめで、サラバンドとジーグのあいだにはさまれるのは1種類だけになっています。「ガヴォットI」「ガヴォットII」のように記されているので2曲あるように見えますが、実際には「II」は三部形式のトリオ(中間部)のようなもので、「I」に戻って終わりますから、聴いた感じは1曲だけです。
 また、クーラントやサラバンドにドゥーブル(変奏)がついていたりもします。これの弾きかたはさまざまで、まずサラバンドを最後まで弾いてからドゥーブルに移るという人、前半後半にある繰り返しのときにドゥーブルを活用する人など、特に決まりはないようです。
 『パルティータ』はいろいろ自由になっており、基本4舞曲が揃っていないものもあれば、他種の曲をはさむ場所がクーラントとサラバンドのあいだになっていたりするものもあります。舞曲も、本来のステップとはだいぶ離れて、純器楽曲に近くなっていたりします。
 アルマンドの前に前奏曲があるのは『イギリス』同様ですが、6曲全部違った名前を持っているということは何度か書きました。第1番はプレルーディウム、つまりプレリュードですけれども、第2番はシンフォニア(合奏曲)、第3番はファンタジア(幻想曲)、第4番はウヴェルチュール(序曲)、第5番はプレアンブルム(定訳は無く「端書き」というほどの意味)、第6番はトッカータと題されています。奇数番の前奏曲は比較的軽めで短く、偶数番のそれはかなり長く堂々たるもの、という具合になっています。当時のいろんな曲種のスタイルを学ぶことができます。

 『平均律』と組曲の合い間などに、『イタリア協奏曲』などをはさむのも悪くありません。「協奏曲スタイルで書かれた独奏曲」という面白い曲で、バッハの息子たちなどが創始した古典派型ソナタの原型になったのかもしれない、と私は思っています。
 なお『イタリア協奏曲』と組になって出版された『フランス序曲』というのがあります。これは本来は「フランス風な序曲を伴った組曲」であるわけですが、難易度的にもスタイル的にも、『パルティータ』を全部勉強し終えてから取り組むのが良いように思われます。なお「フランス風な序曲」というのは、ゆったりしたテンポで附点や複附点のリズムを多用した、堂々たる……というよりいささか仰々しい雰囲気の曲で、ヘンデル『メサイア』の序曲などもこのタイプです。
 このほか「半音階的幻想曲とフーガ」「最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリチオ」など、単発の名曲もいろいろありますが、これはお好みで手がければ良いでしょう。

 いずれにしろ、最後の到達点として考えられているのが『ゴールトベルク変奏曲』です。主題は『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』に載せられているくらいですから、そう演奏困難ではありませんが、30の変奏はいずれも一筋縄ではゆかないものばかり、特に「3の倍数」番めに入っているカノンが曲者です。また、二段鍵盤を持つハープシコードのために書かれているものも多く、それを一段しか鍵盤の無いピアノで弾くのは至難の業です。
 ある先生は、弾けても弾けなくても、とにかく毎日変奏をひとつずつ弾くことにしていたそうです。そうすると1ヶ月で全部弾き終えるわけですが、それを何ヶ月も何年も繰り返して、『ゴールトベルク』をついにマスターしたということです。
 ともあれ、『ゴールトベルク』はバッハが当時のあらゆる音楽のスタイルを網羅したカタログ・ミュージックという側面もあり、その意味でもバロック音楽の集大成と見て良いでしょう。これを弾きこなすのは、確かに意欲あるピアニストの野心をそそることかもしれません。
 バッハは晩年、ほかにもカタログ的な曲集をいくつか書いています。『音楽の捧げもの』『フーガの技法』などが知られています。『音楽の捧げもの』の中の6声のリチェルカーレなどは、『ゴールトベルク』に匹敵する難曲と言えそうです。リチェルカーレというのはフーガの原型となったような対位法的な楽曲ですが、ここではほとんどフーガと同じような意味を持ちます。『平均律』に5声までのフーガしか載っていないのを知っていたらしきフリードリヒ大王が、バッハに向かって
 「6声のフーガをひとりで弾くことは可能なのだろうか?」
 と下問したのに答えて作ったものと言われています。
 『フーガの技法』はさらにカタログ的性格の強い作品で、演奏楽器すら明記されていません。弦楽合奏などで演奏することが多いようですが、鍵盤楽器で弾くべきだと主張する向きもあります。もしハープシコードなりピアノなりで弾こうとすれば、これまた途方もない難曲となりそうです。まあこのあたりは、もはや「学習」の対象ではないかもしれません。

 ひとりの作曲家が、初級用からヴィルトゥオーゾ用までの作品をまんべんなく取りそろえ、しかもいずれの段階においても深い音楽性をたたえて学習しがいのある曲を多数書いているというのは、ほかには滅多に見られないことです。難しい曲を書く人はいくらでも居ますが、彼らが「易しくて、しかも感動できる」曲を書けたかとなると疑問です。その意味においても、やはりバッハは「音楽の父」の異名にふさわしい存在だったと実感するのです。

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