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メモリー・オブ・メモリージャーニー [いろいろ]

 昨日(12月10日)からマダムが旅行に出かけています。実家の家族との旅で、過去に住んでいたあたりを再訪してみるというのが眼目だそうです。マダムのお兄さんが、来年から関西のほうに引っ越してしまうとのことで、その前に家族水入らずで旧跡を偲びたかったのかもしれません。お兄さんも妻子を連れずの旅行ということでした。
 マダムは千葉県の生まれですが、小さい頃に青森県むつ市に越しており、その後宮城県矢本町(現・東松島市)に移り、そのあとでまた千葉に戻ってきています。学齢で言えば、むつ市で幼稚園に入って、石巻の幼稚園に転園し、矢本で小学校に入り、途中で千葉に転校したというタイミングです。義兄は彼女の6つ上なので、ちょうどマダムの幼稚園を小学校に、小学校を中学校に代えたようなタイミングとなります。
 今回の旅も、むつと矢本への再訪を主軸としていたようです。
 この2箇所、実はマダムはすでに訪ねたことがあります。そのときは私が同行しました。ふたりで、マダムが昔住んでいたあたりをうろついたのでしたが、実家の家族とも来たいと思ったようでした。
 マダムは記憶が少々混ざってしまっていて、むつを訪ねたのと矢本を訪ねたのが同じときだったように思っていましたが、2箇所を訪れたのは全然別の機会でした。
 矢本への再訪は「マダムのメモリージャーニー」という稿に、むつへの再訪は「道南と青森の旅」という稿の「マダムのメモリージャーニーふたたび」という章に記してあります。前者は東日本大震災直前の2010年12月、後者は2015年7月の旅日記です。詳細はそちらを読んで貰えれば良いとは思いますが、この機にちょっと思い返してみたいという気になりました。

 矢本へ行ったのは、年末のこともあって、いささかあわただしい旅でした。12月23日、当時の天皇誕生日で、往復はどちらも夜行バスという強行軍です。パックツアーなら0泊3日とか記されるのかもしれません。
 最初マダムは、高崎へ行きたいと言いました。高崎へはその後何度も行っていますが、その時点ではまだそう馴染みではなかったと思います。パスタを食べに行きたい、というのでした。
 しかしそれと同時に、夜行バスに乗りたい、という要望も出してきました。夜行バスもその後何度も利用しており、近年などは私を伴わず、ひとりで夜行バスに乗ってあちこち旅しているほどです。名古屋京都姫路倉敷などへ行っているようです。ただしこちらも、2010年現在では、五所川原まで乗ったことがあるくらいでした。なんでそんなところへ行ったのかというと、ある映画の割引券を持っていたのに、その映画がそろそろ公開終了で、五所川原の映画館でしか観られないという理由です。もちろん映画の割引額よりもはるかに物入りでしたが、まあ愉しんできたようだったので良かったのでしょう。
 高崎と夜行バスは両立しません。近すぎて、夜行バスを運行するほどの距離ではないのです。夜行バスとなると、近いところでも静岡福島など、次いで名古屋仙台くらいは離れていないと路線が成立しません。そう言うと、マダムは高崎パスタをあっさり諦め、仙台を選んだのでした。
 ところで、仙台へ行く夜行バスは、仙台が終点でなく、石巻まで行くようです。上に書いたように、マダムは石巻の幼稚園に通っていました。それなら石巻まで乗って、かつての幼稚園を見てみたいということになり、どうせ石巻まで行くのなら、仙石線の電車で矢本も訪ねてみようと決めたのでした。つまりこの旅は、ひょんなことからメモリージャーニーとなったのであって、最初からそのつもりではなかったわけです。

 距離が近いので、出発も23時半と遅い時間でした。バスタ新宿ができる前の新宿高速バスターミナル、現在のヨドバシ新宿西口店ビルのところから出発します。
 あんまり眠れた気がしなかったのですが、ふと気づくと仙台駅のバス停に停車していました。窓から見えた松屋の黄色い電照看板が妙に印象に残っています。時刻は5時半ごろ、ほぼ冬至なので、まだ真っ暗です。
 そこから1時間ほど一般道を走って石巻に着きました。駅前にアルヌール・フランソワーズサイボーグ003号)の銅像があったので驚きましたが、石ノ森章太郎氏の出身地が隣の登米なので、そのあたりは石ノ森作品の顕彰が多いのでした。仙石線の電車にも、石ノ森マンガのペイントがされていました。
 マダムの幼稚園は、石巻駅からは2キロほど離れていたようですが、地図をプリントアウトしてきていたので、歩いて向かいました。かなり寒いですが、雪はまだ降っていません。
 幼稚園にも石ノ森キャラの絵が大きく描いてあったので苦笑しました。もちろん、マダムが通っていた頃にはまだそんな絵は無かったはずです。女の子の絵で、最初さるとびエッちゃんかと思ったのですが、頭の上に輪っかがついているので、処女作の「二級天使」だったのでしょう。
 何台も通園バスが停まっています。マダムも、矢本の家から通園バスに乗って幼稚園に通っていたのでした。けっこう時間がかかったのではないでしょうか。そのあいだじゅう、幼いマダムは前夜のテレビの「ザ・ベストテン」の話を、ちっとも興味が無さそうな運転士に向かって語り続けていたのだとか。いまだに彼女は、相手がまるっきり興味を示していないのに、一向にめげずに自分の語りたい話を語り続けるという癖があります。
 朝早いし、そもそも祝日なので、幼稚園はもちろん開いていませんでしたが、柵の外から眺めてマダムは満足したようでした。そのまま陸前山下駅まで歩いて、仙石線の電車に乗りました。

 15分ほどで矢本に着きます。附近の様子はあんまり憶えていないようでしたが、通っていた小学校はすぐに見つかりました。マダムはなかなか思い出さない様子でしたけれども、校庭にある石碑を見たら、何か記憶の回路がつながったらしく、急に鮮明に思い出したそうです。学校の向かい側にあるA-Coopの店舗にも見憶えがあったとか。
 それよりも、家から学校に通っていた遊歩道を発見し、マダムはそちらのほうが印象的だったようです。というのは、夢の中にしょっちゅうその遊歩道が出てきていたのだそうで、それまでどこの道だかわからなかったと言うのでした。しかし、確かにこの遊歩道だったと断言していました。不思議なことに、遊歩道を発見して実際に歩いてみたあとは、夢にはちっとも出て来なくなったそうです。そんなこともあるのですね。
 この遊歩道は、あとで調べてみると、矢本駅から自衛隊の松島基地への専用線路の跡地でした。いかにも線路跡らしい、ゆるいカーブを描いた道だったので、そうではないかと私は思ったのでした。マダムの住んでいた官舎は基地の隣だったので、この道を歩いたわけです。クルマの行き来も無くて安全だったでしょう。マダムの記憶では30分くらい歩いたと言っていましたが、そこまで長くはなかったようです。

 矢本駅に戻り、ふたたび仙石線に乗りました。穏やかな海辺を走ってゆきましたが、そのあたりは2ヶ月半後の東日本大震災、むしろ「大津災」によって壊滅的な被害を受け、津波に駅ごと持ってゆかれたようなところもあります。その後、線路も駅もだいぶ内陸側に付け替えられ、仙石線の車窓からは海がほとんど見えなくなりました。
 そうとも知らない私たちは、松島海岸で電車を下りて観光船に乗ったり、マダムが七五三を祝ったと言う塩竈神社に行こうとしてあまりに遠すぎて断念したり、仙台で牛タンを食べたり、青葉城公園に行ったりして休日を過ごし、夜になってからスーパー銭湯へ行き、また夜行バスで帰京したのでした。たった一日でしたが、なにげに密度の濃い旅だったと思いました。

 矢本を訪ねたので、マダムのもうひとつの思い出の地、むつにも行ってみたいと思っていたのですが、5年半ほどあとに機会が訪れました。
 2015年の5月から7月という時期は、やたらと行事が立て込んだシーズンでした。何しろ『セーラ』『星空のレジェンド』の両大作の初演かおこなわれたのがこの期間です。なんとわずか一週間差でした。そのほか『法楽の刻』の初演もありましたし、合唱指揮者としての、あるいは合唱団員としての本番もいくつもあったのです。その最後に控えていたのが、小樽商大グリークラブOB会95周年演奏会で、7月19日札幌でおこなわれたのですが、私は1ステージ指揮をすることになっていたのでした。
 そのこともありますし、ちょうど私らの結婚10周年の年でもありましたので、マダムも同行することにしました。
 18日の朝からリハーサルがあり、それまでに来て欲しいと言われていたので、私らはそのまた前の17日に北海道入りすることにしました。で、飛行機を使いたくなかったので、さらに前日である16日に、当時はまだ新青森止まりであった新幹線から、かろうじて残っていた夜行急行「はまなす」の寝台車に乗り継いで、17日朝の札幌に到着したのです。
 その日は暇があったので、夕張を観光しました。これもまだ廃止されていなかった石勝線夕張枝線(旧夕張線)に乗ってこの廃坑の街を訪れ、石炭の歴史村を見学しました。石炭による発電は最近見直されてきていて、特に日本ではCO2排出を劇的に減らした高火力石炭発電が実用化しつつあります。夕張などの炭鉱町も息を吹き返さないかと思うのですが、残念ながらいまのところ、輸入の無煙炭などを使うしか無いようで、国産の石炭ではまだうまくゆかない様子です。
 帰りはどうしてもうまい鉄道の乗り継ぎが無く、高速バスで札幌に戻り、狭苦しいホテルに投宿しました。ここに3泊もしたのです。
 リハーサル、本番とこなして、翌日(20日)には札幌在住の私の親戚たちと昼食会をしたりしてから、バスで洞爺湖へ行き、そこで1泊。さらに次の日は函館まで移動してまた1泊。
 函館で止まった翌朝、下北半島の突端である大間行きのフェリーに乗ったのでした。大間は私の母方の祖母の出身地で、できれば歩いてみたかったのですが、昼食会に集まったおじおばたち、それにうちの母に訊いても、大間のどのあたりに住んでいたかなどということは誰も知らないのでした。仕方なく大間は通過するだけにして、マダムの住んでいたむつの探訪に専念することにしたのです。

 大間から、かなり長いバスに乗って、むつ市の中心である田名部へ。そこでJRバスに乗り継ぎ、下北半島の南辺の国道を走ります。途中に海上自衛隊の基地と航空自衛隊の基地があり、マダムの旧宅は空自の基地の近くにあったはずでした。
 バスの運転手に、空自の基地はどこで下りれば良いかと訊くと、そういう名前のバス停があるとの答えだったので、安心して乗ったのですが、
 「ここだよ」
 と言われて下りた「飛行場前」という停留所は、海自の航空隊の施設であって、空自とは関係がありませんでした。海自の基地の門衛さんに訊いてみると、空自の基地はそれよりひとつ手前のバス停で下りたほうが良かったことが判明しました。滅多に来ないバスではあるし、田舎のこととてバス停の間隔は広いし、いくら北国でも真夏ではあるし、ひどい目に遭いました。
 マダムはどのあたりに住んでいたか憶えていませんでした。さすがに幼稚園年少くらいでは記憶があいまいだったようです。アバート風の官舎はありましたが、マダムが住んでいたのは一軒家だったと言います。
 そのあたりにたむろしていたおじさんたちに訊ねてみると、なんと運が良いことに、そのうちひとりは空自のOBという人で、かなり詳しく以前の様子を教えてくれました。バスの運ちゃんが海自の航空隊と間違えた話をすると、よくあるんだよなあ、と苦笑していました。
 しかしその人も、マダムが住んでいた一軒家の官舎についてはわからなかったようです。ただ、マダムが持っていた写真を見て、家に表示されていた番地を確認し、ある程度地域をしぼりこんでくれました。
 その地域に行って歩き回ってみると、それらしき建物はあったのですが、向きが違っているようだとマダムが言います。マダムのおぼろげな記憶にある向きと一致する家はひとつも無く、記憶が違っているか、家が建て替えられたかしたのだろうと結論するしか無さそうでした。近くを流れる小川などには憶えがあったようです。今回家族と一緒に行ってみて、もう少し判明したでしょうか。

 それから幼稚園へも行ってみました。石巻の幼稚園とは違い、敷地内に入ることができました。平日で、子供たちが通園バスで帰ってゆくタイミングでした。見知らぬ中年夫婦に手を振っている子供たちを見て、何やらほっこりした気分になりました。
 マダムの教わった先生はさすがにもう居ないでしょうが、職員室へ行って話でもしてみようか、と私が言ったのですけれども、マダムは断りました。案外とそういうところでおじけづくたちです。
 幼稚園はそのままあとにしましたが、国道に戻ったあたりで、ある焼き鳥屋が眼に入りました。その屋号というか苗字が、マダムや義母が当時世話になった肉屋と同じで、しかも店の場所がたぶん同じだというのです。苗字そのものは、その地域にわりと多いものなのですが、場所が同じとなればただごとではありません。肉屋が焼き鳥屋に商売替えをするのは、仕入れのルートなどを考えても、充分にありうることです。
 主人らしい老人がランニングシャツ姿で外に出ていたので、今度こそ話しかけてみました。40年近く前にここいらに住んでいた者ですが、と言うと、老人はその頃のことを憶えていたようで、配達に行っていた住人の名前まですらすらと口にしました。その筆頭のような感じでマダムの旧姓が挙げられたので、これは感激ものです。しばらく話をしたあと、写真を撮りたいと頼んだら、老人はあわてて店の中に入って服を着て出てきました。
 この店の話は、旅先のマダムからメッセージが来ました。あれから8年、さすがに店を閉めて、息子さんのところへ行ったらしい、と乗ったタクシーの運ちゃんが言っていたとか。タクシーの運ちゃんが道沿いの店のそんな消息を知っているなんてところが、田舎らしくて微笑を誘います。
 私らは、また路線バスに乗って大湊駅まで戻り、そこからJR大湊線に乗って野辺地へ行き、野辺地からほど近い馬門温泉に泊まったのでした。翌日は十和田現代美術館を訪ね、昼過ぎまで過ごして、バスで八戸まで行き、またスーパー銭湯に立ち寄ってから、夜行バスで帰京しました。行きの夜行列車と帰りの夜行バスを含めると8泊となり、ふたりでした旅の中では、海外も含めてそれまででいちばん長かったかもしれません。

 自分のことではないのに、どちらのメモリージャーニーも私は愉しめました。今回はマダムは実家族と一緒に再訪しているわけですが、愉しめていれば良いと思います。明日の夕方帰宅予定です。

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