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"ニート”作曲家シューベルト [ひとびと]

 この前声楽家の友人と話していたとき、なんの拍子にか
 「シューベルトの5番のミサ曲
 という曲名が話題に出ました。どこぞで歌ったという話ではありましたが、私はふと疑問を覚えました。
 ミサ曲というのはいろんなタイプのものがありますが、基本的にはかなり大規模な楽曲です。独唱、合唱、オーケストラを駆使した大作になることが普通です。まあ、ルネサンス期には無伴奏合唱によるミサもたくさん書かれていますし、編成が小さいものが無いというわけではありません。しかし少なくとも、古典派からロマン派あたりにかけてミサ曲といえば、ベートーヴェン荘厳ミサ曲などで代表されるように、大がかりなものがほとんどでした。
 シューベルトのミサ曲も、当然その流れにあります。彼は6曲のミサ曲と、「ドイツ・レクイエム」そして「ドイツ・ミサ」(この2曲は、ラテン語による通常典礼文でなく、ドイツ語をテキストにしているのでこう呼ばれます)を書きましたが、ほとんどが3~6人の独唱者と混声四部合唱、それにオーケストラとオルガンを伴う大規模楽曲です。第2番と第4番は弦楽のみのオーケストラ、ドイツ・レクイエムはオルガンのみの伴奏、ドイツ・ミサは独唱が無く管楽器主体のアンサンブルとオルガン、ということになっていますが、演奏に大変な手間と費用のかかるものであることに変わりはありません。

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真田という一族 [ひとびと]

 最近はNHKの大河ドラマも昔ほど熱心には見なくなっています。まったく見ない年も少なくありません。去年の「花燃ゆ」などいちどもチャンネルを合わせませんでした。
 今年は「真田丸」で、わりに馴染みのあるテーマであることと、三谷幸喜氏の脚本であることで、見てみる気になりました。とりわけ三谷ファンということでもないのですが、古畑任三郎を愉しんで見ていたのは確かですし、何年か前に映画「清須会議」を観に行ってなかなか面白かった記憶があります。また大河ドラマでは「新選組!」を書いており、いつもながらの大河とは少々毛色が変わっていて、批判する人も多かったものの私は愉しめました。そんなこんなで、三谷氏が真田一族をどんな具合に料理するのか興味を覚えたわけです。
 主人公は真田信繁、古来ずっと「幸村」と呼ばれていた人物です。近年になって、幸村は本当は幸村とは名乗っていなかったのじゃないかという説が有力となり、本名とされる信繁を用いる本が多くなってきました。若い頃は信繁だったが、九度山隠棲後に幸村という号を名乗ったかもしれない、という説もあります。
 確かに幸村という名前は同時代資料には現れず、ずっとあとの軍記物になって出てきたものらしいのですが、何か根拠はあったのかもしれません。真田家の資料にも幸村という名前は出てきます。これを、

 ──真田の本家の資料まで、講談にひっぱられて「幸村」などという名前を載せているのだから嘆かわしい。

 みたいに憤っていた人も居ましたが、本家の資料というものをそう軽視すべきではなく、なんらかの言い伝えがあったと考えるほうが自然ではないでしょうか。
 ともあれ、今年の大河ドラマでは「信繁」の名前で扱ってゆくことになるようです。

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西江雅之先生の訃報 [ひとびと]

 今朝の新聞に、文化人類学者の西江雅之先生の訃報が載っていました。
 わずかな期間ながら、私は西江先生の謦咳に接したことがあります。
 私の通った東京藝術大学というところは、大学とは名ばかりの専門学校であると、学生なども自虐的に言ったりしていました。
 「おれたちって、実際は高卒だよなあ」
 などと言い合っていたものです。附属の芸術高校(芸高)から入ってきた連中に至っては、
 「おまえらはまだいい。おれたちなんか中卒だ」
 とも言っていました。
 要するに実技がメインで、一般教科などは教える側もおざなりだし、生徒・学生の態度もいい加減なものだったという実情を、そういう言いかたで自嘲していたわけです。
 いちおう文部省(当時)管轄の大学でしたから、一般教養科目の単位の取得も義務づけられていましたが、普通の大学に較べると、一単位に対する講義時間数も少なかったし、取得要件も甘かったことは言うまでもありません。たいていの科目は出席とレポート提出だけで単位が出ましたし、試験をおこなう場合でも、ノートや参考書の持ち込みは自由であることが普通でした。
 そんな状態ですが、一般教養科目を教える講師のほうは、実はかなりレベルの高い先生がたが招聘されていたのです。国立つながりということなのか、本務は東大で、週に一度だけ非常勤講師として藝大に教えに来るというパターンが多かったのではないかと思います。

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ナザレの人の子 [ひとびと]

 ムハンマドは教祖というより教育者的な人物だったのではないか、という意見をこの前書きましたが、それではイエスというのは実際にはどんな人だったのだろうか、と考えることがあります。
 新約聖書以外に文献が残っていれば良いのですが、どうもそんなものも無さそうです。イエスの生きた時代、パレスティナの地はローマ帝国の属州(もしくは植民地)でした。第2代皇帝ティベリウスの治世が、大体イエスと重なります。ローマ帝国の同時代史料はいろいろ残っているはずですが、イエスについて触れたものがあったという話は聞きません。ローマから遠く離れた植民地の片隅で、ぼそぼそと呟いていたような人物について記録する者も居なかったのでしょう。
 ユダヤ人は紀元前11~10世紀頃にかなり強大な王国を築きますが、ソロモン王の歿後、その古代イスラエル王国は分裂してしまいます。北部のイスラエル王国アッシリアに亡ぼされ、民族の痕跡もとどめなくなりました。いわゆる「失われた十支族」とされるのがこれで、その一部が東へ東へと逃れてついに日本に来ていた、などというトンデモ説がささやかれたこともありました。実際には、アッシリアという帝国は意外とゆるいところがあって、麾下の特定の民族を圧迫するということもなかったため、いつの間にか融けてしまったのでしょう。

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陳舜臣氏の訃報 [ひとびと]

 前のエントリーでも少し触れたのですが、陳舜臣氏が亡くなったという報を聞いて、残念に思いました。まあ90歳になっていたということで、死因も「老衰」とのみ触れられており、大往生であったのでしょう。
 同窓生にして畏友の司馬遼太郎氏がわりに早く亡くなったことを思うと、むしろよく生きていてくれたと考えるべきかもしれません。
 同窓生というのは大阪外語学校(現在の大阪外語大学)でのことで、学年もほぼ同じくらいだったのではないかと思います。その後私の大伯父のひとりがこの学校の卒業であると知り、急に身近な気がしてしまったものでした。司馬氏はモンゴル語科で、陳氏はペルシャ語科であったようです。
 司馬氏のモンゴル語というのがまさに奇想天外で、ほとんど使い道もなかったのではないかと思います。青年時代、司馬氏は本気で満洲へ渡って馬賊になるつもりだったそうで、そのためにはモンゴル語がわからないといけないだろうと思ってその科に入ったというのだから、とぼけているというか呑気というか。結局卒業前に学徒動員され、戦車隊に配属になって満洲へ送られたというのだから、オチまでついています。ただ、その後作家となって、日本のみならず大陸の歴史も扱うようになりましたが、中国を語る際に、決して中国に身を置いた立場にならず、周辺民族──特に北方の遊牧民族──の立場から中国を俯瞰するという、一般的な中国文学者とは違ったスタンスであり続けた点は、やはりモンゴル語を学んだ余得というものだったかもしれません。

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クレメンティという作曲家 [ひとびと]

 高校生の頃に、音楽大学を受験するための模擬試験を何度か受けたことがありますが、楽典の問題の中にこんなのがありました。

 ──古典派の作曲家を4人挙げよ。

 楽典というのは音楽に関する基礎知識のことで、音符の種類や調の名称、楽語の意味などからはじまり、和声法対位法楽式論楽器学音響学音楽史など、音楽の各種理論のごくざっと入口を総花的に学びます。音楽を専門的にやるつもりならこのくらいは理解していないとダメだろうという程度のもので、模擬試験のあとの講評で私は
 「作曲科を受けるんなら100点とれないと困るよ」
 と言われました。もっとも、私の大学の作曲科には楽典の試験はありませんでした。すべてマスターしているのが前提ということだったのでしょう。他の科の受験生はけっこう苦労していたようです。
 さて、上の問題は音楽史に関することであるわけですが、ちょっと意地悪な出題と言えます。

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八村義夫先生のこと [ひとびと]

 大学1年の時の私の作曲の師であった八村義夫先生の唯一の合唱曲『愛の園──アウトサイダーI』を聴く機会がありました。
 八村先生はきわめて寡作な作曲家であって、遺作となった未完の『ラ・フォリア』というオーケストラ曲が確か作品16だったか17だったかだと思います。47歳の若さで早世されたわけですが、作品1とされているのが高校時代に書いたピアノ曲であることを考えると、約30年間で16、7曲というペースですから、驚くべき少なさです。
 『レクイエム』などで有名なモーリス・デュリュフレも非常に寡作で作品14までしか作っていませんが、デュリュフレはむしろオルガニストが本職みたいな人でしたから、作曲家としての活動が薄かったのも納得できないではありません。
 しかし、八村先生は私の知る限り、演奏者として活躍なさったことはありませんし、音楽学校で学生を教える以外の職に就いていたことはないはずです。プロパーな作曲家としてこれだけ寡作な人は珍しいのではないかと思われます。
 むろん数が少ないだけに、一曲一曲がきわめて精緻に練り上げられ磨き上げられた音楽となっています。
 私も決して勤勉な作曲家ではありませんが、自分でつけた作品番号はすでに80を超えています。八村先生のことを想うと、どうも「粗製濫造」という言葉が頭に浮かんでしまい、忸怩たる気分になってしまいます。

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「現代のベートーヴェン」の転落・またもや [ひとびと]

 佐村河内守氏が記者会見をおこないましたね。暴露がおこなわれてから一応2本もエントリーを立てたので、フォローしなければとは思いましたが、なんだかだんだんと興味が失われてきました。
 記者会見の模様はリアルタイムでは見られず、あとから動画に上げられているのを見ただけですが、私が知りたかったことはほとんど解明されていないようです。通り一遍の謝罪があったのちに、ゴーストライターを務めていた新垣隆氏が嘘を言っているという批難に移り、名誉毀損で訴えるなどと言い出しました。こういうところであまり常套句を用いたくはないものの、盗っ人猛々しいというのはまさにこれでしょう。
 どうひいき目に見ても、この人物には私が予想したような深刻な屈折や苦悩があったようには思えないのです。あったとすれば名声への渇望とか、そんなものだけでしょう。
 表現そのものについて、夢想と能力とのギャップに苦しんだ揚げ句、芳しからぬ手段を採ってしまった……ということであれば、前にも書いたように、私にも理解はできるのです。もちろん擁護はできませんが……。
 しかし、どうやらそんな表現者特有の煩悶があったとは、会見の様子を見る限りにおいては、まったく感じることができませんでした。

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黒田官兵衛という人物 [ひとびと]

 NHK大河ドラマはしばらく見ていなかったのですが、今年の「軍師官兵衛」はわりと好きな題材であるのと、うちにビデオデッキが増えて毎週録画が容易になったのとで、いちおう最初から毎回見ています。
 第1話の冒頭から小田原攻め「人を殺すことを好まない戦国武将」というキャラクターをアピールしていましたが、これは大河ドラマの主人公としてはもう仕方のないことでしょう。近年の戦国もの大河を見ても、直江兼続山本勘助山内一豊も、みんなそんなことになってしまっています。戦好きで敵をじゃんじゃん殺すような人物では、大河の主人公にはして貰えません。実像はどうあろうと、主人公になるのならば戦嫌いの平和主義者にせざるを得ず、その分他の誰かが割を食う、というのがいつものパターンです。
 それでのっけから「ああ、またか」と呟いてしまいましたが、まあ大河ドラマを見る以上そこは納得しなければなりません。
 秀吉役が竹中直人氏で、たぶんわざとだと思いますが97年の「秀吉」とかぶらせた脚本・演出になっています。空中に一文字ずつ置くようにしながら「心・配・御・無・用」と言うのを聞いた時は噴き出しそうになりました。こういう遊びがあるのは楽しいですね。

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続・「現代のベートーヴェン」の転落 [ひとびと]

 ソチ・オリンピックがはじまって、「現代のベートーヴェン」こと佐村河内守氏の話題も少々下火になってきた模様ですが、数日間の騒ぎはすごかったですね。
 こういうのは、ひとたび火がつくと、たちまち燃え上がるものであるようで、彼の「嘘」を証明するような事象が次から次へと出てきました。妻の母親のインタビューまで出てくるに至っては、まあ勝負あったというところでしょう。
 作品が別人のものであったというだけではなく、全聾というのも嘘だったようですし、ゴーストライターの新垣隆氏にあれこれ指示して作らせていたというのすらも怪しくなってきました。指示書なるものが明らかに妻の筆跡であったというのです。下手をすると、最初から最後まで、曲の制作にはタッチしていないなんてこともありそうです。
 まだ本人の発言が無く、最初に弁護士を通じて示された簡単なメッセージがあるばかりですので、いろいろ立ちのぼってきた疑惑の数々が、本当のところはどうなのか、まだはっきりとはしていないところがあります。しかし、「現代のベートーヴェン」なる人物が基本的に嘘で塗り固めたような存在であったことは、どうやら確かなように思われます。

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