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続・「現代のベートーヴェン」の転落 [ひとびと]

 ソチ・オリンピックがはじまって、「現代のベートーヴェン」こと佐村河内守氏の話題も少々下火になってきた模様ですが、数日間の騒ぎはすごかったですね。
 こういうのは、ひとたび火がつくと、たちまち燃え上がるものであるようで、彼の「嘘」を証明するような事象が次から次へと出てきました。妻の母親のインタビューまで出てくるに至っては、まあ勝負あったというところでしょう。
 作品が別人のものであったというだけではなく、全聾というのも嘘だったようですし、ゴーストライターの新垣隆氏にあれこれ指示して作らせていたというのすらも怪しくなってきました。指示書なるものが明らかに妻の筆跡であったというのです。下手をすると、最初から最後まで、曲の制作にはタッチしていないなんてこともありそうです。
 まだ本人の発言が無く、最初に弁護士を通じて示された簡単なメッセージがあるばかりですので、いろいろ立ちのぼってきた疑惑の数々が、本当のところはどうなのか、まだはっきりとはしていないところがあります。しかし、「現代のベートーヴェン」なる人物が基本的に嘘で塗り固めたような存在であったことは、どうやら確かなように思われます。

 前回この騒ぎに触れたエントリーの最後のほうで、私は、

 ──佐村河内氏は単に「ちょろい成功」を愉しんでいただけなのでしょうか。それとも本当に音楽への真剣な想いがあって、それを自分の力で形にできない苦悩が、こういうやりかたを選ばせてしまったのでしょうか。

 と書きました。
 私としては、やはり後者であって貰いたいという気持ちがありました。私も表現者のはしくれとして、「表現しきれないこと」の焦りやいたたまれなさといったものは、いちおう理解できるつもりです。その結果としてとった手段はとても弁護の余地が無いものであったとしても、ある程度自分の中で納得することはできたように思えます。
 音楽大学に入る前の、充分な技術が伴わなかった頃は、私自身も「表現したいこと」と「表現できること」のギャップに悩みました。だから未完の習作がおそろしくたくさんあります。多楽章形式の曲のつもりではじめて、1、2楽章だけできてやめてしまったというものも数多くあります。
 いちおう形になったものにしても、あとで音にしてみて、われながらどうにも無理が感じられるところが、どの曲にも何箇所かは存在するのでした。転調が不自然であったり、構成が無理矢理であったり、明らかに何かのパクリっぽかったり。
 そういう中からかろうじてすくい上げて作品番号を与えたのが、「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」「無伴奏フルートのためのパルティータ」「混声合唱曲『道』」の3曲ですが、これにしたって、いまの眼でみた時の不満はいくらでもあります。
 シャコンヌがバッハの真似であることは言うまでもありません。ただ、作曲して7年くらい経ってから桐山建志くんに音にして貰ったのですが、これはこれでわりと佳いと彼は思ったようで、暗譜した上に、その後私に会うとちょくちょくこの曲の出だしのところを奏でたりしてくれます。
 パルティータは、音大に入る前という時点での私なりの「無調性」への到達点ではあったものの、構成曲である古典舞曲(アルマンドクーラントサラバンド等)への理解が充分でなかったことが悔やまれます。グリーク『ホルベア組曲』ラヴェル『クープランの墓』でおこなわれていたことを、ごく皮相になぞっただけであったと思います。
 その点「道」はまあまあかもしれませんが、まだ構成の散漫さが感じられます。
 いずれにしても、自分の表現力が、自分の夢想に追いついてくるまでは、ギャップがあるのがあたりまえです。自作の曲を客席や音源で聴いてみて、

 ──おっ、こりゃ実はなかなか佳い曲なんじゃないか。
 ──おれってもしかして才能ある?

 などと厚顔な感想を持てるようになったのは、大学を出てしばらく経ってからのことでした。
 とはいえ、考えてみれば、大学では別に言うほどの「技法」などは学んだ憶えがありません。最初についた八村義夫先生のところで、対位法楽曲分析を勉強はしましたが、それが直接自分の役に立っているかどうかは微妙です。他の先生のところではそれさえもありませんでした。和声法楽式などは受験前に叩き込まれて、入学した時にはすでに身についていました。逆に管弦楽法については大学ではさほど身につかず、卒業後にオーケストレイションの仕事などをして、現場で場数を踏まなければ習得できませんでした。
 では、大学で私は何を学んだのかと言えば、主なものは音楽という「空気」だったのではないかと思います。同じ作曲を志している同級生が居り、さまざまな楽器や歌を学んでいる仲間が居り、いろいろ辛口の批評や示唆をしてくる先輩たちが居り、私のほうからも他人の作品の譜面を見ていろいろ考え……という「場」で、自分の至らなかったところに気づき、自分が本当に書きたかったものを見つけられたのが、音大に4年間通ったことの、私にとっての意義であったろうと振り返ることができそうです。
 私だけではなく、作曲科に限って言えば、たいていの人がそうであったでしょう。そういう「場」になじめなくてリタイアした仲間も居ました。群れたがらぬ孤高の表現者であったと言えないこともありませんが、その後ちっとも名前が聞こえてこないところを見ると、やはり切磋琢磨のストレスから逃げただけだったのかもしれません。また、上に書いた「気づき」や「発見」ができなかった仲間は、結局筆を折ってしまっているようです。
 そういう意味では、「独学で作曲を習得する」ことの難しさを感じざるを得ません。確かに、誰に習わなくとも、美しいメロディやいかしたリズムを思いつく人は居るでしょう。しかし、それを「作品」に仕上げるためには、まったく別の要素が必要なのです。
 教科書によっていろいろ独習することは可能ですけれども、例えば和声法などは、やはり適切な指導を受けないと、間違いに気づくことができません。課題を実習する上で犯してしまう数限りない間違いを、どうしてそれが間違いなのか納得しつつクリアしてゆかないと、結局わけがわからないことになります。
 そしてそれ以上に、音楽という「空気」を感じずに大成することはまず無理であろうと思うのです。天才には、「先生」は必ずしも居なくて良いかもしれません。しかしその場合でも、「仲間」は必要なのです。自分と同レベルかそれ以上の仲間(同業者でなくても良いのですが)と、歯に衣を着せぬやりとりをしてこそ、何事かを見つけることができるはずです。「玉磨かざれば光なし」とはまさしく至言であると感じ入る次第です。

 結局、佐村河内氏の実像とは、なんだったのでしょうか。
 耳が聞こえないのも嘘だったことが判明しました。全聾どころか、難聴ですらなかったふしがあります。彼を特集したテレビ番組で、出演者にうしろから話しかけられてうっかり返事をしているシーンが、動画サイトに上げられていました。なんの気なしに返事をしてしまって、あわてて手話通訳者のほうを見た時のうろたえた表情までばっちり映っていました。
 言うまでもなく、背後からの声というのは、全聾者が返事できないのはもちろん、難聴者にとってもいちばん聴き取りづらいもので、前触れ無く何か言われれば、確実に聞き返すでしょう。
 「これが『HIROSHIMA』の譜面ですか」
 「そうですね」
 こんな自然なやりとりができるはずはありません。
 こんなシーンが映っているのに、番組のスタッフが何も気づかなかったというのも奇妙な話です。確かに視聴者も、放映時には誰も気づかなかったようですが、ひとたび疑惑が起きればすぐに検証できることでした。編集時になんども映像を見たはずのディレクターは、おかしいとは思わなかったのでしょうか。思わなかったのなら無能と言って良いほどのぼんやりですし、変に思ったにもかかわらず

 ──番組に穴はあけられない。

 と考えて眼をつぶったとすれば、番組スタッフも佐村河内氏の共犯者だと言われても仕方がないでしょう。最近テレビ番組の捏造や誤誘導が盛んに問題となっていますけれども、この件もそのひとつに数えられそうです。
 ゴーストライターの新垣氏も、彼の耳が聞こえないと感じたことはいちども無い、と証言しています。そもそも、新垣氏の作った音源を聴いて佳いものを選んだり指示を出したりしていたと言うのですから、何をか言わんやです。
 いつも濃い色のサングラスをかけていたのは、太陽光に弱かったのではなく、音に反応して眼がうっかり動いてしまうことを他人に悟られないようにするためだ、などと推測する人も居ました。
 2級の障碍者手帳を持っていたようですが、全聾どころか難聴ですらないとすれば、この手帳も詐取したことになってしまいます。
 楽譜を読むことも書くこともできなかったとささやかれていますが、この点はどうでしょうか。
 幼い頃に母親から基礎をみっちり教わったというのは、佐村河内氏ではなくて新垣氏のエピソードであったとも言われています。
 バンド活動や、ゲーム音楽を作っていたというのは事実であるようです。もちろん、楽譜を読み書きできなくとも、バンド活動はできますし、コンピューターミュージックを作ることもできます。ゲーム音楽業界ではそこそこ知られた存在であったとも聞きます。ゲーム音楽を何かの機会にアコースティックな形に編曲しなければならず、オーケストレイションができる人を探していて新垣氏と知り合った、という経緯だったのでしょう。
 しかしそれが、

 ──「全聾の作曲家」という触れ込みで売り出すことにしよう。

 という「企画」にどう結びついていったのか、これはやはり本人の告白が無ければわかりません。ゲーム音楽くらいをちょこちょこと作っていた人間が、交響曲などという大それたものを企画するには、やはり新垣氏と知り合ったことが契機になっているのでしょうが。
 そこで、やっぱり私の最初の疑問に戻ってしまうのです。

 ──バンド活動やゲーム音楽制作などのしがない仕事に携わりつつも、いつか大交響曲を書き上げることを夢想していた男。しかしさしたる音楽教育も受けず、独学でつまみ食い的に勉強していただけの彼には、そんな表現技術があろうはずもなかった。夢想と現実のギャップに苦悩する彼。そこへ、確かな専門技術を持ったもうひとりの男が現れる。彼はその男に夢想を語る。その男は、彼の想いにある程度共感し、夢想を形にすることに手を貸す。

 こういう事情なら、擁護はできないものの、理解はできるのです。しかし、

 ──たまたま知り合った無名の作曲家を見て、こいつを使って世間をあっと言わせてやろうと考えた。

 というシンプルきわまる事情である可能性も捨て切れません。これだったらどう考えても詐欺師であり山師であり、いかなる同情のしようもありません。根底には世の中への不信と不遇感があったのかもしれませんが、舐めた話であることに変わりはなさそうです。
 ともあれ「全聾の作曲家」というキャラクターを創ったのは、明らかに話題性を狙った行為だったと思います。その経歴なるものも大半は「キャラ設定」に違いありません。まさにゲームのアバター(プレイヤーの分身としてゲーム内で動くキャラクター)を作るようにして自分のキャラクターを「作成」したのでしょう。
 もしかしたら最初は「シャレ」であったのかもしれません。しかし、そうやって発表した「交響曲第一番『HIROSHIMA』」が、自分で思ったよりもずっと話題を呼び、時の人のようになってしまい、作曲の注文も続々来るようになって、もはやゲームを下りるわけにゆかなくなってしまった……というところが真相ではないでしょうか。そして唐突に、ゲーム・オーバーが訪れたのです。

 ゴーストライターを辞めたいと言う新垣氏に対し、佐村河内氏は、
 「それなら自殺する」
 と脅していたと言います。本当に自殺する気があったのかどうかはともかくとして、新垣氏に去られては作曲家としてやってゆくことは不可能であり、必然的にすべてがばれてしまいますから、自殺したいような気分になるであろうことは確かでしょう。
 佐村河内氏が何度も自殺未遂を起こしているというのが、「キャラ設定」であるのか本当のことであるのか、それもわかりません。ただまあ、「自殺する」とすぐわめくような人間は、滅多に本当の自殺などしないものです。実際、すべてがばれてしまった現時点で、佐村河内氏はまだ生きているようです。一向に姿を現さないのは、
 「世間に顔向けができない」
 という感覚を、まだかろうじて持っていたからと思いたいところです。
 しかし、可能ならばやはり自分の言葉で語って貰いたいものです。「全聾の作曲家・佐村河内守」を「作成」するに至る詳しい経緯を。

【後記】このエントリーをアップした翌朝(12日)、佐村河内守氏から届いたとされる謝罪文が公表されました。耳は前は確かに聞こえなかったが、最近になって少し聞こえるようになってきている、という内容です。これまたにわかには信じがたい話です。記者会見ではなく、一方的に謝罪文を送りつけてきただけですから、検証のしようもありません。
 また、エントリーで私が書いた疑問に対する答えにはまったくなっていませんでした。「全聾の作曲家」の誕生までのストーリーは、まだまだ穴だらけと言わざるを得ません。


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kaz

 単なる個人的感想の垂れ流しかもしれませんが、今回ほど世間の風向きというものがよくわからない代物であることを感じたことはありませんでした。ゴーストライターの件が発覚する前は、少なからぬ音楽関係者がHIROSHIMAが名曲であるとの評を述べていたそうですが、発覚後はだれもそのようなことを述べませんし、述べることができないようです。好意的な意見であっても、新垣氏の人柄を評価するか、「よく勉強して書けている」といったものに留まっています。幸い私は貧乏学生なので、CDを買う余裕もなく、今回の件にあまりコミットせずに済んだと言えそうですが、自分の審美眼には全く自信が持てなくなりました。
by kaz (2014-02-14 00:14) 

コンビニ作曲家MIC

#kaz様
私は思うのですが、「同時代」の作品への客観的評価というのは、もともと無理に近いのではないでしょうか。
特に音楽については、100年くらいのスパンが必要なのではないかと考えます。
例えばベートーヴェンと同時代にヒンメルという作曲家が居て、ベートーヴェンよりはるかに人気があってもてはやされていたのですが、今に残る作品はほとんどありません。
人が「世評」に左右されるのは、今も昔も変わらなさそうです。
100年くらい経って、人々から作曲家個人の直接的イメージが抜けた頃になって、ようやく客観的な評価ということができるように思います。
同時代の作品であれば、やはり「全聾の作曲家が作った」というような、なんらかの「感動的なストーリー」が付随しているもののほうが、補正を受けた形で高評価を得るということが、むしろ普通なのではないでしょうか。
もっとぶっちゃけて言えば、究極的には「好き、嫌い」でしか判断できないような気がします。
これが時代のふるいを経て残ったものであれば、「ベートーヴェンは好きじゃないが、やはり名曲と認めざるを得ない」ということも出てきますが、同時代の場合は、その判断基準というものが明確ではありません。
「ストーリーに感動した→好きになった→高評価→名曲だ!」となっていたものが、おおもとのストーリーがニセモノであったとわかって、「嫌いになった→低評価→駄作だ!」ということになったとしても、決して手のひらを返した人々を責められないと思うのです。

さっき、高橋大輔くんのBGMに使われていた「ヴァイオリンのためのソナチネ」を聴きましたが、まあ少なくとも「天才の作品」とは思えませんでしたね(笑)
by コンビニ作曲家MIC (2014-02-14 22:07) 

kaz

#MIC様
わざわざご丁寧なお返事をありがとうございました。

今のご説明でかなり得心がいきました。たしかに聾であったベートーヴェンをとってみても、私にとっては縁遠い人物ですし、この曲が聾であった時につくられたものかどうかを本気で悩むような解釈は寡聞にして存じ上げません。一方で時代が下って、たとえば瀧廉太郎になると、結核による夭折のエピソード、死の直前の作曲などというのが強調されるような気がします。もちろん、彼が本格的に作曲の才能を開花させる前に亡くなっており、その無念さを強調したいという狙いはあるのでしょうが。私としては、袖すり合うも他生の縁ではありませんが、今回の騒動をきっかけ(?)にして、古今の名曲に親しむ人が増えればなあといい加減なことを考えております。
by kaz (2014-02-14 23:39) 

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