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「日々是修行」作曲家ハイドン [ひとびと]

 ハイドンのピアノソナタをひとわたり弾くということは、これまで何度かやっているのですが、それなりに毎回違った発見があって、なかなか面白かったりします。もちろん、人前で弾くわけではなく、自分個人の娯しみですが。
 使っている楽譜は音楽之友社から出ているウイーン原典版という本で、なるべく自筆譜や初版本に基づいて編集されています。校訂者の意見はページ下の註釈で示され、それで足りない部分は附録として巻末に記載されています。ハイドンの若い頃、1750年代くらいだと、まだ統一された記譜法が確立されておらず、装飾音の表記とか、ダイナミクス、アーティキュレーションなども、現在に較べてきわめて不充分な記載でしかありませんでした。さすがに1790年代くらいまで下ると、記載もかなり詳細になってきますが、そういう移り変わりが見て取れる点、やはり原典版は便利なのでした。
 当然ながら、初期作品はフォルテとかピアノなどの記号、あるいはスラーなどが欠けたものが多いわけで、それをどう補って弾くかは演奏者に委ねられることになります。当時の演奏スタイルをどのように解釈するか、あるいは自分自身の感覚の赴くままにフレージングなどをつけてゆくか、そんな自由もあって、作曲者の事細かな書き込みを読み解かなければならない近現代の作品を弾くのとは違った愉しみかたができるのでした。

 ハイドンは交響曲の父とか古典派音楽の父とか言われていますが、現代の音楽家にとっては、いささか退屈に思われることが多いようです。交響曲「驚愕」とか「告別」とか、いろいろ面白い趣向をこらしている曲も少なからずあるのですけれども、全体的に見れば良くも悪くも古典派音楽そのものであって、音の運びがほぼ予測の範囲にとどまっているのが原因かもしれません。ほぼ「こう来るだろうな」と思ったとおりに音が動くので、あまり意外性が感じられないのでしょう。
 ときに思いがけない和声進行や、不思議な転調なども出てくるのですけれども、おおむねのところは主和音・属和音・下属和音による正統的なカデンツァの中におさまっており、なおかつバッハに見られたようなポリフォニーから来る複雑な曲折も見れらないとなれば、確かにいまの眼から見れば、平凡で退屈と感じられるのもわからないではありません。
 22歳年下のモーツァルトともよく比較されます。というか、モーツァルトを語るときに、なぜかハイドンが引き合いに出されることが多く、ハイドンに較べてモーツァルトはこれほど素晴らしい、というような言われかたをすることがよくあるのでした。手許にあったモーツァルトのソナタアルバムの序文を見ても、モーツァルトのソナタ形式はハイドンに較べてより主題の対照が明確だとか、第二楽章の手が込んでいるとか、そんなことが書かれていました。
 ほぼ一世代違うハイドンとモーツァルトを並べて論ずるのもいかがなものかと思いますし、なおかつハイドンは短命だったモーツァルトの死後もしばらく創作活動をしていたのですから、その長い作曲歴のいつ頃を対象として語っているのか、それをはっきりさせないと、この比較にはあまり意味が無いような気がします。ハイドンという人は、生涯、他人に学び続けた作曲家でした。後輩のモーツァルトはもちろん、晩年の作品では自分の弟子であったベートーヴェンからすら影響を受けていた形跡があります。
 全ピアノソナタの何度目かの通奏、そして川口第九を歌う会で晩年のオラトリオ『四季』を練習していることなどをからめて、少しこの巨人について考えてみたいと思います。

 ハイドンのピアノソナタは、いちおう62曲あるとされています。以下、曲番はウイーン原典版に従います。しかし第21番から第27番までは主題の断片しか残っていないようです。第28番も第一楽章は終わりの部分と、冒頭の主題が残っているに過ぎません。ほかの作品でも、後人が補作したものがあるようです。
 主題の断片だけ残っているというのは、ハイドン自身が作品目録を作っていて、そこに各曲の頭の部分を記載しているからです。目録にはあるけれど、本体の一部または全部が発見されていないのが7、8曲あるというわけです。この種の自筆譜というのは、完全に失われてしまう場合もありますが、思いもよらないところで発見されるということもあり、特に個人が所有していた場合はなかなか表に出づらいようです。
 なお、これら断片的な作品には、「チェンバロのためのディヴェルティメント」とタイトルが付されているのが興味深いところです。ディヴェルティメント(嬉遊曲)はセレナード(小夜曲)と同趣の曲種で、貴族の晩餐などのときにBGMとしてお抱え楽団が演奏した曲です。編成はさまざまで、独奏の鍵盤楽器のこともあり、弦楽四重奏のこともあり、管楽器主体のこともありました。室内楽曲の先祖のようなものですが、貴族がお抱え楽団などを雇う余裕が無くなると共に曲種そのものもほとんど書かれなくなりました。
 もしかすると第20番以前の作品も「ソナタ」ではなく「ディヴェルティメント」と題されているものが含まれていたのかもしれません。ディヴェルティメントの構造はさまざまで、わりにとりとめのない小曲集ということもあれば、のちのソナタ構造とほぼ同じ形ということもありました。楽章数も3~7くらいでいろいろあったようです。分類としてはセレナードである「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、のちの弦楽四重奏曲とほとんど区別のつかないような楽章構成であったことが想起されます。
 ディヴェルティメントにこだわっているのは、記念すべきハイドンのピアノソナタ第1番(Hob.XVI-8)が、全曲中唯一の「四楽章制」をとっているからです。わずか3ページしかない小品ですが、いちおうソナタ形式を備えている第一楽章、メヌエットの第二楽章、アンダンテと記された第三楽章、アレグロと記された第四楽章から成っています。第2番以降は、第13番(Hob.Xvi-6)を除いてはすべて二楽章制か三楽章制を採っており、ベートーヴェンが第1番のピアノソナタで四楽章制を導入するまで、ピアノソナタは基本三楽章、ときどき二楽章という構成から外れることはほぼありませんでした。にもかかわらず、ハイドンが最初のピアノソナタで四楽章制を採っているのは、そもそもこれが「ソナタ」ではなかった可能性があると思うからです。ディヴェルティメントであれば、四楽章を持っていてもおかしくはないのでした。なお第1番も第13番も第二楽章にメヌエットが来ており、交響曲や弦楽四重奏曲のように第三楽章にくる組み合わせとは少し違っています。
 第2番(Hob.XVI-7)の第一楽章は、調構造こそソナタ形式風ではありますが、ごく短くて複数の主題を持っておらず、ソナタ形式とは言えないシロモノとなっています。第二楽章はトリオを持つメヌエット、第三楽章はぎりぎりソナタ形式と呼んでも良さそうなフィナーレです。ホーボーケン番号どおり、もしかすると第1番より先に書かれた可能性もあります。1766年(ハイドン34歳)以前の作品は、作曲順が必ずしもよくわかっていないらしいのでした。
 第4番の終楽章がそのまま第5番の第一楽章になっていたり、第19番のふたつの楽章が移調されて第57番の第二・第三楽章になっていたり、このあたり首を傾げたくなることもいろいろあります。
 ただ大雑把な傾向を見ると、初期のソナタは、ソナタ形式の第一楽章を持つことはまあ当然として、第二楽章と第三楽章の構成が、「メヌエット──フィナーレ」「緩徐楽章──メヌエット」という組み合わせであることが多いようです。その後の三楽章制ソナタでスタンダードとなった「急・緩・急」という速度構成が、意外となかなか出てこないのでした。精査してみると、完全な形で残っている曲としては、「急・緩・急」の形を持つのは第29番(Hob.XVI-45)が最初です。そしてこの第29番は、全楽章がソナタ形式を持っているという最初の曲でもあります。どの楽章も、初期のソナタ形式のスタンダードであった、「呈示部をリピート、展開部と再現部をまとめてリピート」ということになっているので、演奏時間が急に長くなりました。もっともこのリピートは、省略しても構わないという説もあります。
 また、ここから第35番(Hob.XVI-43)あたりまでは、第一楽章にモデラートという中庸なテンポが与えられていることが多いことにも眼を惹かれます。ソナタの第一楽章は、アレグロであることが多いためにソナタ・アレグロ形式などと呼ばれることもあった……と楽典の本に書いてあったりしますが、ほかならぬハイドンにモデラートの第一楽章がけっこうあることを考えると、本当にソナタ・アレグロ形式などという呼ばれかたがあったのだろうか、などと疑ってしまいます。第29番~第35番の7曲中、第一楽章がアレグロなのは第34番(Hob.XVI-33)だけなのでした。あと第31番(Hob.XVI-167)がアレグロ・モデラートとなっていますが、これは現在のアレグロ・モデラートの意味である「速度はアレグロ、曲想はモデラート(穏やかに)」というのとは違って、どうも速度的にもモデラート寄りであるように思われます。16分音符の6連符、32分音符などの使いかたが、ほかのモデラートの曲と大差ないのでした。あとの5曲はすべてモデラートとなっています。だから、この時期のハイドンは「急・緩・急」というよりは「中・緩・急」という速度構成を考えていたと言えそうです。
 第36番(Hob.XVI-21)からは快活で急速な、つまりアレグロの第一楽章が増えますが、その後もモデラートないしアレグロ・モデラートのテンポを与えられた第一楽章はちょくちょく登場するのでした。モーツァルトのピアノソナタが、ごく少数の例外を除いてアレグロテンポの第一楽章ばかりであるのに対し、ハイドンは第一楽章にもう少し細やかな曲折を求めていたように思われるのでした。

 第42番(Hob.XVI-27)から、またメヌエットが登場します。この傾向はしばらく続きます。第42番と、次の第43番(Hob.XVI-28)は、第二楽章にメヌエットを置き、第三楽章がロンド風の変奏曲にしてあるという構成が共通しています。
 第44番(Hob.XVI-29)では第三楽章にメヌエットそのものではなくテンポ・ディ・メヌエット(メヌエットのテンポで)を置いています。第45番(Hob.XVI-30)も終楽章にテンポ・ディ・メヌエットを置きますが、この曲は二楽章制で、第一楽章が終止せずに切れ目無しに第二楽章につながるようになっており、第二楽章はメヌエット風の変奏曲となります。
 第46番(Hob.XVI-31)にはメヌエットはありませんが、中間楽章がゆっくりしたテンポではなくアレグレットとなっています。第一楽章がモデラート、第三楽章がプレストなので、徐々にテンポを上げてゆくという速度構成になっていることがわかります。いろいろ試していることが窺えます。
 第47番(Hob.XVI-32)では再び中間楽章にメヌエットが入りますが、この楽章は「メヌエット(テンポ・ディ・メヌエット)」と不思議な表示がおこなわれています。あんまり舞曲らしくないという暗示でしょうか。
 第48番(Hob.XVI-35)と第49番(Hob.XVI-36)は終楽章にメヌエットを置いています。第48番はメヌエットの表記は無くフィナーレと書かれていますが、曲想の感じは明らかにメヌエットです。第49番のほうは正真正銘メヌエットと表記されています。この2曲は同じような造りかと思いきや、第二楽章が対照的です。第48番の第二楽章はアダージオの速度指示を持つゆったりとした曲で、第一主題の再現を欠くソナタ形式を持っています。それに対し、第49番の第二楽章は「スケルツァンド」と記され、変奏を伴うロンド形式、つまり普通なら終楽章に置かれそうな形と曲想を持つ音楽になっています。
 第50番(Hob.XVI-37)で「急・緩・急」に戻りますが、第二楽章がきわめて圧縮され、わずか19小節しかなく、第三楽章への序奏のような形にしてあります。それまでにも、楽章間に切れ目が無いというのはいくつかありましたが、ここまではっきりと序奏風にしたのははじめてでしょう。サラバンドを思わせるどっしりとした曲想で、軽快な第三楽章との対比をつけています。
 第51番(Hob.XVI-38)も第二楽章から第三楽章へ切れ目無しに続きますが、こちらは第二楽章のほうが主役という感じがします。第三楽章は明記されてはいませんがやはりメヌエットと思われます。
 続く第52番(Hob.XVI-39)は、第一楽章に変奏付きロンド、つまり終楽章向きな曲を置き、緩徐楽章である第二楽章、フィナーレの第三楽章をソナタ形式にするという実験を試みています。ここまでのところ、型どおりの「急・緩・急」が案外少ないことがわかります。ハイドンは、ソナタの3つの楽章をどう配置するかということに、いろいろ思い悩んでいた気配があります。その点モーツァルトは、疑いもせずに「急・緩・急」スタイルを使いましたし、ベートーヴェンは

 ──そんなに考え込むくらいなら、楽章を4つ使ったらいいんじゃね?

 とばかりに最初の4つのピアノソナタをすべて四楽章制で書きました。ソナタという形が整備されてゆく過程を見ているようで、なかなか興味深いものがあります。

 最後の10曲中に、第一楽章にソナタ形式を用いていないのが3曲(第54番、第56番、第58番)も含まれているのは面白いと思います。第54番と第58番は変奏を伴うロンド形式、第56番は純然たる変奏曲です。この3曲、いずれも二楽章制であり、第二楽章もソナタ形式ではない、つまりソナタ形式を含まないソナタとなっています。モーツァルトの「トルコ行進曲付き」やベートーヴェンの題13番や第22番なども、ソナタ形式を含まないソナタということで珍しがられますが、実はハイドンがすでにやっていたことなのでした。

 おそらく1790年代に入ってからの作品である最後の4つのソナタ(第59番~第62番)はいずれも堂々とした、演奏時間もかなり長い大曲です。モーツァルトは1791年に逝去し、ベートーヴェンは1790年に最初の「3つのソナタ」を出版しました。このころのハイドンのピアノソナタには、モーツァルトからの影響、ベートーヴェンからの影響が感じられますし、クレメンティなどにも学んだ形跡が見られます。いずれもハイドンよりはずっと後輩ですし、もちろんハイドンのスタイルというものが壊れたとは言えないのですが、そういう新傾向を自分のスタイルの中に活かそうとし、ある程度成功しているらしいのがハイドンらしいところです。ハイドンは常に新傾向に対してアンテナを張りつつ、自分を進化させた作曲家という気がします。「日々是修行」の生涯だったのです。
 ベートーヴェンが1810年代に至って、ヴェーバーシューベルトなどの新傾向(すなわちロマン派)の擡頭に惑い、それに順応しようとかなりの迷走をおこなった結果、結局ロマン派に馴染めないことを悟ったという遍歴を考えると、師匠のハイドンのほうがより柔軟だったとも言えます。もちろん、ハイドンの経験した18世紀後半の変化よりは、ベートーヴェンの直面した19世紀初頭の変化のほうがはるかに大きく本質的だったとは言えますが。
 第59番(Hob.XVI-49)は充実した3つの楽章から成ります。第一楽章はモーツァルトのK.547aを思わせる躍動感のある主題を持っています。展開部の構成にもひと工夫あり、なおかつ呈示部と同じ小節数となっており、ベートーヴェン以前としてはきわめて大規模と言えます。第二楽章もモーツァルトの協奏曲などを感じさせます。第三楽章は「フィナーレ・テンポ・ディ・ミヌエット」と記されていますが、それまでのメヌエット風フィナーレに較べるとはるかに手が込んでおり、すでに舞曲としての性格は捨てられています。
 第60番(Hob.XVI-50)はペダルの指示があったり、高いラの音が使われていたりするので、実はいちばん最後に書かれたのではないかとも言われています。当時のピアノは高いファまでしか備えていないのが普通でしたが、やや個体差があったようで、ハイドンは晩年にはラまであるピアノを持っていたようです。ただし、曲の完成度で言えば第62番のほうがずっと優れていると言わざるを得ず、それでやはり第62番が最後だと思いたくなる人が多いのでしょう。
 第61番(Hob.XVI-51)は二楽章制で、私には第一楽章の「譜づら」がクレメンティに似ているように見えてなりません。この第一楽章、繰り返しがいちども無いソナタ形式で、その点も珍しいですね。第二楽章のほうはベートーヴェンのスケルツォ楽章の趣きがあります。クレメンティやベートーヴェンの「先駆」というよりは、やはり彼らに「学んだ」成果ではないかと思います。
 最後を飾る第62番(Hob.XVI-52)はハイドンのピアノソナタの最高傑作と呼ばれます。重厚な主題はまさにベートーヴェン風であり、それを通り越してロマン派みたいに大げさに弾く人が後を絶ちません。それでいて、全体としてはハイドン中期のモデラート楽章のような味わいを保ち、なおかつはるかに華麗に展開します。第二楽章はソナタ形式ではなく複合三部形式に簡略化されましたが、充分に聴きごたえのある抒情的な音楽。そしてソナタの主調である変ホ長調に対し、ホ長調という曰く言いがたい調性を配置しました。一見唐突に感じられますが、実は第一楽章の展開部で、すでにホ長調にいちど転調していますし、コーダ近くにもそれを思わせる音の運びがあります。中間楽章は下属調か並行調、せいぜいそのまた関係調というあたりが限界であったソナタの調構成に、ハイドンは最後の最後で斬新なアイディアを持ってきたのでした。フィナーレはプレストのソナタ形式ですが、これまたベートーヴェン的なダイナミックさを備えています。307小節という、ハイドンにしては破格な規模を持ってもいます。

 ここまで、ソナタの構造を重点的に見てきましたが、ソナタ形式という面から見てもいろいろ発見がありました。
 中期に「全楽章ソナタ形式」というのをいくつも書いていますが、こういうのはベートーヴェンにすらほとんど見られません。モーツァルトには数曲ありますが、ハイドンがソナタ形式の扱いについて、ベートーヴェンに劣らぬほどよく考えていたことが偲ばれます。
 そして、ハイドンのソナタ形式は、案外と展開部が大きいことに気がつきました。いままで、展開部が呈示部に匹敵するくらい大きくなるのはベートーヴェンからで、それまでは呈示部の半分から、いいところ3分の2程度だった……と私は思ってきましたし、どこかにそんなことを書いた記憶もあります。しかし、上に書いた第59番だけでなく、展開部の大きなソナタ形式はけっこうあったのです。
 ハイドンは、展開部の作りかたとして、呈示部の発展的反復とでも言うような方法をよく使っているのでした。つまり展開部の冒頭に移調した第一主題を置き、そこから推移、第二主題、終止……と呈示部の順序と同じように配置しているのです。もちろんそこにはさまざまな転調や展開が含まれてはいますが、ハイドンの展開部は非常に構造的に作られているのです。
 これに対し、モーツァルトの展開部は、往々にして「展開主題」と言うべき、呈示部では出てこなかったようなフレーズが持ち出されたりします。なおかつ、展開はかなり即興的で、あまり大きくできないスタイルとも言えます。展開部が呈示部の半分から3分の2くらい、というのは、モーツァルトのソナタについては言えることでしたが、ハイドンのソナタについては適当でなかったようです。
 これがベートーヴェンになると、主題そのものというよりも、主題に含まれるモティーフを展開素材とすることが多くなり、絢爛たる構造体を構築できるようになります。それで「呈示部より長い展開部」なんてことも可能になるのでした。またベートーヴェンは、再現部のあとに、第二展開部とも称されるほどに手の込んだ「終結部」をつけることが多く、それによって曲全体の規模も大きくすることができました。
 ハイドンはそこまでゆかず、再現部は主題の確保時にやや変化を見せる程度で、基本的には呈示部の繰り返しであり、そして展開部も呈示部の発展的反復となると、聴いていてやや飽きが来るという欠点に結びつきやすいのでした。ハイドンの曲が往々にして「退屈」であるかのように言われがちなのは、こういう整然とし過ぎた構成のせいもあるのかもしれません。とはいえ、最後の4曲に至れば、そのあたりも充分にクリアされ、変化に富んだ曲想となっています。

 いま川口第九を歌う会で練習しているオラトリオ『四季』は、これらピアノソナタをすべて書き終えたのちに作曲した、まさに晩年の大作です。モーツァルトで言えばレクイエム、ベートーヴェンで言えば荘厳ミサなどに相当する作品と言えるでしょう。ところどころ、旧作の引用などもしており、老いてなお茶目っ気を失わなかった「パパ・ハイドン」の面目躍如としています。大規模すぎて、練習を重ねてもなかなか全貌が見えてこないような感じですが、同時代のさまざまな音楽を吸収しつくした大作曲家の畢生の作品として、佳い演奏ができれば良いと思っています。

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