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「翔んで埼玉」あれこれ [いろいろ]

 映画「翔んで埼玉」の第二作が明後日(11月23日)に公開ということで、わが埼玉県のあちこちにポスターが貼られるようになりました。ふだんは映画のポスターなど貼っていない店先などにも盛んに眼につきます。各自治体の商工会議所などが推しているのかもしれませんが、埼玉県民がいかにこの作品を愛しているかが窺われます。
 実は私は、雑誌連載の第1回を読んだことがあります。いま調べたら1982年「花とゆめ」冬の別冊に収録されていたようです。もう40年以上前のマンガだったのですね。
 私はそのころ高校生でしたが、「花とゆめ」はときどき読んでいました。私だけでなく、学校でも愛読者がけっこう多かったと思います。ちなみに男子校です。
 この雑誌、それまでの少女マンガ誌とはひとあじ違っていて、「スケバン刑事」「紅い牙」などのアクションもの、「ガラスの仮面」など一種スポ根の変形とも言うべきもの、「小さなお茶会」など独特の味のあるショートショート、あるいはかなりソフィスティケイトされた通好みの作品などなどが多く連載され、男の子からの支持も高かったのでした。私の学校でも、ジャンプマガジンといった少年誌と同じくらい読まれていたと思います。
 さてそれらの中でも一番人気と言って良かったのが、魔夜峰央「パタリロ!」でした。
 あたかも「ベルサイユのばら」のキャラクターのように稠密に描きこまれた人物(ただし背景はわりとお座なり)が、ひたすらにホモネタを繰り返すというのが基本路線でした。ただし主人公パタリロだけは円空仏みたいにシンプルな線で描かれたモブ顔であるのが特徴です。というより、円空仏をはじめてみたとき、私はついつい、

 ──パタリロみたいだな。

 と思ったのでした。この主人公が、ダイヤモンド鉱山を抱える架空の島国マリネラ王国の国王であり、英国情報部MI6バンコラン少佐としょっちゅうからんで、少佐をおちょくったりツッコまれたりするのでした。この辺の設定は青池保子氏の作品にインスパイアされていたかもしれません。
 バンコラン少佐は、いわゆる長髪ヴィジュアル系の派手な(くどい?)容姿をしていますが、「美少年キラー」と呼ばれる男色好きで、美少年と見るとたちまち落としにかかるという性癖を持っています。作品には毎回のように、どう見ても少女キャラ、それも70年代少女マンガのヒロインのような濃いデザインの少女キャラとしか思えない「美少年」が登場し、バンコランに落とされています。はじめのころは各話に違った美少年が出てきて、そのころの評論で

 ──「パタリロ!」に出てくる美少年は、007映画のボンドガールに相当するのではないか。

 などと大まじめに考察しているのを読んだことがあります。そのうちステディというべきマライヒ少年が登場して落ち着きました。もちろん、マライヒも見た目は完全に女の子です。というかいまで言う「男の娘(おとこのこ)」ですね。
 情報部がらみで、スパイ戦などがおこなわれることもしょっちゅうであり、わりとシリアスな展開になることもありましたが、そんなときでも主人公パタリロは全然ぶれずにギャグを連発します。基本的にはギャグマンガです。
 作者は推理小説や落語などに造詣が深かったようで、そのあたりからの知識が、一見おふざけばかりに見える話にそれなりの深みを添えてもいました。
 魔夜峰央という性別不明のペンネームでしたが、作者が男性だということはわりに早い時期に判明していたと思います。確かにホモネタに特化しつつ、むしろそれを茶化したりおちょくったりして遊んでいる感じが、女性のホモ好き、いわゆる腐女子の描くマンガとは少々毛色の違った雰囲気でした。

 ──ホモの嫌いな女子なんかいません!

 とは「げんしけん」の登場人物大野さんの名言ですが、ホモ好き女子がホモマンガを描いた場合、たぶん「パタリロ!」のようにはならない気がするのです。
 魔夜氏はその後、むしろ露出を増やして、顔写真などもしょっちゅう雑誌上に出るようになりました。中分けの短髪にサングラスという、当時のタモリを意識したようなスタイルで、マンガの中にもちょくちょく「ミーちゃん28歳」と称して登場しました。
 この人は、初期にはホラーものの短編などを描いていたようですが、「パタリロ!」をはじめてから安定した感じです。「ルル亀!」など普通に女の子が登場するマンガも描いていますが、主流としてはやはりホモネタ作家という印象があります。なぜかインド人の美少年を主人公にした「ラシャーヌ!」なんてのもありました。ラシャーヌ自身はホモではないのですが、周囲がそれらしき人物ばかりになっており、そのうちラシャーヌも
 「男の子でもいいや、恋人が欲しいんだ」
 などと言い出します。
 そして「翔んで埼玉」もやはりホモネタとなっています。

 魔夜氏はもともと新潟に住んでいた人ですが、「パタリロ!」が売れてくると、編集者の薦めで首都圏に引っ越してきました。本人は「東京に住める」と喜んでいたらしいのですが、住んだところは所沢だったのでした。所沢には当時の「花とゆめ」の編集長も住んでいて、魔夜氏はなんだか監視されているような気分になったとのことです。
 そのストレスが積み重なって、「パタリロ!」もややマンネリ化した時期で、閉塞感に苛まれていたとき、発散するつもりで描き出したのが「翔んで埼玉」であったようです。
 埼玉県をひたすら徹底的にディスる内容で、当時まだ埼玉県民でなかった私など、こんなこと描いてもいいのかと心配になるほどの作品でしたが、意外と好評で、何より埼玉県民からのクレームはひとつも来なかったというのが面白いところです。なお、作中ではついでに茨城県をディスるところもあり、それは魔夜氏の奥さんが茨城出身だったからだそうですが、その茨城からはクレームが来たとか。
 別冊連載だったので、本誌掲載よりもボリュームもあり、83年の春号、続いて夏号にも掲載され、それなりに人気も出てきましたが、「翔んで埼玉」は唐突に連載中止となりました。
 やっぱりクレームが来たんではないかと勘繰る向きもありましたが、どうもそうではなかったようです。魔夜氏が埼玉県から、千葉県に引っ越したというのが本当の理由でした。自分が住んでいるから、埼玉県を面白おかしくディスっても自虐ネタということで笑って貰えたのですが、住んでいない埼玉県を貶めたのでは笑えないことになるというわけでした。
 ちなみにWikipediaには、打ち切りは引っ越したことが主な理由ではなく、地域ネタでひっぱるのが限界で「もう描けなかった」からというようなことが書かれていますが、たぶん違います。なぜなら、作者が千葉に越してから、「パタリロ!」の中で千葉県ディスりネタをしばらくやっているからです。
 バンコラン少佐の知り合いのCIAのエージェントが出てくるのですが、彼はノースダコタ州出身でした。初登場のとき、

 ──ノースダコタ……それは日本で言うなら……千葉県!

 というナレーションが入り、みんなでそのエージェントを徹底的に田舎者扱いするのです。本人もノースダコタ州出身であることを深く恥じ、ネタにされると泣き叫ぶのでした。「翔んで埼玉」のように独立した作品にまではしませんでしたが、地域ディスりネタはもうしばらく続いていたわけで、決して「描けなくなった」からではなさそうです。

 わずか3話で、しかも未完に終わったマンガであり、いちおう単行本には収録されたものの、ほかのタイトルのマンガに同時収録されたに過ぎませんでした。普通は、そのまま忘れ去られてゆくはずです。
 ところが連載時期から30年以上を経て、急にブレイクしたものですから私も驚きました。作者もさぞ驚いたことと想像します。すでにミーちゃん28歳どころではなく、60歳近かったはずです。2015年に、かつてのファンがSNSに一部を載せたのがきっかけでした。
 衝撃的な内容に、SNS上でたちまち話題になり、あれよあれよという間に宝島社から復刊されることになったばかりか、1年足らずで50万部の売り上げをマークし、そして映画化まで果たしたのでした。この妙な勢いの良さ、なんだか関係者がノリのままに突っ走った観があります。
 映画公開は2019年の2月のことでしたが、その年におこなわれた埼玉県知事選では、啓発広告に「翔んで埼玉」が使われ、そのせいかどうかわかりませんが投票率が若干アップしたとか。もはや、埼玉県のご当地コンテンツとして、押しも押されもせぬ存在に成り上がっているかのようです。埼玉県民にとっては、言ってみれば自虐ギャグなわけですが、上田清司前知事がいみじくも言ったように、「悪名は無名にまさる」といったところかもしれません。
 昔から「ださいたま」などと言われて揶揄されてきた埼玉ですが、その意味するところは、実際にダサい、野暮ったいということ以上に、何をやっても東京の後追いのようなことばかりで、個性が屹立していないというあたりにあったような気がします。その意味では、「奥埼玉」とでも言うべき秩父とか熊谷よりも、むしろ東京に近いわが川口とか浦和・大宮(現さいたま)、和光所沢といったあたりのほうが、より「ださいたま」ぶりを感じさせる地域であったかもしれません。
 確かに埼玉県には、一線級と言える観光地がありません。さきたま古墳群とか秩父の夜桜とか、注目すべき場所もあるのですが、どうしてもB級C級という感じです。お城もいくつか残っていますが、せいぜい10万石級でしかなく、大阪城姫路城のような圧倒的規模感には欠けます。東武動物公園森林公園むさしの村も、けっこうな規模ではあるのですが、どうしてもここでなくてはという気にはなりません。
 特産品というほどのものもありません。それもそのはずで、昔は東京都および神奈川県の一部と共に武蔵国をなしていたわけです。従って、文化的には東京とほぼ違いが無いことになります。食べ物では草加せんべい深谷ネギ武蔵野うどんゼリーフライ十万石饅頭……それなりに特色はあるのですが、いかんせん地味です。
 歴史上の人物にしても、熊谷直実伊奈忠次も、全国区のヒーローというにはほど遠い存在です。武蔵七党など、鎌倉時代から足利時代への変革期に大きな影響を及ぼしていますが、中央に関わった人物が居らず、しかも突出したヒーローと呼ぶべき人が見当たりません。あくまで武士集団としての存在です。近代では澁澤榮一なんかも居ますが、いずれにしても、コアな歴史好きでもないとなかなか興味を惹けないでしょう。
 つまり、良くも悪くも、屹立した個性というものが感じられないということになります。自然と東京の影響を強く受けることになり、そのあたりが「ださいたま」と呼ばれる所以であろうかと思われます。
 自虐ネタであろうとも、そんな埼玉県を鮮烈に印象づけることになった「翔んで埼玉」が県内でもてはやされたのは、ある意味必然だったのかもしれません。県民からのクレームが全然無かったのもむべなるかなです。

 私は映画は見損ねていたのですが、第二作の公開に先立って、先日テレビで放映されましたので、ちょっとしたネタ気分で録画し、今日見てみました。
 原作の第2話と第3話は読んでいないので、どこまでが原作をなぞっているのかわかりませんでしたが、ストーリーを補完してひとまずの結末をつけたというところでしょう。
 まあ、本来は高校生の話であるのに主演がGACKTというところで、リアリズムも何も無いわけです。見る前、もしかしたら舞台を高校でないところに移したのかもしれない、とも思ったのですが、そんなことはなく、GACKTが堂々と高校生を演じていました。原作の絵のほうもあんまり高校生には見えないデザインなので、それで良いのでしょう。バンコランと似た長髪・ヴィジュアル系な造形なので、むしろ適っていたとも言えます。
 原作のヒロイン(?)はここでも男の娘ですが、映画化にあたっては、さすがにリアル男の娘というわけにはゆかなかったようです。声優であればかつての三ツ矢雄二氏、いまの村瀬歩氏のように、女の子声もいける男性が何人か居ますが、実写ではキャスティングが困難でしょう。
 そもそも男の娘というのは実在するのでしょうか。魔夜峰央氏が美少年キャラのモデルにしたのは、「ヴェニスに死す」ビヨルン・アンドレセンと思われます(初期の話にビヨルンアンドレセンという双子の美少年も出てくる)が、映画評で「見事に美しい」と絶賛されたビヨルンも、現在の男の娘のイメージとはだいぶ違います。「パタリロ!」を先に読んでいた私は、ビヨルンの美少年ぶりにだいぶ期待して「ヴェニスに死す」を見たのですが、いささかガッカリしたものでした。
 男の娘と言われるのは、実際には要するに「サオのついた女の子」に過ぎません。最近増えてきた「女装男子」ですらないのです。その意味では魔夜峰央の描く美少年はまさに男の娘のハシリではあるのですが、どうも現実世界にはほとんど居ない存在と思われます。
 というわけで、映画ではれっきとした女性である二階堂ふみが演じていました。この人、特に素で中性的な雰囲気の持ち主というわけでもなく、登場時の口調こそ男の子っぽくなっていたものの、主人公に恋してからはどう見ても女にしか見えなくなりました。いや、原作の絵がそもそも女にしか見えないのだからそれで良いのかな。ともかく都知事である父親が「息子」と言ったり、執事から「お坊ちゃま」と呼ばれたりするのが違和感ありまくりです。このあたり、三次元の限界と言うべきなのかもしれません。いっそ普通に女の子ということにしても、埼玉ネタには影響しないことだし、構わなかったのではないかと思えるほどでした。
 原作には出てこない細かい地域ネタなども盛り込まれていて、蹶起しようとする「埼玉解放戦線」の面々が地域ネタでいがみ合ったりするのもなかなか笑えました。また原作に無い設定として、千葉県との反目というのもあり、クライマックスは流山での千葉軍との合戦(笑)となっています。GACKTが軍配を振って戦闘開始の合図をするあたり、大河ドラマ「風林火山」での上杉謙信役のイメージをパロったようでもありました。埼玉県人が千葉県人に捕まると、からだの穴という穴にピーナッツを詰め込まれ、強制的に地曳網漁をさせられる……などという変なネタも出てきます。
 群馬茨城もわずかながらネタにされ、埼玉県以外の県にも配慮(?)した様子が窺えました。また神奈川県知事は都知事の忠実な下僕として登場します。そうなると、関東地方で唯一ネタにされない栃木県の立場が……と、逆にそんなことが気になったりしました。
 まあ、全体としてはバカバカしい映画ではありましたが、登場人物のリアリティの無さは、むしろ宝塚歌劇でも見ているような印象もあり、奇妙な面白さがあったと言わねばなりません。
 第二作「琵琶湖より愛をこめて」を劇場まで見に行くかどうか、ちょっと迷っているところです。事前情報では、関西でやはり「差別」されている滋賀県と埼玉が共闘するといった話になるようですが、すでに原作とはまるで関係なくなっており、地域ネタをこれ以上ふくらませても悪ふざけにしかならない気もします。またテレビで放映されるのを待つ程度が良いかな。

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