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年頭所感 [お知らせ]

 皆様、あけましておめでとうございますm(_ _)m
 年末は、何をしていたというほどのことも無いのですが、なんだか忙しくて、日誌の更新が滞ってしまっておりました。本当にぎりぎりまで作曲の仕事をしていた一昨年末より更新頻度が低かったのですから困ったものです。
 最近どうも、日誌の項目ごとがまた長くなる傾向にあって、書くのに2時間か、場合によっては3時間くらいとられてしまうので、気がせいている状態だとどうしても億劫になりがちです。もっと一項目を簡単にして頻度を上げたほうが良いだろうとも思うのですが、一方、過去の稿を読み直したりすると、やっぱり短いと読みごたえが無いという気もして、そのあたりの按配がなかなか難しいところです。
 まあ折り合いをつけながら続けてゆくしか無いのでしょう。はなはだ頼りないことですが、ともあれ、今年も「MIC's Convenience」をよろしくお願い申し上げます。

 年末は、少々体調を崩していたということもあります。マダムとのあいだで風邪が行ったり来たりしていたような趣きで、マダムが少し良くなると私がダウンし、私が快方に向かうとマダムがまた咳き込みはじめるといったことを繰り返していました。ダウンと言っても、37度台前半くらいの微熱が出るくらいのことでしたが、このくらいの微熱状態というのは、寝込むほどのこともないし、と言って何をやるにもけだるい感じで、なんとも中途半端です。それでいて不調感ばかりがつのるのでやりきれません。
 12月30日には少し頑張って、8時間くらいかけて水回りを掃除したりしました。普段滅多に掃除をしない家なので、いちど手をつけると大変です。
 今回、洗浄液にセスキ炭酸ソーダというのが良いと聞いたので、粉末のそれと、あと百均でスプレーボトルを買ってきて、試してみました。500ccの水に5グラム程度の粉末を溶かせば良いようです。
 その水溶液をスプレーボトルで吹きつけ、雑巾で拭くと、なるほど汚れがよく落ちます。私は汚れ落としには重曹をよく使いますが、セスキ炭酸ソーダは重曹より洗浄力が強いそうです。
 もちろん万能というほどではなく、しつこくこびりついた焦げ付きなどは、やはりクレンザーなどを使わざるを得ませんでしたが、それでもかなりの程度有効でした。私は台所のガス台やシンクの掃除でほぼボトル1本を使い果たし、続けて溶液を作ったものの、洗面所の掃除で次の1本をほとんど空にし、3度目に作った溶液も風呂場を掃除するうちに大部分使いきりました。溶液を1.4リットルほど消費した計算になります。このほかマダムも他の場所の掃除に450ccばかり使っていましたので、合わせると2リットル近くなります。セスキ炭酸ソーダは、粉末以外に液状のものも市販されているそうですが、そっちを買っていたらとても間に合わないところでした。
 風呂場の掃除のあと、そのまま浴槽にお湯を入れて入浴してしまいました。しかし、翌朝起きてみると、からだじゅう、主に上半身がバリバリに張っており、一挙手一投足ごとにパキパキと音が鳴りそうなほどの筋肉痛を発症していました。
 腕や肩、あるいは指先などが特に痛みますので、明らかに前日の掃除が原因と知れます。雑巾や、使い古した歯ブラシなどを手に持って、蜿蜒と拭いたり磨いたりを続けていたわけです。ふだんそんなことをしないので、筋肉痛になるのもあたりまえなのでした。
 前日の筋肉痛がすぐに出るあたり、おれは年齢にしてはけっこう若いかもしれない、齢をとると中一日おいて筋肉痛になると言うからな……などと変な満足感を覚えたりはしていましたが、何しろ動きがロボットのようで、何をするにも難儀です。首もこっていて、年賀状の宛名書きなどでしばらく下を向いていたら、だんだん気分が悪くなり、視野狭窄さえ起こり始めました。
 それでもまあなんとか、年越しそばを食べ、正月を迎えることができました。やれやれです。

 例年の元旦は、初日の出を拝みに荒川土手まで行きます。それで帰りに川口神社で初詣をして帰ってから朝食、というスケジュールであることが普通です。
 今年も初日の出を見るつもりだったのですが、目覚ましをセットしないで寝てしまい、起きてみると7時を過ぎていたので、寝過ごしていたことを知りました。私の住まいのあたりは、だいたい6時51分前後が元旦の日の出時刻です。近くの新荒川大橋まで行くと、ちょうどそのあたりでは荒川が東流しているので、川下方向に初日の出が拝めるため、毎年たくさんの人が集まっています。
 今年は寝過ごしてしまいましたので、初詣も省略し、もう少しだけ寝床に居てから起き出しました。
 マダムはこれまで「フレンチおせち」やら「ブイヤベース雑煮」やら「赤ワインお屠蘇」やらを張り切って作るのが常でしたが、今回はやや省力化し、作るものの傾向も変えたようです。それでも型どおりではなくて、何かの雑誌に書いてあった洋風おせちではあるのですが、品目はだいぶおとなしくなりました。
 で、雑煮も作らなくなったので、私が作りました。年越しそばを茹でたときに出たそば湯を使って、ダイコンやニンジンなどを刻んでけんちん汁風な漬け汁にしました。私の実家の雑煮の作りかたではなく、いわんやマダムの実家風でもなく、まったく思いつきでやってみたのですが、なかなかうまくできたと思います。毎年ブイヤベース雑煮でもないし、これからこのけんちん風雑煮をわが家の流儀にしようかと考えました。しかしそうすると、毎年私が作らなければならなくなりそうですね。

 さて、年末から元旦にかけての話はこのくらいにして、今年の展望です。
 なにぶん、年月の経過が、齢をとるに連れてどんどん速くなります。2015年も、本当にあっという間に過ぎ去ってしまった気がします。あれよあれよという間に、半年が過ぎ、残り3ヶ月となり、いつの間にやら師走になり、年が暮れていたという感が拭えません。
 一説によると、体感時間というのは、それまで生きてきた長さに逆比例するのだそうです。つまり5歳の子供が感じている一年の長さは、50歳の中年の人が感じている一年の10倍くらいの体感があるのだとか。
 時間の経過の「速さ」というものを何によって測るのかという定義がはっきりしませんので、この説はまあ「そんな気がする」という程度のことに過ぎませんが、子供の頃の時間の経ちかたに較べて、大人になってからはやたらと経ちかたが速い、ということに賛成しない人はほとんど居ないでしょう。
 私の余命があとどのくらいあるのか、そんなことはわかりません。仮にあと30年残されているとしても、その30年はこれまでの30年、つまりほぼ大学を出た頃から今までという長さに較べ、ずっと短く感じるものであることは疑いを得ません。
 だとすれば、いままで以上に一年一年、と言うより一日一日を、大切に感じながら過ごすことが肝要なのだろうと思われます。
 そのためには、「これをやった」と自分で納得できる仕事を積み重ねてゆきたいものです。
 去年は『セーラ ─ A Little Princess』という大がかりな作品を仕上げたことで、自分としてはそれなりの納得が行っています。ただ、6月にそれを上演して以後、下半期についてはあまり自慢できるような仕事をしていません。
 作曲仕事が入っていないわけではないので、ふたつほど、ここ1~2ヶ月のあいだにらちをあけなければならない作品を抱えています。それらを、去年のうちにもう少し進められなかったものかという悔いは残ります。松があけたら専念する必要があるでしょう。
 新作ではありませんが、『星空のレジェンド』の再演は決まっています。というかこの曲は、いちおう毎年上演するもくろみになっています。少しずつ楽器を加えたりして大がかりにしてゆけないものかと考えています。
 もうひとつ、合唱組曲を作らなければなりません。これもできれば上半期のうちにメドをつけたいところです。上半期には板橋オペラの編曲やパート譜づくりが否応なしに組み込まれているので、なかなか忙しいのですが、今年の演目は前にもやった『ドン・ジョヴァンニ』なので、過去のデータを活用できて少しは楽かもしれません。
 下半期についてはいまのところ特に予定が立っておりませんが、いちおう作曲仕事が途切れずにあることに、喜びを覚えざるを得ません。
 一年後に悔いを残さないように……年頭にあたっての抱負といえばそういうことになりそうです。たぶん、このあとの人生、ずっとそういうことになるのかもしれませんね。


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