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前市長追悼演奏会 [日録]

 川口第九を歌う会という団体は、毎年12月にベートーヴェン「第九」を歌うために結成されたわけですが、それとは別に隔年で、レクイエムやオラトリオなどのわりに大きな規模の曲を自主公演として歌っています。
 今年も6月にメンデルスゾーンのオラトリオ「パウロ」をやる予定です。が、そういう差し迫った時期──アマチュア合唱団にとって本番2ヶ月前というのは充分に差し迫っています──に、今日もうひとつ小さなイベントがありました。
 「小さなイベント」と言っても、大曲をやるわけではないという意味であって、所要時間は2時間ほどありましたから、それなりに体裁の調った演奏会です。
 第九を歌う会の設立の頃からお世話になり、途中からはご自身でも合唱団員として参加するようになった、故岡村幸四郎前川口市長の追悼演奏会なのでした。亡くなったのはもう3年以上前なので、追悼と言うには少し間が空いてしまった感じではありますが、何しろ大所帯なので、機が熟するまでに時間がかかったというところでしょうか。正指導者の高橋誠也先生が、訃報があったときからずっと開きたいと言い続けていたそうですが、その希望を事務化し、一般団員のコンセンサスを作り、どのような形のものにするか決め、場所を取る(ホールは1年前に予約しなければなりません)などするためには、運営のほうでもいろいろ大変だったでしょう。
 5人居る副指導者(当初は「ヴォイストレーナー」ということでしたが、みんなほとんど指導代行者となっています)、3人居る練習ピアニストも全員参加ということで、私たちには去年の4月、ホールが取れた時点で話があったのですが、水面下ではそれ以前からもずいぶん動いていたものと思われます。

 講師陣全員の参加が確認できたところで、内容についての話し合いが持たれました。
 まず合唱団がいくつか「想い出の歌」を歌うことはすでに決まっています。その中に第九の短縮ヴァージョンを含めることも決まっていました。
 これについては前に触れたことがあります。前半の変奏曲になっている部分をばっさりカットし、中盤に現れる「歓喜の歌」フル合唱のところから歌いはじめて、二重フーガが終わるあたりまで歌い続け、そのあとに現れる重唱がらみのところも切って、いきなりプレスティッシモの終結部につなげるという、だいたい3分の1くらいの分量までシェイプアップした第4楽章です。
 前にどこかでこの切りかたで歌ったことがあり、運営のほうではそれを憶えていたようで、MIC先生編曲の第九ハイライト」という言いかたをしていました。私は別に編曲したわけではなく、ただぶった切りかたを決めただけだったので、ちょっとこの呼びかたには抵抗を感じました。ピアニストの人数も居ることだし、盛り上げるため連弾伴奏にしたらどうかと提案し、それも既成の譜面を使わず自分で連弾化することにしたりして、みずから手間を増やしてしまったのは、多少なりとも「MIC先生編曲」の実体を備えておきたいという気分があったからかもしれません。
 その他には、追悼曲の意味合いを込めてモーツァルトアヴェ・ヴェルム・コルプス、それからヴェルディ「ナブッコ」の中の有名な合唱「ゆけわが思いよ、黄金の翼に乗って」が加えられました。いずれも自主演奏会その他のイベントのときに、アンコールとか前座のかたちで歌ったものです。
 それから岡村前市長をまじえてスペインに演奏旅行に行ったときに、向こうで披露する日本の歌として練習したことがある「ソーラン節」など何曲かもプログラムに加えられました。川口第九を歌う会では何回か海外遠征をしていますが、前市長が参加したのはこのときだけで、また私が参加したのもこのスペイン行きが唯一です。ちょうど私が結婚した翌年だったので、新婚のマダムも同行しました。
 もうひとつ入ったのがガブリエリの7声のモテット「主の霊の甘美なることよ」です。これは高橋先生のお気に入りのモテットのようで、指導している合唱団のあちこちに歌わせているらしいのですが、第九を歌う会にはいささか難物と思われました。前に自主演奏会の前座で歌ったときにうまく行ったからということだったのですけれども、そのときは少なからぬエキストラが加わっていました。板橋区演奏家協会本馬くんや長野さんなども乗っています。それだからなんとか破綻せずにできたのであって、エキストラ抜きでちゃんと聴けるものになるのかどうか、高橋先生以外の講師陣の中では非常に危惧を覚えていたものでした。
 あとは講師演奏ということで講師陣に丸投げされました。高橋先生自身ももともとはピアノ科上がりなので1曲弾くということになり、あとは副指導者5人の独唱と、練習ピアニストのピアノ演奏というところです。
 しかし、せっかくなので独唱だけでなく重唱も入れたほうが楽しいだろうという意見もあり、ブラームス『愛の歌』から抜粋で演奏することになりました。『愛の歌』は四重唱と連弾ピアノのために書かれているので、こういう機会にはうってつけです。
 大体そんなところで去年4月の打ち合わせは終わり、あとは年末近くなるまでほとんど動きがありませんでした。独唱曲の決定もなかなからちがあきません。
 なにぶん、毎週の練習にあたって、指導者はひとりかふたり来るだけであって、練習ピアニストに至っては複数来ることはまずありません。つまりみんなで顔を合わせる機会はほとんど無いことになります。去年の12月の第九演奏会のときにオンステしていた講師陣メンバーの中で、
 「さすがにそろそろ動かないとヤバいでしょ」
 という話が出て、ようやくメールを介しての意見交換が活溌になった次第です。
 合唱団のほうはもっと前から練習にかかっては居ましたが、あくまで本筋の第九や「パウロ」の練習の合間を縫うような状態ですので、なかなか時間がとれないようです。なんとかすぐに歌えるのはアヴェ・ヴェルム・コルプスくらいで、ガブリエリにはとにかく苦戦しますし、日本の歌のほうも案外にうまく歌えません。全員がスペインに行ったわけでもありませんし、行ったメンバーにしてもすでに10年以上前のことです。
 内輪の会なのかと思ったらけっこう聴客も集まりそうな雲行きですし、大丈夫なのだろうかと若干不安がよぎります。

 そんなこんなで、「川口第九を歌う会ファミリーコンサート──故・岡村幸四郎さんを偲んで──」は今日(4月16日)の午後に、川口リリア音楽ホールで開催されました。
 川口第九を歌う会が発足したときは、岡村氏はまだ市議で、そのあとで市長になったのでした。発足はリリア開館がきっかけで、前の「歌う会」会長であった加藤忠秀さんが、新しくできるホールで「第九」を歌いたい、ということを岡村市議(当時)に諮ったのだそうです。岡村さんの娘さんがその頃高橋誠也先生の奥様にピアノを習っていたという縁で、高橋先生に指導を願うということになったとか。
 なおこの娘さんは、長じてスペインにも同行しましたし、前市長の歿後はその地盤を受け継いで、この前の市議選でなんとトップ当選しています。すなわち岡村ゆり子川口市議です。前市長は在任中に亡くなったため、後援組織がそのままゆり子さんに引き継がれたわけです。何しろ市長の後援組織ですから市内では最強で、さらに同情票も含めればトップ当選も不思議は無いのでした。
 リリアができた頃というのは、川口市の文化水準というのも大したことはなくて、私が板橋でやっているような市内在住・在勤の音楽家の協会を作ったらいかがかと提案しに行ったときも、相手は私が何を言っているのかすら理解できなかったようでした。
 「市民音楽協会とぶつかりませんかねえ」
 なんてことを言われて立ち消えになりました。市民音楽協会というのはときどき演奏家を呼んできて当時の市民会館ホールなどでコンサートを開いて貰うという趣旨の団体で、私の言った市内在住・在勤のプロの音楽家の団体とはまったく違っているのですが、全然イメージが湧かなかったと見えます。
 それで川口第九を歌う会の記念すべき第一回演奏会のキャッチフレーズは、

 ──大工じゃないよ、第九だよ

 というもので、そのときに私がすでに練習ピアニストとして関わっていたかどうかは忘れましたが、いずれにしろ盛大にずっこけそうになったものでした。
 しかし年を重ねるに従って、会の認知度も高まりました。岡村前市長が自分でも歌おうかと言いだしたのは第9回の「第九」演奏会のあとだったようです。来年は10周年だから私もやりましょうか、とレセプションで発言したのが讖(しん)を成し、たぶん加藤前会長からも会うたびにせっつかれでもしたのでしょうか、政治家として前言をたがえるというわけにもゆかず、10回目からほぼ毎回、現役市長が一団員として歌う「第九」演奏会ということにあいなったのでした。
 市長が急死して、近くの寺で葬儀がおこなわれているとき、実は私はその寺の前を通りかかっていたのですが、「岡村家」という貼り紙を見て、まさか市長のことではあるまいと思ってそのまま通り過ぎてしまっていました。そうとわかっていれば焼香でもしてくれば良かったと思います。スペインに同行したということもありますが、私の個展を開いたときには大きな花輪を届けてくれたりして、それなりにお世話になっていました。
 さてそういう前市長を偲び、幕あきに演奏されたのがガブリエリです。
 先週の日曜に、はじめてこの演奏会のためだけの合唱練習があり、そのときの感じではまったく
 「大丈夫か、これ」
 と言いたくなる出来だったのですが、実際に舞台に立つと、まあまあの演奏にはなっていたようです。
 このモテットは無伴奏ですが、アヴェ・ヴェルム・コルプスと続けて演奏することになっていて、そちらの伴奏を私が弾くことになっていたので、出入りの時間を省略するために私は最初からピアノの前に坐っていました。練習のとき、音が狂ってきたりすると私はちょくちょくピアノの鍵盤を叩いてピッチの矯正を図りましたが、ピアノの前に居ると、本番でもつい叩きたくなるのではないかとなかば本気で危惧していました。
 聴いていて、ああやっぱり下がってきているなあとは思いましたが、ただ全体がいちおうハモったまま下がっていたので、なんとか鍵盤を叩く衝動にかられずに済みました。
 続けてアヴェ・ヴェルム・コルプスです。このピアノ伴奏はそんなに難しくはありませんが、今回は大合唱であることもあり、原曲ではコントラバスが担当するオクターブ下の低音(普通のヴォーカルスコアには書いていない)もつけてやろうと思ったので、若干気を遣います。
 合唱団はここまでで一旦退場します。が、舞台裏にひっこむのではなく、客席に下りて前方3列ほどに坐り、そのあとの講師演奏をお客と一緒に聴くことになります。リリアの音楽ホールの舞台はわりと低く、客席とのあいだが移動しやすいので、出入りの時間はそのほうが節約できます。

 講師演奏は、最初が高橋誠也先生によるピアノ独奏で、バッハ『パルティータ』第2番シンフォニアでした。実は高橋先生のピアノ演奏を聴いたことがある人は団員にもほとんど居なくて、やや隠し芸披露みたいな趣きがあった気がします。
 それから新田恵さんの独唱で私の作曲した「青空」。この曲の作曲事情と初演については前に書きました。今回は再演となりますが、初演を聴いたのがせいぜい十数人であったことを考えると、事実上の初お披露目であったとも言えます。伴奏は当然ながら私がやりましたが、自分で書いたものながら意外と弾きづらくて、直前までリハーサル室のピアノでさらっていました。
 そのあと『コジ・ファン・トゥッテ』の三重唱「風よ穏やかに吹け」が入ります。オペラの重唱もひとつくらい入れておこうという意図でプログラムに加えられました。三重唱はソプラノ藤井あや、メゾソプラノ中野由弥、バリトン酒井崇の各氏、伴奏は高橋先生です。この曲の伴奏者がなかなか決まらなかったので、珍しく高橋先生のほうから
 「ほくが弾こうか」
 と言い出したのでした。藤井あやは昔学生時代に、オペラ実習の講座で高橋先生の伴奏で歌ったことがあるらしく、妙に懐かしがっていました。
 三重唱のあと、テノールの吉田秀文くんと酒井くんの、男性歌手ふたりの独唱が続きます。吉田くんは「魔王」リヒャルト・シュトラウス「ツェツィーリエ」、酒井くんは高田三郎「くちなし」でした。その次が『愛の歌』です。全18曲もあるので、どれを抜粋するかでしばらく議論がありましたが、結局第1番、第6番、第8番、第11番の4曲の演奏となりました。
 そのあとで合唱団が再登場し、日本の歌3曲を歌いました。実はガブリエリよりもこちらのほうが問題があったようです。日本語だからというので練習が薄めであったのが原因でした。実際には言語の問題ではなく、無伴奏であることで合唱団にひるみがあったものと思われます。
 ここまでが前半で、ずいぶん盛り沢山なようですが、幸いほぼ1時間でおさまりました。

 休憩のあとの後半は、わりと柔らかめというか、ジャジーな曲目が続きます。
 後半最初は藤井あやの独唱でしたが、武満徹「うたうだけ」で、それこそ酒場でグラス片手に歌うような曲ですから、一気に雰囲気が変わったものと思われます。
 藤井さんはもう一曲、やはり武満の「小さな空」を歌いました。これはさほどジャズっぽくはありませんが、それでも武満や林光などが「ソング」と呼んでいたたぐいの曲で、いわゆる日本歌曲というジャンルには含まれなさそうです。
 それから新田さんが再登場してガーシュウィン「サマータイム」を歌いました。これになるとはっきりジャズナンバーとして世に認められた曲ではあります。私が伴奏しましたが、普通の市販のヴォーカルスコアには書いていない(オペラ『ポーギーとベス』としてのヴォーカルスコアには書いてある)後半のオブリガートを入れようとしたので、アヴェ・ヴェルム・コルプスのコントラバスパート追加に続き、これまた多少気を遣いました。
 そのあとは練習ピアニストさとう美樹さん・遠藤美栄子さんによる連弾でピアソラ「リベルタンゴ」。もともと、ピアノの先生がたも独奏を、と言われたのですが、3人ともいやがり、さとうさんと遠藤さんは連弾をすることにし、私は編曲やら作品提供やらするということで勘弁して貰ったのでした。で、どうせ連弾するならということで、第九短縮版やアンコールの「白いブランコ」の連弾伴奏もふたりに押しつけ任せ、私は単独での合唱伴奏を引き受けるという段取りになったわけです。
 「リベルタンゴ」も当然ながらクラシックというよりはジャズ系に属する曲で、狙ったわけでもないのですが後半の色合いがうまくまとまりました。
 講師演奏の最後を飾ったのが中野さんの『カルメン』から2曲(ハバネラセギディリャ)です。これはまあクラシックではありますが、しかしいずれも本来民族舞踊であるものを応用したナンバーですので、それまでの流れから逸脱した感じではありません。総じて、なかなかうまくプログラムされていたと思います。
 講師演奏に続き、岡村ゆり子市議が壇上に昇って挨拶しました。若いとはいえさすがに政治家で、言葉には淀みも無いし、滑舌が驚くほど良く、挨拶し馴れている観がありました。やや「アニメ声」かな、と私などは感じました。
 そのあと「ゆけわが思いよ、黄金の翼に乗って」と「第九」短縮版を続けて演奏し、プログラム完了です。実際にはアンコールに「白いブランコ」を歌って締めになりました。この歌は岡村前市長の十八番で、カラオケでも必ず歌っていたそうです。
 終演後、合唱団員から「白いブランコ」の編曲をいやに褒められました。そういえば私は川口第九を歌う会ではあまり作曲とか編曲で関わったことが無く、たまに作品発表がらみの演奏会のチラシを撒いたりしたときに来てくれたわずかな人数の他の大半の団員は、そもそも私が作曲家であることも知らない人が多かったのではないかと思います。
 他の講師たちの「本気」もはじめて見た、という人々が少なくなく、その意味では聴客よりも団員にとって実りのある演奏会であったと言えるかもしれません。
 プログラムを組んだときは、えらい長さのイベントになるのではないかと心配しましたが、うまいこと2時間ほどで終わり、良い演奏会になったと感じました。故岡村前市長もきっと喜んでいることでしょう。
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