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青春18日帰り大周遊(2) [旅日記]

 8月20日(日)の早暁5時に家を出て、浦和・高崎・水上・宮内長岡のひとつ手前)と乗り継ぎ、新津までひたすらに列車に乗り続けてきましたが、驚くべきことにまだ午前中です。
 うちの最寄りの川口駅発は5時12分、新津着は11時12分だったので、かっきり6時間かかっています。しかしまあ、普通列車(快速を含む)だけで6時間なら立派なもので、私が長岡に住んでいた頃、東京から長岡まで、特急で約4時間とされていました。
 新津での乗り換え時間は22分。この日いちばん長い待ち時間でした。ちなみにそれまでの乗り換えは、浦和が9分、高崎が17分、水上が7分、宮内が4分というものです。10分を越えないと、落ち着いてトイレにも行けない感じで、実際に出かけてきてから、高崎で行ったきりで、新津で2度目のトイレとしました。
 さらに、この駅で駅弁を買い求めようと思います。新津からは会津若松行きの磐越西線のディーゼルカーに乗りますが、2時間半ほどかかり、会津若松まで行ってしまうと昼食時を逃してしまいます。しかも会津若松での乗り換え時間は9分で、弁当売り場を見つけて買い求めている時間があるかどうかわかりません。
 前に、新潟から出発して磐越西線・只見線を走り新潟に戻るという臨時行楽列車に乗ったことがあります。そのときのことは文章にまとめてありますが、はっきり言ってサイテーな列車でした。それこそ昼食を仕入れる余地も無さそうだったので、私は長時間停車している新津で早々と弁当を入手しておいたのでした。
 列車はサイテーでしたが、新津で買った「雪だるま弁当」は大変おいしく、今回も新津で買うならそれを買おうと思っていました。

 前のときは、新津駅は1番線に改札口がついている、昔の国鉄駅タイプの構造だったと記憶していますが、ここも都市型の橋上駅に改築されていました。確かにこのほうが、簡単に線路の両側に跨線橋で出られるので便利ではあるのですが、どうにも味気ない気がします。
 その橋上の改札口のところに、駅弁屋が居たので、見せて貰いましたが、雪だるま弁当が見当たりません。
 「雪だるまは無いの?」
 と訊いてみたら、あれは今日は出ていないとの返事。残念でしたが、無いものは仕方がないので、「雪の舞」というのをひとつ買い求めました。
 改札内に戻ってプラットフォームへの階段を下りかけると、向こうのほうに「雪だるま弁当」と大きく看板の出た建物が眼に入りました。しまった、あそこまで行けば買えたのかもしれない、と後悔しました。22分あれば、なんとか行って帰ってこられたのではないかと思います。

 磐越西線の列車232Dはこの日には珍しく空いていました。昔懐かしいキハ40系のディーゼルカーです。塗り直しや内装の張り替えなどはおこなわれていましたが、かつてさんざん見慣れたレイアウトでした。途中ですれ違った列車を見ると、磐越西線でもキハ110系キハE120系が標準的であるようですが、これらは座席数が少ないので、キハ40系で良かったと思います。ボックスを占拠してのびのびとくつろぎました。
 11時34分、ブルンブルンというディーゼルカー独特のエンジン音を震わせながら、新津駅を出発しました。この列車の乗車時間はほぼ2時間半で、この日最長です。最近は列車の運転区間の短距離化が著しく、2時間以上乗り続けていられるような列車があんまり無くなりました。せめて2時間くらいは乗っていないと、汽車旅をしているという気がしません。
 発車間際に乗り込んできていた、妙に賑やかなお年寄りたちも、五泉で下りてゆきました。五泉は磐越西線の非電化区間の沿線では唯一市制が敷かれた街です。かつてはここから蒲原鉄道というミニ私鉄が分岐していて、信越線加茂まで通じていました。加茂側は山間部が多くて採算がとれず、途中の村松という城下町までに短縮したのちに乗りに来たことがあります。しかしその村松までも、バスで簡単に代行できる状態で、いつしか消えてしまいました。駅近くで、蒲原鉄道の跡地かなと思われるようなカーブを伴った空き地はあった気がしますが、往時を偲ぶことはできませんでした。
 五泉を過ぎると、阿賀野川に寄り添って山の中に遡ってゆきます。阿賀野川は私が見るときはなんだかいつも増水しているようで、この日も幅いっぱいの泥水をたたえていました。昔、集中豪雨のときに列車に乗って河口近くの阿賀野川を渡ったら、河原まで水があふれかえって、川幅800メートルくらいあるとんでもない大河になっていたことを思い出します。
 車窓から陽差しがさしこみます。磐越西線はだいたい東西の向きに敷かれているので、新津から会津若松方面の列車に乗って、右側の座席に坐っていれば、そちらが南側になるのが道理です。だから陽差しがさしこむのも想定内ではあったのですが、東京近辺がこのところずっと曇りばかりではっきりしない天気が続いていたので、こういう夏らしい陽差しが久しぶりな気がしました。しばらくは腕などに当たる陽差しの熱さを愉しんでいたのですけれども、そのうち蒸し暑くなってきました。車内は冷房されているのですが、旧式車輌であるキハ40系では、夏の直射日光に対抗できるほどの冷房出力は得られないようでした。
 暑さで弁当が悪くなるといけないので、「雪の舞」弁当をひもときました。舞茸の煮しめがたくさん入っているのが名前の由来であるようでした。ご飯は軽く酢飯にしてあるようで、さすがに新潟の米だけあっておいしく食べられました。
 五泉に次ぐ集落である津川を過ぎると、国境越えにかかります。豊実徳沢のあいだに県境がありますが、この両側の駅名、なんだか豊臣徳川を連想させますね。もっとも、私は国境越えのとき、食後のけだるさで少しうとうとしていたようです。ふと気づくともう福島県側の野沢が近くなっていました。
 13時48分に喜多方に到着します。ここから先は電化区間ですが、会津若松がスイッチバック駅になっているので、運行上はそちらが境目になっている列車が多いようです。
 私の乗った列車は、喜多方から会津若松までにある途中駅を4つほど通過します。会津豊川・姥堂・笈川・堂島の4駅は、停まる列車より通過する列車のほうが多く、通過するものも特に「快速」などとは呼ばれていません。以前北海道によくあった「仮乗降場」のようなもので、朝礼台みたいな簡便なプラットフォームがあるだけの小駅なのでした。
 会津若松着14時05分。2時間半乗ってきたわけですが、あんまり長かった気がしません。乗り足りない気持ちのほうが強いように思いました。

 9分の乗り継ぎで、郡山行きの快速電車に乗り継ぎますが、こちらはえらく混雑していました。6輌もある長編成なのに、ほぼ満席です。私はかろうじて、4人ボックスのうちひとり分だけ空いていたところに尻をねじこみましたが、それより後に乗ってきた人には、坐れない人も多かったようです。
 6輌のうち2輌は「フルーティアふくしま」という特別車輌で、乗車整理券が無いと乗れなかったそうですが、普通の車輌も4輌はあったはずで、どこからこんな人が湧き出てきたのかと不思議に思いました。会津若松へは只見線会津鉄道も通じていますが、それらからの乗り継ぎ客を集めてもこんな混雑にはならなさそうな気がします。
 そこで、ふと気がつきました。私が乗った232Dの前に、「SLばんえつ物語」が運転されていたことに。
 休日運転の蒸気機関車列車で、新津駅を出るのは232Dの1時間半も前なのですが、蒸機とディーゼルエンジンの出力差のため、途中でだいぶ差を詰め、会津若松到着はわずか30分前です。この列車が到着してから、郡山に向かう列車は出ていません。つまり、いま乗っている快速には、その「SLばんえつ物語」から乗り継いできた客が大量に乗りこんでいるはずです。混んでいるのはそのためだったのでしょう。
 やはり日曜日に来たのは失敗だったか、と頭を抱えたくなりました。
 途中で下りる客もあんまり居ません。むしろ猪苗代磐梯熱海などで、乗ってくる客のほうが多かったと思います。
 1時間ほどで郡山に到着します。快速電車から下りてプラットフォームのエスカレーターに向かう客の流れは、都会のラッシュアワーを髣髴とさせるようなものでした。私はトイレに寄っていたら、その流れに容易に乗り込めないほどの有様になっていました。

 郡山からは東北本線の鈍行電車で黒磯へ。さっきの大量の乗り継ぎ客の一部は新幹線へ、一部は仙台方面へ向かったと思われますが、この電車に乗り継いだのも多かったのでしょう。オールロングシートの座席はすべて塞がっていました。
 塞がっていても、途中の駅でどんどん下りてゆくのが常なのですが、それは平日の通勤客や買い物客の話だったようです。須賀川矢吹白河新白河といったそこそこ主要な駅に停まっても、坐っている客は微動だにしないのでした。荷物の小さな、すぐ下りそうな客に注目していましたが、それも一向に下りてゆきません。
 郡山を出た頃から、空の色がなんだかおかしいと思っていたのですが、やがて雨が落ちてきました。この雨が東京近辺でも降っているのかどうかわかりませんが、降っていたとしたら20日連続の雨ということになります。
 黒磯まで62分、結局立ちづめでした。宮内から新津までの52分より長かったわけです。地方に列車に乗りに行って坐れないというのはどうにも凹むものがあります。
 昔は地方で列車に乗るとたいてい空席が目立って、大丈夫なのかこの列車は、と思いたいようなことがよくありました。赤字ローカル線はもちろんですが、幹線系でも同様でした。
 大丈夫なのかと思いたくなるローカル線はおおむね廃止されてしまいましたが、幹線系でも昔は空いていたのは、編成が長かったせいでしょう。6輌編成くらいの列車が普通に走っていました。幹線系の普通列車には機関車牽引のものが多く、あまり短編成にすると効率が悪かったのです。
 それがいつの頃からか、短編成で便数を増やすという方針になりました。もちろん客のためにはそのほうが便利でしょう。701系のような寒冷地用の電車なども開発され、短編成で走らせることが可能になりました。
 それは良いのですが、どのくらいの編成を基準としたかというと、JR東日本では「その列車の輸送量がいちばん低くなる区間で着席率が100%となる程度」というのが目安となったのでした。キハ110系などの、意味も無さそうな2+1タイプ座席は、この基準に合わせるためなのかもしれません。
 いちばん空くあたりで空席が無いように考えるのですから、都市部などに近づくと坐れない客が出てくるのも当然です。また多客期には車輌を増やすなどといった配慮もあまりしていないように見えます。JR東日本は所帯が大きいためにいちばん旧国鉄に似ているとよく言われますが、客を立たせてなんとも思わないあたり、なるほど国鉄の遺伝子を色濃く受け継いでいると思わざるを得ません。
 しかしまあ、平日であればこんなにフル乗車ばかりの客ではなかったのかもしれません。実際、前にマダムとこの区間に乗ったときも、郡山を出るときはだいぶ混んでいましたが、白河あたりでかなり空いた記憶があります。

 終点黒磯までもうひと駅という、高久に着こうとするとき、坐っていた男性客がむっくりと立ち上がり、扉の前に移動しました。ところが、彼は高久駅では下りようとせず、そのまま扉ぎわの手すりをガシッと掴んでいました。
 しばらくして、彼の魂胆がわかりました。黒磯駅に着いたとき、一番に下りようというつもりなのです。

 ──なんぴとたりとも、俺の前には下りさせねぇ!

 という、強い意志を感じる形相でした。
 黒磯駅では、直流と交流が切り替わるため、交直流対応の電車や電気機関車でないと直通できません。駅と駅の途中に切り替えのある常磐線湖西線では、全列車を交直流対応にせざるを得ませんが、交直流電車というのは値段が高いので、普通列車用に投入するのはなかなか大変です。そのため、特急や急行の無くなった東北本線において、黒磯駅は「絶対乗り換え駅」となりました。そしてこの乗り換えは、水上駅と同様、同一プラットフォームでできるようにはなっていません。狭い跨線橋を渡ってプラットフォームを移らなければならないのです。
 東京側の電車のほうが編成が長大ですから、郡山からの電車の客が全員坐れるくらいの余裕はあるのですが、好い位置に乗りたい、ボックスシートを確保したいなどの希望がある場合は、やはり早い者勝ちになってしまいます。従って、これまた水上駅と同様、客は駅に着くや否や一斉に駆け出すことになります。
 黒磯着16時32分。さっきの男性客はもちろん先頭切ってプラットフォームに駆け出しました。誰も彼も必死に走っています。構内アナウンスで、繰り返し
 「ホーム上を走るのは大変危険ですから、おやめください」
 と放送していましたが、これは無理な話でしょう。本気でやめさせたければ、駅の構造をなんとかするしか仕方がありません。
 私も走りましたが、ただ水上駅のときのような必死さはありません。というのは、これから乗り継ぐのは上野行きの快速ラビット号で、私は最初からグリーン席をとるつもりだったからです。
 黒磯からの電車のほとんどは宇都宮止まりで、宇都宮でもういちど乗り換える必要があるのですけれども、ごくたまに宇都宮を直通する列車が走ります。この快速は珍しいその一例だったのでした。
 宇都宮から乗るのだったら、グリーン席などとらなかったと思うのですが、黒磯からであれば50分ほど余計にかかりますし、グリーン料金を払う気になる距離と言えます。休日なので少し安くもなります。
 ただ、あんまり無い列車なので、黒磯駅にはプラットフォーム上の磁気グリーン券発券機は設置されていません。一旦改札口を出て、券売機で購入しなければならないのでした。
 グリーン券を買おうという乗り継ぎ客がやたら多かったらどうしようかとちょっと心配しましたが、案ずるほどのことはありませんでした。ただ券売機が3台しか無く、私の並んだ列の前に居た若者たちがちょっとトラブっていたので、少しだけやきもきしました。何しろ接続時間は7分しかありません。
 それでもかなり余裕を持って磁気グリーン券を購入できました。実はこのために朝、高崎駅でSUICAをチャージしておいたのでした。黒磯駅でチャージすることは可能でしたが、余計なひと手間が増えます。
 再び改札口を通り、快速ラビットのグリーン席に身を沈めました。先日の「たんばらラベンダー号」の豪華座席とは較ぶべくもない簡易グリーン席(だいたい特急の普通席と同レベル)ですが、のんびりした汽車旅のはずがちょくちょく走らされたり立たされたりした行程のラストランナーとしては充分でしょう。事前ホリデー料金で780円、この程度のゼイタクはしても良いと思います。

 黒磯から浦和まで2時間12分、この日乗った中では磐越西線の232Dに次ぐ長さだったのですが、途中眠ってしまったことが多かったようです。朝が早かったのと、予想外に走ったりすることが多かったことと、けっこう混雑した列車が多くて長時間立っていなければならなかったことなどで、だいぶくたびれていたのでしょう。18時51分に浦和に到着したときには、
 「え、もう?」
 という感覚でした。
 京浜東北線電車に乗り換え、19時11分に川口に帰ってきました。埼玉県・群馬県・新潟県・福島県・栃木県とちょっとだけ茨城県(東北線の古河あたり)にかかった6県をへめぐり、689.4キロのJR路線を10本の列車に乗り倒して、ほぼ14時間の行程だったことになります。普通に切符を買って乗っていたら10150円ですので、11850円の青春18きっぷは、短距離だった16日を補って、充分以上に元が取れたと言って良いでしょう。
 それにしても途中の接続が良かったこと。乗り換えの問題だけではなく、水上から長岡行きの電車に乗れたとか、黒磯始発の快速ラビットに乗れたとか、「乗り換える必要のない」列車をたびたび捕捉できたのも良かったと思います。
 ただ、「旅行」としてはいささかあわただしすぎた観があります。次はもう少し余裕のある旅程を組んで愉しんできたいと思っています。


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