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青春18日帰り大周遊(1) [旅日記]

 15~16日の墓参行に出かけたときの青春18きっぷが1枠残っていました。
 5枠あるうち、マダムと私のふたりで2日間、計4枠使ってあったわけです。
 その2日間、どうもあまり青春18きっぷを充分に活用した気がしませんでした。特に16日は、高崎から川口に帰ってくる際に使っただけなので、完全に採算割れです。青春18きっぷは11850円なので、1枠分にすると2370円の運賃に相当する営業距離を乗らないと元が取れません。JRの本州3社の幹線系なら141キロ以上、地方交通線系でも129キロ以上乗る必要があります。
 なんだか悔しいので、残った1枠で、できる限り長距離を乗って来ようと考えました。
 東海道線の初発電車(東京発5時20分)に乗って、ひたすら普通列車(快速等含む)で西へ西へと走り続けると、その日のうちに厚狭まで到達できます(23時58分)。下関の少し手前ですね。しかしこれだと片道になってしまい、帰ってくるのに日数と交通費を要します。ちなみに厚狭を初発に乗ってもその日のうちに東京まで帰り着くことはできません。
 途中で折り返して、その日のうちに東京まで帰ってくるのであれば、高槻までは行くことができます。
 しかしまあ、これは時刻表上での遊びであって、自分の好みとしては往復運転ではなく、ぐるりと周回ルートで旅してきたいと思います。そしてできれば、あまり帰りが遅くならないほうが好ましいところです。帰宅を遅くしたくないと言うより、陽が暮れてしまうと車窓が見えなくなって面白くないからです。

 そういう条件をつけてみると、意外と選択肢が限られることがわかりました。まずJRの在来線のみで周回ルートになるところが案外とありません。東海道線方面だと、飯田線を乗り潰して中央線で帰ってくるというプランが考えられますが、これは帰り道がほぼ夜になってしまいます。逆ルートでも同様です。
 中央線で長野方面に向かうと、今度はJRで周回ルートを作るのが困難になります。以前、同じような事情で小海線に乗ったことがありますが、その先はしなの鉄道に乗らざるを得ませんでした。篠ノ井線でも同様になりますし、大糸線でもえちごトキめき鉄道に乗り継ぐはめになります。
 千葉県内を動くというのも面白いのですが、わりに最近やりましたし、それに乗車距離が少々物足りない気がします。
 少なくとも主要部分は明るいうちに乗り通すことができて、なるべく乗車距離が長く、JRの普通列車だけで完結する周回ルート……ということで、私が発見したのは、高崎線上越線信越線磐越西線東北線と乗り継いでくるプランでした。これだと乗車距離は689.4キロ、運賃にして10150円となり、ほとんど青春18きっぷそのものに匹敵するくらいです。東海道線を西に行けば姫路の先の上郡あたりまでに相当します。
 高崎線の初発電車(上野発5時13分、私が乗るのは浦和からなので5時32分)に乗れば、なぜか途中の乗り継ぎが妙に好都合であることが多く、19時過ぎには帰ってこられることがわかったのでした。いまの季節なら陽が暮れて間もなく帰り着くくらいです。
 経由する路線はすべて幹線系ですが、上越線の水上越後湯沢間、磐越西線の新津喜多方間などは事実上のローカル線で、車窓風景も大いに期待できます。
 このプランで、一日ひたすら列車に乗り倒してこようと思います。接続が良すぎて、昼食を買う暇も無いかもしれませんが、まあそれはそれで話の種にはなるでしょう。さて、どうなりますことやら。

 今日(8月20日)の5時に家を出ました。いままで、早立ちで6時台に出たことは何度かありますが、5時というのはあまり例がなかったかもしれません。明るくなってはいますがまだ夜は明けておらず、酔狂なことをしているなあと自分でも思いましたが、出がけにマンションの駐車場で、クルマを出そうとしている人を見かけました。そういえば義父もこのあいだ4時半に家を出発したそうですし、世間的にはそんなに酔狂というわけでもないのでしょうか。
 駅までの道は、さすがにほとんどひと通りがありません。散歩やジョギングの人がときおり行き交うくらいです。
 暑くはないのですが、さわやかな涼しさというわけでもないようです。湿度が高いようで、気温が低いなりに空気が肌にべとべとまとわりついてくるような気がしました。東京はこの8月に入ってから、毎日雨降りの記録を更新し続けています。
 駅に着くと、さすがにそれなりの人は居ましたが、それもちらほらで、ふだん使っている川口駅とは別の駅であるような新鮮な気分がしました。
 上野初発の高崎線電車に浦和から乗るためにこの時間に出てきたわけですが、京浜東北線電車は初発ではなく2番電車です。南行に至っては早くも4番電車が出てゆきました。世間の人は朝早くから動いているようです。
 5時12分に来た北行電車に乗りましたが、車内はガラガラだろうと思いきや、けっこう人が乗っています。立っている客も居るし、大きなスーツケースを携えた客も居ました。蕨とか南浦和とかで下りて行ったところを見ると、これから出かけるのではなく、早着の夜行バスや飛行機などで到着して、帰宅するところかもしれません。

 5時23分に浦和に着きます。高崎線初発電車は32分なので、9分の乗り換えです。高崎線電車が来る前に、5時29分発の宇都宮線初発電車が出てゆきました。そちらに乗れば逆回りができるかもしれないと思って時刻表を繰ってみると、今回のまわりかたに較べて乗り換えに要する時間が多く、途中で陽が暮れてしまうことがわかりました。
 いずれの初発電車も、けっこう客が多いので驚きました。わりに乗車時間が長いので、ボックスシートのある車輌に乗りましたが、ボックスがまるまる空いているところなど皆無です。男性客がひとりだけ居眠りしているボックスに割り込んで坐りました。
 走るうちに朝の気配がしてきました。しかし陽光はさしません。今日もここしばらくと同じように、曇った、はっきりしない天気になるようです。
 電車は途中で空くこともなく、同じような乗車率で走って高崎に着きました。まだ6時55分です。数日前に青春18きっぷを使ったときは、このあたりが目的地でしたが、今日はむしろここからが本題です。トイレに行き、一旦改札を出て、自動券売機でSUICAにチャージしました。青春18きっぷを持っているのでSUICAにチャージする必要は無いと思われるかもしれませんが、実はあとで必要になることを見越して、ここで入れておいたわけです。この先はしばらくSUICAをチャージできるところは無さそうですし、高崎での17分という乗り換え時間が、実は今日2番目に長く、他の駅では余裕を持って動けそうにありません。

 7時12分の上越線電車で高崎を後にします。最近のこのあたりの電車の常で、オールロングシートです。
 さっきの高崎線電車から、みんながこの電車に乗り換えていたらえらい混雑になりそうでしたが、両毛線・信越線・吾妻線に適度に散ってくれたようで、それほどの乗車率ではありませんでした。それで、ロングシートでは少々気羞しいのですが、持ってきた朝食を食べ始めました。
 ところが、新前橋に着くと、年配の男女が一斉に乗ってきました。みんなハイキング姿です。空いていた座席がたちまち埋まり、立つ人も出ました。こうなっては食事を続けるのも憚られます。途中で中断しました。乗ってきたお年寄りたちは、いわゆる「歩こう会」といったたぐいのグループであったようで、隣の隣くらいに坐っていたまとめ役らしいご老人が見ていたチラシを盗み見たところ、土合駅の地下プラットフォームに着いてそこから地上に出て、谷川岳天神岳をハイキングするというプランであるらしいのでした。土合はこの電車の終点である水上からさらに乗り換えて2駅目ですから、お年寄りグループは漏れなく終点まで同席するわけです。
 どうも、日曜日に出てきたのが良くなかったのではないかと見当がついてきました。平日ならそんな企画もあまり立てないのではないでしょうか。いや、お年寄りグループではそうでもないかな。
 渋川くらいまでは市街地が続いている感じでしたが、渋川を過ぎると車窓が何か「里」という雰囲気になり、さらに沼田を過ぎると「山里」といった気配になりました。このあたりからの上越線は、かつて特急や急行がじゃんじゃん走っていた頃にはあまり気づきませんでしたが、なんとも心洗われる山岳路線となります。
 水上駅が近づくと、最前部の扉に集結する人たちが増えました。みんな事情がわかっているようです。水上から先へゆくには、最前部にある狭い跨線橋を渡って隣のプラットフォームに行き、そこに停まっている電車に乗り換えなければなりません。いまや1日わずか5往復だけになってしまった閑散路線です。その接続電車で好い座席を確保するためには、できるだけ早く跨線橋に取り付いて渡ってしまわなければならないのです。
 同一プラットフォームで乗り換えられるようにしてくれていれば良いのに、まったくJRの料簡を疑います。
 私も負けては居られません。やはり水上駅到着前に最前部の扉のほうへ行き、扉が開くや否や飛び出して、階段を2段抜きで駆け上がりました。私自身もすでに50の坂を越えているものの、さすがに歩こう会のお年寄りたちよりはまだ足腰がしっかりしていたようで、1着ではありませんがかなり先んじて隣のプラットフォームに駆け下りました。急に走ったものだから心臓が苦しいのなんの。あまり無理をしてはいけませんね。

 今度こそボックス席を悠々と占拠して坐りました。接続の電車が、短距離ではなく長岡行きで、そのためか4輌とかなり長い編成になっていたおかげでもあるでしょう。
 上に書いたとおり、水上から先へゆく電車は非常に少なくなっています。水上~越後中里間の定期列車は5往復しかありません。昔のローカル線にはそんなのがよくありましたが、ほとんど廃止されてしまい、いまでは全国でもワーストに入る超閑散区間と言って良いでしょう。今回のこのルートを考えたのは、高崎線の初発に乗れば、この超閑散区間を走る1番電車に乗り継げて、しかもそのまま長岡まで走ってくれるということがわかったからです。これも上に書いたとおり、逆回りだとうまくゆかないのも、この区間の接続が良くないからなのでした。
 水上発8時17分。まだこんな時刻だということが信じられない気分です。ふだんの私の生活なら、ようやく起き出す頃です。
 温泉街を出てすぐに山間部になります。しばらく走って、次の湯檜曽の温泉地区が見えたと思ったら、上り線路と急角度で離れ、新清水トンネルに入った直後に湯檜曽駅となります。このあたり何度も通っていると思うのですが、湯檜曽駅の下りプラットフォームがトンネルの中だったというのをはじめて確認した気がします。上り電車に乗っているとわからないし、前に下り電車に乗ったときは、もしかしたらすでに陽が暮れていて、トンネルの中だか外だかわからなかったかもしれません。
 そしてそのままトンネルを走り、やはりトンネル内にある土合駅に停車します。ここはトンネル内の駅として有名で、地上までは400段以上の階段を昇ってゆかなければなりません。かつて有人駅だった頃は、時刻表の欄外に

 ──土合駅の下り列車の改札は発車10分前に締め切ります。

 と註記してあったものでした。改札口からプラットフォームまで、10分とは言わないまでもかなりの時間を要するのでした。今回、私の乗っていたあたりが、ちょうど出口に面していて、ダンジョンめいた昇り階段が暗がりの中に消えているのがよく見えました。先ほどの歩こう会のお年寄りたちはここで賑やかに下車しました。谷川岳を歩く前に400段以上の階段でへばってしまわなければよろしいのですが。

 土合駅からさらにしばらくトンネル内を走り、やがて地上に出ます。国境の長いトンネルを抜けて、新潟県に入りました。真夏ですからもちろん雪国の風情は無く、むしろ関東地方がどんよりと曇っていたのに対して、青空が見えてうららかな陽光がさしていました。しかし白雲は低く山にかかっていて、なんだか幽邃な気分になります。
 トンネル内との温度差のせいか、窓ガラスが一斉に曇りました。すぐに到着した土樽駅の駅名も見えないくらいです。手で拭き取ろうとしたら、内側が曇っていたわけではなく、外側だったようです。走るうちに曇りが消えるのを待つしかありません。
 冬は賑わうスキー場の拠点駅を結びながら、だんだん高度を下げてゆきます。そういえば当初はシーズン中だけの臨時営業駅だった岩原スキー場前上越国際スキー場前も、いつの間にか通年営業になっています。
 越後湯沢ではほくほく線スノーラビット号が見えました。北陸新幹線が開通して、特急「はくたか」が新幹線に奪われてしまい走らなくなったのを受け、ほくほく線では従来もあった快速の他に、「超快速スノーラビット」と称する高速電車を走らせています。一日に1往復半だけですが、かつての「はくたか」と似たような停車駅です。ただし車輌は特別なものではなく一般車輌のようです。「超快速」とやらに乗ってみたい気持ちがふつふつと湧き上がってきましたが、今日は仕方がありません。ほくほく線は第三セクターなので、青春18きっぷでは乗れません。

 終点の長岡が近づいてきて、考えました。長岡から乗り継ぐ予定の新潟行き快速電車は、長岡始発ではなく、新井から信越線を走ってきます。信越線と上越線が合流するのは、長岡ではなくてその手前の宮内です。そしてその快速は宮内にも停車します。だとすれば、長岡まで行かずに宮内で乗り換えてしまったほうが良いのではないでしょうか。いま乗っている長岡止まりの電車からその快速に乗り換える人は多そうで、坐れない可能性があります。しかし宮内で乗り換えてしまえば、その快速でも長岡で下車する人が大勢居るでしょうから、乗り継ぎ客が乗り込んでくる前に坐ってしまえるかもしれません。
 そう思って、10時16分、宮内で下車しました。昔の「汽車駅」の情緒を残した感じの古びた駅でしたが、跨線橋を渡ってみると、改札がその途中にあるいわゆる橋上駅になっていました。古い建物のままキッチンだけ最新式に取り替えたような趣きです。
 快速は10時20分にやってきました。この快速、昔の長野~新潟間急行「赤倉」あたりの系譜を継いでいるのかもしれませんが、驚くべき利用度で、ほぼ満席、立ち客も大勢いる状態でした。
 いや、でも長岡でだいぶ下りるはず……と思ったのですが、立っていた客が若干下りただけで座席は空かず、しかも危惧したとおりさっきの長岡行き電車からの乗り継ぎ客もドッと乗ってきて、なんだか夕刻の湘南新宿ラインにでも乗っているかのような混雑ぶりになってしまいました。私も当然ながら坐れません。そして驚くべし、途中の停車駅でも下車客よりは乗車客のほうが常に多く、座席に坐った客は下りる気配もなく、ずっとそのまま走り続けたのでした。
 正確に言うと、私の立っていたすぐ近くのボックスには、3人連れの女の子が坐っており、ひとり分は空いていました。ただ、私は体格的に人並み以上にスペースをとるので、そこに坐るのは遠慮していました。それはそれで良かったのですが、途中から私よりはずっと細っこいおじさんが近くに乗ってきたのに、女の子たちは座席を空ける素振りも見せずにそれぞれスマホを眺めながらときどきキャハキャハと笑っているばかりで、むしろバッグをスペースに投げ出して、おじさんが坐る気になるのをブロックしている様子でした。3人とも見た目はなかなか美人だったのですけれども、こういう振る舞いを目にするとがっかりします。おじさんもジト眼で彼女たちを睨んでいたようでした。
 11時12分、新津着。新潟まで行かずに、私はここで下ります。次の列車は11時34分の磐越西線、会津若松行きで、すでにプラットフォームには入線していました。
 22分の乗り換え時間があります。これが今日最長の接続待ち時間でした。

 この項、続きます。


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