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雪の休日 [日録]

 一日中冷え込み、氷雨が降っていると思ったら昼頃には雪になるという、大荒れのお彼岸でした。お墓参りなど行ったかたがたは大変でしたね。
 私は墓参りには行きませんでしたが、昼前から外出していました。去年の10月9日(体育の日)に、みなとみらい21交響楽団というオーケストラの演奏会を聴きに行ったのですが、そのとき受付で、「次回公演の招待状」というものを渡されました。去年のときも、チラシを持って行けば無料で入場できるという太っ腹な公演だったのですけれども、今回も事実上無料で聴けるわけです。
 お察しのとおり、みなとみらい21交響楽団というのはアマチュアのオーケストラです。採算を考えなくて良いのでこれだけ太っ腹なことができるのでした。ただアマチュアとは言っても、

 ──普通のアマオケがあんまり手がけないような曲に挑戦する。

 ということに意欲を燃やしており、マーラーの交響曲全曲演奏なんて計画もあるそうです。前回も第2番「復活」を採り上げていました。ときどき金管などでやや微妙な音が聞こえることがあったとはいえ、なかなか立派なものでした。
 その「次回公演」というのが今日なのでした。今回はマーラーではなく、大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」芥川也寸志「交響三章」、そしてストラヴィンスキー「火の鳥」の、組曲版ではなく原曲版というプログラムで、なるほど他のアマオケではまず扱わないようなチョイスです。面白そうだし、当日は特に他に用事もないしということで、聴きに行く気になっていました。わが家ではそんなタダ券など、どこかへ紛れてしまって見つからなくなるということが容易に起こるのですが、幸いなことに私が貰っていた招待状も、マダムが貰っていたものも、すぐに発見できたのでした。

 今回の会場は、オーケストラ名に反して、みなとみらい21ではありません。ミューザ川崎シンフォニーホールです。ちなみに今年の秋分の日代休(9月24日)に予定されている次回公演もミューザ川崎、そのまた次はサントリーホールだそうで、みなとみらいホールを優先的に使えるというわけではないようです。
 みなとみらいホールには、実は先週の火曜日に、ある女声合唱団の演奏会を聴きに行ったばかりでした。その時点では今日の演奏会もみなとみらいだとばかり思っていたもので、ずいぶんちょくちょく行く機会が増えたものだと感慨を覚えたりしていました。
 川崎までは、川口から京浜東北線の電車に乗っていればそのまま行けますが、さすがに時間がかかりそうです。最初はその方法も良いかなと思っていたのですけれども、家を出るのが少し遅くなってしまいました。無難に、赤羽上野東京ラインに乗り換えます。横浜なら湘南新宿ラインでもOKですが、川崎は通りません。
 なんだか眠くて、うつらうつらしているうちに川崎に着いていました。そして朝から降り続いていた雨が、真っ白な雪に変わっていたので驚きました。まあ雪になるかもしれないとは聞いていたし、東京近辺ではけっこう春分あたりで雪模様になることがあるのも知ってはいるのですが、それにしても相当な勢いで降りしきっているのを眼にするとびっくりします。
 駅ビルの中の食堂で簡単に昼食をとってから、ミューザ川崎に向かいました。駅と、ミューザ川崎と、大規模ショッピングセンターのラゾーナ川崎とは、お互いペデストリアンデッキでつながっており、しかも片屋根が着いているので雨や雪でも傘をささずに移動できるようになっています。川崎駅に下り立つのは久しぶりですが、ずいぶん再開発で立派になった気がします。
 しかし雪の勢いがだいぶ強いので、屋根の下まで吹き込んできていました。もっとも水分の多い牡丹雪であるため、つもることは無さそうです。

 ミューザ川崎のシンフォニーホールに入ったのははじめてです。確かここは、東日本震災のときに壁だか天井だかが落ちて、しばらく使えなくなっていたのではなかったかと思います。新しいホールだろうに耐震性が弱かったのでしょうか。揺れの「強さ」もさることながら、揺れの「向き」というのが被害に相当影響することを、私は自分の家での経験で知りましたが、ミューザにはそういう不運があったのかもしれません。
 中に入ってみると、なんとも不思議な客席配置になっているホールでした。舞台の背後にも客席があるのは、サントリーホール以来よく見るようになりましたが、ここは正面席・側面席・背面席とエリアが分かれているわけではなく、舞台を取り巻くように螺旋状に客席が配置されています。螺旋状ですので、当然ながら左右対称にはなって居らず、ちょっと視覚のバランスがおかしくなるような気がしました。床も微妙に傾斜しています。
 意欲的なデザインだとは思いましたが、舞台を正面から見ることのできる席がかなり少なく、演奏会場としてはどうなのだろう、とやや首を傾げたくもなりました。
 午後の演奏会というと14時か15時くらいにはじまるものが多いのですが、今日のは13時半という早い時刻の開演でした。珍しいと思いましたけれども、演奏会が終わってからラゾーナなどでゆっくり買い物やティータイムを愉しめるというわけで、こういう大規模商業施設の至近にある演奏会に限ってのことではありますが、この時間設定もなかなか良いかもしれません。まわりに小規模店舗しかない板橋の文化会館などではあまり応用できなさそうですが。

 大栗裕という作曲家については、お恥ずかしいことながらいままでほとんど知りませんでした。もっぱら関西で活動していたとか、ピアノ曲とか歌曲、室内楽曲がほとんど無いために私のアンテナにひっかからなかったとか、いろいろ理由はあると思います。管弦楽曲、吹奏楽曲、マンドリンオーケストラ曲などが主な作品らしいのですが、オペラもけっこう作っており、それを知らなかったのは少々忸怩たるものがあります。
 また、1900年代、1910年代生まれあたりの世代の邦人作曲家というのは、わりと盲点になっていることが多くて、前に尾高尚忠1911年生まれ)の作品展を聴いたときも、この世代の作曲家がなぜあまり知られていないのだろうかと不思議に思ったことがあります。大栗裕は1918年生まれで、今年がちょうど生誕100年ということになり、それだから今回の演奏会に採り上げられたのかもしれません。
 若い頃はホルン奏者として活動しており、作曲をメインの仕事として打ち込みはじめたのは40近くなってからだったようです。wikipediaの主な作品の目録を見ても、戦前に書かれたのは吹奏楽作品「天草への幻想」くらいで、ほとんどは昭和30年以後の作曲となっています。「大阪俗謡による幻想曲」もまさに昭和30年に書かれていて、管弦楽曲としては処女作品に近いと思われます。朝比奈隆ベルリンフィルに招かれたときに、日本人のオーケストラ作品として土産代わりに持っていったのがこの曲だったのでした。
 そういう事情もあって、響きはきわめて和風です。お神楽みたいな冒頭部分に続いて、だんじり囃子風な賑やかな主題が出てきます。途中からなんとピッコロ3本のユニゾンによる獅子舞囃子が出てきますが、これなどは明らかに篠笛か龍笛のイメージでしょう。通常3人のフルート奏者のうち、ピッコロに持ち換えるのはたいていひとりだけで、稀に2本のピッコロということもあり得ますが、全員がピッコロに持ち換えるという大胆な真似にはなかなかお目にかかりません。
 全体の演奏時間は12分ほどで、長すぎないのも好印象でした。

 芥川也寸志の「交響三章」は、タイトルだけ知っていましたが、実は聴いたのははじめてです。これも作曲者のごく初期の作品で、まだ学生時代に書かれたようです。
 オスティナートを好んで使うあたりは師匠の伊福部昭の影響でしょうか。伊福部センセイの影響は第二章の中間部あたりにも顕著に見られます。しかし、軽快で明朗で喜ばしい、という芥川作品の特徴はこの初期作からしっかりと出ています。伊福部作品はむしろ人間のプリミティブな情動といったものを力強く歌い上げるものが多いので、その点では影響を受けつつも資質の差が明瞭に出ているように思われます。
 父・龍之介も同様でしたが、也寸志さんも基本は「都会人」であったのでしょう。土俗的なエネルギッシュさに憧れながら、あまりそちらの側には行けなかった人という印象があります。
 マダムは芥川作品自体聴くのがはじめてだったそうです。昔NHKで「音楽の広場」という番組があって、芥川さんは黒柳徹子と組んで進行役、兼指揮者を務めており、ときどき自作曲も披露していましたが、マダムは見ていなかったのでしょう。ただ芥川さんの著書(「私の名曲案内」かな?)は持っていて、いろいろな名曲についてコメントしている中、最後のほうに自作の「交響三章」を採り上げていたということを憶えていました。それなりに自信作でもあったということでしょう。今日この曲を聴けて、マダムも満足していたようです。

 「火の鳥」を採り上げたのは、もしかしたら芥川也寸志が大ファンだったというつながりからかもしれない、と思いました。芥川さんは子供の頃、龍之介が遺したレコードをすり切れるまで聴いていて、その中でもストラヴィンスキーがお気に入りだったと言います。「火の鳥の子守歌」を鼻歌でよく唄っていたなんて話もあって、だいぶませた子供ぶりを想わせますね。まあそれ以前に、芥川龍之介がストラヴィンスキーを聴いている光景というものが、想像するのに少々手間取ったりするのですが。
 ともあれその「火の鳥」、それもよく演奏される組曲版ではなくて、バレエに使われているそのままのヴァージョンでの披露というのが、意欲的なプログラムであったと思います。
 この全曲版だと、演奏時間は50分ほどになります。全部で22のシーンがありますが、音楽はほとんど途切れずに続きます。チャイコフスキーのバレエ音楽とは違って、1曲1曲の区切りが明快ではなく、その性格もさほど際立ってはいません。
 これを舞踊抜きで流した場合……いささか遺憾ながら、やはり「コンサート用ヴァージョン」としての組曲版が作られるにはそれなりの理由があるな、と思わざるを得ませんでした。舞踊があってはじめて意味を持つという箇所も少なくはなく、そういう部分を音だけで聴いていると、どうしても冗長な感じがしてしまいます。コンサート用の組曲を編む場合には、そういう部分をカットし、独立した音楽として通用するところだけを切り取るわけです。
 なお「火の鳥」の組曲は、1911年版1919年版1945年版と3ヴァージョンあり、だんだん長くなっています。いちばん長い1945年版でも30分足らずで、もとのバレエ音楽に較べると半分ちょっとになります。飽きずに聴けるのはそのくらいなのかもしれません。

 アンコールに伊福部昭の「SF交響ファンタジー第1番」、すなわち「ゴジラ」(短縮版)を演奏して、終演となりました。ここに伊福部作品を持ってきたのは明らかに芥川つながりでしょう。
 だいたい2時間で終了しました。また面白い選曲の公演があれば聴きに行きたいと思います。
 外へ出てみると、激しく降りしきっていた雪は、みぞれまじりの雨に変わっていました。
 川崎で少し遊んでも良かったのですが、私たちは京急川崎駅から電車に乗り、押上に向かいました。都営浅草線直通の快特に乗れば、乗り換え無しで行けます。
 マダムが毎年受けているフランス語の書き取りテストがあり、好成績であれば「シズラー」で食事をしようという約束をしていました。
 マダムとしてはかなりプレッシャーであったようですが、先日成績が送られてきたのを見ると、思っていたよりも出来が良く、文句なく行けることになりました。
 「シズラー」はサラダバーが豪華な店で、サラダバーを注文するとサラダだけではなく、ドリンクやスープ、デザート、パスタなども食べ放題になるため、メインディッシュを頼まなくとも充分に満足できるというのが売りです。ずいぶん前に、東京ドームホテルにあるこの店の支店に行ったことがあります。
 今度も東京ドームホテルに行こうかと思ったのですが、川崎に行くのとひっかけた場合、押上店のほうが便利だと考えました。上記のとおり、乗り換え無しで行けるのです。マダムは川崎と押上がダイレクトにつながっていることに驚いていたようです。

 昨夜席を予約しておきました。行ってみるとけっこう賑わっていたので、予約しておいて正解だったようです。
 予約したのは18時からで、押上に着いたのは17時ちょっと前くらいでしたので、押上駅構内から直接つながっているソラマチスカイツリーの下部にあるショッピングモール)で時間を潰しました。マダムはここが大好きなのでした。なんだかいろいろと買っています。大丈夫かな。
 押上駅ととうきょうスカイツリー駅とのあいだをソラマチがつないでいるという風な位置関係になっていることをはじめて知りました。「シズラー」はリッチモンドホテルの中にあって、押上駅からはすぐなのですが、マダムはある店に行きたいと主張し、それがとうきょうスカイツリー駅口のすぐ近くだったもので、えっちらおっちら端から端まで歩いてその店まで行き、そろそろ時間だというのでまた端から端まで歩いて戻ってくるというはめになりました。しかもソラマチは1階ではつながっておらず、2階より上に行かないと端から端までは移動できません。かなり複雑怪奇なルートになります。
 ともあれ押上口に戻ってきて、道路をはさんで向かい側のリッチモンドホテルに入りました。サラダバーだけで税込み2500円以上するのですが、それだけの内容ではあると思います。なおステーキなどのメインディッシュを頼んだ場合には自動的にサラダバーがついており、そのときの値段は実はサラダバー単品に較べてそんなに大差がありません。いちばん安い(?)鶏のモモ肉のグリルなんかだと、合計してせいぜい3000円ちょっとです。
 しかし、メインディッシュを頼んでしまうと、せっかく食べ放題のサラダバーが充分愉しめなくなるというわけで、私たちはサラダバー単品だけを頼みました。
 ふたりとも5回くらいお皿に盛りつけて来ました。私は1品ごとの量をなるべく控えめに取ったつもりでしたが、それでも最後はかなり食べ過ぎ感が出てきました。やはり若い頃のようには食べられなくなっている気がします。マダムはひと皿めから野菜を山盛りにして、ご満悦の様子でした。
 マダムは少し前、フランス語学校のクラスでやはりこういうビュッフェ式の店に行ったそうですが、入店時刻の関係で60分くらいしたら料理が片付けられるという話が流れ、えらくあわただしかったと言っていました。私の経験でも、60分というのはあっという間で、せめて90分は必要と思われます。今日は2時間ゆっくりと過ごせたので、焦ることもなく食事を愉しめました。
 日暮里までバスで出て帰宅しました。最後まで冷え込みの厳しい一日だったと思います。


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