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晩春山陰旅行(2) [旅日記]

 4月30日(土)Tasty 4の演奏会の後、打ち上げで話が尽きず、つい終電を逃して(ちなみに出雲大社前駅からの終電は21時34分発です)田川くん夫妻にクルマで送って貰った私たちは、出雲市駅直近のホテルで2泊目の夜を過ごしました。
 翌5月1日(日)は8時55分という早めの列車、特急「スーパーまつかぜ6号」に乗って鳥取まで戻ります。マダムのためにもう少し遅い列車にしてやりたかったのですが、これに乗らないと以後の接続ががたがたになり、この日のメインである鳥取砂丘に滞在する時間がきわめて中途半端なものになりそうでしたので、のんびりしている(本人の主観では大いに急いでいるつもりらしいのですが)マダムをせっついてホテルを出ました。
 天気予報は外れて、雨にはなりませんでしたが、その代わりというか、おそろしく風の強い日でした。ホテルを出て数十秒で駅に入ると、風のため列車が50分くらい遅れているという案内をしていて、ぎょっとしましたが、幸い(?)それは反対方向の列車の話で、私の向かう鳥取方面の列車はほぼ定刻で動いていました。
 鳥取は何度も通ったことがあるし、駅前の温泉付きビジネスホテルに泊まったこともあるのですが、街を歩いたことはありません。砂丘については、従弟の父方の実家があって、中学校に上がる前の春休みに、従弟にくっついて鳥取へ行ったことがあり、その時に確かに訪れたはずなのですが、まるで記憶がありません。要するにはじめて行くようなものです。
 キャリーバッグをコインロッカーに入れようとしたらやっぱり無理で、駅の手荷物預かり所まで行って預かって貰いました。もう少し小さめの──せめて400円のロッカーに入る程度の──キャリーバッグを購入すべきかな、と思いました。

 そんなことをしていたら、ほどなく砂丘行きのバスの発車時刻となりました。このバスは周遊券で乗ることができるので助かります。
 10分ほど走ると早くも市街地を抜け、北側にある斜面を登ると、間もなく砂丘に到着します。
 すぐには砂丘に出ず、土産物屋やビジターセンターみたいなのをひとまわりしてから、さしあたって昼食を摂ることにしました。砂丘会館という大きな店の食堂は混んでいるようだったので、何軒か隔てた、洋食屋の趣きのある店に入りました。私は野菜カレー、マダムは「らっきょうキッシュとシーフードグラタン」を注文しました。そういえば鳥取はラッキョウの産地としても知られます。マダムの取った「らっきょうキッシュ」は、「ラッキョウが苦手な人にもお勧め」と謳っているだけあり、あんまりラッキョウ感が無かったようで、ラッキョウ好きのマダムとしては少々物足りなさげでした。

 食事を済ませてから、階段を上って砂丘に出ます。
 急に、ほとんど日本離れした光景が眼に飛び込みました。
 マダムは思わず「うわ~」と叫びましたが、私もこんな規模のものとは思っていませんでした。
 位置的に言うと、バス停や観光施設があるのは砂丘の東端にあたります。そこから東西約16キロくらいに渡って砂丘が拡がっているわけですが、私はもう少し起伏に乏しい地形を想像していました。ところが、すぐに急な下り坂になっており、左下にはスリバチ状の池が水を湛えています。その向こうには相当に高い砂の丘──だから砂丘というわけですが──がそびえており、その斜面に張りつくようにして人々が登ったり下りたりしていました。見ていても距離感があまりつかめません。
 丘の尾根(?)の向こうは海になっています。砂だけの「山並み」と海との鮮やかなコントラスト、それが鳥取砂丘の魅力というものかもしれません。
 歩き出してみると、砂はさらさらとして、容易に靴の中に入ってきます。サンダルに履き替えたり、裸足で歩いている人も少なくありません。マダムもビジターセンターでサンダルを借りていました。風が強いので、細かい砂粒が巻き上がります。尾根筋に出ると風はいよいよ強く、ほとんど砂嵐と言いたくなるほどの勢いで、ぱちぱちと肌に衝突するので閉口しました。しかし風紋がきれいにできる状態でもあり、良い日に来たと言えるかもしれません。
 尾根の海側は急斜面になっており、海岸まで下りて行っている人も何人も居ましたが、登ってくる時のことを考えると、予定した時間には足りないような気がしたので、下りたがっているマダムを制止して、丘のピークへと向かいました。
 ピークまで登って西側を見ると、しばらく砂丘が続いた先に港湾施設が見えました。本当の沙漠であれば、そこからさらに見はるかす砂が続いているのでしょう。沙漠の旅人はさぞうんざりすることだろうと想像します。アレクサンダー大王の軍勢があれほど迅速に各国を征服できたのは、途中が沙漠ばかりで、なんとか早く次のオアシス国家に辿り着きたいと必死になって走っていたからだという説を読んだことがあります。
 元の入口あたりに戻ると、すでに一時間くらい経過していました。距離感がつかめないので、時間の感覚もおかしくなります。

 入口近くに、ラクダが4頭ばかり飼われていました。ふだんは客を乗せて闊歩したりもするようですが、この日は風が強すぎるので、乗って写真を撮らせるだけの営業をしていました。
 「写真を撮らないなら近くへ寄ってもいいですよ」
 とおじさんに言われて、脚を畳んで休んでいる1頭の側に近づいてみました。
 ラクダの眼をはじめてよく見ましたが、話に聞いている通り瞳が横長なので、少々異様な、しかし何やらのんびりした雰囲気を強調しているようでした。砂嵐を防ぐために睫毛が非常に長く、そのためとても優しそうな顔に見えます。
 ラクダのコブに水が入っているわけではないということは、さすがにもうだいぶ知られていると思いますが、それでは何がなんのために入っているのかを説明できる人はまだ少ないかもしれません。解剖してみると、脂肪のかたまりだったそうです。われわれだとおなか周りあたりにつきがちな体脂肪のほとんどを、背中にまとめて担いでいるわけです。「水」説のなごりか、「脂肪を分解して、水が飲めない乾燥時に水分補給をする」ということを言っていた学者も居るようですが、実のところ水分補給とはあんまり関係ないようです。いちばん大きなメリットは断熱材としての役割だとか。沙漠の直射日光による猛烈な暑さから身を護るのが、コブのいちばんの存在理由であるらしい。脂肪の多い太ももやお尻などがひんやりしていることが多いのでわかる通り、動物の脂肪は熱を遮る性質があるのです。
 ふさふさとしたたてがみや体毛も断熱のためです。あんなに分厚い毛皮をまとっていては暑くて仕方がないだろうというのは人間の感覚で、人間は全身から汗をかくため、暑いところで毛皮などをまとっていると蒸れて大変なことになってきますが、ラクダはほとんど汗というものをかかないそうで、いろんな点で沙漠という苛酷な環境に見事に適合したからだを持っていると言えるでしょう。
 マダムもはじめてラクダを間近で見て、気に入ったようでした。

 サンダルを返し、多少土産物なども買ってから、リフトで展望台へ行きました。展望台は一段高い崖の上にあり、その近くにもバス停があるので、そこから直接乗ってしまおうと思います。
 リフトは2人掛けのロマンスリフトで、終点近くで係員がカメラを構えています。写真を撮ってそれをすぐ終点に転送し、専用のパッケージにプリントして1000円ばかりで希望者に売るという、よくある商売をしているのです。私たちが写ったのを見ると、表情はなかなかにこやかで悪くないのですが、土産物を買った時に入れて貰ったポリ袋を抱えたさまが、どう見ても近所のスーパーに買い物に行った帰りみたいな風情に見えて、旅情も何もあったものではなかったので、買わずに通り過ぎました。
 あまり時間がありませんでしたが、建物の5階くらいの高さにある展望台まで一気に駆け上がり、しばらく望遠鏡で砂丘の様子を眺めたりしてから下におりました。ほどなくバスがやってきました。
 20分足らずで駅に戻ります。バスを降りて駅舎のほうへ歩き始めた途端、前方でバシッという衝撃音が聞こえました。
 音のしたほうを見ると、はらはらと何かが地面に舞い落ちるのが見えました。葉っぱかと思ったのですが、もう少し重みがありそうな音でした。近寄ってみてみると、小鳥が気を失って地面に落ちていました。地下道へつながる階段の入口で、透明なアクリル板のフードのようなものがついているので、小鳥はそこを通り抜けるつもりでアクリル板に激突してしまったのでしょう。
 ぴくりとも動かないので、死んだのかと思いました。近くに植え込みがあったので、
 「埋めてやろうよ」
 とマダムが屈み込み、小鳥を持ち上げようとすると、小鳥は驚いたように一瞬激しく羽ばたいて、また動かなくなりました。どうも脳震盪でも起こして気絶しているだけのようですが、このまま歩道に落ちていたら誰かに踏んづけられて本当にお陀仏になりかねないので、植え込みのところに持って行って、埋めることはせず、ただ横たえておきました。鳥の種類は私にはよくわかりませんが、帰ってから図鑑を見ると、ウグイスのように見えました。まさにウグイス色の体色に、特徴的な眉毛のような白い羽毛が生えていたので、たぶんそうでしょう。
 預けていた荷物を受け取りに行ったのち、マダムが
 「さっきの鳥、どうしたかな」
 と言い出したので、もう一度植え込みのところに戻ってみると、小鳥はもう居ませんでした。猫に持ってゆかれたとか、誰かが気づいて連れて行ったとも思えないので、たぶんしばらく草や土に触れているうちに息を吹き返して飛んで行ったのでしょう。マダムはひどく安堵し、そして
 「鳥取で鳥を救うなんて」
 と繰り返して感動を噛みしめていました。

 鳥取発16時22分。山陰本線の鳥取以西はほとんど鈍行ばかりになり、運転本数も減り、しかも短距離列車が大半になります。浜坂まで45分ほど走り、そこでまた鈍行に乗り換えて豊岡へ。このあたりは駅ごとにと言って良いほど温泉場はあるし、漁港もあっておいしい魚は食べられるし、夏は海水浴もできると言うのに、このさびれようはどうしたものかと思います。
 有名な餘部(あまるべ)鉄橋もこの区間にあります。下りの場合はトンネルを出てすぐ、上りの場合は餘部駅を出てすぐ、いきなり空中に投げ出されたかのような感覚に襲われる高い鉄橋にさしかかります。高さだけならもっと高い鉄橋もあるでしょうが、直下が集落、その向こうが海というアングルの妙で、視界に遮るものが何もなく、旧国鉄の車窓でもこれほど怖い場所は無いと言われたほどです。
 が、しばらく前に、強風に煽られて列車が吹き落とされ、6人の死者を出す事故があってから、鉄橋には柵がつけられて、すっかり安全な印象になってしまいました。さらに鉄橋そのものが老朽化しているというので、コンクリート製の堅固な橋に付け替えられ、今ではなんの変哲もない高架線という趣きになりました。安全のためには致し方ありませんが、またひとつ鉄道名所が減ったのは寂しい気がします。
 城崎温泉を過ぎて、18時34分に豊岡に到着しました。この日はここで宿泊します。特に趣向があって豊岡泊を選んだわけではなく、次の日に天橋立に行くにあたって、北近畿タンゴ鉄道のターミナルである豊岡に泊まっておけば便利かなと思っただけのことです。城崎でも良かったのですが、志賀直哉の私小説に出てくるような古い温泉町だけに、老舗みたいな敷居の高い旅館がほとんどで、あまり廉価で泊まることができそうにありませんでした。豊岡ならその点、安いビジネスホテルもいくつもありますし、夕食を摂れる店も多いと思われます。

 また駅前すぐのホテルに投宿しました。フロントに手作りらしいグルメマップがあったので、一息ついてからそれを片手に出かけました。そのホテルに宿泊していると告げるとなんらかのサービスが受けられるという店もいくつかあります。そういう店をいくつか検討しているうちに、たいていは飲み屋などが名を連ねる中、「旬菜ダイニング」という触れ込みになっている店を見つけました。マダムはこの手の店が好きなので、早速行ってみることにしました。
 まだ19時過ぎというのに早くも寝静まった観のある商店街をしばらく歩き、市役所近くまで行ってちょっと道を折れたところに店がありました。入ってみても他の客はおらず、店の人も姿が無くて、坊やがひとりこっちを見ていました。
 「ごめん下さい」
 と声をかけると、坊やはちょこちょことひっこんでゆき、まだ若いシェフが顔を出しました。
 着席すると、シェフの奥さんらしい女性が注文を取りに来ました。アラカルトで注文するよりもセットのほうが手っ取り早いと思ったのですが、あまりのひと気の無さにちょっと気後れして、
 「このセット、できます?」
 とおそるおそる訊いてみました。
 奥さんは軽く首を傾げ、
 「すみません、ちょっと訊いてきます」
 と厨房にひっこみました。なんだか心許ない雰囲気です。
 やがて戻ってきて言うには、
 「材料の関係で、いくつかのお料理は差し替えになるんですけど、それでよろしければ……」
 この日は日曜日ですし、何しろゴールデンウィーク中で、市場も開いていないのかもしれません。もちろん否やはなく、それで注文しました。
 予想外に──というと失礼かもしれませんが──上等な料理だったのでマダムも私も驚きました。コースの組み立てはフレンチ風でしたが、肉料理のあとにパスタが出たあたりはむしろ懐石の考え方(最後のほうで「お食事」と称してかやくご飯なんかが出てくる感覚)かもしれません。全体的に地場の食材を用いていて好感が持てます。
 私たちの食事の後半くらいになって、やっと他の客が入ってきたので、少しほっとしました。客が私たちだけで気詰まりというほどのこともないのですが、こんな良い料理を出す店に閑古鳥が啼いているようでは、いくら連休中でも困ったものだと思っていたのでした。
 ホテルの名を告げることによる「なんらかのサービス」は若干の割引でした。ワンドリンク無料とか、お通し無料とか、店によって違うようです。満腹して外に出て、静まった街を少し遠回りして宿に帰りました。

 5月2日(月)は9時50分の列車で出立です。前日より1時間遅く、朝の用意も余裕があるだろうと思っていたのですが、あいにくと起床したのも1時間遅かったので、ほぼ同じようにばたばたしました。女性の支度にはどうしても時間がかかるものです。男はその点お手軽なもので、10分もあれば荷物をまとめられます。私は起床からチェックアウトまで5分という記録があります。
 北近畿タンゴ鉄道の乗り場が、階段を昇り降りしなくても良い場所であったので助かりました。以前JRの列車から数分で乗り換えなければならなかった時はえらく走らされ、不便な駅だと思ったものですが、駅の外から乗り込むのは楽な形になっていました。
 最初はがら空きでしたが、京都府に入って、久美浜あたりから少し客が多くなりました。私たちは転換クロスシートを向かい合わせて坐っていましたが、元に戻して並んで坐ることにします。キャリーバッグが大きいので、膝がつかえて坐りづらいのですが。
 奥丹後半島は、よく「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど雨の多いところですが、この日はよく晴れていました。ところが私は緑色のビニール傘を後生大事に持っています。うっかり折り畳み傘を家から持ってくるのを忘れてしまったため、大社で雨に降られた時に、供花を買ったスーパーで買い求めたものです。ビニール傘ではなく、せめて折り畳みの傘にすべきでした。山陰一帯が雨と予報されていた1日も晴れ、2日もこんな好天では、邪魔でしかありません。キャリーバッグに入れてしまうには長すぎるので始末に負えないのです。
 天橋立駅には10時57分に到着しました。キャリーバッグは例によってコインロッカーに入らないし、鳥取駅のような荷物預かり所も見当たらないので、駅の案内所で荷物預かりをしてくれるところを訊ねてみました。駅前通りのいくつかの土産物屋で預かってくれるそうですので、そのうちの一軒を訪ねました。傘ももちろん預けてしまいました。荷物を預けた客が店で買い物をすると、一割引いてくれるとのことです。
 天橋立は学生時代に山陰を旅した折りに立ち寄りました。その時は確か、遊覧船に乗っただけだったと記憶しています。今回は少し時間をとってありますので、またぞろ自転車を借りて走り回ってみることにしました。
 レンタサイクルをしている店はたくさんあるようです。ほとんど海辺で高低差のないところなので、自転車が便利なのでしょう。しかしこれから訪れる人に私がご注意申し上げたいのは、あわてて借りないようにということです。店によって料金がえらく違うのです。例えば、駅から海岸へ向かって歩き始めると、すぐ目につくレンタサイクルスタンドがあるのですが、ここは2時間まで400円、以後30分超過ごとに150円加算、となっています。こんなところで借りては高くつく上、30分ごとに時間を気にしなければならず、のんびりとできません。智恩寺の門前に行けば、終日400円というような店がいくつもあるのです。確実に2時間以内にここを立ち去るつもりの人以外は、そういう店を探したほうがお得です。
 私たちも「終日400円」の土産物屋で自転車を借りました。

 まずは智恩寺に参拝します。ここは文殊菩薩をご本尊とすることで有名です。「文殊の智恵」という言葉で知られる通り、文殊菩薩は知力を司る菩薩なので、絵馬なども合格祈願の札が圧倒的に多いようでした。附近の茶店には「智恵だんご」や「智恵餅」が売られていますし、「文殊」というのは町名にもなっています。かつては「文殊」という特急も走っていました。思えばレンタサイクルの料金が違うのも、訪れる者の智恵を試しているのかもしれません。
 廻旋橋を渡ると松並木に入りますが、本体に入る前にもうひとつ大天橋というのがかかっています。いずれも短い橋とはいえ、渡るのは川ではなくれっきとした海峡であるところがロマンティックです。
 廻旋橋と大天橋に挟まれた洲に、日本三景の碑とか日本三景の松とかがあるわけですが、その洲は宮津湾側に細長く延びて、はまなすの小径というのが通っています。実際には水路に面した石垣の上をゆくだけで、柵も無く、時に松の枝が無遠慮に突き出していたりして、決して安全とは言えない「小径」でした。名前の通り、沿道にはハマナスの群生地があるらしいのですが、よくわかりませんでした。開花時期は4月下旬から6月初旬というので、時期的にはドンピシャのはずであり、案内図によると「かわいいピンク色の花が一面に咲き誇」っているはずなのですが、ピンク色のものを見つけて近寄ると目印用のビニールテープだったりして、ハマナスらしき花はまったく見当たりません。今年は寒さが長く続いたのでまだ開花していないのでしょうか。
 松葉が頭に刺さったり、自転車の車輪が砂地にめり込んだりと、さんざんな想いで元のところへ戻り、大天橋を渡りました。

 渡ってすぐのところに、茶店があったので、そこで軽く昼食を摂りました。店の中と外に席があり、外の席では七輪がいくつか置いてあって、干物などを買って自分で焼いて食べられるようになっていました。マダムが早速ハタハタの干物を買って焼き始めましたが、坐った席の七輪の火力がどうも弱いようです。他の席の七輪は炎が見えるくらいなのに、われわれのところは上に手をかざしてもそんなに熱くないありさまでした。店の女の子に言って、炭を取り替えて貰いましたが、やっぱりなかなか熱くなりません。たまりかねて、他の席が空いたのを幸いそちらに移動しました。
 そんなことをしていたので、けっこう時間を食いました。とにかく松並木の終点まで走ってゆき、折り返してきてから、ビューランドに向かいました。そもそも天橋立の真価は、松並木の中を散策することではなく、松並木を遠方から見た時の眺望の風情にあるのではないかと思います。北側の傘松公園からの股覗きが有名ですが、駅のある南側のビューランドからも股覗きができます。傘松公園から股覗きをすると、松並木が天に連なる橋(つまり天橋立)に見えるそうですが、ビューランドからだと昇龍の姿に見えるとか。傘松まで行っていると時間が足りないので、ビューランドから股覗きをしてみることにしたわけです。荷物を預けた土産物屋で、ここのモノレール・リフトの割引券を貰っていたことでもありますし(もっとも、その割引券は駅にもあったし、そこらじゅうで配っているようで、乗車券売り場の列に並んでいる人はたいてい持っていました。当然、割引率などは大したことがありません
 モノレール・リフトと書きましたが、そういう名の乗り物があるわけではありません。40人乗り、20分間隔運行のモノレールと、ひとり乗り、随時運行のリフトが並んでいて、どちらに乗っても構わないというシステムです。他に道路は無く、自転車も駐めてゆくしかありません。
 駐車場のほうに行くと、整理員のおじさんが、
 「あ、自転車ならそこに駐めて」
 と言いました。示されたのは民家の軒先で、確かに「駐輪場」と札が立っていたから問題はないものの、この家の人は迷惑なんではないかと思ってしまいました。
 「あのおじさんが、この家の人だったりして」
 と私が冗談を言うと、マダムは妙に乗ってきて、リフトの誘導員はそのおじさんの弟じゃないかとか、いろいろ想像をふくらませはじめました。
 リフト(とモノレール)を下りるとすぐ園地になっています。股覗きをしてみたら、一応龍の形が見えました。さっきのはまなすの小径のところが腕(前足?)で、智恩寺のあるあたりを頭と見立てるのでしょうか。なるほどとは思ったものの、頭が天井(こちら側の陸地)につっかえていて、少々天に昇るには苦労しそうな龍でした。
 サイクルカーという空中自転車のアトラクションだけ乗ってみました。ふたり乗りで、ペダルをこいで中空に設置されたレールの上を一周してくる、遊園地にはよくある乗り物です。やたらと張り切って猛スピードを出している若者も居ましたが、速かろうが遅かろうが一周しかできないので、ゆっくりこいだほうが得な気がします。外側でペダルをこいでいると、下の地面が足下に隠れてしまっていきなり空中に放り出されるように思われるところがあり、ごく小さな遊具とはいえけっこうスリリングでした。高所恐怖症の人は内側に乗ることをお奨めします。

 ビューランドから下山し、自転車を返して、近くの喫茶店で一服したのち、荷物を受け出しに行きました。いくつか買い物もします。
 天橋立駅を15時10分の列車で発つつもりだったのですが、少しのんびりしてしまい、次の15時58分のに乗りました。予定していた10分発は「タンゴ浪漫2号」と愛称がついていて、普通列車ではありますが、途中まで特急で来ているため当然特急用車輌であり、しかも景色のいいところで適宜一時停車してくれるなどのサービスのある列車でしたから、乗ってみたい気はしたのですが、まあどうしてもというほどのことでもありません。
 ただ、「タンゴ浪漫2号」に乗らないのであれば、次の宮津宮福線に乗り換えたほうがルートとしては簡単になります。福知山まで直行し、あとは京都なり大阪なりにどうにでも出られるからです。ところが、ここはすでに「山陰周遊きっぷ」の周遊区間ではなく、すでに帰途になっているため、経路変更ができません。それで、「タンゴ浪漫」の行程どおりに西舞鶴まで行って、JR舞鶴線綾部へ出て、そこから京都へ……というややこしい道順をとらなければなりませんでした。まったく不自由になったものだと思います。
 とはいえ、宮津湾に沿った車窓は、午後の穏やかな陽光を浴びて、ローカル線ならではの実に駘蕩とした時間を味わいました。汽車旅の至福を感じるのはこういう時です。

 西舞鶴では少し時間があったので駅前をぶらつき、17時05分の「リレー号」に乗りました。綾部と福知山で特急と接続する列車のことをこう呼んでいるだけで、単なる普通列車です。綾部で下りて「きのさき20号」に乗り換えました。
 綾部は私の先祖が居た土地ですが、駅から外へ出たことはありません。いちどゆっくり歩いてみたいと思っています。もっとも、同じ綾部市でも、九鬼氏綾部藩ではなく、その隣の山家(やまが)という、粟粒のような小さな藩(一万石と言いますから、大名としては最小で、それより減ると大名ではなく旗本になってしまいます)の藩士であったそうです。山家という駅も綾部の隣にあり、特急は停まりませんが、今まで意識して通ったことがなかったので、通過する時に様子を見たいと思いました。
 「きのさき20号」が綾部を発車してから、通過駅を見逃さないようにきょろきょろと景色を見ていましたが、もうそろそろかな、と思った頃に検札が来ました。周遊きっぷでは、周遊区間の特急の自由席にはタダで乗れるのですが、往復経路の特急券は別に買わなければなりません。綾部での乗り換え時間が少なかったので、まだ特急券を買っておらず、車内で買う必要がありました。お金や車内補充券をやりとりしながら、私はなおも絶えずきょろきょろしていたので、車掌にはさぞ挙動不審者に見えたことであろうと思います。
 幸い、すべて済んでからやっと山家駅を通過しました。のどかそうな、どこにでもありそうな平凡な農村です。ここが私の家の発祥の地であると考えても、あんまりぴんと来ません。やはりいちど、ゆっくり歩き回ってみなくてはと思います。

 京都着18時49分。この駅を発ったのが4月29日の10時51分でしたから、3日と8時間ぶりに戻ってきたことになります。
 帰りも夜行バスに乗ることにしてありました。これは当初からの予定で、最終ランナーを新幹線であわただしく済ませたくないのと、「銀河」などの在来線列車もすでに無いということを考えると、夜行バスがいちばん良いと考えた次第です。同行者がバスに弱いようだったらさすがにそんなことは考えませんが、マダムは人並み以上の夜行バスファンですから、これはもう決まったようなものです。
 バスが発車する23時00分までは時間がありますので、地下街で夕食を摂り、それから京都タワーの地下にある大浴場へ行って旅の垢を落としました。この大浴場、私は今まで全然知らなかったのですが、実は夜行バスファンの間ではよく知られた存在だったようです。朝に到着してすぐひと風呂浴びるというのが「通」だったようで。ただしまともな料金だと750円、割引券(あちこちで配っている他、webからも入手できます)でも600円というのは、ジャグジーなども備えていないただの風呂としては少々高めかも。特に目下のところサウナも使用停止状態なので、せめてサウナが復活するまでは少し料金を下げて貰いたいように思われます。
 終業時間の20時半ぎりぎりまで居て、それから外へ出てコーヒーなどを飲んで時間をつぶしました。
 バスは、名神高速が混んでいるとかで、到着が遅れました。少しは空いているかと思いきや、やはり満席でした。もうはやUターンラッシュが始まっているのかと驚きましたが、Uターンというよりも、これから京阪神地域を発って旅行に出るという人もだいぶ居たのではないかと思います。5月2日は今年のゴールデンウィーク中唯一の平日であって、普通に仕事のあった人も多かったはずです。仕事を終えてから夜行バスで出かけて、3日~5日の三連休を遊ぶ、という人が多くても不思議ではありません。
 案の定、上りの東名高速はさほど混んではいなかったようで、東京には定刻、というより少し早めに到着しました。首都圏への本格的なUターンラッシュが始まったのは、この日──3日の午後くらいからだったようです。往路の夜行バスだけはえらいことになりましたが、おおむね良い行程であったと思います。


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