SSブログ

「準急」を考える [いろいろ]

 私はどういうわけだか「準」という字のつく言葉に、そこはかとないときめきを感じてしまう性癖があります。「准」でも同じですが、一応正規のものの規格内にはおさまっていながら、ちょっとそこまで届かないというか、若干足りない、というイメージが、なんともいとおしい気がしてなりません。
 軍人の階級に准尉とか准将とかいうのがあります。准将は旧日本軍には居ませんでしたが、准尉というのは居て、少尉と曹長のあいだに位置します。古くは特務曹長と言って、曹長の中で特に選抜された者という意味合いがあったようです。司馬遼太郎氏に言わせると「下士官の元老」というべき立場だそうで、どうやら正式な将校とは認められていなかったらしく思われます。ノンキャリアの平時の最高位というところでしょうか。
 准将というのは少将と大佐のあいだになりますが、連隊より少し大きい、旅団クラスの兵団を率いるくらいの地位でしょうか。コナン・ドイル『勇将ジェラールの冒険』の主人公ジェラール・エティエンヌの階級が確か准将でした。それから『ベルサイユのばら』オスカルは登場した時が大佐で、その後准将に出世したはずです。
 このあたり、少尉とか少将とかいうクラスより、どこか魅力的に思えます。
 看護師に対する准看護師というのもありました。看護師よりも資格を得るための単位数が少なく、また国家資格ではなく都道府県知事の発行する資格となっています。実際現場で受け持つ仕事はほとんど変わらなかったりするのに、どこか一人前でない扱いを受けてしまうあたりが、つい応援したくなってしまいます。

 冥王星は惑星としての籍を外されて、準惑星ということになってしまいましたね。エリスなど、惑星と見られていなかった太陽系のメンバーよりも小さいことが判明したためでした。冥王星を惑星と見て、エリスを小惑星と見る根拠は無かったので、そのくらいの大きさの太陽系内天体のことをまとめて準惑星と呼ぶことにしたわけです。惑星の定義は、水星よりも大きいもの……ということになりました。これなどは、そぞろ哀れを催す話です。
 準惑星でなく、準星というのもあります。1960~70年代くらいに観測されて、正体がわからなかった天体の一種で、英語ではクエイサーと呼びました。これは「なんだか星みたいな物体 Quasi Stellar Object」の略で、日本語に訳する時に「星に準ずるもの」という意味合いで準星とされたのでした。星のように見えるのに、それにしてはえらく赤方変移が大きい、つまり常識では考えられないほど遠いらしいというところから、謎の天体として話題になりました。ブラック・ホールの逆転相である、すべてを吐き出す空間の孔「ホワイト・ホール」ではないかという説まで飛び出したものです。
 現在では準星の正体は判明しています。ものすごく遠くにある、ものすごく明るい銀河だとのことです。われわれの住む銀河系程度の明るさでは、準星と同じ距離に置けばまったく見えなくなってしまいます。準星はおそらく宇宙の初期に形成された、超巨大エネルギーを持つ銀河だろうと言われています。星に準ずるどころではなかったのでした。
 このような番狂わせもありますが、「準」や「准」の字にはやはり惹かれてしまうのでした。

 さて、私の趣味である鉄道関係では、「準」の字は頻繁に登場します。言わずと知れた「準急」などに関してです。私が「準」の字を覚えたのも、小田急にかつて走っていた「快速準急」からでした。
 準急は正確には準急行、つまり「急行に準ずる列車」ということです。急行よりも停車駅が多く、表定速度も遅く、もしかすると車輌もちょっとグレードが落ちるというイメージでしょうか。
 旧国鉄には、20年余りという短い期間ですが、準急が存在したことがありました。戦後間もなくから、昭和43年までです。
 「終戦の日にも列車はいつもどおり動いていた」というのが日本の奇跡のひとつだったかもしれません。宮脇俊三氏は山形県今泉駅前で終戦の詔勅を聴いたそうで、列車がその時も何事もなかったように運転されていたということへの感動が、その後のマニアっぷりの一種の原点になっていたようです。
 しかし、実際には客車も貨車も機関車も戦災でだいぶ使えなくなっており、何よりも燃料の石炭が不足していました。車輌はつぎはぎだらけでもなんとか走れましたが、燃料が無いことにはどうしようもありません。そしてこの石炭不足は、戦時中よりも、戦後数年間のほうがより深刻であったようです。わずかな期間ではありますが、「急行列車」が全滅した時もありました。
 少し経ってから、徐々に急行運転をする列車が復活しましたが、実のところ「通過運転」をするだけで、速度はとても急行の名に価するレベルではありませんでした。車輌も穴だらけ、隙間だらけのものをだましだまし使っているような状態です。
 こんなものを「急行」と呼ぶのは、当時の国鉄マンたちのプライドが許さなかったのかもしれません。急行ばかりか特急まで庶民化し、普段着で気軽に乗れるようになった現代と違い、当時はまだ「急行」は格の高い存在でした。ましてや「特急」など、それ以前には「富士」「櫻」「燕」「鴎」しか走っていなかったような時代です(「燕」のセクショントレイン「不定期燕」というのもありましたが、これはまあ「燕」の一員でしょう)。
 そこで、急行に準ずる列車、準急というのが誕生したわけです。料金も急行より安く設定されました。のち、昭和30年代には、一律100円というのが「準急料金」だったようです。今で言えば一律1000円といったところでしょうか。
 一旦準急という種別が設定されてしまうと、これがなかなか便利です。特急や急行はその頃の「格」意識が邪魔して、そうお手軽に設定することができませんでしたが、準急であればそんなことはお構いなしに、どこへでも走らせることができます。やがてディーゼルカーが本格投入されると、準急には率先してディーゼルカーが充てられました。電車の広まりかたも早かったようです。現在津々浦々に走っている特急も、ルーツを辿ればもとは準急だったという列車が少なくありません。
 というか、現在の特急は、スピードは上がったものの、停車駅などほとんど準急並みになってしまったとも言えます。いやそれ以下で、例えば内房線を見ると、昭和30年代の準急「房総」には、千葉を出ると木更津館山しか停まらないというのがありましたが、今の特急「さざなみ」にそんな豪快なのは1本もありません。
 昭和30年代頃には、「特急」は文字通り「特別な時に乗る列車」であり、遠くへ行く時には「急行」、それに対して「ご近所の足」的な存在が「準急」であったようです。
 ただし、急行がだんだん増え、準急と急行の併結などもおこなわれるようになって、両者の区別がだんだんとあいまいになりました。使う車輌もあまり差がなくなってきました。
 時を同じくして、国鉄の赤字がだんだん問題になりはじめていました。増収を図らなければならない国鉄としては、まず100キロ以上の走行距離がある準急を片端から急行に格上げしました。つまり、100キロ以上乗るなら急行料金を払え、ということです。
 しかしこれはあまり効果がなかったようです。準急の乗客は、思いのほか短距離利用が多かったのかもしれません。
 それで、昭和43年10月の、いわゆるヨンサントオ白紙ダイヤ改正で、ついに準急は廃止されました。私はその時4歳で、43年10月というとちょうど妹が産まれた月です。さすがにそれ以前の鉄道事情などは知りません。母によれば幼少時の私は、何時間も飽きずに電車のオモチャで遊んでいたそうですが、列車の運行にまで興味を持っていたとは思えません。従って私自身の記憶としては、「国鉄の準急」という存在はまったく残っていないのでした。
 しかしそれだけに、あちこちに「準急○○」と名付けられた列車が走り回っていた時代に、何か憧憬のようなものを覚えてしまうのです。

 準急は、私鉄では現在も健在です。私の知る限りでは、大手私鉄である東武西武小田急名鉄近鉄南海阪急京阪、それから神戸電鉄に走っていると思います。かつてはメトロ有楽町線北陸鉄道石川線高松琴平電鉄などにも見受けられました。
 多くの列車種別が存在する中で、準急というのはほとんどの場合、普通列車のすぐ上のランクとして位置づけられているようです。言い換えれば、優等列車の最下位です。さらに下位があるとすれば「区間準急」(東武・小田急・近鉄)くらいでしょう。
 準急とランク的に近そうな種別に「快速」があります。準急があった頃の国鉄では、準急は特別料金の必要な中長距離列車、快速は特別料金不要の近距離列車という棲み分けがあって、準急のほうが上位であったように思われますが、私鉄の場合はどうでしょう。
 京王相鉄などでは他社で準急と呼んでいるランクを快速と呼んでいます。これはこれで良いのですが、問題は準急と快速が両方あるところです。
 東武、西武、阪急、神鉄がそれに相当しますが、いずれも快速のほうが上位となっています。東武と神鉄では快速は急行よりも上位であり、西武では快速は急行と準急のあいだのクラスとなっています。阪急では快速の走っている京都線に急行という種別が走っていないので、急行より上なのか下なのかはわかりません。過去、上信電鉄でも快速と準急が両方ありましたが、そこも快速が上位でした。どうも一般に私鉄では、快速は準急よりも少なくとも上、急行と較べれば上のことと下のことがあり、特急より上位ということはない、というのが普通であるようです。

 さて、準急と呼ばれる種別は、多くの場合、通過運転するのは一部区間で、途中から各駅停車になってしまうというケースが多くなっています。
 かつては東武のA準急のように、ほとんどの区間を優等列車として快走し、本当に末端だけ各駅停車になっているというのもありましたが、現在の東武ではスカイツリーラインの半分ほど、新越谷以南を通過運転するに過ぎません。
 東上線ではもっと情けなくて、池袋から成増までノンストップで走りますが、あとは全部各駅停車です。前にも書いたのですが、東上線の準急は板橋区内の停車駅を少し増やして、区間急行的なありかたから脱皮したほうが良いと私は思っています。
 西武池袋線の準急も以前は東上線と似ていて、池袋から石神井公園までノンストップ、以西各停となっていました。現在は練馬に停車するようになりましたが、石神井公園以遠各停はそのままです。ただし朝の上りにだけ、石神井公園を通過する通勤準急が走っています。特急以外で石神井公園を通過する唯一の種別です。
 西武新宿線の準急は高田馬場上石神井間を鷺ノ宮だけ停車の通過運転をしていますが、急行もそれ以外に上石神井田無を通過するだけですからあんまり変わりばえがしません。最近は準急の運行はごくわずかになってしまいました。
 小田急の準急は、以前はなかなかバラエティがありました。上にちょっと触れた快速準急、それから特別準急というのが走っていたのでした。特別準急というのは実は「あさぎり」のことで、乗り入れ先の御殿場線内の種別が準急だった頃は特別準急、急行だった時代は連絡急行、そして現在は特急となりました。もちろん小田急線内ではずっと前から特急並みの扱いです。
 快速準急は現在の急行に相当するような走りっぷりでした。千代田線が乗り入れる前のことで代々木上原には停まりませんでしたし、新百合ヶ丘駅もまだありませんでしたから、あるいはいまの急行以上だったかもしれません。その当時私は千歳船橋に住んでいたので、新宿などに出る時、よく経堂で快速準急に乗り換えました。だから馴染みがあるわけですが、実際の運転本数も急行より多かったのではないかと思います。その当時の急行は現在の快速急行に近く、下北沢から向ヶ丘遊園までノンストップでした。また「快速」のつかない無印の準急は朝夕だけの運転だったように記憶しています。
 準急は、その頃から「登戸以西各駅停車」で、現在もそれは変わりません。梅ヶ丘和泉多摩川の複々線化が完了してから、緩行線に少し余裕ができたので、複々線になる梅ヶ丘までだけ通過運転する区間準急が設定されました。現在工事中の代々木上原~梅ヶ丘の複々線化が完成した時には、おそらく区間準急も無くなるだろうと考えられています。

 名鉄の準急電車にはあまり馴染みがありません。豊橋名古屋とか、名古屋岐阜とかを乗り通す時には、わざわざ準急を選ぶことはありませんし、前に名鉄乗り潰しをした時もあまり行き当たらなかったように記憶しています。
 停車駅表を見る限り、名鉄の準急は本線系においてはなかなかしっかり走っており、珍しく「以遠各駅停車」ということが少ないようです。名古屋本線では、連続停車はところどころあるものの、基本的には豊橋から岐阜まで通過運転を通しています。常滑線・空港線でも同様です。西尾線河和線では末端が各駅停車になっているものの、上位である急行や快速急行も同様であり、しかもせいぜい4駅くらいなものです。「以遠各駅」が目立つのは瀬戸線小幡以東)と犬山線岩倉以北)くらいでしょうか。一体に名鉄では、準急の地位がわりと高めであるように見受けられます。

 これに対して近鉄の準急は「以遠各駅」が多く、しかも運転区間が短いものが多いように思われます。大阪線では河内国分から各停になって名張までしか行きませんし、名古屋線はもっと極端で蟹江までノンストップであとは各停で四日市までと、東武東上線みたいなパターンになっています。南大阪線藤井寺以東各停、線内は走破しますが、事実上一体化している吉野線には乗り入れません。京都線に至っては、十条・鳥羽口・伏見の3駅を通過するだけでほとんどの区間が各駅停車、新田辺止まりとなっています。全線を走るのは、線区そのものが短い奈良線くらいです。
 大阪線と奈良線には区間準急も走っています。いずれも、準急が通過する一部の区間が各駅停車になっています。
 南海は、本線にはほとんど準急が走っておらず、朝の上りに何便かあるだけです。通勤の便宜に走らせているだけでしょう。主な活躍場所は高野線のようです。ただし、高野線には準急・区間急行・急行・快速急行という種別があるものの、すべて「『以遠各駅停車』となる境界駅が異なる区間急行」です。快速急行は林間田園都市以南各停、急行は河内長野以南各停、区間急行は北野田以南各停、準急は堺東以南各停で、そこまでの停車駅は順繰りに全部同じになっています。こういうのは、実はダイヤ的にはあんまり面白くありません。
 阪急の準急は神戸線には走っておらず、京都線宝塚線に存在します。京都線では主力の一翼を担っている感じで、日中は特急・準急・普通という3種別がパターンを作っています。高槻市以東が各停。一方宝塚線では、もともとが短い路線ですし、主力である急行も豊中以北各停というありさまですから、準急の存在意義はあまり無く、朝ラッシュ時に通勤準急と合わせて何便か走るだけになっています。
 京阪の準急は、区間急行より上位という珍しいパターンとなっています。この区間急行は、急行である区間が短いだけでなく運転区間も短い(中之島・淀屋橋樟葉)ことになっていますが、準急は曲がりなりにも全線を走ります。ただし萱島以東は各停です。
 最後に神鉄の準急ですが、丸山・鵯越(ひよどりごえ)のわずか2駅を通過するに過ぎません。しかし、上位種別である急行・快速・特快速の便数がごく少ない中にあって、ほぼ一日中運行しており、一応主力種別と言えそうです。

 私鉄は都会と郊外を結ぶという役割を持っていることが多く、末端へ行くほどにどうしても列車の便数が少なくなりがちです。そのため、A駅止まりの普通列車が多い場合は、優等列車の下位から順番に、A駅以遠各駅停車という処理をすることになります。そうやってA駅より遠い駅での乗車機会をなるべく増やそうとしているわけです。最下位優等列車であることが多い準急が、ほとんどの場合行程の大半を各駅停車として走ることになるのも、仕方のないことなのでした。
 だから、名鉄のように頑張っている準急を見ると、なんとなく応援したくなってしまいます。また、東武東上線や南海高野線のようなケースを見ると、上位列車と違った使命を持たせたらどうだろうかと考えてしまうのでした。
 実のところ、沿線に住んでいない者がその線の準急に乗る、という機会は、それほどありません。もちろん目的地にもよりますが、もっと上位の列車を使うことのほうが多いのではないでしょうか。準急は、その意味でも「ご近所の足」と言えそうです。

 「準」がつく列車種別は、準急だけではありません。京王には「準特急」があります。
 準特急という種別名は他では見られません。本来は、新宿府中が特急と同じ、府中以西が急行と同じ停車駅ということで設定され、性格として急行より特急に近いので、快速急行といった名前をつけられずに準特急になったものと思われます。
 その後、特急が準特急に歩み寄り、もとの準特急と同じ停車駅になってしまいました。それで、準特急のほうは「高尾線内各駅停車の特急」という扱いになりました。高尾線内では急行も通過運転をしますので、逆転現象が起こっていることになります。
 なお、現在の準特急は、平日は朝の上り1便があるだけになり、主に土休日に活躍するようになっています。一時は特急と並んで主力と呼べる存在だったのに、だいぶ勢力が縮小してしまいました。
 また、JR九州・鹿児島本線門司港大牟田方面を結んで走っている快速のうち、途中の折尾赤間間を各駅停車するものを「準快速」と呼んでいます。時刻表にもちゃんとそう出ています。
 ところが、準快速が走り始めたのち、もっと広域の、門司港~福間間各駅停車という快速ができました。これは明らかに準快速よりも下位なのですが、こちらは快速の名前のままになっています。だから例えば九州工大前のような駅は、快速の一部が停車し、準快速と快速の大半が通過するというややこしいことになっているのでした。準快速は便数が減っており、次のダイヤ改正あたりで名称も消えるかもしれません。
 以上、「準」「准」の文字への愛を、主に「準急」に託してそぞろに語ってみました。

【10.15.後記】
 上の文章で、東急田園都市線の準急をすっかり忘れていました。渋谷二子玉川の地下線区間は各駅停車、二子玉川以西の地上線区間は急行と同じ停車駅という種別ですので、まあよくある区間急行タイプです。と言うよりも、かつて走っていた快速と同じパターンです。乗り入れ先の東武では快速と準急のランクが大きく違う(東武では快速は急行より上)ので、東急側も新たに区間急行タイプの種別を導入する際、前に使っていた快速の名称を避け、東急としてははじめての準急を名乗らせたのではないかと思います。

【10.19.後記】
 まったく予想もしていなかったのですが、津軽鉄道にいつの間にか準急が走り始めていました。急行無しの準急だけというパターンです。朝の下りが2便、晩の上りが3便ですが、通過する駅が1~3駅程度なので、急行とか快速とか名づけるのは少し気後れしたのかもしれませんね。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0