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海外の鉄道旅行 [趣味]

 国内の鉄道にはずいぶん乗りましたが、外国の鉄道は案外手薄です。
 はじめて外国へ行ったのが、高校生の時、UNESCOの「高校生訪中団」というのに参加して訪れた中国でした。上海南京北京の3都市をまわって、向こうの学生と交流したり、工場などを見学したりしたのでしたが、上海から南京までは特急列車で移動しました。確か3時間くらいかかった記憶があります。
 私は国内と同じつもりで、上海の駅(何駅だったか忘れました)で記念に切符を買おうとしたりして、えらい大変な目に遭いました。だいたいあの国では、どこへ行ってもとにかく人混みだらけで、駅の窓口なども大混雑していたのです。しばらく並んで不得要領に安い切符を購入したのですが、集合時刻に遅れて仲間に迷惑をかけてしまいました。
 それから途中の停車駅で、しばらく停まっているようだったのでプラットフォームに下りてみたのですが、これも良くなかったようで、駅員に叱られました。
 団体旅行だったので、汽車旅を満喫するというわけにはゆきませんでしたが、それなりに楽しかった記憶があります。車室は軟座席、つまり日本で言うグリーン車であり、お茶のサービスもありました。大きな茶碗に茶葉を直接入れてお湯を注いだ、いまでは日本でもお馴染みになった中国茶ですが、1980年頃の高校生たちは誰もその飲みかたを知らず、蓋で茶葉をよけながら飲むということに誰ひとり気づかなかったのでした。同行の先生や添乗員も教えてくれなかったのが不思議です。

 2度目の海外旅行も中国でしたが、今度は個人旅行でした。この前書いた、長江下りの船旅をした時の旅行です。その頃、父が広州に単身赴任していたので、夏休みを利用して、父の家を基点として従弟と旅してみたわけです。
 この時は、香港から広州まで列車に乗りました。香港では地下鉄や路面電車にも乗ったような気がしますが、この時のことは、はじめての個人での海外旅行で緊張していたせいか、広州へ着くまでの記憶がどうもはっきりしません。従弟も当時はけっこうな鉄ちゃんでしたし、香港から広州への汽車旅などもっと印象に残っていそうなものなのに、さっぱり憶えていないのです。

 その数年後にマレーシアシンガポールを訪ねました。この時も、クアラルンプールに父が赴任していて、母と妹と連れ立ってそこへ行ったのでした。
 この旅の時は、20人乗りくらいの小さな飛行機に乗ったり、帰りの飛行機でダブルブッキングでもあったのか思いがけずエグゼクティブクラスに乗れたりと、印象的な乗り物はあったのですけれども、鉄道にはほとんど乗っていません。シンガポールで家族と別れて地下鉄に乗ったくらいのことです。

 それからしばらく、海外旅行へは行かなくなりました。10年以上ブランクがありました。久しぶりの海外行きが1999年シチリア旅行で、この時はチャーターしたバスにたっぷり乗ったものの、鉄道には乗っていません。
 翌2000年にはペルーへ行ってきましたが、リマからほとんど動きませんでしたし、移動はすべてクルマでした。リマは徹底したクルマ社会で、渋滞もひどいし排気ガスによる大気汚染も深刻なので、フジモリ氏が居るうちに日本から地下鉄でも導入すれば良かったのにと思います。
 次は2001年カナダ旅行でしたが、この時もモントリオールで自由時間に地下鉄に乗ったくらいです。トロントからモントリオールあたり、自費でも良いので鉄道に乗りたいと言ったのですが、団体旅行の場合はなかなかワガママが利かないのもやむを得ないことです。

 2002年春のイタリア・デンマーク旅行の際はかなり鉄道に乗りました。
 まず、コペンハーゲンの空港から市内までは近郊電車が便利です。電車のデッキには海外旅行者用の大きな荷物を置くスペースもありました。成田空港エアポート快速にもその程度の心遣いは欲しいものだと、つい較べてしまいました。
 ヴェネツィアからフィレンツェまではユーロスターに乗りました。実はユーロスターが新幹線のように在来線と別になって高速で突っ走るのはフィレンツェからローマまでだったので、時速200キロとかを出すところには乗らなかったわけなのですが、その代わりゆったりした汽車旅を愉しめました。
 フィレンツェからアッシジまでも列車での移動でした。今度は鈍行列車です。それでも一等車だったので快適でした。日本で言えば新幹線並みの標準軌のレール上を走る幅広の車輌に、片側2片側1だけの座席ですから、大げさに言えば6人並びのMAXタイプの倍の広さがある座席ということになります。ヨーロッパでの鉄道旅行といえばTGVとかAVEとかICEとか高速列車にばかり眼がゆきますが、鈍行旅行も良いぞと開眼したのがこの列車でした。
 コペンハーゲンに戻って、一日自由行動があったので、ハムレットの城と言われるクロンボー城を訪ねてきました。この時も近郊電車に乗ってゆきました。クロンボー城は電車の終点であるヘルシンゴーから近いのですが、そのヘルシンゴーからさらに先へ続いているローカル線があって、そちらにもひと駅だけ乗りました。路面電車の停留所のような小さなプラットフォームでしたが、来た列車はそれなりに大きなディーゼルカーでした。

 2002年にはグアテマラにも行きましたが、この国には旅客用の鉄道は通っていなかったようです。線路が残ってはいましたが、その上を通る列車は貨物列車だけだと聞いた気がします。

 2004年にはスペインを訪れました。この時の旅行記は結局アップできなかったので参照していただくことができませんが、けっこう列車に乗った旅行ではありました。
 グループ旅行ではありましたが、かなり自由行動が多かったのです。まずマドリッドからトレドへみんなで行き、この往路はバスだったのですが、トレドで現地解散ということになり、私はマドリッドまで列車で帰ることにしました。途中にあるアランフエスに立ち寄ろうとも思いました。
 ちなみにロドリーゴ「アランフエス協奏曲」というギターとオーケストラのための名曲がありますが、日本人の多くはこの曲名を「アランフェス」と呼んでいるのではないでしょうか。私もそうでした。トレドの駅の窓口でそう言ってまるで通じず、何度も繰り返していると、窓口のお姉さんが急に得心したように、
 「おー、アランフーエス!」
 と叫びました。フとエはまったく別の音節である上に、フのところにアクセントがくるのだとその時はじめて知ったのでした。
 さて、切符は無事に買えて、トレド駅の中に入ると、どうも列車が来る気配がありません。発車予定時刻の数分前になっても、影も形もないのです。よく見ると、なんとトレド駅のプラットフォームの下には、線路が無いではありませんか。
 実は当時、トレドに高速列車AVEを通すための工事中で、在来線の線路ははがされ、バスによる代行運転になっていたのでした。向こうのほうを見ると、いまにも発車しそうなバスが停まっています。あわてて乗り込みました。
 アランフエスでは遊覧馬車(風バス)に乗ったりして離宮を観光し、それからマドリッドに帰りました。こちらは代行バスにはなっていませんでした。途中の駅で、スリだか無賃乗車だかがあったようで、捕り物みたいなことがおこなわれていました。捕まったのは小柄な男で、ロマだったかもしれません。
 ターミナルのアトーチャ駅は治安がよろしくないというので、列車から下りる時は少し緊張しましたが、何事もなくホテルにたどりつきました。しかし、まさかその翌日、そのアトーチャ駅で爆破テロ事件が起こるとは思いもよりませんでした。奇しくも東日本大震災からきっかり7年前の3月11日でした。200名余の死者が出た大規模テロです。
 朝からホテルの前をパトカーや救急車などがやたらと走っていることに気がついては居たのですが、なんのことやらわからず、みんなで地下鉄でアトーチャ駅へ向かったものの、手前の駅で運転中止になってしまいました。一行の中にはスペイン語ができる者がほとんど居らず、ひとり片言で話せる程度の人が居たくらいです。何が起きたのかは、地下鉄を下ろされて地上へ出て、そこに居た他の日本人に話を聞くまで、さっぱりわかりませんでした。
 われわれはその朝、アトーチャからAVEに乗ってセビリャへ向かうつもりだったのですが、そんな大事件があってはAVEもみんな運休に決まっています。仕方がないので、バスで行くことにしました。爆破テロのためにあちこちに非常線が張られていたので、市内のバスやタクシーもほとんど動いていません。バスターミナルまで2キロあまり、重いスーツケースをころがして歩かざるを得ませんでした。バスもダイヤは乱れまくっていましたし、マドリッドの市域を抜ける時には検問があったりして、客全員身分証を提示しなければなりませんでした。
 そんなわけでAVEには乗り損ねましたが、その後もマラガからミハスまでの電車に乗ったり、バルセロナからフィゲレスまでの列車に乗ったりと、けっこう短距離の汽車旅を愉しむことができました。

 スペインには2006年にも行きましたが、これは川口第九を歌う会の行事として行ったので、バスと飛行機だけの移動でした。マドリッドでは「治安が悪いので、外出は控えてください」とまで言われてしまいました。お年寄りが多かったこともあって、それもまあやむを得ない指示であったかもしれませんが。

 同じく2006年にロシアに行った際は、最初はサンクトペテルブルクからモスクワまで寝台列車というツアーに申し込んだのですが、最少催行人数に達せずダメになってしまいました。海外の寝台列車は体験したことが無かったので残念でした。
 両都市間は飛行機で移動せざるを得ず、あとはほとんどクルマという旅でしたが、モスクワの最終日に、ガイドと運転手との連絡がうまくゆかず、急遽地下鉄に乗ることになったので、かろうじて鉄道を体験できたという感じです。

 2007年の秋にポーランドへ行ったのが、現時点での私の最後の海外旅行です。こうしてみるとしばらく行っていないなと思います。
 この時もグループ旅行で、移動は飛行機とクルマでした。しかも自由時間がほとんどありませんでした。かろうじて帰国の前日の午後から晩までフリータイムを貰い、ワルシャワの地下鉄や路面電車に乗りました。

 海外へ行く時は、団体旅行やグループ旅行が多いため、なかなかのんびり汽車に揺られるということができません。有名観光地は鉄道の駅から遠い、というのは、日本でもその傾向はありますが、海外ではさらに顕著であるようです。だからたいていのツアーでは、クルマやバスで直行するという旅程になっています。鉄道に乗るなら、やはり個人で行くに越したことはないと思われます。
 マダムがフランス語に堪能ですので、フランスには行っておきたいものだと思います。スイスベルギーもおおむね大丈夫でしょう。この3ヶ国はヨーロッパの中では鉄道に力を入れているほうですし、ユーレールパスを持って10日くらいふらふら旅して来られればと念じています。


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