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新病院でのボランティアコンサート [日録]

 前々回のエントリーでちょっと触れましたが、また佼成会病院でのボランティアコンサートがありました。この前やったのは一昨年の暮れですので、久しぶりになります。その時の日誌で、

 ──いままで12回、ボランティアコンサートのためにこの中野富士見町駅で乗り降りしてきたわけですが、今回が最後となります

 と書きましたけれども、それは佼成会病院でのボランティアコンサートをやめることにしたとか、断られたとかいうことではありません。病院自体が移転するので、メトロ丸ノ内線の中野富士見町で下りることがなくなったという意味でした。
 立正佼成会は、その附近に広大な土地を持っており、たとえばバス停にしても、「佼成行学園」「母子寮前」「佼成会聖堂前」「佼成病院」と4つ連続で佼成会関係の名称が並んでいます。大地主というか、ほとんどちょっとした「領主」と言えそうなほどの勢力を持っているようです。
 旧病院は、中野富士見町駅の東隣にありましたが、それがこの「佼成会領」の東端あたりでした。それが、西端あたりに移ったということなのですが、それによって最寄り駅さえ変わってしまったというわけです。「佼成会領」がいかに広大かわかると思います。

 新しい病院は、最寄り駅は強いて言えば方南町で、この前も法輪閣での演奏会のあと、ちょっと病院に立ち寄ってから方南町まで歩きました。しかし、700メートルばかりあるので、遠いと言えば遠いのでした。
 バスで行くのが妥当な選択肢です。新宿・高円寺・永福町の各駅から直行のバスが出てきますが、便数はいずれもあまり多くありません。新宿・永福町からは1時間1本程度、高円寺からは2時間に3本といったところです。もっとも、それは病院に横付けになる便の話で、すぐ近くの環七通りに出たところに堀の内2丁目の停留所があり、こちらにはいろんな駅からのバスが頻繁運転していますので、不便ということはないのでした。
 そうしたことは、この前現地を訪れていたから私たちにはわかっていたのですけれども、他のChorus ST団員にとってはほぼはじめての場所なので、新宿駅からの直行バスに、待ち合わせて乗ってゆくことにしました。
 なお長らく佼成会病院の管理栄養士を務めていて、このボランティアコンサートの仲立ちとなってくれていた団員のゆきえちゃんが少し前に病院を退職したので、今回からChorus STと病院の直接交渉ということになり、多少事務上のもたつきがありました。一度やってしまえば道筋がついて、次回からはスムーズに進むものと思われます。
 それはともかくとして、ゆきえちゃんはしばらくこの新しい病院にも通勤していたはずなのに、交通機関についてはどうもよくわかっていなかったようで、

 ──方南町か中野富士見町から歩きですかねえ。どっちもちょっと遠いですけど。

 というようなことを言っていました。たぶん自分がそういうルートでしか通勤していなかったのでしょう。
 新宿からのバスは、便数は少ないものの、乗ってしまえば、渋滞に巻き込まれなければ25分ほどで病院に着きます。渋滞に遭うとすれば、新宿の高層ビル街を抜けるまでか、もしくは最後のところで環七に右折で入りすぐ右折で抜けるという経路なのでそのあたりでしょう。途中の大部分を占める方南通りは、それほど混む道路ではないようです。

 病院行きのバスには乗ったことがありませんが、その手前の聖堂前までは何度も乗っているので、いちおう私がバスの乗り降りなどを案内することになっていました。だから少し早く着いてみんなを待ち受けようと思っていたのですが、朝に家を出るのが少し遅れてしまい、むしろ自分がバスに間に合うかどうか心配しなければならないようなていたらくでした。
 歩く箇所はできるだけ急ぎましたが、どうも今朝起きたときからなんだか頭が重く、頭痛薬は服んで出たものの、走ったり、階段を駆け上がったりすると、脈打つように痛みました。あまり歌うのに良いコンディションとは思えません。
 バスは途中渋滞することもなく、病院に到着しました。新しい病院らしく、いろいろ最新の設備が整っているようです。ただ壁や床や天上が白々としすぎて、時に距離感がつかみにくくなることがありました。夢の中とか、テレビ番組の特殊撮影のようにさえ感じられました。もう少し、上品なアイボリーとかベージュとかの色を交えても良いのではないかと思いました。
 旧病院では、入口を入ってすぐの、まさにロビーというか待合室が演奏会場になっていましたが、今回の会場は、ロビーの一角ではあるものの、いちおう独立し、扉も閉められる区画でした。観音ホールと名前がついているそうです。
 この前の箏曲演奏会の時、ラストの「越後の子守唄」を演奏する際に、舞台後方の幕が上がり、その背後におさめられていた十一面観音像が開帳したので驚きました。今度の観音ホールにもそういう趣向があるのかと思っていたら、それほど奇抜なことではなくて、正面の壁に観音像のレリーフが飾られていたのでした。立正佼成会は諸仏の中でも、特に観音菩薩を尊重する会派なのでしょうか。
 独立区画なので、コンサートには向いていると思いますが、偶然訪れた軽症患者や見舞客などがふらりと立ち寄るということはしにくいかもしれません。
 音響は悪くありませんでした。もちろん専用ホールではありませんので万全とは言えませんが、演奏している側よりも聴いている側で音がまとまるようなタイプの空間であったようです。だから歌っていると少々不安になるのですが、聴いているほうにはちゃんと聞こえているという按配です。また、アカペラの曲で和音がきれいに決まった時の余韻がなかなか心地良くもありました。
 一旦ホールをチェックしてから、9階にある控室に行って少し練習し、昼食を食べて、ホールに移動してまた少し練習し、そのあと更衣して本番を迎えるというスケジュールでした。現地にはピアノなどが無く、電子ピアノを運んで行ったのですが、その組み立てや移動のことも考えて、そんなスケジュールを組んだのでした。
 最近の新しい病院は、ロビーコンサートなどを積極的におこなうところが増え、グランドピアノなども置いている場合が多くなっています。私が何年か前に検査入院した川口医療センターもそうなっていて、マダムが見舞いに来たときにちょうどミニコンサートが開催されており、聴いて帰ったということでした。佼成会病院が立正佼成会本部からどのくらいの補助を受けているのか知りませんが、都内に広大な「領地」を保持しているほどの宗教団体で、お金などありあまっているだろうし、ピアノの一台くらい置いておけばよいのにと思ってしまいます。

 今回のボランティアコンサートは、指揮者が不在でした。清水雅彦さんの都合がどうしてもつかなかったのでした。また、そういう場合に伴奏者を呼ぶのもいろいろ問題があります。指揮者不在の合唱の演奏では、伴奏者が主導権を握って音楽を運んでゆかなければなりませんが、その時だけ頼んだ外部の伴奏者では、遠慮もあってなかなかうまくゆかないのです。団の常任伴奏者が居れば良いのですけれども、Chorus STにはそういうものが存在しません。
 こういう場合、従来だと私が伴奏を務めて仕切ってゆくことが普通だったのですが、今回に関してはそれも困難でした。なぜなら、それをやるとテノールパートが居なくなるありさまだったのです。
 Chorus STのテノールパートには、現在いちおう3人が登録メンバーとして在籍しているはずなのですが、そのうちひとりは仕事が忙しいのか、ここしばらく練習にも出てきていません。
 もうひとりは小学校の先生で、昨年度まで非常勤だったのが、去年の教員採用試験に合格して今年度から本採用になりました。本採用になって間もないせいか、いろいろと雑用を押しつけられているようで、残念ながら今回は不参加となってしまいました。あとは私ひとりです。
 それで、去年コンクールの助っ人として呼び、そのまま正団員として居ついたマダムが伴奏を務めることになりました。Chorus STでのピアニストデビューというわけです。
 演奏曲目は、まず源田俊一郎氏の編曲メドレー『いつの日か』から抜粋で4曲ほど。「しゃぼん玉」「揺籃(ゆりかご)のうた」「七つの子」「夕焼小焼」といった童謡のメドレーです。「しゃぼん玉」は作詞者の野口雨情が旅先で、わが子が死産であったという報せを受けて、打ちひしがれて書いたと言われるテキスト(2番の「しゃぼん玉消えた/飛ばずに消えた/生まれてすぐに/こわれて消えた」という歌詞はいかにもそんな感じですね)ですので、病院で歌う曲としてはいかがなものかという気もしましたが、まあ一般的にそこまで深読みはしないだろうから差し支えないのではないかという判断で、そのままになりました。
 このメドレーは合唱編曲もシンプルですが、ピアノ伴奏もごく平易に書かれており、もしかすると私が弾き歌いできそうなほどでした。しかしまあ、シンプルとはいえ四部合唱であり、他にテノールが居ないので、私は歌に専念したほうが良いだろうということになりました。
 引き続き、「麦の唄」を歌います。これはNHKの朝ドラ「マッサン」の主題歌で、中島みゆきが歌っていました。最近までやっていた朝ドラの主題歌ということで、知っている人が多いだろうという目算だったのですが、MCを務めたみきちゃんが客席に向かって質問してみると、当の朝ドラを見ていた人は案外少なかったようでした。朝ドラにせよ大河ドラマにせよ紅白歌合戦にせよ、最近ではどうも「たいていの人が見ているはず」という思い込みは通用しなくなっています。NHKにはもはや昔のような通力は無いと考えるべきでしょう。しばらく前のボランティアコンサートで、やはりその直前にやっていた朝ドラ「梅ちゃん先生」の主題歌でSMAPが歌っていた「さかさまの空」という歌を歌ったのですが、その時も思ったより反応が薄くて意外な気がしたのを憶えています。
 「麦の唄」も反応は薄めでしたが、今回はここにこの歌を入れておかざるを得ませんでした。前に書きましたが、スコットランド民謡を無伴奏合唱にシリーズで編曲し、Chorus STで練習しています。ネタの無い練習日に、手許の曲集にあった「埴生の宿」「蛍の光」を歌ってみたのが発端で、それならスコットランド民謡をまとめてみようという話になってこのシリーズを始めたのでした。それにはやはり「マッサン」とのからみがあって、

 ──ちょうどいま、スコットランドが身近に感じられているところだし。

 という声が上がっていたのです。
 「麦畑」「アニー・ローリー」「スコットランドの釣鐘草」「ロッホ・ローモンド」それに「広い河の岸辺」を立て続けに編曲して練習に持ってゆきました。最後のものは私には未知だったのですが、「マッサン」の劇中でヒロインのエリーがちょくちょく歌ったばかりか、その前の朝ドラである「花子とアン」の中でも、歌われたのであったか詩が朗読されたのであったか、言及されていたというので、当節ではよく知られたスコットランド民謡ということになっています。
 今日はそのうち「麦畑」「アニー・ローリー」「広い河の岸辺」を歌いましたが、その導入として「麦の唄」を置き、唐突なスコットランド民謡の登場を緩衝したというわけです。
 なお、直前の会場練習の時、車椅子に乗った老人とその付き添いの人が入ってきて、
 「開演時刻まではどうしても居られないんですが、練習で良いので聴かせてくださいませんか」
 と頼み込んだため、承知してしばらく聴いて貰いました。その時に歌ったのがこれらのスコットランド民謡でした。無伴奏であるせいもあって、昨日の通常練習のときまでなかなか演奏が「決まらない」感じでしたが、このわずかな人数の聴客を前にした直前リハーサルで、急にみんなうまくなったような気がします。上に書いた、アカペラの曲で和音がきれいに決まった云々というのは、その時に感じたことでもあります。

 後半は『TOKYO物語』でした。混声版は、過去のこの佼成会病院でのボランティアコンサートで初演された(だから本にも初演データとして「Chorus ST」「立正佼成会附属佼成病院ロビー」と明記されています)という因縁もありますし、また混声三部なので、男声メンバーが極端に少ない今回のような時に使いやすいというメリットもあります。さらに、マダムがピアノを弾き馴れているという点もありました。
 『いつの日か』の平易なピアノ伴奏に較べ、『TOKYO物語』は明らかにピアノの難易度が高く、むしろこの本がよくあれだけ売れているものだとひとごとのように感心したりしているのですが、たぶん合唱・ピアノ共に「ちょっと頑張ればできる」というバランスであることが売れた要因なのでしょう。「いつでもどこでも簡単に歌える」という曲より、そういう「ちょっと歯ごたえがある、しかし難しすぎはしない」というレベルのものはチャレンジしがいがあり、ベストセラー化しやすいのかもしれません。
 マダムは過去数回この曲の伴奏を担当したことがありますが、常に「重唱」として歌う場合での伴奏で、「合唱」の伴奏は今回がはじめてです。しかし「重唱」でやっていたのが、今回のようなケースでは活きることになります。指揮者が不在だからです。重唱の時には指揮者はつきませんので、マダムは指揮者無しでこの曲を弾くことに、むしろ馴れているのでした。
 ただ、ひとつ問題がありました。『TOKYO物語』はメドレーであって、最初から最後まで切れ目がないため、ピアノの譜めくりが大変なのです。「譜めくリスト」を置くことが多いのですが、今回はその予算も無いし、すぐに頼めるような相手も居ません。
 私自身がピアノを弾くときは、両手で弾くべきところを片手で無理矢理やりながらめくるとか、実際の譜めくり地点の前後でめくりやすいところでめくって見えないところは暗譜で弾くとか、そんな力技を使っていますが、なかなかそこまでできるピアニストは稀であるようです。
 マダムは以前、女声合唱用の譜面に、細かくコピー譜を貼りつけたりして、いちおう譜めくリスト無しで弾けるような形を作ったらしいのですが、それが見当たらないとのことでした。あらたに混声版の譜面にそれをやる気力も時間も無かったようなので、私が「ガイド付きパート譜」を作ってやりました。オーケストラ内のピアノのパート譜でやっているような形で、ガイドの五線には主旋律のみが記されています。合唱譜になっていないのでスペースをとらず、少ないページ数で、従って譜めくりの回数が少なく済むようになっているのです。その少なくなった譜めくりも、なるべくしやすいような箇所でページをあらためるという操作をしたのですが、なかなかマダムの要求を全部活かすような形にできず、調整作業は今朝出かける直前まで続いていました。
 だいぶ苦労して、ようやく「ピアニストが自力で譜めくりできる『TOKYO物語』伴奏譜」が出来上がりましたが、もしかしてこれ、発売したら案外と売れるかもしれません。
 『TOKYO物語』に入るまで、私は歌いながら客席の様子を窺っていましたが、いまひとつ反応が薄いような気がしてなりませんでした。療養病棟のお年寄りが多くて、表情が乏しくなっているせいかとも思いましたが、さすがに『TOKYO物語』は時代的に「老人キラー」コンテンツと言える内容であるため、少し反応が熱くなってきた観がありました。
 歌い終えた途端に「アンコール!」と声がかかりました。唱歌の「故郷」を、ハーモニー練習用として簡単にアレンジしたものがあり、それを客席のみんなで歌うということをして、終わりにするつもりが、また「アンコール!」と叫びが入りました。
 仕方がないのでもういちど「麦の唄」を歌って、終演としました。

 病院ボランティアコンサートは、これからも続けたいものだと思います。
 病院を退職したゆきえちゃんでしたが、旧病院からほど近い特別養護老人ホームに早くも再就職を果たしました。管理栄養士は、いまやどんな組織・企業にも必要とされる人材で、まさに引く手あまた、完全に売り手市場なのでしょう。
 で、ゆきえちゃんはその特養ホームでも、近い将来ボランティアコンサートをして貰いたい意向であるらしく、終演後、有志を率いてそのホームへ見学に行きました。
 会場に想定されている広間も悪くないし、こちらにはもともと電子ピアノが入っているし、実現できれば良いと思います。


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