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平塚市の合唱祭 [日録]

 『星空のレジェンド』を作曲した関係で、平塚市の合唱連盟と関わりができたのですが、そのつてで同市の合唱祭の講評を頼まれました。こうやって仕事の幅が増えてゆくのはありがたいことですね。
 平塚まで行くには、赤羽湘南新宿ライン上野東京ラインのいずれかに乗り換えて、あとは1本で行ってしまえるようになったので、けっこう楽です。ただ時間はたっぷり、1時間半ほどかかります。そもそもあと20キロほど行けば小田原で、その先は箱根だったり熱海だったりするわけですから、やや「旅行」に近いものがあります。もちろん私は遠出が好きなので、喜んで出かけてゆきます。
 9時半くらいには現地に入って欲しいと言われていたので、7時半頃に家を出ました。少し早めに出たつもりだったのに、駅へ向かう途中で忘れ物に気づき、戻ったりしていたら、ほぼ予定時刻となってしまいました。
 川口駅で「休日おでかけパス」というのを買って電車に乗ります。何年か前に、平塚の養護学校でChorus STボランティアコンサートをした際、このトクトクきっぷをはじめて利用したのですが、かなり通用範囲が広く、その気になればなかなか使いでのあるパスです。千葉県のローカル線である久留里線の全線が範囲に含まれているのには驚きました。東京モノレールりんかい線でも使えるようです。
 ただし、平塚まで単純に往復するだけだと、惜しいところで、本当にギリギリのところで元が取れません。休日おでかけパスは2670円、川口~平塚の往復運賃は2640円なのです。元を取るために、上記ボランティアコンサートの際には、帰りに渋谷で下りてマダムと待ち合わせて昼食をとり、そのあと秋葉原に廻って買い物をしたりしました。2度目に使ったのが去年の『星空のレジェンド』の本番の日ですが、このときは同行のマダムにサービスする意図もあって、帰りの電車ではグリーン車に乗り、しかも素直に赤羽で下りずに大宮まで乗って行って、お茶を飲んでから還りました。
 今日も、帰りにでもどこか寄り道をしたいと思って、わざと休日おでかけパスを買ったのでした。

 9時06分に平塚に到着します。会場の中央公民館は、去年『星空のレジェンド』を初演したところでもあり、駅から歩けない距離ではないのですが、少しばかり離れています。アクセス案内には、駅から徒歩15分と書いてあります。不動産屋の広告ならこれは1.5キロのことを意味しますが、普通は1キロと見て良いでしょう。私の足なら15分はかからないと思いますけれども、道順がやや覚束ないこともあり、9時20分くらいには到着しておいたほうが良さそうでもあり、少し考えたのちに、前回と同じくタクシーに乗りました。1キロなら信号に数回ひっかかっても初乗り料金で行けます。
 合唱祭が初夏とか秋とかでなく、こんな厳冬の季節に開催されるのが不思議でしたが、平塚に下り立ってみると、さすがに湘南で、2月末という季節なのに空気がやさしく感じられます。私は冬用の背広を持っていないので、冬に背広を着なければならない場合は、ワイシャツの上に薄手のセーターを着てから上衣を羽織り、さらにコートを重ねて着て出かけます。今日もそうして出てきたのですが、コートはまるで不要だったばかりか、セーターも要らないのではないかと思えるほどに暖かく、なんだか汗ばむようでさえありました。まあ、あとで聞いてみると現地でも、ここしばらくでは珍しいほどの暖かさであったようですが。
 いずれにせよ、こんな温暖なのだったら、厳冬とされる時期に合唱祭がおこなわれても、それほど謎ではありません。ただし寒さとは別に、今シーズンはインフルエンザが例年よりも遅く流行しており、指揮者が倒れてしまって急遽指揮無しで演奏したというところもありました。
 会館の外に迎えに出ていると言っていた連盟の理事長と、ちょっと行き違ってしまいましたが、9時半ちょっと前に無事に控室に入りました。
 もうひとりの講評者である上田真樹さんはもう到着していました。最近合唱界でよく名前を眼にする作曲家で、どうやら私よりひとまわりくらい下になるようです。いつまでも自分がペーペーのチンピラ作曲家だと思い込んでいるのですが、こう後輩たちが活躍しているのを見ると、齢をとったことを否応なく実感させられます。しかも、ひとまわり下と言っても考えてみればすでにアラフォーなのですからまったくイヤになります。
 いままで何箇所かでこの種の講評や審査の仕事をして、たいてい集められた講師や審査員の中で私がいちばん若造であることが多かったせいもあり、今回いきなりずっと年下の人と相方になって、少々うろたえてしまいました。
 上田さんは合唱曲はいろいろ書いているものの、自分では合唱で歌ったことはほとんど無いとのことでした。合唱祭の講評に、合唱指揮者などがひとりも呼ばれないのに作曲家がふたりというのも珍しいかもしれません。もっともプログラムを見てみると、私の肩書きは「作曲家・合唱指導者」と書かれていました。間違っては居ないのですが、なんだか面映ゆい気がします。

 10時開演です。出演団体は全部で35、去年まではもっと大きなホールが使えていたそうですが、中央公民館のホールはそれほど大きくなく、座席数も限られているので、前半後半に分けて完全入れ替え制ということにしたとのことでした。つまり、前半と後半それぞれに「開会の辞」「閉会の辞」があり、講師紹介などもその都度おこなうということになっていました。
 管轄の財団の課長さんの挨拶があったのち、上田さんと私は舞台に呼ばれて紹介されました。それだけならまあ良いのですが、いきなり「何か一言ずつ」とマイクを渡されたので狼狽しました。演奏前に何かしゃべらされたのははじめてです。というか舞台上で紹介されたのもはじめてで、講評者席についてから紹介を受け、その場で立ち上がって会釈するだけというのが通例です。
 ここの合唱祭の面白いのは、そのあとで15分ほど時間をとって、会場内の全員で「発声練習」をおこなうところです。実は当初、私に発声練習をやってくれないかと声がかかっており、そのときはなんのことやらわかりませんでした。上田さんにも話が行ったようですが、合唱をしない合唱曲作家(笑)の彼女は
 「そんなことできません」
 と言下に断ったそうです。私は引き受けたような引き受けないような曖昧なことを言っていたら、やはり講評者にそんなことをやらせるのでは忙しすぎるだろうという配慮があったようで、やらなくて結構ですと連絡がありました。
 この15分間はわれわれにとっては貴重な休憩時間だったりします。控室に戻ってお茶を飲んだりしましたが、上田さんは数日前から腰痛だとかで、階段を昇ったり下ったり、控室に戻ったり出たり、立ったり坐ったりするのは少しくしんどそうでした。

 やがて演奏がはじまります。客席の中央くらいにしつらえられた講評者席で、次から次へと用紙に講評を記入してゆきます。机が置かれていたわけではなく、前の席の背に板を乗せて固定していただけの装置だったので、ひじをついて寄りかかったりするとはね上がりそうになりました。
 用紙の講評欄がえらく広く取ってあるのでややプレッシャーを感じました。とても全部埋めるだけの文章を書くことはできません。内容的にも、時間的にも無理そうです。といって、あんまり少ないのも見ばえが悪いので、なるべく半分くらいは埋めるように努めました。それだけの分量でも、書いているとあっという間に演奏が終わってしまいます。
 前半17団体、後半18団体で、途中休憩はありませんでしたが、忙しく書いているうちに終わってしまった観があります。東京都の合唱祭の講評用紙程度のサイズであれば余裕があったと思うのですが。
 例によって、「上げて下げる」書きかたを心掛けましたけれども、特に目覚ましい演奏であった数団体以外は、書いていることがだんだんどれも似てきたことに気づきました。多くの団に共通して、音色はとてもやわらかく温かみがある、アンサンブルもけっこう練られている、しかしいまひとつ声が客席まで飛んでこない、という要素があるようです。これは土地柄なのかもしれません。
 山梨県の高校生の合唱祭の講評に行ったとき、相方だった仁階堂孝さんなどが、合唱における県民性みたいな話をしていましたが、そういうことは確かにあるような気がします。まあ、特に地方へ行くと、力を持った先生が何人か居て、その先生が教えている団体も多いし、先生の弟子が教えていたりするところもあるわけで、その点を考えれば「土地柄」というよりも「人脈性」による色合いということになるのかもしれませんが、いずれにしろ30団体以上もまとめて聴いてみると、とにかくその土地の歌いかたの特色というのがあるのだなあと実感しました。
 そんなわけで、とりわけ講評の前段の「良かった探し」の部分の書きかたが、どの団体も同じようなものになってしまい、内心忸怩たるものがありました。

 中には、平均年齢83歳というご高齢合唱団があったり、老人ホームの仲間たちで結成した団体があったりしました。こういう団体になると、講評する側としても、もう音色もアンサンブルもどうでもよくなってしまいます。とにかく愉しんで歌って下さっているだけで充分ですと言いたくなりますし、その歌声も否応なく心にしみ入ってくるように思えました。
 ご高齢合唱団では、瀧廉太郎「花」を歌いはじめましたが、それがびっくりするほど遅いテンポなのです。齢をとるとテンポ感が遅くなってくるというのはよくある話ですが、それにしてもおそろしくゆるやかで、このテンポでちゃんと息が持つのだろうかと心配になったほどでした。ところが、休符の入りかたとか強弱のつけかたとか、これまたびっくりするほどに丁寧に仕上げてあったので、ほとほと感心しました。ピッチなども意外と──と言うと失礼かもしれませんが──正確です。平均83歳ということは、たぶん90近い人(アラ卒?)、90超えの人(オバ卒?)も居たのではないでしょうか。指揮者も車輪のついた杖(シニアカート、とか言うのでしょうか)をついて出てきていました。ここまで来ると、本当に、活動してくれているだけで「ありがとうございます」と言いたくなります。

 第1部の最後に「特別演奏」として『星空のレジェンド』の終曲が、第2部の最初に同じく第2曲「牧場」が演奏されました。また大川五郎先生が指揮をしている女声合唱団のひとつで、第3曲「私はヴェガ」が歌われました。市内の合唱団員たちに『星空のレジェンド』を周知させるという意味で、大川先生と理事長が企んだことであったようです。毎年演奏という計画なので、新しい歌い手を引き込むための宣伝でもあったのでしょう。
 いずれも、去年の初演に較べると、だいぶ演奏がこなれてきたという印象はありました。歌い直すたびに良くなるのではないかと思われ、その意味では最初から毎年演奏という予定が組まれているのはありがたい限りです。そのうち名演と呼べる回も出現するでしょう。
 もっとも「牧場」は単独で聴くと少々飽きるかもしれないと思いました。似たような繰り返しが多く、しかも長いのです。中間部をもう少し速く演奏すれば起伏がつくかもしれませんが。
 いずれにしろ、今年も6月19日(日)に再演があります。板橋オペラが6月18日(土)で、きわどくずれてくれました。去年の初演時も、『セーラ』の翌週というきわどいところで、そのうち聴きに行けない年があるかもしれません。

 17時頃に閉会となりました。第2部の途中で、1団体ぶんくらい時間が押しているなと思っていたのですが、終わってみるとほぼ予定どおりだったようです。各部の終わりに「全体講評」ということでしゃべらされましたが、聴いている人は前半と後半で違っているはずなので、ほとんど似たようなことを言ってお茶を濁しました。両方を聴いていた運営係の人たちなどは少しあきれたかもしれません。
 レセプションがあるというので、立場上やはり出席しなくてはなりません。中央公民館の中ではなく、『星空のレジェンド』の練習のときに使っていた市民センターの大会議室に移動しました。本当はこの市民センターのホールが合唱祭の会場になっていたそうですし、『レジェンド』もそこで初演する予定だったのですが、耐震工事がはじまってしまってしばらく使えなくなったのでした。ホールは使えなくとも、他の部屋は使えたようです。
 理事長の配慮で、上田さんや私が、その場であらためてスピーチをするということはしなくて済むことになりましたが、その代わりにあちこちのテーブルに移動して話をしました。その都度ビールを注がれるので、私の標準からすると飲み過ぎてしまったようです。しかも気がついてみるともう19時半近くなっており、帰ることにしました。
 飲み過ぎの気配があったので、帰りの電車では眠ったり起きたりしており、寄り道などする元気は無くなっていました。それでも休日おでかけパスの元が取れないのは悔しいので、前回と同じく、大宮まで上野東京ラインに乗ってゆき、一旦改札を出て階上のスターバックスでひと休みしてから帰りました。何をやっているのかと自分であきれています。


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