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野田線の急行 [日録]

 今日はピアノ教室の仕事が早めに終わったので、帰途に少しまわり道をしてみました。
 ……という言いかたはいささか正直ではありませんね。仕事を終えてからたまたま思い立ったみたいに見えます。正しくは、

 ──今日はピアノ教室の仕事が早めに終わる予定だったので、帰途に少しまわり道をするつもりで、電車で出かけました。……

 いつも自転車で出ているので、最初からそのつもりでないとまわり道はできません。自転車でのまわり道はよくやりますが、今日はJR東武鉄道のダイヤ改正の日、まわり道の目的は東武野田線アーバンパークライン)に新設された急行電車に乗ることにあったのでした。
 それゆえ、自転車を使わずに教室へ行ったわけです。雨天のときはいつもそうしていますが、今日は晴れていたので、埼玉高速鉄道川口元郷駅までの少々遠い道のりも、そんなに苦にはなりませんでした。

 14時から15時までという枠の生徒がひとりだけでした。ただ少し長引いて、教室を出たのは15時15分くらいのことです。
 教室の最寄り駅は戸塚安行ですが、東川口へも歩けます。東川口から武蔵野線にひと駅乗って、南越谷で下りました。
 南越谷は東武スカイツリーライン新越谷と接続しています。高架の武蔵野線の上を、さらに高い高架の東武がまたいでいる形になっていますので、直行の階段やエスカレーターを設置できそうですが、駅ができた時期がばらばらなので、そういうバリアフリーな設計はできませんでした。一旦地上へ下りて改札を通り、ふたたび上がらなければならない構造になっています。ばかな話ですが、会社が違うので仕方がないでしょう。
 新越谷15時51分発の急行に乗って春日部へ。到着は2分ほど遅れていたようですが、春日部まで走るうちに取り戻した模様です。
 取り戻してくれないとまずいところでした。アーバンパークラインの急行電車は1時間に2往復しかありません。出がけに春日部駅発の時刻表を確認してきたはずだったのですが、記憶を間違えていました。16時18分という頭になっており、教室を出るところからそのつもりで乗り継いできたのでしたが、春日部到着直前の車内アナウンスで、大宮行き急行は16時08分と言っているのが聞こえてきたのでした。乗っていたスカイツリーラインの急行の春日部着は16時06分でした。2分の遅れがそのままだったり拡大していたりしたら、乗り継げないところだったのでした。
 私は18分発のつもりで居ましたから、春日部駅で12分ほど待ち時間があると思っていたのでした。そのあいだに、新ダイヤによる駅の時刻表を眺めてみようなどと考えていたのですが、そんな時間はありません。大急ぎで野田線のプラットフォームに移動しました。
 乗り換え客は相当に多かったので、これはもしかして、今日から走り出した急行電車が目当てなのではないかと疑心暗鬼にかられました。そうだとすると車内は混み合って、坐れなかったりする可能性もあります。
 が、そういうわけでもなかったようです。反対向きの電車に乗る客のほうが多いくらいで、急行電車は楽々坐れるくらいの乗車率でした。
 私が乗り込むと、間もなく発車しました。

 東武野田線は、全長62.7キロに及ぶ、私鉄としては非常に長い路線です。東武の中では伊勢崎線(114.5キロ)、日光線(95.5キロ)、東上線(75.0キロ)に次いで長く、関東地方の他社私鉄で野田線より長い路線は小田急小田原線(82.5キロ)、秩父鉄道線(71.7キロ)、京成本線(69.3キロ)の3つしかありません。京急本線(55.5キロ)やつくばエクスプレス(58.3キロ)よりも長いのです。
 東武の幹線とされるのは上記の伊勢崎・日光・東上の3大路線でしょうが、野田線はその意味では準幹線とされても不思議はない規模を持っています。
 しかし、野田線の沿線開発や路線近代化は、ずっとあとまわしにされていました。つい最近まで、単線の部分が大半を占め、従って便数も少なく、古い電車がのろのろと走っているばかりだったのです。車窓も、大宮・春日部・柏・船橋といった他線との接続駅附近こそビルや住宅が建ち並んでいるものの、おおむね田畑や雑木林といった風景が続いていました。東京からわずか30キロ程度の圏内を結ぶ環状線でありながら、時代に取り残されたかのようなローカル線だったのでした。
 東武という鉄道は、「関東の田舎をひとりでしょって立っている」と言われるようなところがあります。栃木県・群馬県南部の鉄道交通は、東武が無かったら成り立ちません。それだけに、かつての国鉄、現在のJR東日本と体質が似ているところもあります。多くの赤字ローカル線をかかえて身動きがとりづらいこともあるし、昔は春闘の時期になると他の会社がやらないときでも必ずストライキをやったものでした。全体の雰囲気も「質素かつ野暮」というのが基調になっていました。
 そういう会社ですので、いちどに多方面に経費をかけるわけにはゆかなかったのもむべなるかなです。まず表看板の伊勢崎・日光線の見ばえを調え、それからドル箱路線の東上線の便宜を良くするというのが順序でしょう。野田線の順番はその次というわけでもなく、その前には鬼怒川線などの観光路線に力を入れる必要もありました。
 資金が潤沢にあるわけでもないので、それらの整備もなかなかはかどりません。何十年もかけて、ようやく北千住北越谷間18.9キロの複々線を完成させ、メトロ半蔵門線・東急田園都市線副都心線・東急東横線との相互乗り入れを果たし、スカイツリーも建て、やっと野田線にも眼を向けたというところです。他のところに力を入れているあいだ、野田線に関しては、とりあえず走らせておけば良いという程度の扱いであった……と言っては言い過ぎでしょうか。
 いちおう、遅々としながら複線化は進められましたし、便数も増えました。単線区間ではほぼネットダイヤとなってしまっています。ネットダイヤというのは、単線の鉄道で、駅や信号所などの行き違い可能な設備において、必ず対向列車と行き違うことになっているダイヤのことで、これ以上もう1本も増発できない状態です。これを解消するには、大幅なスピードアップをしてネットの目を細かくするか、複線化するかしか手段がありません。さすがにこうなっては、東武も複線化を進めざるを得なかったわけです。
 流山おおたかの森という新駅もできました。つくばエクスプレスの数少ない快速停車駅と接続できたのは幸運でした。周囲には開発の余地のある土地がたくさん拡がっています。
 ここに至って東武も重い腰を上げ、野田線へのてこ入れをはじめました。まず野田線はじまって以来の専用車輌60000系が投入されました。鮮やかなブルーに彩られた前面を試運転で最初に見たとき、これが本当に野田線を走るのかと驚いたものです。
 60000系投入後まもなく、野田線にはアーバンパークラインという別名が与えられました。カタカナの愛称など、いままでの野田線とはまったくイメージが合いません。だいたいアーバンパークとはなんのことやら、直訳すれば都市公園で、確かに野田線には大宮公園清水公園というふたつの「公園」を冠する駅がありますが、どちらも都市公園という感じはしません。都市公園ではなく、「都市と公園」かもしれませんが、それにしても都市のイメージは野田線からは感じられなかったのです。
 スカイツリーラインは、スカイツリーが完成してから、そこへのアクセス線という意味合いで命名されましたけれども、アーバンパークラインのほうは、「これからその愛称にふさわしい路線に育ててゆこう」という計画……というより「夢」を託した名前なのかもしれません。
 そして路線近代化の次なる手が、今日からはじまった急行運転であるわけです。

 急行運転と言っても、大宮~春日部間だけで、距離にして全線の4分の1ほどに過ぎません。それでも、定期的なものとしては野田線ではじめての優等列車です。
 野田線にも快速や急行などの優等列車を走らせるべきだとはずっと言われてきましたし、私もそう思っていました。これだけ長い路線に鈍行しか走っていないというのは不自然です。それも地方のローカル私鉄ではなくれっきとした首都圏の路線です。
 ただ、上記のネットダイヤ状態の単線区間では、種別の違う列車を走らせることは困難です。走らせたとしても、いくつか駅を飛ばすというだけでちっとも速くない快速や急行になってしまいます。複線化が進むまではあまり期待できません。
 また、複線化しただけではダメで、追い越しのできる駅が無ければなりません。ウィキペディアなどを見ると、追い越し設備のある駅が無いので優等列車を走らせられない、といったことが書いてあります。
 駅の近代化まではなかなか手が回らないのでしょうが、実は追い越しができないわけではありません。野田線にはいくつか、2面3線という構造の駅があります。これは、昔の国鉄の幹線駅の標準スタイルとも言うべき構造で、改札をくぐるとすぐに1番線のプラットフォームになっており、跨線橋、地下道、踏切などを通って、2・3番線がある島式プラットフォームに渡るという形です。上下線のどちらかが不便になるし、駅舎と反対側に出るのが面倒くさいといった欠点もあり、最近ではJRでもこの構造は減ってきていますが、野田線は駅をほとんどいじっていなかったために、開業以来の「国鉄スタイル」がそのまま残っているのです。
 大宮側から言うと、岩槻・清水公園・野田市・運河・六実がこの構造で、実はけっこう絶妙な間隔になっています。うまくダイヤを組めば、これらの駅で追い越しをおこなって急行を走らせることは充分可能です。ただすべて内側(大宮から見て右側)に駅舎があるため、上り列車(大宮方面)での追い越しの際は同一プラットフォーム上で乗り換えができず、跨線橋を渡ったりしなければなりませんが、それでも無いよりはましではないか……と私は思っています。
 ともあれ、とりあえず複線化が100%完了した大宮~春日部間だけにでも急行を走らせれば……と考えていたら、今回それが実現したことになります。
 この区間、従来日中は正確に10分おきに電車が走っていて、急行などを混ぜるとそれが崩れるから好ましくない、という意見もありましたが、1時間6本の鈍行というペースは保ちつつ、2本の急行を増発したようで、なかなか頑張ったなと感心しました。

 春日部を出た急行電車は、さほどスピードを出す風でもなく、八木崎豊春東岩槻の3駅を通過して岩槻に停車しました。
 岩槻駅は改装工事中でした。まだ2面3線のままで、いまのところこの駅で急行が鈍行を追い越すということはしていません。しかし2面4線に改造する予定のようで、そうなったら追い越しもおこなわれることになるでしょう。埼玉高速鉄道が岩槻まで延びてくるのを待って高架化するという話もありますが、これはいつのことになるやら。
 岩槻を過ぎると少しスピードを上げたように思われました。七里大和田大宮公園北大宮と一気に4駅を通過して大宮駅に滑り込みます。15分ばかりの「初体験」でした。
 合計7駅通過で6分短縮だそうで、実際に乗ってみてももう少し頑張れそうな気がしました。1駅通過で1分短縮というのが相場です。これはやはり追い越し駅が無いせいで、岩槻で追い越せるようになったらもう少しスピードアップできるかもしれません。現在の列車の密度だと、あまり速く走ると前の鈍行に追いついてしまうのです。
 今後、複線化が完了した区間ごとに急行運転をはじめるかもしれません。現在、柏~船橋間では逆井六実の2駅間だけ単線区間が残っており、それが複線になれば急行を走らせることもできるでしょう。途中停車駅は、2面3線で拡幅も可能と思われる六実、京成・新京成・北総の3社と接続する交通の要衝新鎌ヶ谷鎌ヶ谷市の中心駅である鎌ヶ谷の3つくらいで良いでしょうか。
 中央部である春日部~柏間はまだ時がかかりそうです。複線化できているのは埼玉県と千葉県の県境を跨いだ南桜井川間間の一部、野田市梅郷間の一部、それに運河間だけで、まだ大半が単線のまま残されています。柏附近を除いては利用客も少ない区間です。
 もっとも流山おおたかの森の開業で、今後住宅地が運河以西にも拡がるかもしれません。野田市~柏間の複線化が完了したところで、その区間での急行運転も可能になりそうです。この場合の途中停車駅は、運河、江戸川台、流山おおたかの森の3つくらいでしょうか。残りの春日部~野田市間は、各駅停車のままでも良いような気がします。

 時代に取り残されたような野田線でしたが、それは今後のフロンティアが大きいということにもなります。複線化をもっと進めて、それに伴って急行運転も拡大し、駅なども使いやすく改造し、沿線に大型の分譲住宅なども建て並べ、利便性を上げてゆけば、まだまだ活性化の余地はあるでしょう。
 また、外郭環状線としての役割を強化したいところでもあります。そうなると、何よりも接続各線を高速で結ぶことが期待されます。武蔵野線が接続するJR各線からあまり優遇されておらず、いまだに西国分寺にも南浦和にも新松戸にも西船橋にも優等列車が停まって貰えないのに対し、野田線の接続駅は大宮・春日部・流山おおたかの森・柏・新鎌ヶ谷・船橋のいずれも、快速はもちろん特急すら停車するほどの主要駅であり、それらを結んでいるという強みを活かさない手はありません。10年後20年後が楽しみな路線です。
 まわり道をして帰ってくると、まっすぐ帰ってくるより1時間ほど余計にかかったようです。1時間くらいで「初体験」を楽しめてきたのだから効率が良かったと言えそうです。


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