SSブログ

「なにか大切なこと──新田恵ソプラノリサイタル」開催 [日録]

 昨日(7月29日)、「なにか大切なこと──新田恵ソプラノリサイタル」が開催されました。平日夜の演奏会で、そのあと打ち上げもあったりして、わずかに午前様になってしまったので、翌日である今日のエントリーとなりました。
 私の作品『月の娘──五人の求婚者』の先行初演が含まれており、私自身がピアノを弾かなければならなかったのと、他にもいろいろ頼まれて関わりが深くなりました。それだけに、終わってホッとしています。
 新田恵さんとはずいぶん長い付き合いになります。いちばん最初は、確か八千代台だったかで開かれたミニコンサートがきっかけだったと思います。もうずいぶん昔の話で、私の春の歌メドレー『春の情景』の原型になるものを、清水雅彦さんに頼まれて作ったときでした。清水さんは『春の情景』を、アンサンブルグループTasty 4の演奏会のために最初作ったものと勘違いしていたようでしたが、そうではなく、このときの形は三重唱用でしたし、ピアノもソロでした。ただしTasty 4のメンバーとかなり重なった演奏者ではあったように記憶しています。
 私自身が本番を聴きに行ったかどうかもよく憶えていません。リハーサルは確か1回聴きに行きました。そのときは京成イブニングライナーに乗って行ったとか、そんなことばかり憶えています。

 で、この話に新田さんがどう関わるのかというと、歌い手としてではなく、ピアノを弾いた鈴木永子さん(この人もTasty 4メンバー)の譜めくりをしていたのでした。リハーサルのときに会っていたか、それとも実際には顔を合わせていなかったのか、それも記憶にありません。
 ともあれ、そのあとで私は川口第九を歌う会の練習ピアニストをすることになりました。言い換えれば上の八千代台がらみの仕事は、川口第九に関わるよりも前だったということになります。川口第九は間もなく創立30周年を迎えるという団体で、私は2、3年目くらいから関わっていたはずなので、少なくとも27、8年前、八千代台の仕事はそれより前ですので、私が大学を卒業するかしないかの、本当にぺーぺーのころなのでした。
 なお川口第九の仕事は、当時同じ市内に住んでいた友人の藤井あやから頼まれて始めたことです。
 ところがそこのヴォイストレーナーとして、新田さんが関わっていたのでした。藤井あやは現在ではソプラノ歌手になっていますが、そのころはメゾソプラノで(日本女性は体格的に9割以上の人がソプラノと言われ、メゾソプラノやアルトは非常に貴重なのですが、留学したり外国の先生にレッスンを受けたりすると片端からソプラノに転向し、少ない低音歌手をますます減らしてしまうのでした。確かに欧米人の先生から見るとみんなソプラノに思えるのでしょうが……)、ヴォイストレーナーとしてはアルトパートを主に受け持っていました。ソプラノを受け持っていたのが新田さんであったわけです。
 八千代台で会っていたにせよいなかったにせよ、私は新田さんのことを記憶していなかったのですが、川口第九の仕事で会ったとき、あちらからいきなり妙にフレンドリーに接してきたので面食らいました。話を聞いてなるほどとは思いましたけれど、私のほうが年下であるはずなのに、いやに持ち上げるというか、尊敬しているみたいなことを言ってくるので、何やらこそばゆくてなりませんでした。なんでも、永子さんの隣に坐って譜めくりしていた『春の情景』ファーストヴァージョンにすっかり感心してしまったらしいのでした。
 それから27、8年経つわけですが、新田さんの私に対する接しかたは基本的には変わらず、私の才能(笑)に関しては少々過剰評価気味だったりします。

 ──いや、そんな大したことしてないから。

 と、ときどき言いたくなります。

 川口第九の仕事は新田さんも私も(それに藤井あやも)まだ続けています。われながらよく続くものだと思います。他の伴奏者やヴォイストレーナーはいろいろ入れ替わったりもしているのですが、この3人と、もうひとり吉田秀文くんは、十年一日どころか、間もなく三十年一日と言えそうなほど続いています。
 役割は多少変化して、藤井と吉田はヴォイストレーナーと言うよりもサブ指導者という立ち位置になっています。新田さんは、主に川口第九の主力が「第九」を練習していない時期(隔年でいろんな大規模合唱曲を手がけている話は何度か書きました)に、「初心者コース」というのを担当することが多くなっています。
 川口第九を歌う会は、あくまで建前は年末に「第九」を歌う団であり、そのため毎年新規会員を募集しています。そしてまた、よく川口市には人が尽きないなと思うほどに、毎年数十名の応募者があります。それら新規会員と、もう何度も(ひどいときには二十何度も)「第九」を歌っているメンバーとを、いきなり一緒にするのも非効率です。それで、数ヶ月間、新規会員だけを集めて、「第九」の音とりや歌詞の意味、基礎的な発声などを教えることになっています。新田さんは主にこちらを受け持っているわけです。
 だから、仕事場で顔を合わせることは少なくなっているのですが、新田さんが何か企画するときには、しばしば声がかかるのでした。
 2009年に書いたオルガン曲『The Dance at Twilight』も、新田さんのリサイタルのために作曲したものです。ソプラノ歌手のリサイタルのために、なぜオルガン独奏曲を書いたのか、不思議に思われるかたも居られるでしょう。新田さんは、リサイタルすなわち独演会と言っても、いろいろと趣向をめぐらすのが好きな人なのでした。特に日常の仕事として、役者に歌を指導するということをよくやっているため、芝居関係の人脈が豊富で、さらに拡げてダンス関係の知り合いも多く、自分のリサイタルでも芝居やダンスの人をゲストに呼ぶことを好みます。ピアノ伴奏で歌曲やアリアを1時間半くらい歌っておしまい、という一般的なリサイタルでは、イベントとしては退屈であるというのが持論なのです。
 それで、2009年のリサイタルでは、ダンサーを出演させたのでした。また、会場が川口リリア音楽ホールということで、パイプオルガンを使うことにしていました。
 それで、オルガン独奏に舞踊を伴ったゲストステージの曲を頼まれたわけです。ゲストステージがあると、新田さん自身ものどを休めることができて、好都合なのでした。
 そしてその2年後、今度は舞踊と歌による作品を求められました。それで書き始めたのが『月の娘』です。
 しかし、これを初演する予定だった次のリサイタル(2012年)は、諸般の事情で規模を縮小せざるを得なくなり、初演そのものも流れてしまいました。私も企画にはタッチしていません。
 さらに3年が経ち、新田さんはみたびリサイタルを企画したのでした。それで『月の娘』の歌の部分だけを先行初演するということになったのです。
 本来、2009年のリサイタルでゲスト出演したダンサーを、2012年にいまいちど起用する予定で、彼に早替わりをして貰おうと考え、それなら5人の求婚者がとっかえひっかえ登場する「竹取物語」をネタにすれば面白いんじゃないかという、舞踊部分が先に立った発想でした。そしてそのあいだを、かぐや姫のモノローグでつなぐという構成です。ちなみに今回のリサイタルのタイトルになっている「なにか大切なこと」というのは、『月の娘』でのかぐや姫の言葉から引用したのだとか。
 2012年の初演が流れたので、冒頭の数曲を書いただけでお蔵入りになっていましたが、それをひっぱりだし、しかもダンス部分は省いて歌だけ初演したいとのことでした。
 今年に入ってから作曲を再開し、4月にひとまず歌の作曲は終わりました。舞踊部分はまだ書いていないので、完成ではありません。いずれは完全版をやりたいものですが、本格的にダンスが入ると、いろいろ予算もかかるので、当分先になるかもしれません。

 ダンスこそ入りませんが、歌う新田さん自身は、かぐや姫らしく打ち掛けを身にまとい、しっかり演出家を頼んで振り付けもおこなうという気合いの入れようです。いままでモノドラマと冠した作品を3つ書いていますが、歌い手が振りをつけたことはありません。
 そのため、私もリハーサルにかなり何度もひっぱり出されることになりました。歌だけなら、いくら新曲だとて3回も合わせれば充分なのですが、振りもつけるとなるとそれではとても足りないのでした。そのことは音楽劇やオペラの制作に何度も関わっているだけに、私にもよくわかっています。結局前後10回くらいリハーサルにつき合ったと思います。
 そして実は、今回の演奏会で私がやるべきことは、『月の娘』のピアノだけではないのでした。
 プログラムを列記すると、まず團伊玖磨の歌曲集『わがうた』が置かれます。昭和21年に作曲したと言いますから、戦後すぐであり、また團氏も相当若いころで、この歌曲集の3曲目である「ひぐらし」木下保に見せたところ

 ──君もようやく「リート」が書けるようになったんだねえ。

 と言われたなんて話が残っています。リートというのは要するに歌曲のことですが、狭義にはドイツ歌曲、もしくは「芸術歌曲」を意味します。木下氏が言ったのはたぶん後者の意味でしょう。
 このステージは長沼真美さんがピアノを弾きます。ただ、4曲目「追悼歌」では新田さんが歌わず、長沼さんがピアノ部分だけを弾く上に、俳優の大谷亮介さんがバルコニーステージに登場してテキストを朗読するという、のっけから変化球な演出がなされているのでした。
 もうひとつ註記しておかなければなりません。この『わがうた』がはじまる前に、詩人・劇作家の阿藤智恵さんが、やはりバルコニーステージに設けられた「部屋」に入室し、そこで詩を書き始めるという趣向になっています。なんと、阿藤さんはその日訪れた聴客から提出して貰った「お題」をもとに、その場で詩を書き上げるという離れ業をおこなうのでした。そういうパフォーマンスをよくやっている人だそうです。リハーサルのときにも、関係者の出した「お題」で次々と詩を書き上げていました。書き上げた詩の何篇かは、演奏会の後半に置かれたコーナーで、大谷さんにより朗読され(当然、大谷さんは初見です)、さらに終演後に「お題」を出してくれたお客にプレゼントされるというすごいことになっているのでした。
 『わがうた』が終わると、その次が『月の娘』ですが、新田さんの衣裳替えの時間を埋めるため、演出家の湯沢紀保氏の案で、『月の娘』で黒衣(くろこ)をやってくれる片山晃也さんと、大谷さんと、私が、それぞれ鈴(実際には音叉で代用)を鳴らしながら雰囲気を作るということをやりました。またそのあと、大谷さんが、やはり阿藤さんの作品である戯曲「十六夜(いざよい)の月」のプロローグの部分を朗読します。「月」つながりでそういうことになったようです。
 朗読が終わると打ち掛けをまとった新田さんが登場し、曲がはじまります。
 『月の娘』は、歌だけでも30分ほどかかりますので、ここまでで前半は修了です。
 後半は、サンサーンスの2曲の「アヴェ・マリア」と、それに挟まれて「白鳥」のヴォカリーズアレンジが歌われます。「アヴェ・マリア」はオルガン伴奏で、『わがうた』でピアノを弾いていた長沼さんがこんどはオルガンを担当します。しかし「白鳥」はピアノ伴奏であり、こちらは私がやることになります。『月の娘』だけではないというのはこういう意味で、後半は長沼さんのオルガンと私のピアノという役割分担で進むのでした。
 なお「白鳥」では今度はバレリーナの石川寛子さんがゲスト出演します。「白鳥」はミハイル・フォーキンによって振り付けされ、バレエの単発ナンバーの代表作みたいになっているのでした。ちなみにバレエ界では「瀕死の白鳥」というタイトルで周知されており、略して呼ぶときも「白鳥」ではなく「瀕死」と呼ばれたりするので、ときどき音楽畑の人間との意思疎通に齟齬をきたしたりします。
 サンサーンスステージのあと、上記の詩の朗読コーナーとなります。
 それからモーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」を演奏して終わりです。なおこのモテットは、ピアノとオルガンの両方が伴奏につきます。ピアノ伴奏用の譜面とオルガン伴奏用の譜面が市販されており、それらを適当に突き合わせてアンサンブルして欲しいというのが新田さんの要望だったのですけれども、「適当に」アンサンブルなど、なかなかできるものではありません。結局私が簡単なアレンジを施しました。
 要するに後半は、朗読コーナーを除いて、オルガンもピアノも出ずっぱりという状態だったのでした。結局、今回も私は、相当に深入りしてしまったようです。

 舞台は魔物と言われますが、予想外の小さなアクシデントはいろいろ発生しました。リハーサルではまず起こらなかったことが、本番では起こるのです。
 まず、『月の娘』の第3曲「石つくりの御子さま」で、短い序奏のあとにすぐに歌が入るはずなのが、なかなか入りません。しばらくしてから新田さんが私のほうを向いて
 (なんだっけ?)
 と小声で言いました。
 (いしつくり)
 と私がやはり小声で答えると、すぐに歌い出しました。こんなところで度忘れしたことなど、いままで一度もありませんでしたが、本番だけ真っ白になるということは、実はよくあります。
 それから、モーツァルトで、オルガンとピアノは上下のステージでアイコンタクトをとって始めなければなりません。と言ってもオルガニストは向こうを向いているので、正確には小さなバックミラーに映ったオルガニストの顔を見ることになります。私はアイコンタクトをとったつもりでピアノを弾き始めたら、あろうことかオルガンがまったくついてきません。どうも、レジスターのセットがまだできていなかったようで、長沼さんは「ちょっと待って」という顔をしていたつもりだったらしいのですが、かなり遠くにある小さな鏡の中、そこまではさすがに読み取れません。仕方なく、一旦中断し、あらためて開始しました。お客も変だなと思ったでしょう。これも、ホールリハーサルのときのタイミングでは全然問題が無かったのですが、舞台の魔物の仕業でしょうか。
 まあ、「やり直し」ということが世に無いとは言えません。東京混声合唱団の演奏会で岩城宏之氏が指揮したとき、最初のページをめくり間違えたらしく、一旦やめて最初から歌い直したのを見たことがあります。ちょっとした微笑ましいアクシデントといったところでしょう。

 いろいろと趣向を凝らした演奏会であっただけに、お客にもおおむね好評であったようです。手が込みすぎてなかなか大変であったのは事実ですが、それだけの効果はあったと考えるべきでしょう。
 私が舞台上で感じた限りでは、「白鳥」で石川さんが登場したところが、お客の反応がいちばん高まっていたような気がしました。プログラムの出演者プロフィールにはちゃんと出ているのに、バレリーナがそこで出てきたのはかなりのサプライズであったようです。それにしてもこの1曲のため(実際にはアンコールでもういちど踊りましたが)に舞台面にリノリウムを敷き詰めたわけで、かなり費用のかかったサプライズでもありました。
 プログラムといえば、曲目解説を私が書いたのですが(これも深入りのひとつ)、全体の校正をする機会がなかったので、いろいろ残念なことになっていました。番組表ページとのすりあわせができていなかったのです。結果、5曲から成る『わがうた』のそれぞれの曲のタイトルがどちらにも載っていないことになりましたし、モーツァルトなど訳題が違っていて(番組表のほうでは「歌え喜べ 祝福された魂よ」となっていた)、別の曲じゃないのかと思われそうな有様でした。「白鳥」も番組表では「瀕死の白鳥」のタイトルで出ていました。
 新田さんは「別に全然構わないと思うよ」と笑っていましたが、こういう体裁の不整合は、私にとってはかなり気持ちの悪いことで、次の機会があったらちゃんと校正をさせて貰おうと決意した次第です。

 5月21日レ・サンドワによる『いのちの渦紋』初演、6月11日クール・アルエットが出演した新宿区の合唱祭、6月18日板橋区演奏家協会「ドン・ジョヴァンニ」公演、翌19日平塚合唱連盟『星空のレジェンド』再演、7月2日にはコーロ・ステラの定期演奏会、7月10日東京都合唱祭Chorus STが出演……さらに葵の会『くるみ割り人形』8手連弾版再演(4月23日)、芙蓉合唱団『白の地平線』混声合唱版初演(4月24日)、みずほ合唱団『ビートルズコレクション』再演(6月25日)と、ここ何ヶ月か、私の関わる演奏会が目白押しに相次いだ気がします。「さらに」からあとのものは本番を聴きに行っただけですが、前のものは多かれ少なかれリハーサルにも足を運んでいます。
 6月中などはいろんなイベントのリハーサルや準備が錯綜して、なんだか頭が煙を吐きそうなほどの騒ぎでしたが、それもようやく終熄を迎えました。
 8月中には特にこの種のイベントはありません。書いたり打ち込んだりするほうの仕事はいろいろあるのですが、ひとまず骨休めをしたいものだと思います。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

新田惠

深入りさせてしまった新田です(笑) コンサートに来てくれた友人からこのブログを教えてもらいました(^^ゞ 中途半端に遠慮してしまったようで(笑)次回にはがっぷり四つでお願いいたします!!・・冗談はさて置きm(_ _)m本当に、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします
by 新田惠 (2016-08-04 19:18) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0