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4度目のリフレッシュの旅(1) [旅日記]

 忙しい日々が続き、少し骨休めをしてきたいと思ったのですが、なかなか暇がとれない上にあんまり財政的な余裕もありません。せいぜい2泊が限界のようです。
  マダムも連続した休みをとるのが難しくなっています。いままでやっていた子供相手のピアノ指導に加え、最近はとある全国チェーン学習塾の採点スタッフの仕事をはじめ、週に2回は通わなければなりません。夏休みでも塾は休みにならず……というよりも夏休みこそかき入れ時です。もちろんあらかじめ断って休みをとることは可能ですが、時給仕事なので休めば休んだだけ給料が減りますから、そう簡単に休むわけにもゆきません。
 そんなわけで、今年から新設された休日「山の日」である11日(木)にひっかけて、おなじみ竜王山梨県甲斐市)のリフレッシュガーデンクレストホテルに行ってくることにしました。マダムの仕事は月曜と木曜で、それが祝日にあたる場合は自動的に休みになります。その次の日である今日(12日)は予定があるので、9日(火)に出かけて11日に戻るという日程を組みました。
 リフレッシュガーデンクレストについては、日誌でも何度か書きました。本体はスーパー銭湯(いちおう温泉ですがいわゆるボーリング温泉です)で、それに宿泊施設が附属したようなところで、驚くほど低価格で泊まれ、滞在中風呂に入り放題という嬉しい宿なのでした。風呂に行くたびに受付で洗濯済みのバスタオルとタオルを渡されるので、ほとんど手ぶらで行くこともできます。
 ワイン風呂薬草風呂が名物で、ここを見つけたのも、マダムがワイン風呂に入りたいと言い張って検索してみたおかげでした。距離的にも手頃で、ちょうど青春18きっぷを使って元が取れるくらいの場所になります。
 いままで3回泊まったことがありますが、毎回満足しました。それで4度目の利用をと考えたわけです。

 この宿、毎年のように行っていたような気がしていたのですが、前回行ったのはなんと2013年5月のことで、かれこれ3年3ヶ月ほども経っていたので驚きました。最初に行ったのが2010年の夏、翌11年の夏にも行き、12年の夏は行かずに上記の13年5月に3度目、それっきりご無沙汰していたのでした。13年の夏はどうしていたのかと日誌を確認したら、1泊でローカル私鉄乗りまわし旅行などに出ていたので、竜王には出かけなかったようです。14の夏は健康ランドのハシゴをしており、趣きが似ているので竜王はやめたのでしょう。15年の夏は北海道にわりと長く行っていたので、その他の旅行は自重しました。そんなわけで、ずいぶんしばらくぶりであったのでした。
 そして、そのご無沙汰を思い知らされることになりました。予約しようとしてリフレッシュガーデンクレストを検索したら、なんと閉館していたのです。
 と言っても、施設自体が無くなったわけではありません。リブマックスリゾートというホテルグループの傘下に加わったようで、名前も「リブマックスリゾート甲府」と変わっていたのです。本当は甲府ではないのですが、千葉にある空港を新東京国際空港と呼ぶようなノリでしょう。それにしても、3年余のあいだにこんなことになっていたとは、自分のご無沙汰を悔やみたくなります。
 名前が変わって、サービス内容がどう変わったのかは、webではわかりませんでした。風呂の種類などは前と同じようです。ただ宿泊プランがいろいろ細かく設定されたようでした。そして、細かくなった分、例えば休前日料金がだいぶ高くなったりしています。夏休み中の料金もシーズンオフより高いようです。残念ながら、前回までに感じていたびっくりするほどのお得感はやや失われたようでした。決してひどく高いというわけではないにせよ、まあそれなりの値段という感じです。今後、いままでのようにひいきする気になれるかどうか、それは今回行ってみないとわからないでしょう。

 さて、いろいろと差し迫った仕事もあったのですがなんとか片づけ、9日の朝、7時頃に家を出ました。朝とはいえ、すでに駅まで歩くだけで汗が噴き出る暑さです。
 朝出発して中央線方面に向かう場合、よく「ホリデー快速」のたぐいを使うのですが、この日は普通の平日なのでそういう臨時列車の運転はありません。夏休み中は毎日運転というようなこともあった気がしますが、少なくとも今年はありませんでした。
 それで、普通に京浜東北線電車で南浦和まで出て、普通に武蔵野線電車で西国分寺へ行き、普通に中央線快速で高尾に着きました。高尾から小淵沢行きの中距離電車に乗り換えます。
 入ってきた中距離電車を見て、がっかりしました。6輌すべてがロングシート車なのです。
 いや、JRの普通列車がロングシートばかりになっている趨勢は理解していましたが、中央線までそうなるとはショックでした。長らく中央線に君臨していた115系電車が老朽化で姿を消し、置き換えで投入されたのが211系で、これが少数の例外を除き基本的にロングシート車なのでした。時代の流れで仕方がないとは思うものの、山岳路線である中央東線を走り、古き佳き「汽車旅」の印象を残していた普通電車であるだけに、残念でなりません。
 制御車(運転台のある車輌)についているトイレの前だけがクロスシートになっており、私たちはそこに坐りましたが、足を伸ばすスペースが無くて疲れる上、けっこう混んでいてトイレにもひっきりなしに訪れる客が居り、だんだんと匂いがきつくなって閉口しました。
 何度も同じ区間に乗っている印象として、相模湖・藤野・上野原と進むごとに登山客などがどんどん下りて、大月あたりではどっと下り、あとは甲府が近くなって少し混むものの、甲府以遠はガラガラ……というのが中央線普通列車の旅客流動だったはずなのですが、さすがに夏休み中はそうもゆかず、座席が空くことは滅多にありませんでした。そのため、足が痛くなってきても、トイレの匂いが香ばしくなってきても、他の座席に移ってくつろぐというほどのことはできそうにありませんでした。
 2時間以上乗って、終点の小淵沢に着いたとき、最初の高尾から乗っていた、林間学校か何からしい小さな子供たちの一団が下りてきたのを見て、驚きました。特急を使わせろという気はありませんが、ずいぶん長時間乗せているものです。
 その他にも、高尾からずっと乗ってきたような客がけっこう居ましたし、全体として電車から下りた客はかなりの数になりました。私たちはここで小海線に乗り換えるつもりだったのですが、もしかしてこの人数がすべて小海線に乗るつもりではないかと若干戦慄を覚えました。6輌編成の中央線電車から2輌編成の小海線ディーゼルカーに殺到すると、小海線は都会のラッシュアワーもかくやという混雑ぶりになります。そして、夏休み中などはそれが実現することが非常に多いので、つい警戒してしまいます。
 幸い、半数以上は小淵沢駅の出口に通じる階段を下りてゆきました。それでも小海線に乗り換える人の数はかなり居て、移動が遅くなった人は坐れませんでした。私たちは幸い坐ることができましたが……。
 もっとも、下りる予定の駅は隣の甲斐小泉です。坐れなくともたいしたことはありませんでした。隣と言っても7キロ以上離れており、しかも急坂を上るために10分近くかかるので、川口駅から西川口駅まで乗るのとは話が違います。いまは軽快気動車を使用するようになってスピードアップしましたが、旧式のキハ40系などの頃はあえぎあえぎの登坂で、いくらエンジンをふかしても一向にスピードが出ず、同じ区間が20分近くかかったものでした。

 前々回──と言ってももう5年前になるわけですが、やはり竜王に行く前に、清里でしばらく遊んだことがありました。そのときに、甲斐小泉の駅前で平山郁夫シルクロード美術館を見かけ、いずれ立ち寄ってみたいと思っていたのでした。今回、その念願が果たせたわけです。
 平山郁夫シルクロード美術館は12年前に開設されたそうですが、それが駅前にできる以前は、いったい何があったのだろうかと首を傾げたくなるほどに、甲斐小泉の駅前は美術館以外になんにも見当たらないスペースでした。美術館のおかげで陸橋のようなものができたのですが、これがまったく場違いに見えるくらいひなびた小駅です。
 美術館に附属したカフェがあるらしく、そこで昼食をとろうかと考えていました。カフェには外から入れるので、その入り口まで行ってみたところ、メニューは飲み物の他はお菓子ばかりで、食事はできそうにありません。
 陸橋をはさんで反対側に、ごく小さなレストランがあり、美術館の入り口にも看板が出ていました。駅前で食事をしようとすると、そこくらいしか無いようです。このあたりは別荘地でもあるので、クルマがあれば行ける店などもいろいろあるのかもしれませんが、駅から見渡した限りにおいては、他に飲食店がある様子ではありません。
 やむを得ず、そのレストランに行きました。扉を開けて中に入っても、誰も居ないので、
 「こんにちはぁ」
 と声をかけると、マスターが出てきて
 「中は予約で塞がってるんですよ。外の席なら大丈夫なんですが」
 と申し訳なさそうに言います。扉の外に、2卓ほどテーブルの置かれたテラス席があり、その片方で家族連れが食事をしていました。
 陽差しが強いので、外の席ではどんなものかなと私はややためらいましたが、マダムはテラス席が好きで、いそいそと空いたテーブルに坐りました。坐ってみると白樺の木の陰になっており、吹き抜ける風は実にさわやかでした。
 中と外とではメニューも違うようで、中ではちゃんとしたコース料理だけ供することになっていました。外の席ではキッシュやシチューなどの軽い食事(メニュー表にちゃんと「軽いセット」などと書いてありました)だけになります。マダムはキッシュを、私はシチューを頼みました。
 添えられたサラダのおいしいこと。たぶん野菜は自家栽培でしょう。メインの料理も濃厚な味でした。ただし値段の割には量が少なめであったようですが、メニュー表に「軽いセット」と書いてあるので仕方がありません。
 私たちが食べているあいだに、中の席を予約した団体らしい人たちがぼつぼつと来店しはじめていました。わりとはじめのころに入っていった老婦人が、妙に通る声で携帯電話で話しているのが外まで聞こえてきました。
 そのときはもちろん気がつかなかったのですが、その老婦人は美術館の館長である平山美知子さんであったようです。あとで美術館の中で、7、8人の若い者にとりまかれて何やらしゃべっているところに行き会って、さっきの通る声のオバアサマであったことがわかったのでした。平山館長はもちろん平山郁夫画伯の奥様です。画伯が東京藝大を出るとき、卒業制作では第二席であって、第一席はこの奥様だったというのだからびっくりです。結婚後は世界中飛び回っている夫君を支え続けましたが、ご自分でも絵筆をまったく絶ったというわけではなく、少しは描いていて画集や絵本なども出しているとか。
 美術館はいくつかの展示室に分かれ、最初のコーナーはガンダーラを中心とした仏像が展示されていました。国産のもひとつふたつあり、見較べてみると、インドや中央アジアあたりの仏像というのは、日本のものよりずっと「顔が濃い」ことに気づきました。眼窩の落ちくぼみかたとか、何より鼻の形が違います。明らかにコーカサス系(白人系)の、ワシ鼻になっているのがわかります。
 あと「シルクロードの名宝」という展示もありましたが、残りはほとんど平山作品です。「奥入瀬渓流」「大シルクロード・シリーズ」などの大作も展示されていました。スケッチのたぐいも多く、昭和41年にカッパドキア地方を訪れたときのものなど、同じ日付が入った風景スケッチや人物スケッチがやたらたくさんあり、ものすごい勢いで次から次へとペンを走らせていた若き画家の姿を髣髴とさせました。平山画伯の制作方法は、ラフスケッチであらかじめ構図を決めてから、それを拡大する形でキャンバスに定着するというやりかただったようです。風景にしろ人物にしろ、まず線画としてとらえているあたり、やはり本質は日本画家であったことを偲ばせました。
 晩年はやや中国に入れ込みすぎて批判を呼ぶ行動もありましたが、タリバンによるバーミヤン大仏の破壊に率先して非難の声を挙げるなど、シルクロードをこよなく愛した画家であったことは間違いありませんでした。
 それにしても、画伯の声はイスラム原理主義者たちに届いたのでしょうか。イスラム原理主義の立場から言えば、具象的な画像や彫像はすべて神から禁じられた偶像なのであり、大仏を壊すことになんのためらいもなかったはずです。また、「偶像制作者」である画家がどれほど批難しようと痛くもかゆくもなかったのではないかと、私には多少の哀しみと共にそう思えてなりません。

 カフェでしばらく休憩してから、小海線のディーゼルカーにまたひと駅乗って小淵沢に戻りました。やや時間があったので駅前に出て、土産物屋などをひやかし、中央線の上り電車に乗って竜王へ。
 はじめて来た頃、この駅は工事中で全貌がよくわからなかったのですが、すっかり完成し、なかなかしゃれた駅舎と駅前広場になっていました。
 まだわりと時間が早いので、いつも宿への道として使っている大きな車通りを避けて、ショートカットできるのではないかと考えて住宅地の中の小径を辿ってみました。結論から言うとショートカットは無理で、かえって時間がかかり、汗びっしょりになって宿に到着しました。甲斐小泉の駅前の風は涼しかったのに、竜王まで下りてくると空気がべとつきます。
 荷物を置いて、何はともあれ風呂に入りました。風呂場の窓から眺めて、前回までさんざんお世話になった「スーパーやまと」の看板が見当たらないことに気がつきました。
 いままで、宿で食事を頼んでおらず、朝食とか、着いた日の夕食とかは、もっぱら風呂場から見える地元チェーン「スーパーやまと」で買い込んで来て部屋で食べたものです。この、日常と非日常が微妙に混ぜ合わさったような空気感が、マダムも私もなかなか好きなのでした。
 マダムは私よりもう少し細かく見ていて、「スーパーやまと」の手前にあった「スタジオアリス」の看板の向こう側が更地になっていて、クレーン車などが停まっていたところまで風呂場の窓から確認していました。
 「そういえば……」
 とマダムが言ったのは、「スーパーやまと」の隣にあったはずのホームセンター「ケイヨーデイツー」が、竜王の駅前に移動していたという事実でした。店舗が増えたのかと思ったものの、どうも以前の位置から移転したということであったようです。そして、その駅前のケイヨーデイツーの隣に、どうもスーパーマーケットらしい建物が並んでいたというのです。
 マダムがスマホで調べてみると、やはり「スーパーやまと(富竹新田店)」は今年1月に閉店していたとのことでした。代わって、駅前にやはり地元チェーンである「おぎの」が開店したのだとか。
 ふたつのスーパーマーケットは2キロ近く離れており、私の住んでいるあたりの感覚で言えば競合するなんてことも無さそうなのですが、この辺の住民はみんなクルマで買い物をしているのでしょう。それなら2キロの差などほとんど問題になりません。「やまと」は「おぎの」と競合し、敗れてしまったのです。3年3ヶ月来ない間に、いろいろ起こっていたのでした。
 それにしても買い物をしてこないと晩に食べるものがありません。仕方なく駅前の「おぎの」まで歩いて食糧を買い込んできました。「スーパーやまと」に較べると3倍くらい遠いので、また余計な汗をかいてしまいましたし、途中急な雨も降ってきて、傘を持ってきていなかった私は「おぎの」の隣のケイヨーデイツーで急遽傘を買わなければなりませんでした。
 なお、宿は単純に「リブマックスリゾート」チェーンのフランチャイズになったというだけのことで、改装すらした形跡はありませんでした。この宿の本体である風呂場も記憶にあるとおりです。ただ入浴時間が少し変わって朝9時から入浴できるようになったのと、日替わりで薬草を入れていた薬草風呂が、毎日同じ成分になっていたくらいが変化でしょうか。それから、スポーツジムだったところがゲームセンターに変わってしまっていました。これについてはマダムが非常に残念がりました。

 2日目(10日)は、朝食と朝風呂のあと、前回も歩いて行った信玄堤まで散歩しました。これは少々失敗で、前回は5月はじめのさわやかな季節だったから良かったので、真夏の炎天下に散歩できるようなところではありませんでした。陽差しは強いし、道路の照り返しだけでも日焼けしそうな熱気です。
 散歩してきてから宿の近くのそば屋で昼食をとり、その足でバスに乗って甲府まで行く予定だったのですが、昼食のあと、マダムは汗びっしょりなので一旦部屋に戻りたいと言い出しました。そう言われれば私も着替えたいところです。
 部屋に戻って、昼風呂に入り、そのあと衣類のいくぶんかを、宿のコインランドリーで洗濯しました。予想外に汗をかき、下着などの替えの枚数が微妙になってきたからです。
 乾燥を待つうち、マダムも私も軽く眠気を催し、昼寝をしてしまいました。時間も経っており、甲府の街に出るのも面倒くさくなって、結局前の晩と同じく駅前の「おぎの」へ行って飲み物などを仕入れたのち、宿の近くのステーキハウスで夕食をとりました。
 そのあと、マッサージを受けました。最初に来たときにタイ古式マッサージをはじめて受け、すっかり気に入って、毎回頼んでいます。これまでは40分コースだったのを、今回は奮発して60分頼みました。どこがどのくらい延びたのかよくわかりませんが、終わるとからだのあちこちが動きやすくなっていることを感じました。

 この項、続きます。


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