SSブログ

花火の話 [いろいろ]

 今日は8月の最初の土曜日で、近くの戸田板橋で恒例の花火が上がりました。19時頃から、うちに居ても腹に響くような花火の打ち上げ音が伝わってきました。
 残念ながら、私の家の窓からは花火は見えません。集合住宅の1階で、どの窓もほぼ他の建物で覆われています。前に月見や月蝕見をしたときのように、非常階段で5階くらいまで上がってみても、たぶん方角の関係で見えないと思います。
 花火は西側で上がっているわけなので、荒川の土手まで行けば見えるはずです。いつも初日の出を荒川の土手で見ていますが、私の住まいのあたりでは荒川はほぼ東西に流れているので、東にもひらけていますが、西の展望もなかなかのものです。初日の出を見たあとで振り返ると、たいてい富士山がよく見えます。
 ちょっと外に出かけていたマダムが帰ってから、夕食を食べに出ることになっていたので、そのついでに一旦自転車で荒川土手に出てみることにしました。
 前も土手で見たことがありますが、川の曲がり具合の関係で、右岸から見たほうが迫力があります。荒川の右岸というのは東京都側で、荒川大橋を渡って向こう岸に行かなければなりません。うちからだと2キロ近くあり、花火見物を主目的として出かけるならともかく、夕食のついでに見る程度であれば、そこまで行く気にもなれません。
 左岸、つまりこちら岸でもある程度は見えるでしょう。それで今夜は、家から南下して土手の下まで行き、普通は橋のある左側(下流側)に向かう道を走るのですが、反対の右側(上流側)に向かって土手を上る道を辿ってみました。
 同じことを考えていた人はけっこう居たようで、土手から下りてくる人とずいぶんすれ違いました。こちら側は街灯がほとんど無く、乗っている自転車のライトだけが頼りみたいな暗さでした。人はなんとかよけられましたが、危うく犬を轢きそうになりました。
 右側に向かって上ると、お寺の駐車場になっているある程度のスペースがあります。荒川の河原には善光寺というお寺があります。「牛に牽かれて善光寺参り」の善光寺はもちろん長野県ですが、その信州善光寺の阿弥陀三尊定尊という坊さんが模造し、それを本尊として定置したのがこの武州善光寺です。鎌倉幕府ができて間もない建久8年1197年)に開基されたそうですので、模造の本尊とはいえ相当に由緒のある名刹です。川口駅から私の家に向かうときに通る道は善光寺通りと言い、もちろんこの善光寺にちなんでいます。
 それはともかく、駐車場が土手の上にあるので、そこがちょうど花火見物スポットになっており、人が集まっていました。とはいえ、前に右岸の土手に行ったときのような雑踏というほどではありません。良い感じの人出です。
 荒川の上流側は少し北西側に湾曲しているようで、左岸側から見ると花火はやや建物の影がかぶっているような見えかたになっていました。高度の低い打ち上げだとちょっと隠されることもありましたが、まあ不満が無い程度には見えました。近い戸田の花火と、遠い板橋の花火とが、ほぼ同じアングルで見えたので、サイズの違う花火が競演するような形になっており、なかなか豪華な印象を受けました。
 花火大会はほぼ1時間ほどで、20時にはだいたい終わります。最後の1発の前に少し準備時間があったようで、私たちもそのあたりで引き上げました。家を出たのがもう19時半を過ぎていたため、ほんの20分足らずの見物でしたが、夏の風物詩を堪能した気分になりました。
 土手を下りて、道路を走っているときに、おそらく最後の大花火と思われる衝撃がズシンと響きました。

 花火を見るのは嫌いではありませんが、わざわざ事前に出かけて場所取りをしたりするほど熱心ではありません。有名な隅田川の花火大会など、ほとんど身動きとれないような状態になっているようで、これは隅田川沿いのマンションに住んでいる人と友達になって招待して貰うか、あるいは毎年おこなわれているテレビ中継で見るくらいが現実的なところでしょう。あとは目の玉の飛び出るほどのお金を払って屋形船にでも乗るか。こちらも、花火大会当日などはあっという間に予約がふさがるに違いありません。
 やはり有名な、長岡信濃川の花火は、幼稚園の頃に1度、浪人生だった夏に1度、ちゃんと場所を確保して見たことがあります。ただし幼稚園児だったときはもちろん、浪人生だったときも、自分で確保したわけではありません。
 幼稚園のときというのは、当時私の家族が長岡に住んでいて、それで見物に行ったのでした。一方浪人生のときは、どういう理由であったか親戚が集まる機会があって、浪人中で暇だった私も参加したのであったと記憶しています。長岡は父方の祖母の郷里であって、親戚というのもそちらのつながりであったようです。そのとき以外ほとんど会ったことのないようなハトコの何人かとも会いました。祖母の実家であったと思われる古い家に泊まりましたが、ちょうどその晩が花火大会だったのでした。
 信濃川の河原は、隅田川ふぜいと較べるとはるかに広大です。また、いくら有名とは言っても田舎の大会ですから、そんなにむちゃくちゃな人口密度になるわけではないのでした。わりと余裕のある見物席でした。明るいうちから河原に出ているのですが、夕闇が濃くなるにつれ、やたらとコウモリが飛び回っていたのが印象に残っています。なんだかあちこちかゆくなるような大群でした。
 なおコウモリは東京にもいくらでも居り、石神井川のほとりで群舞しているのを見たことがありますが、意外と
 「コウモリなんか、見たことない」
 という人が多くて驚きます。必ず見ていると思うのですけれども、おそらく抱いているイメージと違うので気がつかないのでしょう。
 見たことない、と言っている人がイメージしているのは、たぶんドラキュラなんかと一緒に出てくる大型のコウモリなのだろうと思います。オオコウモリメガバット)だと翼長2メートルにも及ぶヤツが居り、まさにドラキュラのモデルだなあと納得させられますが、そこらで見かけるのはアブラコウモリとかキクガシラコウモリなどで、せいぜい5センチくらいの大きさです。高速で飛び回るので形がとらえづらく、蛾でも飛んでいるように見えるかもしれません。しかし飛ぶ軌跡が蛾とは異なっており、鋭角的に方向転換し、稲妻みたいな形を描いて飛ぶので区別できます。
 実は日本国内に棲息する哺乳類の中でいちばん種類が多いのがコウモリ類なのだそうです。約100種類の国内産哺乳類の中で実に35種を占め、24種のネズミ類を抑えて堂々一位なのでした。種類が多いだけに個々の種を見ると絶滅危惧種にあたるものも少なからずあるようですが、ことアブラコウモリに関しては、都会のヒートアイランド状態が繁殖に適しているらしく、かなり増えているとのこと。
 蚊などをエサにするので、その意味では益獣と言って良いのですが、人家の近くで繁殖するようになると、その糞尿の臭気が気になったり、糞尿からダニが湧いたりと、いささか迷惑なことも増えてくるらしいのでした。そういえばツタンカーメンの呪いなどと言われたのは、ミイラに塗られていたコウモリの糞に含まれていたバクテリアのせいで発掘者が次々病に倒れたのだ、なんて説も聞いたことがあります(真偽のほどは定かでありません)。
 うちの近くでも以前はずいぶん見たのに、最近は数が減ったと思ったら、増えすぎて駆除されてしまったようです。実害があったというより、気味が悪いと思う人が多かったのではないでしょうか。
 吸血鬼のイメージが伝わるまでは、日本では別にコウモリを気味悪がる人は居なかったようです。家紋に採り入れた人なども居るほどです。南米などに何種類か、吸血コウモリが居るそうですが、たいていは家畜などから血を吸うだけで、人間を襲うなどというのはまず滅多に居るものではありません。また襲われたとしても、蚊に刺されたのよりもうちょっと多量に吸われるという程度の話です。少なくとも日本には、人間を襲うコウモリなどは一種も居ないので、あまり邪険にしないほうが良い気がします。
 話が大幅に逸れました。群れをなして飛んでいるコウモリの姿も、だんだんと判別できなくなる頃になって、花火大会がはじまります。
 他の大会をよく知らないので、信濃川の大会だけなのかどうかもわかりませんが、打ち上げる前にスポンサーの名前を読み上げます。株式会社なんたらとか、なんたら工務店とか、なんたらストアとか、中にはずいぶんたくさんの企業が名前を連ねていたりします。それをかなり大音量のスピーカーで流しています。戸田の花火では、そんなに打ち上げ場所の近くには行っていませんが、たぶんそんなアピールは大々的にはやっていないような気がします。
 こういうときに打ち上げられる花火は、1発10万円くらいするらしいので、確かにスポンサーがつかなくてはやってゆけないでしょう。100発上げれば1000万円が、夜空に散って、文字どおり煙に消えるわけです。ぜいたくな催しであることは間違いありません。
 最後に近づくと、ナイアガラというのがはじまります。打ち上げ花火ではなく、信濃川にかかる長生橋から川面に向けて、炎が滝のように流れ落ちるというものです。数百メートルの幅を持つ仕掛け花火で、見事なものでした。これがはじまると、もうじき大会も終わりという感じで、このあとに四尺玉のような大きなのが打ち上げられてお開きになるのでした。

 花火の制作技術は、日本が圧倒的に進んでいるようです。外国では、なかなか日本の花火のように形が整ったものは打ち上げられないのだとか。ちゃんとした球形に爆裂するだけでも、けっこう大変な技術を要するのでした。まして、これほど色とりどりのものを打ち上げるとなると、相当に難しいと思われます。
 日本でも、江戸時代までは単色でした。「玉屋」「鍵屋」のかけ声はいまに残っていますが、その玉屋や鍵屋が打ち上げたのも単色花火です。色とりどりになったのは明治以降だそうです。
 西洋ではもっとあとまで単色で、爆裂もしょぼかったようです。ヘンデル「王宮の花火の音楽」という曲があり、大変壮大な音楽なのですが、花火自体は、現在のわれわれの眼から見ればさほどのこともなかったと思われます。
 またドビュッシー『前奏曲集』の最後を飾るのが「花火」で、マダムの十八番だったりするのですが、この花火も日本の花火大会のようなものを想像すると間違います。最後のほうで「ラ・マルセイエーズ」が聞こえてきたりするのでやはり壮大な祭りのシーンには違いないのでしょうが、打ち上げ花火はまだ単色だったはずですし、それに音楽としての描写を見ていくと、ネズミ花火とか爆竹などをイメージしたと思われる箇所も多いのでした。
 それに日本では花火は真夏のものという印象がありますが、ヨーロッパでは必ずしもそうでもありません。例えば英国で花火といえば真っ先に思いつくのはガイ・フォークス・デーで、これは11月5日です。エリザベス1世の時代に爆薬テロをたくらんだ男が摘発された日だそうで、後世これを記念して、夜通し花火を打ち上げるようになったとか。英国の11月5日では、もうほとんど真冬みたいなものでしょう。
 一方フランスでは、花火と言えば革命記念日でしょう。7月14日ですので、こちらはまあ夏ですが、真夏とは言えません。一昨年の革命記念日、花火大会を見ていた観客の群れの中にトラックでつっこんで80人ほどを殺したニースの無差別テロは衝撃的でしたね。
 他の国についてはつまびらかにしませんが、各国で「『花火』と言えばどんな季節を思い浮かべますか?」とアンケートをとってみたいような気もします。案外、真夏というのは少ないかもしれません。

 華やかな打ち上げ花火も素晴らしいものですが、手持ちの線香花火なども嫌いではありません。以前、合唱団の合宿などで海辺や湖畔に行ったときにはよくやりました。不思議なことに、こちらの花火は夏の終わり近くというイメージがあります。微妙に寂しさみたいなものがあるからかもしれません。
 そういえばもう何年も、花火遊びはやっていません。たまにやってみたいようにも思います。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。