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ハギビス襲来 [日録]

 「大型で非常に強い」颱風19号「ハギビス」は、私の住んでいる埼玉県南部でも昨夜ごろから雨を降らせはじめ、今日一日土砂降りの大雨を降らせつつ夕方に日本に上陸しました。前触れが非常に長かったのが、この颱風の巨大さを示しているようです。
 街は昨日からてんやわんやで、昨夜立ち寄ったスーパーマーケットなどでは、パン、おにぎり、弁当、カップ麺、袋麺のたぐいがことごとく売り切れていました。ハングルの印刷された辛ラーメンが少し残っていたくらいです。
 電車は計画運休に入ると言うし、店舗は休業するところが多いと言うし、いい加減みんな頭に血が昇り過ぎではないかと思ったほどです。
 過去100年で最大の颱風などという話もありましたが、そんなにびびらなくても……と苦笑しました。
 まあ、直近に颱風15号というのが来て、千葉県の送電塔を吹っ飛ばして長期にわたる大停電を惹き起こした記憶が新しいので、警戒するのも無理はありません。こと災害に関しては、過剰防衛くらいがちょうど良いのかもしれません。
 土曜日は、私は毎週ピアノ教室に出かけています。今日は生徒がふたり来る予定になっていました。しかしそのうちひとりからは、前日の朝に早々と欠席の連絡がありました。もうひとりからなかなか連絡がないので、もしや来るつもりではあるまいか、それだったら私も教室へ足を運ばないとならないな、とやや気重だったのですけれども、Chorus STの練習を終えて帰宅したら、パソコンのほうにメールが入っていました。いつも携帯電話のCメールで連絡をよこすのに、珍しくパソコンによこしていたので気がつかなかったのでした。これで、出かけなくて良くなりました。
 マダムの予定もすべてキャンセルとなり、ふたりして在宅ということになりました。まあどちらか出かけたりしていると、残ったほうが心配しますから、それで良かったのでしょう。今回に関しては、家に残った側のことも心配かもしれません。100年で最大というのが本当だったら、もしかして床上浸水くらい起こるかもしれないからです。
 マダムは昨夜、いやにテンションが上がっていて、パンや弁当が姿を消したスーパーマーケットでも、あれやこれやと買い込もうとしていました。いったい何日籠城する気かと思い、買おうとしている品物ことごとくを棚に返させました。彼女もいささか頭に血が昇った状態であったようです。それと共に、床上浸水したら、部屋の床に散らかっている衣類や書類などが全部ダメになるのでどうしよう、とえらく心配していました。とはいえ帰宅しても特に衣類や書類を片づけようとはしていませんでしたが。
 テレビを見ても、警戒を呼びかける番組ばかりです。だんだんものものしい気分になってきました。

 ひと晩明け、朝から大雨です。風もだいぶ強いようで、大型颱風の到来が予感されました。
 一昨日の朝から、私の家から至近のところにコンビニエンスストアが開店しました。コンビニというのは栄枯盛衰の烈しい業界で、わりに近いところにミニストップがあったこともあるのですがいつの間にか廃業してしまったりしています。しかし過去を通しても、これほど近いところに開店したことははじめてです。マダムは時ならぬ時に時ならぬものを食べたがったり飲みたがったりするので、これは便利だろうと思いました。うちから500メートル圏内くらいにセブンイレブンファミリーマートローソンがあるのですけれども、夜中なんかだとやはり心配です。その点、新しくできたローソンは、真夜中の2時3時であっても女性ひとりで余裕で行ってこられるくらい近いのでした。
 マダムはそのローソンがどうなっているか、様子見に出かけました。セブンイレブンは今日は颱風到来地全店舗が休みになっており、ローソンとファミマは店舗ごとの判断に任せるということだったようですが、新しいローソンはオープンセール中だったせいか閉めてはおらず、それどころか大変なにぎわいであったとか。目と鼻の先へ行ってくるのに、30分近くかかっているので、もしかして途中で転倒でもして動けなくなっているのではあるまいかなどと心配していましたが、単純に店が混んでいただけだったようです。
 「駅前のマルエツが休みになってるし、ここが開いていて助かったよ」
 などと言っているご老人も居たそうです。昨日のマダム同様いやにテンションの高いレインコート姿の娘を連れたパパなんかも居たようでした。駅前ビルのキュポ・ラに入っているスーパーのマルエツは、休業することを昨日から予告していました。その隣にセブンイレブンがあるのですが、上に書いたとおりここも休業しています。マルエツからセブンイレブン側に入った人が、そのまま道をまっすぐ歩いてくると、この新しいローソンに到達するので、助かったという人も多かったのでしょう。
 午前中は電車が行き来する音も聞こえましたが、昼過ぎからはそれも聞こえなくなりました。計画運休がはじまったようです。教室へ行かなければならなかったとしたらどうなっていたことやら。私の常用している国際興業バスは、特に運休にはならなかったようですが、おそらく慎重運転で、ふだんよりもずっと時間がかかったでしょう。埼玉高速鉄道のほうは、17時くらいまで動いていたらしいので、往路は大丈夫だったでしょうが、復路は微妙です。いずれにしろ、駅やバス停への/からのアクセスがけっこう歩くので、それだけで濡れねずみになってしまったことでしょう。すぐ近くのローソンまで往復しただけのマダムもけっこう濡れてしまっていたのです。
 マダムは日がな一日テレビを点けっぱなしにしていましたが、どのチャンネルも颱風情報を頻繁に入れており、繰り返し
 「今まで経験したことのない大雨」
 とかいう表現で警戒を訴えていました。巨大な颱風だとは思いますが、そこまで大げさな表現で言うべきことだろうかと首を傾げました。どうも私は、他人がテンションが上がるのを見ていると、かえって冷静になるたちであるようです。

 夕方になるにつれ、警戒地域も増え始めました。私のところで心配すべきなのは、荒川が氾濫することです。荒川はその名のとおり、昔はけっこうな暴れ川で、しょっちゅう洪水を惹き起こしていました。特に川口の対岸の岩渕のあたりでは、新河岸川という支流が合流して来るというのに、もともとは隅田川1本で水量を引き受けなければならなかったので、その下流域では被害が大きかったのです。
 明治43年夏に、ふたつの颱風が重なったために、荒川は全域に渡り大氾濫を起こし、利根川多摩川などと合わせて死者千人近い大惨事となりました。これをきっかけに荒川の大規模な治水が試みられ、17年に及ぶ大工事の末、昭和5年に至って、千住・平井・船堀などを経由して葛西の海岸に達する大がかりな放水路が完成したのでした。現在はこちらのほうが荒川の本流として扱われており、隅田川のほうが放水路扱いです。
 それ以来、荒川は滅多に氾濫しなくなりましたが、昭和22年カスリーン颱風の際には土手が決壊して大きな被害があり、そののち上・中流域にもダムや調整池がたくさん作られました。このため武蔵野線川越線の荒川橋梁はやたら長くなりました。もう少し上流の御成橋のあたりでは両岸の堤防の間隔が2537メートルに達し、この川幅は実は日本最大なのだそうです。
 それでも水利関係者はいまだに荒川に関する警戒を怠りません。岩渕水門のあたりで東京側に決壊したりすれば、丸の内大手町あたりでも危ないと考えられています。
 幸い、私が川口に住んで33年間、荒川が氾濫して住んでいるあたりが水浸しになったということはいちどもありません。街中が水浸しになったことは1、2回あって、たまたま自転車で外出中だったので水を切って走るのが楽しかったりしたものでしたが、これは急激な夕立で降雨量が下水処理能力を上回ったためであって、荒川の氾濫ではありません。それでも街を歩いていると、電柱のずいぶん高いところに水害時の最高水位をあらわす赤いテープが貼られていたりして、思わず見上げて茫然とすることがあります。
 歴史と経験に鑑み、たぶん大丈夫だろうとは思っていましたが、聞こえてくるテレビの音声でさかんに不安をあおられると、やはり心配にはなります。気象庁のサイトなどをちょくちょく呼び出して、様子を窺いました。また2時間にいっぺんくらい、ドアを少し開けて外を見ていました。夕方以降になると、窓を開けて外の様子を確かめるのも危険なのでやめるようにという警告が出はじめましたが、それは風や雨が直撃するからでしょう。うちのドアを開けてもマンションの廊下なので、特に危険はありません。まあ、水がつきはじめていたら、開けた玄関から浸水してくるかもしれませんが。
 とりあえず外の駐車場にも水がたまっている様子は無いので安心しました。マンションには縁の下というものが無いので、床下浸水の段階を経ずにいきなり床上浸水するのではないかという不安がありますが、若干の盛り土はしてあり、駐車場の地面より10センチほどは高くなっています。つまり駐車場の地面に水がついていない限りは、家の中も大丈夫だということです。マダムがやたら心配しているので、私もちょくちょく確かめざるを得ませんでした。

 18時半頃、ついに19号は伊豆半島に上陸し、関東へ向かって動きはじめました。
 多摩川では、とうとう氾濫が起きたようです。
 荒川はどうかというと、熊谷あたりが早い時期から警戒区域となっていました。川口に近いあたりは水防団の監視区域となっていて、そんなにあわてるような段階ではなかったのですが、それとは別に、川口には細かい水路がけっこう縦横に流れているので、そちらがあふれる可能性が高かったのかもしれず、やはり警戒地域となりました。市内には荒川の支流である芝川・新芝川をはじめ、堅川とか毛長川といった小河川がいろいろあります。芝川や新芝川にはまだ土手が作られていますが、堅川や毛長川になると沿岸にほとんど余地が無く、自転車で近くを走りながら、このあたりがあふれたら大変だろうなと思ったことがよくあります。
 川口市が警戒区域とはいえ、細かく見ると避難勧告が出ている地区とそうでない地区があります。青木や横曽根といった、わりと近接した地域には避難勧告が出ているのですが、私の住んでいるあたりは無事であるようです。標高にはほとんど差がないと思われるのですが、こういうのは下水処理能力の差なども関係しますので、まあ水がつくことは無さそうだと判断しました。
 19号は意外と俊足であったようで、一日中響いていた雨音が、22時くらいになるとぴたりとおさまりました。外を見てみると、雨はもうほとんど降っていません。ただ風が強いので、そこの注意は必要でしょう。また河川の氾濫というのは、雨よりも少し遅れて来ることもあるので、まだ警戒は怠れません。
 ネットの颱風情報を見ると、すでに颱風の中心は首都圏を通り抜け、北関東方面へ抜けはじめているようでした。時速30キロくらいで動いているのだと思われます。これが鈍足で、ひとところに居坐られたりすると、前の広島のような大惨事になってしまうわけですが、関東地方は平野ばかりで颱風の進行を阻む障害物もほとんどありません。
 これから北関東から東北にかけては大変でしょうが、さしもの19号も、そろそろ勢力が弱まりはじめる頃でしょうから、充分な注意を払いさえすれば、なんとかやり過ごせるものと思います。
 残念ながら死傷者は若干出てしまったようですし、地域によってはまた停電してしまったところもあるようですが、この前みたいに送電塔が倒れたなんて話は聞きませんので、復旧も早いでしょう。やはり過剰警戒くらいで良かったのです。市原あたりでは、竜巻が発生してクルマが巻き上げられ、大変なことになったらしいのですが、こうなるともう不幸な事故としか言いようがありません。警戒のしようも無いことでしょう。
 まだ完全に過ぎ去ったわけではありませんが、いちおう「大水害」には至らずに済んだと言って良いでしょう。河川の氾濫、そして洪水というのは自然現象として仕方のないところがありますが、それを「水害」に結びつけずに済ますことは、人間の力の範囲でできることです。今回はそれが良い感じで機能していたと思います。
 明日になれば各地の店舗も開きますし、電車も動き出すはずです。颱風一過ですがすがしい一日になるのではないでしょうか。

【後記】 ひと晩明けてみると、山間部などでけっこう洪水状態になっていた模様で、水害があちこちで発生していました。むしろ雨が止んだあとで河川が増水し氾濫したというケースが多かったと思われます。雨と増水は案外とタイミングが一致しないことがあるのでした。
 また、関東地方よりも、そのあとで颱風が通過した信越地方・東北地方で大きな被害をもたらしたようでした。関東地方の大雨が主に昼間から夕方にかけての時間帯だったのに対し、東北地方などでは夜中に豪雨となり、そのため逃げ遅れたりした人が多かったのでしょう。
 東日本大震災のときも、私は初日の所感がいささか甘く、翌日になって津波での被害が甚大であったことを知り愕然としたものでしたが、自然の猛威というものはやはり舐めてはいけないのだと肝に銘じるべきですね。(2019.10.13.)

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