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「第九」三昧な日々 [お仕事]

 このところ、ベートーヴェン交響曲第9番、すなわち「第九」にうなされるような日々が続いていました。
 なんと、立て続けに3種類の編曲をおこなっていたのです。
 マーラー「嘆きの歌」のときも、1899年版初演版の2台ピアノ用編曲を別々に作らなければならず、それこそうんざりするような日々が続きましたが、これは両者のあいだにある程度間隔がありました。しかし今回の3種類というのは、正真正銘の立て続けです。ひとつ仕上げると、即座に次に取り掛からなければならないという有様でした。
 うちふたつは、板橋区演奏家協会の関係です。そしてもうひとつは、川口第九を歌う会の関係です。
 演奏家協会の「ほぼ同時に2種類」というのも大概なのですが、そこに第九を歌う会の仕事が同時に発生してしまったというのが問題なのでした。
 本当に、来る日も来る日も「第九」と取り組んでいて、うなされるような日々でしたが、逆に集中して良かったようにも思えます。あいだを置いたほうが、むしろモティベーションが下がって、手間取ることになったかもしれません。とにかくこの半月ほど、寝ても醒めてもという状態でした。

 順番としては、演奏家協会の第119回ライブリーコンサートのための編曲、第九を歌う会のための編曲、演奏家協会のファミリー音楽会のための編曲ということになります。ファミリー音楽会用のだけ、少し趣向が違っていたので、あとに廻しました。
 第119回ライブリーコンサートとファミリー音楽会は、開催期日が近いため、企画そのものを共通した要素の多いものにしようというプランになったのでした。
 ライブリーコンサートのほうは、去年がベートーヴェンイヤー(生誕250年)であったにもかかわらずコロナ禍でろくな演奏会ができなかったことを鑑み、ベートーヴェン作品で固めた企画「ベートーヴェン・プロジェクト」をおこなうことにしたのです。そういえばベートーヴェン作品というのは、案外とライブリーコンサートのような場で演奏されることが多くない気もします。ピアノソナタ、弦楽四重奏曲、歌曲などが取り扱われることになりましたが、最後に「第九」を、しかも客席を巻き込んでやってしまおうということになったわけです。
 まあ本来は話が逆で、客席を巻き込んで「第九」を歌おうという発想が最初にあり、そこから「いっそベートーヴェンで固めたらどうだ」という流れになったのでした。
 「第九」演奏会というのは年末になるといろんなところで開催されていましたが、去年に引き続き、今年も長引く緊急事態宣言のため大人数での練習がはじめられず、流れてしまったところが少なくありません。運営側としてはそれもやむを得ないことですけれども、参加者としてはフラストレーションがたまっているに違いありません。そこで、衣装もつけず舞台にも並ばず、客席に居るままで思う存分歌って貰おうではないか、という思いつきから企画がはじまりました。事前練習も一切無しで、ぶっつけ本番で歌うことで気持ちを高めて貰いたいというわけです。
 大ホールの1階席をそういう人たちに開放しました。聴くだけで良いという人は2階席に行って貰います。1階席の入場料は、参加費も含めるので2階席よりも少し増額しています。
 こんな企画に乗る人がどのくらい居るだろうかと心配していましたが、案外と、すでに問い合わせや参加表明がけっこう来ているそうです。他に類を見ない「無責任『第九』」、面白そうだと思う人が多かったのかもしれません。
 ただしフルオーケストラは用意できないため、例によって私が室内オーケストラ用に編曲しなければならなかったのでした。打楽器は3人揃えたものの、木管楽器は原曲の半分くらい、金管楽器に至ってはホルンとトランペットが1本ずつというコンパクトさです。補強のためというわけでもありませんがピアノが加わることになりました。いろんな楽器が、原曲の他の楽器の役割を兼ねなければならなかったりして、ほぼ全員がかなり忙しいことになります。
 もちろん第四楽章のみです。全楽章とか言われたらさすがに私も断ったでしょう。「第九」の第四楽章は、冒頭に前の3楽章のモティーフが少しずつ顔を見せるので、それだけで全楽章の要素が揃っているとも言えます。第四楽章だけでも、なんと940小節もあります。このところ1000小節超えのオペラの一幕分などが相次いだりしたので、そんなにびっくりするほどではありませんが、それにしても厖大な曲です。「第九」の第四楽章はオペラのフィナーレのような書きかたで書かれたのではないかと、前に考察したことがあります。

 さて、先にファミリー音楽会の企画の流れについて書いてしまいます。「ベートーヴェン・プロジェクト」から1ヶ月あまりしか離れていませんし、準備のことも考えて、こちらも「第九」を扱ってしまおう、となりました。具体的に言うと、このところ毎回冒頭にやっている、名曲を10分間で聴いてしまおうという企画の一環です。一昨年にドヴォルジャーク「新世界より」全楽章を10分間におさめるという暴挙をやってみたら、案外と評判が良かったのでシリーズ化したのでした。去年はホルスト「惑星」全7曲を10分間で、今年はベートーヴェンの「運命」全楽章を10分間でやってのけました。ベートーヴェンが続くことになりましたが、直前に「第九」をやっていることでもあるし、来年は「第九」で行けば良いという話になったのでした。
 この企画、毎回合唱も加わります。「新世界より」では第二楽章が「遠き山に陽は落ちて」の歌詞をつけられてポピュラーになっているので、そこを歌って貰うことにしましたが、それだけではつまらないので、第三楽章と第四楽章の一部にも歌をつけました。そちらは仕方がないので私が歌詞をでっち上げました。
 「惑星」は原曲でも「海王星・神秘なるもの」に女声合唱が入っていますが、ヴォカリーズ(母音唱法、歌詞がつかない)なのでここも歌詞をでっち上げました。それから「木星」はしばしば歌詞をつけられてJポップの歌手が歌ったりしています。そこも活用し、他の曲でも少し導入して、歌い手にも充実感を持って貰いました。
 「運命」は原曲にはもちろんまったく歌など入っていませんが、こういう企画なので無理矢理入れました。このときは合唱だけでなく独唱も加えて、第二楽章の主要メロディーを歌って貰ったりしました。
 その点「第九」はもともと合唱付きなので面倒がありません。しかし第三楽章までをどのように圧縮するかは頭を使いますし、原曲は第四楽章だけで25分近い時間を要します。10分におさめるのはなかなか大変そうです。

 そして川口第九を歌う会のための編曲ですが、これは、上に書いたような理由(コロナ禍で練習がとれない)で、去年に引き続き今年も川口リリアでの「第九」演奏会が中止になったことに端を発します。
 2年も続けての中止ということで、メンバーのモティベーションの低下が懸念されました。それで、オーケストラを呼ぶことはできないにしろ、ピアノ伴奏で簡易な「発表会」くらいできないだろうか、という話になったようです。
 以前、故岡村幸四郎市長の追悼演奏会のときだったか、市長自身もしばしば合唱団員として歌っていた「第九」を最後にみんなで歌おうというプログラムになり、そのためにピアノ連弾版を作ったことがあります。ひとりで弾くのは練習でいつもやっているのですが、なんと言っても音がしょぼいので、連弾にして少し豪華にしてみようとしたわけです。
 ただし前半のオケだけのところは全部カットし、独唱がからむところもほぼカットし、かなりの短縮ヴァージョン(半分くらい)で演奏しました。
 しかしこれが案外と好評だったようで、今回はカット無しで、しかもピアノを2台用意したというのでした。
 連弾と2台ピアノとでは、ピアニストがやることが大幅に異なってくるので、別のアレンジにするとだいぶ負担が大きくなってしまうのですが、運営陣は「せっかく2台借りたので……」ということで、2台ピアノ版にしたい意向のようでした。そうであれば是非もありません。
 ライブリーコンサートが12月、ファミリー音楽会が来年1月なのに対して、第九を歌う会のイベントは11月です。ピアニストの練習のことも考えると、この編曲は意外と至急の仕事です。しかし、私はまずライブリー用、つまり第四楽章の室内オケ版から着手しました。作業量的に、これがいちばん手がかかりそうだと判断し、そういうヴァージョンを先にやることで進行調整をおこなおうと考えたのでした。

 「第九」はもう長いこと練習ピアニストを務めており、第四楽章などは隅々まで知悉しているつもりでしたが、知悉しているのは合唱の部分だけで、独唱・重唱がらみの部分、あるいはオーケストラだけの部分については案外手薄でした。特にオーケストレーションについてあまり緻密に見たことは無く、今回は「第九」についての理解を深める良い機会だったと思います。
 室内オケ版は、弦楽器は五部(第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)がふたりずつ確保できたそうです。実はこのバランスだと、低音が強くなりすぎそうなのですが、まあそこはリハーサルで調整できるでしょう。基本的には、弦楽器のパートはいじらないことにしました。もっとも、途中のゆっくりしたところで、ヴィオラが2部に分かれるところがあり、ここをひとりずつだけで充分に鳴らせるかどうか、ちょっと不安だったりしました。よほど第二ヴァイオリンあたりを参加させようかと思ったのですが、いちおう原曲に従っておきました。
 打楽器は本当は4人必要です。ティンパニと、大太鼓、合わせシンバル、そしてトライアングルです。全曲通して活躍するのはティンパニだけで、他の3つは途中のマーチ風のところと、最後のコーダの部分です。マーチのほうはティンパニが使われていないために、ティンパニ奏者にトライアングルを打ってもらうことで賄えましたが、コーダのほうは4楽器がのべつまくなしに鳴っています。3人で演奏するには、どれかを省略する必要があります。指揮の成田徹くんと相談して、ティンパニと大太鼓が同じ太鼓系ということで、大太鼓を省略することにしました。もっとも、昨日顔合わせ会があって、打楽器奏者に訊ねたところ、大太鼓とトライアングルは同時にひとりで担当できると豪語していました。それならやって貰うことになるかもしれません。いずれにしろ、打楽器もアレンジとしては原曲をいじりません。
 管楽器はいろいろ変えざるを得ませんでした。木管は本来10人必要なところを6人、金管は7人必要なところをふたりで済ませなければならないのです。オーボエとクラリネットは同じような動きをしているところが多いのでそれぞれの第一奏者が吹くところをオーボエに、第二奏者が吹くところをクラリネットで担当する、などの工夫をすることになりました。
 金管のほうはもうどうしようもありません。木管群にテノールサクソフォンが加わっていて、これは若干金管っぽい響きもしないことはないので、ときどき手伝わせました。しかしホルンとトランペット1本ずつだけでは、目立つところを外さないようにするくらいで精一杯です。後半に活躍するトロンボーンはひとりも参加していませんので、そのあたりはピアノなどで補うしかありませんでした。
 音色の予想としては、高いほうの木管と、低弦と、そして打楽器のバランスが強すぎることが懸念されます。どうなることやら。
 ベートーヴェンの時代、フルートの最高音が高いラの音とされていたらしいことがわかって、なるほどと思ったりもしました。現在はその2音上のドまで使えることになっています。旋律の流れの勢いでラより高いところが必要になった場合、ベートーヴェンは躊躇なくその部分だけオクターブ下げていたりするので、フルートだけ見ると意外と不自然な動きが多くなっていることに気がつきました。耳が悪かったために無頓着になっていたのか、他の楽器と重ねているのでそう目立たないと判断したのか、その意図はややわかりづらいようです。

 川口第九を歌う会のための2台ピアノ版は、この室内オケ版を利用して作成しました。細かい音の動きなどはコピー&ペーストで大体移してしまい、不都合な部分だけ微調整しました。何よりも、室内オケ版を作るときに打ち込んだ歌のパートをそのまま使えるのが便利でした。
 オケの楽器の動きをそのままコピペできるなら楽なのですが、ピアノで弾くにはかなり無理のある動きだったりもしますので、そういうところは少し形を変えたりします。たとえば中間くらいのオーケストラだけで演奏される部分で、急速な6/8拍子のため、ピアノでは同音連打が難しくなりますが、そういうところは休符を入れて処理してしまったりしました。
 歌がはじまってしまうと、ピアノは多少怪しくてもなんとかなるものですが、今回は歌の入る前までのオーケストラ部分をフルに演奏することになるので、それは大変かもしれません。運営ではもともと私に弾いて貰いたいらしき雰囲気でしたが、もうふたりの練習ピアニストのほうが、ふたりでのアンサンブルに馴れていると思いますので、私は歌に加わることにして、ピアノはそのふたりに任せてしまいました。ピアノを弾くプレッシャーから逃げた、とも言いますね。
 最初のうちは譜めくりなども考慮していたのですが、途中からそんなことを考えていられなくなりました。第四楽章の後半は、のべつまくなし全楽器が鳴り続ける、みたいなところが多くなり、休みを入れる余地がまったくなくなってしまいます。どうやって譜めくりをするかなど、考えるだけ無駄で、正しく言えばどうやっても無理なのでした。譜めくり人をつけるなら良いのですが、演奏者が自分でめくるのであれば、適当にそのあたりの音をごまかすしか無さそうです。知~らない、文句はベートーヴェンに言ってくれ、という投げやりな気分になっていました。
 全部で90ページ近くなりました。製本も大変そうです。

 引き続き、ファミリー音楽会のための編曲にかかります。前のふたつは第四楽章のみで、サイズも同じだったわけですが、こんどは他の楽章も用いるし、全部で10分間におさめなくてはなりません。
 構成はいろいろ考えたのですが、冒頭は第四楽章の最初のところを用いることにしました。嵐のようなテュッティ(総奏)による序奏があり、そのあと低弦ユニゾンによるレチタティーヴォパートが入り、ふたたびテュッティ、そしてまたレチタティーヴォと繰り返されます。そのあとで、原曲の第四楽章では、第一楽章の冒頭が短く回想されることになります。そこで私は、その回想をふくらませる形で第一楽章を導入することにしました。
 原曲では、回想はほぼ一瞬で終わるのですが、ここでは第二主題の前くらいまで、およそ2分ほどかけて奏することにしたのでした。
 そのあと原曲では、レチタティーヴォをはさみながら、第二楽章、第三楽章のモティーフをやはりごく短く回想してゆきますが、こちらはレチタティーヴォを用いず、それぞれの楽章をかなり長く使ってつなげます。第二楽章のスケルツォは、主要部分がそっくりソナタ形式になっており、そのソナタ形式の呈示部をまるまる使いました。これも2分間くらいです。この第二楽章、中間部もなかなか印象的で、なんとかまぎれこませられないかといろいろ考えたのですが、うまくゆきませんでした。
 第三楽章はゆっくりなので、使う小節数も多くはありません。しかし、やはり第二主題の前までそのまま用いました。やはり2分くらいと思います。
 そこから、第四楽章の独唱の入る直前のくだりに飛びます。歌の導入となるバリトン独唱を経て、いきなり関係者には[M]として知られる部分、全体合唱でいわゆる「歓喜の歌」を朗々と歌う部分に直行します。その部分が一段落つき、停止したのちに、本来なら「Seid umschlungen」のコラールがはじまるのですが、これもいきなりワープして最後の終結部分に飛び、そのまま最後まで行って終わります。これで大体10分くらいになることでしょう。
 第四楽章の部分は「ベートーヴェン・プロジェクト」版をそのまま使えるかと思いきや、なかなかそういうわけにもゆきません。なぜなら、楽器編成が違っているからです。
 「ベートーヴェン・プロジェクト」でオケに参加する人の大半はファミリー音楽会にも出てくれるのですが、まず打楽器が全員不参加となりました。それから弦も減りました。各パート1名で、弦楽合奏ではなく弦楽アンサンブル状態となりましたが、それよりもチェロがふたりとも不参加なのが痛いところです。つまり、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスという変則四重奏になってしまったのでした。

 金管のふたりはそのままですが、木管は逆にアルト・サクソフォンが加わります。そのことによって、他の楽器もいろいろ変えなければならなくなりました。ピッコロなんかはそのままですが、多くの木管楽器は、同じ曲なのに「ベートーヴェン・プロジェクト」とファミリー音楽会では違うことを吹かなければならなくなり、負担を増やすことになってしまいました。
 打楽器やチェロが無くなった分、ピアノのやることが増えました。第四楽章部分に関しては、ピアノはだいぶ忙しくなっています。
 そんなわけで、編曲で楽をさせては貰えませんでしたが、それまで第四楽章だけにどっぷり漬かりこんでいたので、他の楽章を扱えたのは趣向が変わって良い感じでした。

 そのあと同じ編成で、ファミリー音楽会で演奏する出演者全員参加曲をふたつほど編曲し、ようやく数日前に筆を擱くことができました。だいぶ疲れていて、腰も痛くなっていますが、まあいままでになく「第九」の深いところまで触れたという気がします。

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