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日本人から見たロシア人という人々 [世の中]

 前項では、日本人の立場から見たロシアという国について考えてみましたが、これがロシア人ということになるとまたちょっと違った側面が見えるようです。
 日本人だけでなく、いろんな人たちが、古来から

 ──ロシア人はひとりひとりを見れば底抜けに気のいい、愉快な連中だ。だが集団になると手に負えないほど横暴になる。

 といったことを指摘しています。これは、ひとりでもロシア人の知り合いが居る人ならば、容易に納得できる指摘ではないかと思います。私もしばらく前にロシアを旅行しましたが、サンクトペテルブルクでガイドをしてくれたアンドレイや運転手のサーシャモスクワでガイドをしてくれたスラーワスーさんと呼んでくれ、と言われました)や運転手のウラディーミル、いずれも気分の良い人たちであったと思います。彼らはいまどうしているのやら。
 現在のプーチン大統領の支持率が80%以上だとかで、上の者の言うなりになりやすい国民性だ、とも言われていますが、数々の傑作なアネクドート(小話)を見る限り、反骨精神もなかなか旺盛であるように思われます。庶民の中にこんなに反骨精神があるから、支配階級の連中が強権的にならざるを得ないのだろうか、とすら感じられるのですが、はたしてお上に従順な犬であるのか、反骨精神豊かな狼であるのか、この一概に言えないあたりがロシア人の特徴と言えるのかもしれません。
 時の権力者を笑い飛ばすアネクドートは、特に切れ味が良いようです。前にも例示しましたが、有名なところでは

 ──ある男が、酔っぱらって「フルシチョフの大馬鹿野郎!」と叫んだ。
  男は逮捕され、15年のシベリア送りに処せられた。
  うち5年は、国家元首侮辱罪である。
  残りの10年は、国家機密漏洩罪であった。

 なんてのが知られています。また、こんなのも面白い。

 ──米ソ首脳会談がおこなわれ、ニクソン(大統領)がブレジネフに言った。
  「なんと言っても、アメリカには言論の自由があります。ホワイトハウスの前で『ニクソンは大馬鹿野郎だ!』と叫んでも、罪に問われることは無い」
  これを聞いたブレジネフは、即座にニクソンに言い返した。
  「その程度の言論の自由なら、ソ連にだってあります。クレムリンの前で『ニクソンは大馬鹿野郎だ!』と叫んでも、罪に問われることは無い」

 最新版のアネクドート集を読んでいないので、確認はしていませんが、おそらくプーチンネタも大量に作られていることでしょう。
 パーティなどでは、面白いアネクドートを披露できる人がもてるそうです。ユーモア精神にあふれ、バカ笑いが大好きな陽気な人々……つき合って後悔するような人々でないことは確かでしょう。
 ちなみに、前項で少し詳述した北方領土についても、アネクドートが作られています。

 ──クリル千島列島)の人々が幸せになる方法。
 その1、ロシアに対して独立を宣言する。
 その2、日本に宣戦布告する。
 その3、ただちに降伏し、住民全員日本の捕虜となる。

 実現はありえないにせよ、実現したら愉快だと思わせるウイットがあります。政府の見解がどうあろうと、庶民は自由自在に夢を拡げているのです。

 そんな楽しい、気持ちの良い人々が、国家とか軍とかにまとまると、なぜああなってしまうのでしょうか。伝えられるウクライナでのロシア兵のふるまいは、現代の軍人というよりも、野盗か山賊のような様相を呈しています。ウクライナの民家から電化製品を盗み、ベラルーシなどで売りさばいているなんて話を聞くと、君たちには軍人としての誇りは無いのかと問い詰めたくなります。
 まあ、長期にわたる演習の末にいきなり他国への侵攻を命令され、そのくせ補給が全然追いつかず、銃弾どころか食べるものにも苦労するような状況では、士気が上がるはずもなく、そうなってしまうのは無理もないと言えないこともないのですが、ロシア兵の乱暴狼藉ぶりというのは今回に限ったことではありません。クリミア戦争や、露土戦争のころから、ロシア兵の無軌道さは有名で、西欧からはあたかも蛮族のように思われていました。
 「結局奴らは草原の野蛮人に過ぎないのだ」
 とまで言われています。
 草原の野蛮人、と言うときにヨーロッパ人が考えるのは、モンゴル帝国です。そのまえにフン族ハンガリーフィンランドを形成した東方民族。匈奴の末裔とも言われる)の侵入もありましたが、ヨーロッパ人が滅亡を覚悟したほどの兇悪な侵略者と言えばなんと言ってもモンゴルでした。立ち塞がる国々を片端から鎧袖一触し、あっという間に中欧まで攻め寄せたそのとてつもない戦闘力と、いかなる交渉も通じない異文化力は、長いことヨーロッパ人にとってのトラウマとなりました。ノストラダムスの予言詩にある「アンゴルモワの大王」とはモンゴル帝国を意味するという説もあります。
 おりしも本国のほうで太宗・オゴデイ汗が崩御したため、ヨーロッパ侵攻軍は潮が引くように退却しました。モンゴル帝国は帝位継承権がはっきりしておらず、有力者会議であるクリルタイで決めることになっていたため、いちど本国に戻らないと不利になりかねなかったのでした。ヨーロッパは救われました。
 あとを継いだ定宗・グユク汗は、ユーラシア大陸中に拡がってしまっていた戦線を整理しましたが、従兄のバトゥヴォルガ川流域にとどまりました。バトゥはチンギス汗の長男ジュチ(オゴデイ汗の兄)の息子で、ジュチがチンギス汗と不仲であったことを受け、ほかの親戚筋と少し距離を置いたところがあったようです。このバトゥがいわゆるキプチャク汗国(最近はジュチ・ウルスと呼ぶようです)の開祖となり、現在のロシアの領域の大半を支配しました。ジュチ・ウルスは300年近く続きましたが、この期間、領域の住民は、モンゴル的な支配と収奪に苦しみました。ロシア史に言うタタールのくびきです。
 ジュチ・ウルスはその後分裂したりして力を失い、16世紀はじめにモスクワ大公国によって亡ぼされます。そのモスクワ大公国がやがてロシア帝国となるのですが、長いことタタールのくびきのもとにあった領域住民は、考えかたや行動様式もだいぶモンゴル的なものになっていたようです。
 16世紀なかばには雷帝のふたつ名を持つイワン4世が、痛烈なまでの暴君ぶりを発揮し、やはりロシアというのはヨーロッパというよりもモンゴルの風儀を色濃く残した国なのではないかと、多くの国に印象づけたのでした。つまり「草原の野蛮人」というわけです。

 ロシア人の知識階級の中には、この状況を深刻に思い悩む人たちも居ました。自分たちははたしてヨーロッパ人であるのか、はたまたモンゴルの系譜を継ぐアジア人であるのか、アイデンティティの置き場所に苦しんだ人がけっこう居たようです。
 戦場におけるロシア兵の無軌道ぶりは彼らにとっても頭の痛いことであったらしく、自分たちはどうしてこうなのだろう、と考え込んだりもしていました。
 「ロシアには騎士道の伝統が皆無だったからではないか」と分析した人も居ました。確かに「武人の誇り」とか「好敵手への敬意」とかの感情は、騎士道(日本なら武士道か?)という倫理体系が無いと生まれてきづらいものかもしれません。
 誰だったか、「ロシアはヨーロッパでは野蛮人扱いだが、アジアに行けば立派に文明人として通用する」と言った文学者も居たと思います。
 文学者ということになると、19世紀以降のロシアには素晴らしい文学者が輩出しています。プーシキンドストエフスキーゴーゴリトルストイツルゲーネフチェーホフ……いずれも世界的な大文豪と言って良く、その叢生ぶりはドイツやフランスを上回るかもしれません。日本人の中にも、これらの大作家たちの作品を耽読した人々はたくさん居ます。だからこそ、第二次世界大戦末期のソ連軍、そして現在のロシア軍のふるまいが、それら文学作品から受けた感動とあまりに乖離して、余計に許せないという気分になっているようにも見えます。
 20世紀に入っても、ゴーリキーショーロホフパステルナークソルジェニーツィンとビッグネームが並びます。彼らの作品は重厚長大な大長篇であることが多く、それだけに実際に読み通した人は案外多くないかもしれませんが、少なくとも彼らの作品名をひとつも知らないという日本人は滅多に居ないのではないでしょうか。
 私は10月にロシアに行きましたが、サンクトペテルブルクでは朝の8時になってもまだ真っ暗でした。北極圏すれすれの高緯度と、同じ時差帯の中でだいぶ西のほうにあったせいでもありますが、冬のロシアというのはとにかく暗いのです。一日のうち太陽が顔を出すのはほんの数時間だけ、あとはひたすらに長い夜が続くわけで、電灯が普及するまでは家の中もほとんど真っ暗であったことでしょう。
 こんな、ランプとペチカの明かりだけがかぼそくゆらめく闇の中で、蜿蜒と思索にふけっていれば、やはりたどり着くのは「自分たちはどうしてこうなんだろう?」という疑問になるでしょう。それに答えを出すために、文豪たちは書き続けました。その結果として出てくるのは、やはりあの重苦しい大長篇であるのも無理はないと思うのです。

 ロシア音楽も世界的に普及していますね。チャイコフスキーの名前を知らない人は珍しいでしょう。ロシア五人組ボロディンキュイバラキレフムソルグスキーリムスキー・コルサコフ)の名前を全部知っている人は少ないかもしれませんが、彼らの作品のどれかひとつでも聴いたことがないという人もまた少ないと思います。ラフマニノフも愛好者の多い作曲家です。私のもっとも好きな作曲家のひとりであるスクリャビンになると知名度はやや落ちるかもしれませんが、音楽好きなら聞いたことくらいはあるでしょう。20世紀に入ってから活躍したプロコフィエフショスタコーヴィチなども有名ですし、最近ではカプースチンがけっこう人気です。演奏家でも世界的に活躍している人はたくさん出ています。
 文学と音楽のコラボともいえるバレエに至っては、ロシアのお家芸と言って良いほどです。もともとチャイコフスキーの三大バレエなどがよく知られていましたが、20世紀初頭にニジンスキーという天才が出現して、ロシアバレエの水準を世界最高レベルにまで引き上げました。
 20世紀初頭という時代には、文学、音楽、舞踊のほか、美術や建築などにもまたがった一種の革新運動がロシアを風靡しました。いわゆるロシア象徴主義です。ほかの国に較べ、芸術の各ジャンルに横断的に発生した思潮である点がロシア独特とされました。さらにそれに続いてロシア・アバンギャルドという時代も到来し、実に面白い作品が産み出されています。
 そういう面白い思潮を叩き潰したのがおなじみスターリンです。彼はどうも現代芸術なるものを理解することができなかったらしく、そのすべてを「ブルジョワ的で非生産的なお遊び」と斬って捨てました。彼に言わせると芸術というのは労働者に奉仕すべきもので、誰にでも(当然、彼にでも)理解でき、愉しめるものでなければ価値がないのでした。
 その結果提唱されたのが社会主義リアリズムという芸術思想でした。私が確言できるのは音楽に関してだけですが、プロコフィエフもハチャトゥリャンも、社会主義リアリズムを強要される時代になると著しく作品がつまらなくなっています。なんとか社会主義リアリズムと折り合ったのはショスタコーヴィチとカバレフスキーくらいだったでしょうか。ほかのジャンルも同じような感じでしょう。
 そういえば、社会主義リアリズムに関するアネクドートというのも見たことがあります。これは絵画について言っているようですが、

 ──リアリズムとは……見たままに描くこと。
 シュールリアリズム(シュールレアリスム)とは……感じたままに描くこと。
 社会主義リアリズムとは……言われたままに描くこと。

 簡単ながら、ものすごく的を射た総括です。ロシアの庶民は、冷酷なまでにものごとの本質を見抜いているように思われます。そんな人々が、本当に本心から、80%以上もプーチン大統領を支持しているのでしょうか。

 ひとりひとりは底抜けに気が良く、ユーモアにあふれ、本質を見抜く眼を持っている。
 しかし、集団になるとやにわに獣性を露わにし、無軌道な乱暴狼藉をいとわない。
 この二重性がロシア人というものなのかもしれません。最高の知性を持つ文豪たちが闇の中で考え抜いて、大部の書物を書き綴って、それでもつかみきれなかったロシア人……ある意味ではとても興味深く、そして理解の届きそうにない存在と言えそうです。

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