SSブログ

作曲と編曲 [お仕事]

 とりあえず1月のファミリー音楽会のための編曲の仕事を終えました。
 来週、出演者の顔合わせ会があります。私は他の用事のため出席できないのですが、その前日に板橋区演奏家協会役員会があるので、顔合わせ会で配布できるよう、楽譜を持ってゆくつもりでいました。なんとか間に合ってホッとしています。
 例年だと、ファミリー音楽会の編曲はもう少しあとまでかかるのが常で、むしろ顔合わせ会の時に依頼されるというケースも多いくらいなのですが、何しろ今年は大物をふたつ(『セーラ』『星空のレジェンド』)抱えているので、編曲の作業はとっとと終わらせてしまいたかったのでした。今年もだいぶ残り少なくなってきましたが、あとの日数をなんとか作曲に専念したいものです。
 しかしまあ、そうはゆかないだろうな、という諦めに似た予感もあります。顔合わせ会で、

 ──やっぱりこれも何か楽器を入れよう。

 というようなことになる可能性はわりと高い気がしますし、板橋とは関係なく打診されている編曲仕事がもう一本実際に入っています。童謡をピアノ五重奏にするという話なのですが、打診のわりにけっこう急ぎのようですし、迷っているところです。簡単なアレンジならすぐできると思うのですけれども、ある程度演奏効果のあるアレンジを期待されているようでもあって、そうなると手間がかかります。

 もっと作曲で依頼がたくさん来るようになって、

 ──編曲のお仕事は現在は基本的にお受けしていません。

 と断れるようになればどんなに良いかと思いますが、まあそれはそれで年柄年中頭髪をかきむしるような想いをし続けることにもなるのかもしれません。当然機嫌が悪くなり、家人とも険悪な空気が流れることになると思われます。
 本当に売れっ子になって、家の外に仕事場を借りられるような経済状態になれば良いのですけれども、いまのところはマダムが在宅の時は常時顔を突き合わせています。仕事をしている部屋は独立性が無く、いつも開けっ放しです。
 現状では、まああまり肩の凝らない編曲仕事を適宜入れて日銭稼ぎをしているのが分相応というところでしょう。

 私の仕事を、例えば小説家などに喩えた場合、編曲のような仕事は何に当たるのだろうか、と考えることがあります。
 作曲はもちろん本業の小説書きに相当するでしょう。しかし、小説家は常に小説を書いているとは限りません。随筆を書いたり、翻訳をしたりといった仕事もあります。私にとって編曲というのは、小説家にとっての随筆や翻訳に相当するのかもしれない、と思います。
 元ネタがあってそれを需要のある形に変形する作業、という点では、編曲はより翻訳に近いのかもしれません。随筆は何かな。自分の本領とは考えない軽い曲作り、私で言えば例えばDTMオリジナルの『想い出が ふわり』『雪』あたりに当たるでしょうか。
 編曲仕事ばかりで作曲の依頼がなかなか来ない私のような作曲家は、語学が下手に達者なため翻訳の仕事ばかり頼まれている小説家にちょっと似ているのではないでしょうか。私は以前あるところで「編曲家のMIC先生」と紹介されて凹んだことがありますが、たぶんそれは「翻訳家の○○先生」と言われて凹む小説家の心理に酷似していると思います。もちろん編曲だって翻訳だって立派な仕事ですが、あくまでそれは副業、というか身すぎの手段としか考えていない者にとっては、それが本業のように言われてしまうのはやはりきついものがあります。
 USAの大物アレンジャーなんかになると、なかなか威張っているようで、駆け出しのシンガーソングライターなど、アレンジャーの機嫌を損ねると曲の発表すらできないそうです。作曲者と編曲者の関係は、こうなると原著者と翻訳者と言うよりも、浮世絵の下絵描きと刷り師の関係に近いかもしれません。確かに後世に名前が残るのは葛飾北斎とか喜多川歌麿といった下絵描きかもしれませんが、現実にその時点で力を持っているのは刷り師のほうでした。
 どうせ「編曲家」と紹介されるなら、そのくらいまでになってみたいものですが、日本では編曲者の地位はそこまで高くないので、

 ──あっそう。じゃあ他を当たるよ。

 と言われてそれでおしまいでしょう。

 全盛期の松本清張氏は、月に2千枚を超える小説を書いていたそうです。北杜夫氏のエッセイに、作家の月産量について書いたものがあって、

 ──上は千枚を越す超人も居る。

 という一節がありました。千枚で超人クラスなら、2千枚なら一体なんと呼ぶべきでしょうか。
 「社会派推理小説」の第一人者としてひっぱりだこだったわけですが、清張氏自身も書きたいことが山のようにあって、書くことが苦ではなかったといいます。そもそも苦吟などしていたら2千枚など書けるはずがありません。
 彼は徹夜ができない体質だったようで、睡眠時間はきちんと確保しなければなりませんでした。睡眠時間とトイレの時間を差っ引き、原稿を書く速度を勘案すると、1回の食事にかけられる時間は1分半くらいなものだったとか。なるほど、道理で彼の小説に出てくる刑事たちがウドンばかりすすっているわけです。
 当然、何本もの小説を同時進行していたはずです。よく話の筋がこんがらがらなかったものだと感心します。推理小説なのですから、伏線がこんがらがったりしたら目も当てられません。登場人物の名前や設定だって間違えてしまいそうです。まるで傾向の違う作品ならばともかく、求められているのはすべて「社会派推理小説」なのですから、そんなに変わりばえがするとも思えません。
 清張氏は本来、「或る『小倉日記』伝」芥川賞を獲って作家としてのスタートを切った人です。芥川賞ですからまあ「純文学」ということになります。私はこの純文学という言葉の使われかたが嫌いで、この言葉は「文章でなければ(現実には)構築できない世界」を作っている、例えば夢野久作『ドグラ・マグラ』のような小説にこそ使うべきだと思っていますが、いちおうここでは世間一般の用法に従います。
 そのいわゆる「純文学」は、量産の利くものではありません。それこそ一字一句にこだわり、文末を「だった」にしようか「であった」で締めようかで半日悩むなんて苦吟の果てに生まれてくるものでしょう。上記の北杜夫氏のエッセイでは、千枚を越す超人に引き較べ、ある月に自分が駄文50枚しか書いていなかったことに触れ、

 ──純文学を月に五十枚書ければ大したものだが、屁のような文章で五十枚とは……

 と自嘲していました(原文に当たらず記憶だけで書いているので、北氏の文章そのままではありません。あの世の北先生ごめんなさい)。純文学というのは、それほど生産性が低いものであるようです。
 松本清張氏の凄みは、そういう純文学へのこだわりをさらっと捨てて、推理小説というエンターテインメントに転身したところでしょう。それで月に2千枚の注文が来る怪物的作家に脱皮したのです。世間的に成功するには、どこかで自分のこだわりを捨てなければならないのかもしれません。
 音楽界で似たようなタイプの人を探すと、例えば坂本龍一氏などがそれに当たるでしょうか。純音楽、という言葉が「純文学」に対応するものかどうかわかりませんが、いちおうそこからスタートして軽音楽に転じ、一躍売れっ子になったという点では似ています。
 私に近い年代では佐橋俊彦さんも同様かと思われますが、ただし佐橋さんは藝大在学中から作る曲はいつもあんな感じ(笑)ではありました。在学中は「いわゆる」現代音楽を志していたらしい坂本氏とは少し違うかもしれません。
 ひるがえって自分のことを考えると、自分なりの音楽のありかたについてはいちおうの方針と、いくぶんかの矜恃があり、やはり譲れない点というものが存在するようです。そんなことを言っているから売れっ子になれないのだろうとは思っていますが。
 ともかく、自分がいまできることをやってゆくしかない、というのが現状であり、たぶん生涯そんな感じで過ぎてゆくのだろうとも感じています。

 さて、ファミリー音楽会のために編曲したのは結局11曲でした。うち5曲は「フルオケ(板橋編成)」で、ホンモノのオーケストラに較べれば楽とはいえ、やはりだいぶ手間取りました。そのなかのひとつは『セーラ』のラストシーンの合唱となるべき部分を先取りしたものであり、主要部分はオペラ冒頭ですでに使われていたものの、後半は「作曲」を含む作業となりました。
 あと6曲は「ピアノと歌」という編成にいくつかの楽器を加えるという形です。これは通常さほど手間のかかる編曲作業ではないのですが、今回は前にやったもののリアレンジとなった1曲を除き、元にする楽譜が存在せず、すべてyoutubeから耳コピで採譜しなければなりませんでした。中には面白いものもありましたが。
 なんでこんな選曲にしたんだろうというのがいくつもありました。代表例は「いすゞのトラック」でしょうか。
 「♪いつーまでもいつーまでも 走れ走れ いすゞのトラック~♪」
 という歌は、いまでもいすゞ自動車のCMで使われていて、誰でも耳にしたことがあるでしょうが、実はCMで流れているのはサビの部分だけで、本当は
 「♪ドアを開けたら 冷たい空気 白い息 ひろがった♪」
 ではじまる前半部分があり、
 「♪みなぎるチカラ ブルン ブルン ブルン♪」
 といった「Cメロ」もあり、けっこうちゃんとした歌になっているのでした。それにしてもファミリー音楽会で演奏する意味がよくわかりません。
 二村定一という戦前のヴォードヴィリアンの歌をなぜか2曲もやります。エノケンの師匠筋であったそうです。これなど、動画はもちろんありましたが、昔のSPレコードからの録音で、ノイズが多いこと多いこと。しかし二村氏は本来は声楽家を目指したという経歴だけあって、エノケンよりも発声や発語は良いようでした。まだ憶えているお年寄りは居ると思いますが、よくもまあこんな歌を見つけてきたものです。
 中でも「百萬圓(百万円)というのはバカバカしすぎてかえって新鮮だったりします。百万円拾ったらどうしようか、とあれこれ妄想するだけの歌ですが、これはもちろん現在の100万円ではなく、戦前のことですからたぶん現在の30~40億円くらいに相当するのではないかと思います。内田百閒の戦前の随筆を読む感じでは、昭和ヒトケタ頃の1円というのがどうもいまの4、5千円くらいであるようです。米価などを基準にした公式の換算法ではもう少し少ない感じですが、大雑把な物の値段の感覚から言うとそのくらいです。10年代に入るとインフレが進んでもう少し目減りするでしょうが、当時「百萬圓拾つたら……」と考えるのは、いま「ロト7で10億円当たったら……」と妄想するよりもっとスケールが大きかったのは間違いありません。
 こんな珍曲迷曲満載のファミリー音楽会は、2015年1月11日(日)板橋区立文化会館大ホールにて開催です。お暇なかたはぜひご来聴ください。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0